限界
「いったい何のつもり?」
汚い手を仕掛けておきながら、今度は手を貸そうとするロジャーの真意を私は計りかねた。仲間が魔獣になったことでとち狂ってしまったのだろうか。
ロジャーは強烈なシールドバッシュで魔獣をよろめかせると、兜を脱ぎ捨て放り投げた。短く刈り込んだ黒髪は汗と雨でびしょ濡れだった。
「誤解があるようだが、カイルの卑劣なやり口については、俺もバリャドリーも何も知らぬ。あの悪党が勝手にやったことだ」
ロジャーは私をしっかり見据えて言った。その表情は嘘も偽りもない誇り高い戦士のそれだった。
言われてみれば、ロジャーは傷を負ったレストンにとどめを刺しにいかなかった。いくら守備型とはいえ、あの状態のレストンなら容易く倒せたはずだ。
カイルがわざわざロジャーから離れた位置に移動していた理由もそれで説明がつく。カイルはロジャーに汚い取引を持ちかけるのを聞かれたくなかったのだろう。すべてはあの卑劣漢カイルハイデンの頭からひねり出された悪だくみだった。
「信じるわ。でも私の味方をして大丈夫なの? あんたの雇い主はそう心の広いタイプじゃなさそうだけど」
「見くびるな。俺たち魔操剣使いにとって、魔獣を倒すことは何よりも優先される。それが俺たちに課せられた義務だ」
頬を張られたような気がした。
「わかった。決闘は一時休戦、魔獣を倒すことに集中するわ」
魔獣の背丈は六、七メートルといったところか。人型であるものの、全身をウニのような棘がびっしりと覆っている。朱色のその棘は鋼でできているかのように硬く、光沢があった。アマイモンの殻も硬かったが、こいつの厄介さは棘が邪魔になり容易に打ち込む隙がないところにある。
棘のない部分といえば顔の周りと手首より先くらいしか見当たらない。魔獣の特徴なのか、こいつもアマイモンと同じように鋭いかぎ爪を持っている。狙うとすれば顔面しかない。
ロジャーが魔獣を挑発し続けてくれるおかげで、攻撃は彼に集中している。しかし、彼のタワーシールドは表面が波打ち、えぐり取られ、穴だらけになっていた。
無理もない、並の盾なら一撃で破壊してしまうほどのレストンの攻撃を受け続け、さらに今は魔獣の爪にさらされているのだ。ひょっとすると、彼の場合は剣ではなく、あの盾に魔獣が宿っているのかもしれない。
「顔をやるわ。援護をお願い」
「不細工な面をもっと不細工にしてやれ!」
ロジャーは肩越しに頷くと、魔獣の懐に飛び込んだ。魔獣は身を屈めるようにして下を向くと、ロジャーに向けて鋭い爪を振り下ろした。爪が盾の表面を抉り取った。
私は一旦、死角に回り込み、そこから腕を伸ばして剣を顔目がけて突き上げた。切っ先は目の下を捉えた。魔獣は痛みなのか、怒りなのかわからない叫びをあげると、上体を反らし、チンパンジーのような口を丸めて、私に向かって息を吹きかけた。
威嚇?そう思った瞬間、ガツンと金属のぶつかる衝撃音がした。
「ふう……やばいところだった。この野郎、飛び道具までもってやがるぜ」
ロジャーは息を吐いた。
素早く私の前に体を入れたロジャーの盾には朱色の棘が突き刺さっている。一瞬でもタイミングがずれていたら、棘は私の身体を貫いていただろう。
「ありがとう。でもまるで見えなかった。なぜだろう」
「魔力の一種だ。しかしそれを見切れなかったのは、お前の中にある魔獣の力が尽きてきている証拠だ」
私の超人的な動体視力も反射神経も魔獣自身の運動能力を利用している。剣に触れている限り、私と魔獣は一体化していると言って良い。
しかしそれ以上の力――アマイモンやロジャーを打ち砕いた渾身の一撃のようなものは、魔獣の持つ精神的な力を借り受けなければならない。それは即ち、魔獣に心の一部を明け渡すことを意味する。
「ずらかるなら今のうちだ。限界を超えればどうなるかはわかっているだろ」
ロジャーは言った。
スタンドはすでにがらんとしている。金狼たちも大半が姿を消していた。熱気に包まれていた柵の向こうの民衆も、今は物見高い連中が残っているだけだった。
ロイスはこの事態を自分が招いたのだと云うように、頭を掻きむしり嗚咽している。レストンは力尽き、泥の海の中に身を横たえていた。
「ねえ、ここでこいつを退治したら、吟遊詩人の歌になるかな?」
「ああ、間違いなくな。どっかの酒場で歌われるお前は実物より数等美人ってことになってるはずだ」
「悪くないね」
ロジャーは雨ですっかり萎れてしまった口髭を撫でた。
「俺とバリャドリーがどこかで退治した魔獣にこれと似た奴がいた。ただ色が違ったがな。もし同じ種族なら、頭のてっぺんに棘が生えていない部分があるはずだ」
「そこを狙えってこと?」
「もし俺たちが倒したのが、たまたまハゲだったとしたら勘弁してくれ」
ロジャーは肩をすくめた。
「わかった。それに賭けるわ。悪いけどそのごつい肩を貸してもらうわよ。自力じゃそこまで飛べそうにないんで」
「お手柔らかに頼むぞ」
ロジャーは私の泥だらけのブーツを見て言った。
「私が合図したらシールドごとそいつに体当たりして」
「人使いの荒い女だ」
「そこがいいって男もいるかもよ」
私は泥を跳ね上げながら助走を開始した。これで魔獣化するなら、私はそれまでの女だ。
――さあ! もう一回ショータイムよ
魔獣に呼びかける。
――ベルセリウス
――ん?
――俺の名前だ
――名前あったんだ。んじゃベル、行くわよ!
――それはよせ!
私の合図に、ロジャーは姿勢を低くすると、タックルと食らわすように魔獣に突進した。
盾が真っ二つに折れたが、ロジャーは構わず肩で魔獣の膝に体当たりした。ガクンと魔獣が膝を折る。
私はロジャーの広い背中の上で踏み切り、魔獣の頭上に垂直に跳びあがった。
大粒の雨が顔を打つ。しかしその上には微かに晴れ間が見えた。
剣を逆手に持ち替え、そのまま一気に落下していく。
鬱蒼とした朱色の森の中には白い地肌がむき出しになっていた。
「ビンゴ! ハゲてるよ」
私は頭頂部に舞い降りると、深々と剣を突き立てた。




