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勇敢な追跡者の物語  作者: tori
白い呪術師編
38/88

ウルスラ

 狭い小屋の中で三人で寝ていると、幼い頃を過ごした工場の二階の六畳間を思い出す。あの場所から私たち母子三人の生活がスタートした。

 あの頃は母も美月も手を伸ばせばすぐ届くところに居た。貧乏で不自由な暮らしではあったが、不幸だと感じたことは一度もなかった。私たちは死の淵から身ひとつで生還した仲間だった。肩を寄せ合っていなければ、世間の風はすぐに私たちをなぎ倒しただろう。 それが今はどうだ。母は亡くなり、美月は遙か遠く連れ去られたままだ。

 私はすぐにでもダークウッドに向けて出発したかったが、レオは慎重に押しとどめた。 できるだけ大地峡に近い港にいく船をつかまえる必要があったし、そこから先の地理についても調べなければならない。大地峡の向こうは魔獣の徘徊する密林なのだ。思いつきで旅立てるようなところではない。


「眠れないのですか?」

 寝返りを打ったところでレオが声を掛けた。

「すこし考え事をしていたら、なんだか寝付けなくって」

「僕はどうにもララノアのいびきがうるさくて」とレオは苦笑交じりに言った。

 森の種族とは思えないような豪快ないびきをかきながら、ララノアは熟睡していた。もっとも彼女は生まれも育ちもこの居住区で森の生活など何も知らないらしい。

 ララノアはレオにすっかり懐いている。レオも満更ではなさそうだった。ララノアは人間の基準から見ても、可愛い少女だ。彼女のような快活で人懐っこい女の子が、レオのような異性に対してちょっと取り澄ましたところのある男の子には相性が良いのかもしれない。

 レオは鯨の髯亭からララノアを居住区まで送り届けた。娘を助けてもらったことに感激したララノアの両親は騒ぎが落ち着くまでここに居るよう説得した。しかしレオは私を助ける必要から一度街に戻った。その際、ヨシュアが同行してくれた。彼が居なければ紋章官の家を探すことはできなかったとレオは言った。街で働いているウッドエルフたちにヨシュアが連絡を取ってくれたのだ。

 私が王宮に居る間、レオはずっとここで過ごしていた。

 結局ダークウッドの近くまで行く船が見つかるまでの間、私もここに滞在することになった。これからの旅のことを考えれば、お金をできるだけ節約したかったし、何よりも石で囲まれた冷たい王宮の部屋より、木造の小さな小屋の方が貧乏性の私には落ち着けたのだ。


   ********************

 レオが調べ物のため街に出ていたときのことだ。

「夏美に客が来ている」

 夕餉の支度の手伝いをしていると、ヨシュアが戸口から顔を覗かせた。

「ここに訪ねて来るような知り合いに心当たりはないけれど」

 私が言うと、ヨシュアはどうにもばつが悪そうな表情で頭をかいた。

「それがその……とにかく人間の女なんだ」 私は木の実をすりつぶす手を止めると外にでた。

 小屋の外では隣に侍女らしき女性を従えた、人形のような顔立ちをした巻き毛の少女が私を睨みつけていた。十五、六歳といったところか。薔薇の花びらのような深紅のベルベットの上着に白い絹のシャツ、襟元を上着と同じ色の大きなリボンが飾っている。滑らかな光沢のある黒革の乗馬ズボンに膝下のブーツ、一目で身分のあるものだとわかる身なりだ。


「私のことは知っているわね?」

 肩に掛かった金糸のような髪を払いのけると、それがさも当然というように少女は言った。

「さあ、知らないけど」

 如何にもこの少女が口にしそうなセリフに私は笑いを堪えながら答えた。彼女は一瞬信じられないという表情を浮かべて、私を見返した。考えていることがそのまま表情に出てしまうタイプらしい。

「私はウルスラ、国王の第一王女よ。レイマン殿下は私の叔父、でも私はお兄様と呼んでいるの」

 王宮では一度も見かけなかったが、国王に一人娘がいることは耳にしていた。

「その王女様がいったい私に何の用?」

「王宮に戻りなさい。あなたはお兄様の愛人なのよ。自分の立場を忘れて、勝手にお兄様の元を去るとは不届ききわまりないわ」

「ブランに頼まれたの?」

「お兄様がそんなことを頼むわけないでしょ! あなたそんなこともわからないの」

 ウルスラはキッとなって言った。たしかにブランがそんなことを人に頼むはずはない。戻ってきて欲しいなら、自分自身で来るはずだ。

「私がイーリンから戻ってみればあの太陽のように輝いていらっしゃるはずのお兄様の表情が雲がかかったように蔭っているじゃない。上辺はいつものように優しいお兄様だけど、私にはわかるの。お付きの者たちを問いただしてみたら、あなたのことがわかったわけ」彼女は捲し立てるように言った。

