ダークウッド
竹で組まれた小屋の中は八畳くらいの広さだろうか。そこに所狭しと所帯道具が詰めこんである。大柄な自分が申し訳なく思えるほど狭い。立てば天上に頭をぶつけそうだった。もっとも目の前に座っている干からびた置物ようなウッドエルフの老婆にとっては問題はないのだろうけど。彼女は私の腰くらいの背丈しかないのだ。
ホルスはララノアの曾祖母だったか、もっと前の祖母だったのかわからないほどの年寄りだった。二百歳はとうに越えているらしいが、そこから先は覚えていないらしい。居住区の最初の住人で、ここに住むウッドエルフの半分は彼女の血を引いている。
レオの話では彼女が美月を捜す手がかりを持っているというのだ。私はレオとヨシュアに伴われてそこに向かった。
密集した小屋の群れから少し離れたところに彼女の小屋はあった。ホルスはそこで身の回りの世話をする若い女と二人で住んでいた。彼女が十分な敬意を払われていることはヨシュアの丁重な態度でもわかる。
私は偉い巫女さまにお伺いを立てるように、これまでの経緯と、自分が妹を取り返そうとしていることを話した。
「魔獣の王は最初から王として降臨するわけではないのじゃ。地上に姿を現したばかりの王は生まれたての赤子のようなものじゃ。世話するものと揺り籠がなければならん」
それまで黙って私の話を聞いていたホルスがほとんど口を動かさずに言った。
「王に成長するまでには時間が掛かるということですか?」
ホルスはコクリとうなずいた。
「王はもうすでに美月の身体を離れているのでしょうか?」
「それはわしにもわからん。じゃがそれがどこに居るかはわかる。ダークウッドじゃ」
「ここから遙か南にある大森林地帯です。ウッドエルフの故郷で、おばば様はそこで生まれたのです」レオが横から説明してくれた。
「なぜそこだとわかるのですか?」
「赤子には揺り籠が必要だと言うたじゃろ。あの森には王が王になるためのものがあるのじゃよ。そのガランドとやらがお前の妹の封印を解いたところで、王が外の出て行くつもりがなければ留まったままじゃ。王はあの森以外の場所には出ることはあるまい」
「王になるまでに時間はどれくらいかかるのでしょうか?」
「わしの聞いた話では王は三つの姿を経て、真の姿になるという。それがどれくらいかかるかまではわからんよ……」
ホルスはそこまで言うと、首をガクッと前に折った。一瞬ドキリとしたが、どうやら寝入ってしまったらしい。世話をしている若い女性が首を振った。
「おばば様は起きえている時間は一日にいかほどもないのですよ。なにしろ二百歳をとうに越えている方ですから」と、レオが苦笑交じりに言った。
聞こえているかどうか分からないけれど、私は丁重に礼を述べると外に出た。昼餉の煙があちこちの小屋から立ち上っている。
「ガランドが美月さんを掠ったのは、妹さんに掛けられた封印を解いて、魔獣の王を分離しようとしていると言ってましたよね?」
さっきから何事かを考えている風に遅れがちに歩いていたレオが言った。
「エミリアはそう言っていたわ。だから彼女はそうなる前に美月を殺す必要があるとも言っていた」
「たしかに、魔獣の王が解き放たれたらたいへんなことになります。過去の例からいっても、何万もの人が死に、その十倍もの人が家を失う。ノーラスはこの世の地獄と化します」
エルナスのあの荒んだ景色をみれば、それは容易に想像できることだ。
「悲惨な事態になることはわかるよ。でも殺させるわけにはいかない。あれは私の妹なの。この世界の人をすべて敵に回したって守るつもり」
「世界と肉親を天秤に掛けることはできないこともわかります。それは本来、秤にのせるべきものではないから……それに世界を救うためだったとはいえ、妹さんにはなんの責任もない話ですからね。生け贄にされたようなもので す。夏美さんが彼女を助けだからといって、僕はそれを責めることはできない」
