再会
こちらに向かって歩いてくる男は立派な鎧に身を包み、無精髭もきれいに剃ってはいたが、ブランに間違いない。しかし、その威厳に満ちた歩き方にはどこか違和感を拭えない。
雨はすっかりあがっていた。彼の磨き上げられた鎧は雲間から差す陽光をまぶしいほど照り返している。
「どうやら間に合ったようだな」
ブランは灰色の瞳を微笑ませて言った。
「なぜあなたがここにいるの?」
「話さなければならないことが山ほどあるんだ。だが、その前に王太子としてやっておかねばならないことがある」
王太子とはいったいなんのことなんだろう。
ブランは呆気に取られている私の横を抜けるとオーギュストの前に立った。
「いつご帰還なされたのですか?」
オーギュストは血の気の失せた唇をわななかせながら言った。
「ドブネズミどもが巣から這い出してきたと聞いて帰ってきたのさ。オーギュスト、お前を解任する。余生は牢屋で過ごすが良い」
肩を落としているオーギュストにそう言うと、ブランはロイスを振り返った。
「ロイス、今日から君が司令官に復帰する」
「殿下、俺はこの男の不正を見てみぬ振りをしてきたのです。俺も同罪なんです」
ロイスは俯いたまま答えた。
「すべて放り出して、王都を出た俺が悪い。責めを負うなら俺自身だ」
ブランはロイスの言葉を否定するように首を振った。
「しかし……俺はこの二人まで裏切ってしまった……」
ロイスは私とレストンの方を見た。
「それは違う! 人質を取られていたんでしょ」
たまらず私は声をあげた。実際、私だって美月を人質に取られたら間違いなく同じ事をしたはずだ。
「だがな、俺はレストンを後ろから刺したんだ。それは許されることではない」
ロイスはあくまでも自分を許すつもりはないらしい。
「夏美の言うとおりだ。こんなクソ爺と自分の可愛い娘ならどっちを取るか言わずとしれたことだ。それよりこの腐った街の大掃除をしてくれ。俺からも頼む」
レストンは頭を下げた。老雄の真摯な姿にロイスは目を潤ませた。
「この仕事を任せられるのはお前しかいない。王都の治安を回復しろ。違背は許さんぞ」
再びブランが言うと、ロイスは膝をつきその手を取った。
「畏まりました、殿下。ご命令どおりにいたします」
ロイスは今度はきっぱりと返事した。
ブランは満足そうに頷くと、次に震えているカイル・ハイデンのほうに大股で歩いていった。
カイルは腰が抜けたようにその場にへたり込んでいたが、ブランが向かって来るのを見て、スタンドにいる父親のほうを助け求めるように見あげた。しかしハイデン公は舌打ちを一つ残しただけで、息子に背を向けてスタンドの出口に消えた。
ブランはがっくりと項垂れているカイルの襟首を掴むと、泥から引きずり出して立たせた。
「俺がプリンスであることを神に感謝しろ。さもなくばその喉を切り裂いてやるところだぞ」
ブランは泥水のなかにカイルの顔を押しつけると、スタンドに向かって怒鳴った。
「金狼騎士団には解散を命じる。そして、お前たちの騎士の身分も剥奪する。剣を捨てろ! 異論のあるものは王の盾の騎士たちが相手になるだろう」
刃向かう声がないのを確認すると、ブランはロイスに彼ら全員を拘束するように命じた。
「ブランって王太子なの?」と私はレオに小声で聞いた。
「ええ、そうですよ。レイマン殿下は国王陛下の懇請を受けて、王太子を拝命されたのです」
王都に着いてから度々耳にした名前だ。王都を出奔した王子様がブランということなのか。
「ってことは、ブランは王様の跡継ぎってこと?」
「そういうことになりますね」
「ふーん、じゃあやっぱり私は騙されてたんだ」
王太子殿下の顔から、ようやく私の知っている男の顔に戻って歩いてくるブランを私は睨みつけた。
「久しぶりの再会なのに、そう怖い顔をするな。お前にどれだけ逢いたかったと思っているんだ」
キスしようと近づけた顔を私は思いっきり平手打ちした。
「あんたって最低のうそつきね……」
