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勇敢な追跡者の物語  作者: tori
白い呪術師編
36/88

居住区

第三部ダークウッド編です。いよいよ美月探しが本格化します。

 目が覚めたときにはもうブランはもういなかった。彼は暗い内から起き、すでに公務を執っている。

 この街には王太子がやるべきことが山積していた。自分の不在を埋めるべくブランは寝る間も惜しんで働いた。街の者たちの陳情に耳を傾け、不正を正し、諍いを裁定する。必要とあれば現地に出向き、自分の目で確かめ指示を与えた。どれもが骨の折れる仕事だったが、決断に時間を掛けるわけにはいかなかった。

 すべては魔獣との戦いに備えるためだった。果てしない消耗戦を戦うためには人心を一つにしなければならない。金狼にずたずたにされた民の王への信頼を回復するためには休む暇はなかった。


 それでも彼はその忙しい合間を縫い。私と過ごす時間を作ってくれた。朝食と夕食を必ず共にし、そのどちらかは二人きりのものにしてくれた。人と会うことが仕事の大半の彼にとって、それがどれほどたいへんなことかは政治に無知な私にもわかる。

 ブランは執務の暇を見つけては私をからかいに来て、退屈を慰めてくれた。ときには昼間から愛し合ったことさえある。私が良い奥さんになる自信はなかったけれど、彼ならきっと理想の夫になったに違いない。


 ほんの半月ばかりの間だったけれど私はもう十分に幸せだった。今が潮時なのだ。

 どうしたって私は美月を忘れることなどできないし、彼には相応しい妃をみつけて、世継ぎを設けなければならない責任がある。私たちは人生の中で、お互いにもっとも出会ってはいけないときに出会ったのだ。下腹部にはまだ鈍い痛みが残っていた。ブランの名残だ。

 ベッドを出るのには勇気が要ったが、私はジーンズを引き寄せた。


 王宮の曲がりくねった廊下を通り、外に出ると厩に向かった。

 ブランが執務で忙しいときには、私はそこでユリシーズと過ごした。知り合いも居ない私にとっては唯一寛げる場だったからだ。

 レオが居れば良かったのだけれど、彼は王宮には同行しなかった。せっかく王都まで来たのだから、見て回りたいところがあるのだと彼は言った。私はたいして気にも止めなかった。それだけブランに夢中になっていたのだろう。

「マイレディ、お出掛けですか?」顔なじみの馬丁が声をかけた。

「久しぶりにこの子を野駆けに連れ出そうと思うの」と私には言った。

「こいつもきっと喜ぶでしょう。厩に長く繋がれて退屈しているようでしたから」

 彼はいとおしそうに、ユリシーズの鼻を撫でた。最初にユリシーズを預けたとき、彼は諸侯の乗料の中にもこれだけの馬はいないと褒めてくれた。

「それに……」彼はその先を躊躇うように私を見た。

「それに?」

「こいつはあまりここを気に入っていないようです」

「馬の気持がよくわかるのね」

「女房より長く馬と一緒にいますからね。女の気持ちはいまだによくわかりませんが……」

 馬丁はひげ面を緩めた。


 王宮内で乗馬が許されるのは身分の高い者に限られる。しかし、見咎める者は誰もいなかった。そんなものになった覚えは自分ではまるでないのだが、私は王太子殿下の公式な愛人という立場にあるらしい。

 堀にかかった王宮の橋を渡りきったところで、私は一度振り返った。

 王宮は煌びやかさとは無縁の武骨で質素な建物だ。幾重にも取り囲んだ城壁、頑丈な鉄の門扉、宮殿というよりも要塞というほうがぴったりくる。

 始祖王アルダリスはまだ寒村にすぎなかったこのザルンから反撃の狼煙を上げたのだ。アルダリスはその死の床にあって、「魔獣の王は必ず再来する。努々備えを怠るな」と遺命したという。空を見上げると獲物を遠くからうかがう野獣の目のような裂け目が見下ろしていた。