「どうして私がここに居るとわかったの?」

「私は第一王女よ。その気になれば砂浜に落ちた針一本だって見つけることができるの。それにあなた、最近王都ではちょっとした有名人らしいわね。魔装剣使いの長身の美女とかもてはやされて、吟遊詩人の歌にまでなっているとか」

 自分のことがどんな風に歌われているか興味のあるところだが、今はそれどころではない。とにかくこの王女様にお引き取り願うことが先決だ。

「私がブランの元を去ったのは大人の事情ってやつなの。あんたのような子供が口を出すことじゃない」

「あなたどれだけ無礼な人間なの? 私のことは殿下、もしくはマイレディとお呼びなさい。でもまあいいわ。簡単に言うことを聞くような女じゃないってことは承知の上で来たのだから」

 ウルスラはそう言うと、侍女が捧げ持っていた剣を引ったくるように奪った。

「決闘よ。私が勝てば王宮に戻りなさい」

 細身の剣を私の喉元に突きつけた。

「私が魔操剣の使い手ってことは知ってるのよね?」

「知ってるわ。でも私はプリンセス、ドラゴンが相手でも一歩も退くつもりはない。遠慮なく掛かってきなさい」

 どうやら本気らしい。遠巻きに様子を伺っていた居住区の人たちもざわざわと私たちの周りを取り囲み始めた。

 ララノアが小屋から剣を持って出てきたが、私は首を横に振ると、戸口の脇に立てかけてあった割木を掴んだ。

「魔装剣を使うのはいくら何でもハンディがありすぎる。これで十分だよ」

 単純に剣の腕前なら彼女の方が上だろう。しかし、私は二度もボスクラスの魔獣と戦った経験がある。お嬢様剣術とはくぐってきた修羅場が違う。

 私は持っていた割木をウルスラの頭上に向かって放り投げた。案の定、彼女の視線はそれを追った。

 その隙を逃さず、私はウルスラの下半身にタックルをかました。仰向けに倒れた彼女に馬乗りになると、膝で腕を殺して手首をねじあげ剣を奪い取った。

 マウントポジションを取ってしまえば、華奢で小柄なお姫様は身動きを取れない。敗北を悟らせれば良い。痛めつけるつもりは毛頭なかった。

 私は剣を放り投げた。侍女が駆け寄る前に、ヨシュアがそれを素早く拾い上げた。

「サラ! 余計な手出しをしたら、承知しないわよ」ウルスラは顔だけを動かして侍女の方を睨んだ。

「しかし……ウルスラ様、このままでは」

「私は英雄アルダリスの血を引く娘。卑怯な振る舞いは絶対にしない」

 侍女が続きを言う前にぴしゃりと言い放った。何不自由なく育ったわがままなお姫様と思っていたが、一本筋は通っているらしい。

 ふと力を抜いた隙をつき、ウルスラは押さえられていた腕をスルリと外した。次の瞬間、猛烈な激痛が走った。

 あろうことかお姫様は私の腕に噛みついたのだ。巻き毛をつかんで引っ張ってみたが、梃子でも離す気はないらしい。あまり気は進まなかったが、私はウルスラの横面に拳を叩き込んだ。さすがにこれは効いたとみえて、彼女はたまらず顔を離した。

 しかしそれもつかの間、信じられないほどのパワーで私を跳ね返すと、ウルスラは立ち上がり拳を握りしめた。

「いいだろう。受けてやるよ」

 ニヤリと笑いを浮かべているウルスラに私は言った。あとはもうノーガードで黙々と殴り合った。唇は切れ、瞼は腫れあがり、顔中鼻血まみれのウルスラが両膝をつきそのまま俯けに倒れるまで、私たちの殴り合いは続いた。

 周りを取り囲んだウッドエルフは一言も発っすることなく、この不思議な光景を眺めていた。

「すげぇわ。この人」

 倒れたウルスラを見て、ヨシュアが思わず呟いた。侍女のサラは主人を助けに行くこともできず、その場に凍りついていた。

 私は彼女を抱き上げると小屋の方に向かって歩いた。驚くほど軽い身体を抱えながら、これだけの体格差をものともせず、勇敢に、立ち向かってきた彼女に私は感動を覚えた。

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