「すまん。でも、お前を愛してるってことだけは嘘じゃない」
もう一度叩こうとした私の手首をつかむと、ブランは私を抱き寄せた。懐かしい匂いがした。吸い込まれそうな灰色の瞳を見つめていると、強ばった身体の力がとろけていく。どうやら私もこの男を愛しているらしい。観念して目を閉じた。
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王都を騒がせた決闘裁判はプリンス・レイモンの帰還で幕が引かれた。
彼をこの場に連れてきたレオのお手柄だ。彼は鯨の髯亭から逃げた後、私を救うための手立てを考えたらしい。
そこでふと、バックルの紋章のことを思い出した。あれだけの品を持つ人物ならかなりの実力者に違いない、助力を頼もうと思い立った。
レオは王宮の紋章官の家を探り当て、紋章がレイモン王子のものであることを聞き出した。彼はそこで行き止まりに突き当たった。レイモンは王都を出奔中で行方がわからないのだ。
途方に暮れて街を彷徨っていたレオに女占い師が声を掛けた。「お前の待ち人は王都のすぐそばまで来ている」と彼女は告げたという。レオはすぐにユリシーズを走らせた。王子の一行はすでに峠の門まで来ていた。
小評議会の議長を罷免されたハイデン公が手勢を引き連れて王都を去ったのは、決闘裁判から数日後のことだった。その中にカイルハイデンの姿はなかった。
彼は金狼の主立った連中と共に、極寒の流刑地ルスツへ送られた。そこで十年の強制労働の罪に服する。どんなタフな男でも五年は持たないという過酷な土地らしい。もっともそんな地獄でも金さえあれば生きながらえることはできるだろう。
レイマン王太子が彼を死罪にしなかったのは、ぎりぎりの政治的な妥協だった。小評議会を去ったとはいえ、西部総督であるハイデン公が諸侯に及ぼす影響力は依然として無視できるものではない。魔獣の動きが活発化している今、人間同士が争っているわけにはいかないのだ。
さてそれからの話を少ししよう。
私は公衆の面前で、王太子の頬を打った咎により王宮に連行された。そして今、王太子殿下のベッドに囚われの身だ。
ブランの広い胸に耳を当てて、その音を聞いていると不思議と落ち着いた気分になれた。美月や母と一緒に居た時とは違う種類の平安だった。愛する人と一緒に居る意味がどうやら私にもわかりかけてきたらしい。
これからのことなんかわからない。それでも私は彼を受け入れた。束の間の思い出でも良い。疲れ果てた自分に安らぎが欲しかったからだ。もし、彼が王太子などではなく放浪の騎士ブランドンのままだったらどうだっただろうと考えなくもない。実際それは悪くない考えだった。
「どうして戻ってきたの? 王様になるのが嫌だったんでしょ?」
「俺は別に逃げ回っていたわけじゃないんだ。兄にもしものことがあれば、王家の成人男子は俺だけだ。王になる覚悟はできていた。しかし俺にはそれより優先すべき事があった。王太子となりハイデン公たちとの政争に首を突っ込んでいる余裕はなかった」
ブランの表情はひどく真剣だった。
「優先すべき事?」
「魔獣の王の降臨が近づいていることがわかったのだ。それをある人物から報された俺は、自分の足で確かめるべく大陸各地を回っていたのさ」
私の脳裏にひとつの名前が閃いた。
「ある人物って、まさかエミリアのこと?」
ブランはしばしの沈黙のあと頷いた。
「あの夜、あの場所でお前に出会ったのは偶然じゃないんだ。エミリアからお前のことを頼まれたんだ」
突然、笑いが込み上げてきた。私はずっとあの女の手のひらで踊っていたというわけだ。恋愛ごっこにかまけている私を今頃、あいつはどこかで笑っているのだろう。
忘れかけていた使命を今はっきりと思い出した。
「ねえ、もう一度抱いて」
私はブランの耳元で囁いた。涙を見られないようにシーツに顔を押しつけると、私は心の中で「さようなら」と呟いた。
王都編最終話です。