 後先を考えないで、とにかく飛び出してしまうのはいつものことだ。王宮前の広大な広場からはそれがまるで私の選択肢であるかのように、放射線状に道が伸びていた。

 もっとも合理的な選択は今まで同様、エミリアを待つことだった。闇雲に動き回れば状況を悪化させることになるのは十分に学習した。

 ただそれはおそろしくストレスの溜まるやり方ではあった。それが一番の近道だと言われても、同じ場所で足踏みを続けていることはひどくもどかしい。

 ひとつだけ状況が前進したと思われるのは彼女が間違いなくこの街に居るのがわかったことだ。レオが出会った占い師はエミリアに違いない。なぜ私の前に姿を現さないのかはわからないが、元々何を考えているのか分からない女だ。とりあえずレオが泊まっている宿屋に向かうことにした。


 宿屋の女将はレオがすでに宿を引き払った言った。

 彼は私が訪ねてきたら、使いの者を寄こすから待っていてくれと言付けていた。彼は名家の子だ。王都に知り合いが居てもおかしくはない。しかしなぜか唐突な印象を拭えなかった。彼が私の知らないことに関心を向けていることは、私を苛立たせた。身勝手なことは重々承知だったけれど、レオだけはいつも私のそばに居てくれるという安心感があったからだ。


 厩にユリシーズを繋ぎに行くと、 「夏美さんですね? レオさんに頼まれてあなたを迎えに来ました」黒いずきんを被った男が私に近づいてきて言った。色の浅黒い小男で、猫のような瞳をしている。こういう顔立ちには見覚えがあった。男は頭巾を取った。

「ウッドエルフ?」

 男の顔が人懐っこいものに変わった。

「ララノアの兄でヨシュアって言います。妹が世話になりました」

「レオは今どこに居るの?」

「俺たちの家にいます。今から案内しますよ」ヨシュアはそう言うと先に立った。

「ウマを置いていった方がいいかしら?」

 ヨシュアは足を止めた。

「俺たちの家は城壁の外にあるのです」彼は言い終わると再び歩き始めた。


 ザルンの西の大門を通り、私たちは外にでた。途中から街道を外れ平原の中を進んだ。

 馬に乗っている私と違い、ヨシュアは徒歩なのだがまるで疲れる様子はない。

「昼餉には間に合うはずです」

 彼はそう言いながら、ほとんど小走りに近い歩き方で先を行く。

 こんなに大きな街なのになぜ外に住んでいるのだろうか。私はその疑問を口にした。


「俺たちは街の中に住むことを許されていないのです。住めるのは居住区だけと定められています」とヨシュアは言った。

「なぜ?」と私が問い返すと、彼はすこし怪訝な表情を見せた。

「俺たちは王国の民ではないからです。それに人間の神を信仰していません」

「でも魔獣が襲ってきたら、どうするの?」

「逃げるか、戦って死ぬかです。人間は俺たちを守ってはくれませんからね」

「十七年前はどうだったの?」

「俺はまだ生まれていませんでした。でもやっぱり同じだったと思いますよ」


 腕を折られたララノアが言ったことがまざまざとよみがえってきた。

 ――人間はボクたちを野生の動物扱いしてるんだ

 人間というのはどの世界であれ厄介で迷惑で傲慢な存在らしい。


 ウッドエルフの居住区は木の柵に囲まれた中にあった。粗末な小屋がその中にすし詰めに建っている。その間を子供たちがはしゃぎ回っていた。

 私の姿を認めると、親たちはいっせいに子供を抱きかかえに走った。

「気を悪くしないでください。俺たちは人間には碌な目に合わされてこなかったから。でもあなたがレオさんの友達だと知ったら、対応も変わるはずです」

 ヨシュアが申し訳なさそうに言った。


 私の到着を予感していたように、レオが小屋から顔を出した。サラサラの黒髪を思いっきり撫でまわしてやりたかった。

「そろそろ王宮の暮らしに飽きる頃だと思っていました」

「どうしてそう思ったの?」

「そりゃ夏美さんですから」

 行儀の良いこの子にしては妙にははしゃいでいる。

「気持ち悪いから、ニヤニヤするのはやめな。それよりあんたここで何をしていたわけ?」

「妹さんを探す手がかりをつかんだのです」


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