レオの大人びた態度は感情的になっていた私を冷静にした。美月を連れ戻す決意には一ミリだってブレはないけれど、魔獣の王が暴れだすことは最大限避けたいのは私も同じだ、ホルスの話は微かではあるが、第三の道を示しているように思えた。
「生まれたての魔獣の王は赤子のようなものだとおばば様は言ってたけど、それってどんな姿をしているんだろ」
「大魔導士ソロンが王を封印した話を覚えていますか? まず最初に祖父たち魔装剣使いが決死の戦いの末に王の首を刎ねたのです。しかしこの時に死んだのは王の本体ではなく依り代なのです。祖父の話では巨大な魔獣の王が倒れたあと、そこには翼の生えた幼女が立っていたそうです。おそらくこの幼女が地上に降り立ったときの王の姿なのです」
「ソロンが美月の中に封印したのはその幼女というわけか。でも、そんな弱い存在なら封印する必要はなかったんじゃないかな。それよりも……」
「なぜ殺さなかったと言いたいのでしょ。これは僕の推測ですが、たぶんできなかったのではないでしょうか。魔道師は合理的な判断をする人たちです。情を挟むことはしません。殺すのが最善なら躊躇わないでしょう。彼らが殺さなかったのは、それが不可能だったのか、若しくはそうできない事情があったのだと思います」
「その子を幼女のままにしておく方法はないのかな……」
それが可能なら、魔獣の王を美月から分離することが世界に破滅に繋がるというジレンマは避けられる。
「幼女が魔獣の王に成長するのはダークウッドの森でなければなりません。そこから連れ出すことができれば或いは阻止できるかもしれない。でもそれにも懸念がつきまといます。ソロンたちが幼女を封印し、異世界へと飛ばしたのは、それを利用しようとする者たちから彼女を遠ざけるためです。彼女の存在がある限り、常に世界は危険にさらされていることになりますからね」
レオが言っているのは暁の使徒のことだとすぐにわかった。魔獣の王を神と崇め、世界の破壊を願うカルト集団だ。
「ガランドと暁の使徒は関係があるのかしら?」
「間違いなくあると思います。どちらから近づいたのかはわかりませんが、彼らの利害は一致します。ガランドがどれほどすぐれた魔導師であっても一人の魔力で封印は解けませんが、暁の使徒には高位の魔導師がいます」
妻と娘を奪われたガランドはこの世界に容赦はしないだろう。どんな悪魔とでも手を結ぶはずだ。
「とにかくダークウッドに行くしかないわね」
レオの表情が曇った。
「実はそこが問題なのです。ダークウッドの森はノーラスの遙か南にあることはお話しましたよね。そこに行くためには大地峡を渡っって行かなければならないんです。何ヶ月も要する旅になります」
「船ならどうかしら?」
「大地峡の向こうはもはや人間の土地ではないのです。魔獣の地なのです。金を積んでも行ってくれる船乗りはいないでしょう。武装した兵士を載せた艦隊なら可能でしょうけど……」
レオは悲しそうに首を振った。ブランのことが頭をかすめた。彼なら船も兵士も用意する力がある。しかし、私は自らの意思で彼の元を去ったのだ。今さらそんなことを頼みに行くような恥知らずな真似はできない。
「ありがとう。美月の居場所がわかっただけでも大きな前進だわ」
私は申し訳なさそうに項垂れているレオに言った。
「それでも夏美さんはやっぱり助けに行くのでしょうね」
後ろからトボトボと付いてくるレオがつぶやいた。
「もちろんよ! だって私はあの子のお姉ちゃんだもん」
「美月さんが少しうらやましいです」
「じゃあ、レオも魔獣の王を身体に宿してみる?」
「そうなったら、助けにきてくれますか?」
なんて可愛いことをいう子なんだろう。
「当たり前じゃん、だって君はもう私の弟みたいなもんでしょ」
私は自分言い聞かせるように小さく言うと、大股で歩き出した。




