決闘
ごま塩頭は雛壇のフェンスを乗り越えると、大法官の前に立ち「俺はこの娘の側で戦う」と宣言した。
私を驚かしたのはその言葉よりも、ざわめく雛壇の騎士たちの間から聞こえた「豪胆のレストン」とささやき合う声のほうだった。
それがローランから聞いた名前と同じ人間なら私はたいへんな当たりを引いたことになる。形勢逆転というやつだ。
「サー・ウィリアム。君は王の盾の一人だ。私の記憶が正しければ、王の騎士はその主以外のために剣を抜くことは禁じられているのではないのかね?」と大法官は慇懃に尋ねた。
「俺はその場で起こったことの一部始終を見ていた。その娘は騎士の誓いを忠実に守り、ならず者どもに罰を与えただけだ」
小柄な騎士は威厳に満ちた表情で答えた。それから私の方を振り返ると「王は騎士道の守護者だ。誓いを守る騎士のすべてを保護する義務を負うのだよ」と微笑んで言った。
金狼たちが足を踏みならし不満の声をあげたが、それは柵の向こうの民衆がエルデン川の英雄を讃える声にすぐにかき消された。
大法官は今度は冷たい視線を父親と何やら相談しているカイル・ハイデンのほうに向けて、「介添えの騎士はきまったのか?」と訊いた。
カイルが自信満々に二つの名前を告げ終わったとき、ロイスの顔は色を失って蝋人形のように固まり、レストンはしてやられたというような苦笑いを片頬に浮かべていた。
「有名な騎士なの?」私はロイスに尋ねた。
「二人とも魔操剣の使い手だ」とロイスは言った。
大法官は「戦いはしばし時を置いて、正午より始める」と槌を叩いて宣言し、不満顔の審問官に向かって「サー・オーギュスト、彼女に剣を返したまえ」と命じた。
今が何時なのかわからなかったが、正午まではまだたっぷりと時間はありそうだった。それまでの間どうやって過ごすのだろうと思案していると、「戦の前の腹ごしらえだ」とレストンが私とロイスの肩をこぼれるような笑顔でつかんだ。
私はてっきり監視付きで、何処かの部屋に押し込められて時を過ごすものと思っていただけに、レストンが広場を平気な顔で出て行ったときには面食らってしまった。付いていって良いものかと迷っていると、「俺たちは罪人ではない。いや、そうかどうかを決めるのは戦の女神デュロスなんだ。だから彼女が審判を下すまでは自由だ。地上のものが俺たちを拘束することなどできないのだ」とロイスが言った。
レストンは広場の前の大通りを途中で右に折れると、迷路のように入り組んだ路地をすいすいと先に立って歩いた。やがて糞尿の匂いがそこかしこから漂ってくる、人一人がようやく通れるほど軒が接した筋に入った。襤褸を纏った連中が転がっている上を跨ぎながら奥へ奥へと進んでいくと、突き当たりの家の戸口の前に黒い帽子を被った男が木箱の上に腰掛けてこちらを見ていた。彼は帽子の端を少し上げてレストンに挨拶すると、頑丈そうな鉄の扉を開いた。
間口の狭さからは想像できなかったが、かなり奥行きのある家だった。袖の長い青いドレスを着た赤毛の女がレストンに気づくと、駆け寄ってきて抱擁し口づけをかわした。レストンは邪険にそれを振り払い、
「飯と酒の用意だ。それから鎖帷子も手入れしておけ」と言って、狭い階段を上がった。女は私の方をキッと睨みつけると奥の方に引っ込んで行った。
女は愛想は悪かったが、料理の腕は確かだった。鶏肉のたっぷりと入ったトマト煮のシチューは空きっ腹に染み渡っていくようで、決闘を前にした緊張感を解きほぐしてくれた。
腹がくちくなると、ロイスはカイルが用意した二人の介添え騎士のことを口にした。
サー・バリャドリーとサー・ロジャー、二人とも三十代半ばの騎士で、各地の魔獣退治で名を馳せ、ハイデン公に大枚の支度金でもって迎えられたばかりだった。彼らからすれば新しい主君の歓心を買うために不本意ながらも不名誉な介添えの騎士を引き受けたのだろうとロイスは言った。
「あなたが味方についてくれたときは勝利を確信しました。しかし、魔装剣使い二人が相手となれば、勝ち目はほぼない」
ロイスは落胆を隠さなかった。
「お前の剣の腕はどの程度なんだ? つまりカイル・ハイデンと戦って、お前は奴を打ち倒す自信はあるか?」
レストンはエールを呑む手を止めずに、ロイスに訊いた。
「カイル・ハイデンですって? 奴など最初から数には入れてません。俺が問題にしているのはバリャドリーとロジャーの二人の魔操剣使いです」
「その二人のことは心配するな。こちらにも魔操剣の使い手は二人いる。しかもひとりはアマイモンを真っ二つに斬り裂いた女傑だ」
ロイスは驚いて、私と傍らの剣を交互に見つめた。
「どうしてそれを?」
私はもっと驚いて、ニヤニヤしているレストンに訊いた。
「ティレルの奴が長身のえらい別嬪だと言ってたからすぐにわかったさ。まさかあんなところで出会うとは夢にも思わなかったがな」
「話が見えません。あなたとティレル公は知り合いなのですか?」
「奴と俺とは若造の頃からの親友だ。エルナスが危ないと報せを受けて、俺が駆けつけたときには、あんたはアマイモンをぶった斬って旅に出た後だった。それで急いで追いかけてきたというわけさ」
私は運命などと言うものをさほど信じてはいなかったけれど、今はっきりとすべては繋がっているのだと思った。ローランが豪胆のレストンの名を口にしたことも、ブランドンが私を助けたことも、エミリアがあの公園に現れたことも。そうして今運命は私に魔操剣の使い手を送り込んできた。
「お願いです! 魔操剣の使い方を教えてください。アマイモンを倒せたのは偶然に過ぎない。あの力を自由に引き出したいのです」
私は教え乞うように頭を下げた。
「お前の剣に棲む魔獣はとんでもない大物だ。アマイモンを一刀両断にできる剣などそうはない。ただお前にはまだそれを制御できるだけの力がないことをティレルは心配していた。それは未熟者が扱うには危険すぎる代物なんだよ」
レストンは言った。彼が鯨の髯亭で剣を抜くのを止めたのは、私がそれを制御し損なうのを見越したからだろう。そうなれば関係ない客達にも危険が及ぶ。
「どうすればその制御できる力を手に入れることができるんでしょう?」
「魔獣との付き合い方は人それぞれだ。主人として振る舞うものもいれば、友として扱うものもいる。その魔獣を本性を見極めてどう付き合うかを考えなければならない。万事に当てはまるやり方などないのさ」とレストンはこともなげに言った。
「私はまだこいつの声を一度しか聴いたことがないんです」
無骨な長剣を撫でた。
「魔獣が始終耳元で囁くようになったら五月蠅くてかなわんぞ。だがひとつだけ確かなのは魔獣は臆病者にはけして力を貸さないということだ。これだけは間違いない。奴らは皆真の戦士を好むんだよ」
レストンは豪快に笑い飛ばすと、瓶に残ったエールをなみなみとゴブレットに注いで、私に勧めた。
なるほど、レイプされそうになってちびっているような女はお呼びではないということか。しかし私はもう大丈夫だ。あの卑劣漢をぶち殺すためには恐れを知らない戦士のように振る舞えるだろう。それがお前の望むことならばなと、私は剣に囁くとゴブレットを手にして一気に飲み干した。




