独房
私は市警の本部に連行された。
レオにはララノアを連れて逃げるように言った。彼女が捕まればまともな扱いをしてはもらえないだろう。レオはすぐに察してくれた。
「必ず助けに行くから、無茶しないでください」
それだけ言い残すと、ララノアを背負って海岸の方に降りて行った。
魔装剣を抜けば、市警の槍を制圧することはできたと思う。
金狼と戦ったときに気づいたが、私は彼らの動きを先読みしていた。敵の脅威の選別から、目標の選択、すべてを無意識のうちに行い、身体が勝手に反応する。
まるでイージスシステムが搭載された人間兵器だ。剣の魔力を使えば同時目標破壊だって可能だろう。
しかしそうなれば確実に何人かは殺すことになる。市警の連中は彼らの役目を果たしているに過ぎない。私には彼らを殺す理由はなかった。美月を取り返すまでは魔獣に理性を乗っ取られるわけにはいかない。
取調室というのは洋の東西、時空に関係なく似たようなものらしい。剣を取り上げられた私はその部屋で、取調官らしい男と対面した。
彼はロイスと名乗った。額に深い皺の刻まれた初老の男でどこか冷めた印象がする。
ロイスは騒動のあらましについて一通りの質問をした。しかし喧嘩の理由についてはさほど興味がないように見えた。ロイスがこだわったのは私が騎士であるかどうかだった。
「もう一度聞くが、あんたは騎士なのは間違いないんだな?」
ロイスはしわがれ声で念を押した。
「ちゃんと誓いを立てたよ。言葉だって覚えている。なんなら暗誦してみせようか?」
ロイスは苦笑いした。
「結構だ。しかし、あんたどう見てもこの国の人間には見えないがね?」
彼は私の顔を見て言った。
「生まれはイーリンだ。継母がこの国の人間だったので、父の死後こちらに来た」
その質問は想定済みだった。旅を続けていれば、私の出自が問題になる局面がいずれ来る。レオはそのときのために、もっともらしい経歴を考えてくれた。それがこんなに早く役に立ったことは想定外ではあったが。
「なるほど、海の向こうの自由都市出身というわけか? うまい言い訳を考えたな」
「嘘だと思うなら、エルナスのハイマン公に問い合わせてよ。継母は公の姪だ。私たちはそこで厄介になっていた。騎士の叙任を受けたのもそこだ」
ロイスはわかったというように片手を挙げた。
「いいだろう。ただし偽りが発覚した場合は最悪の事態になる。騎士の身分を詐称することは死罪だからな。その覚悟があるなら構わないさ」
彼の目は私の言葉などまるで信じていなかった。
「それで私はこれからどうなるの?」
「本当なら騎士同士のいざこざに俺たち市警が出張ることはない。喧嘩両成敗ということで決着がつくのだが、あんたが鼻を折った相手が悪かった。奴は正真正銘のくずだが、ハイデン公の息子だ」
「なるほど」
「明日には裁判が行われる。それまでは牢で過ごしてもらうことになる」
「もう一方の当事者である金狼も拘束されているの?」
「残念ながらあんただけだ。奴らにはこっちも手を焼いているが、後ろ盾が小評議会を牛耳る実力者だ。どうにもできないのが実情なのさ」
ロイスは冷めた笑いを浮かべた。
「それでいいの? あんたたちはこの街の治安を守るのが役目なんでしょ?」
ロイスの顔色が変わった。
「それでいいだと? 奴らを捕まえて牢にぶち込んだところですぐに釈放だ。市警の司令官サー・オーギュストは金で騎士の地位を買った元肉屋だ。誰が俺たちのケツを持ってくれるというんだ?……あんたのように連中をぶちのめして断頭台に送られろっていうのか?」
ロイスはそれまでの冷静さの衣を脱ぎ捨てて噛みついた。
「断頭台って……もう私の死刑は決まっているんだ」
要するに裁判は茶番らしい。ロイスはあからさまに喋りすぎたという風情で、額を抱え込んだ。
「あんたの罪は本来なら、死刑になるようなもんじゃない。身ぐるみ剥がれて王都を追放される程度のものさ。しかしオーギュストの野郎はどうやらあんたの首を土産にハイデン公に取り入ろうとしているみたいだ。どうやって死罪にするつもりかは知らないが、刑吏に断頭台の用意をするように命じていたよ」
彼はそれだけ言うと、深い溜息をついた。
「ありがとう」
私は深く頭を下げた。
「礼には及ばんよ。俺がしてやれることなどなにもない。せめてオーギュストがあんたをどうやって嵌めようとしているのか分かればいいいんだが、生憎俺は奴に疎んじられている……レイマンの奴がいてくれたら、まだ手の打ちようもあったんだが……」
「それだけで十分だよ」
私は再び彼に謝意を述べた。
「騎士様を独房にお連れしろ」
ロイスは部屋の外の部下に告げた。
私は独房のある地下室に連れて行かれ、牢番の男に引き渡された。
気味の悪い男だった。生ごみのような悪臭を身体から発し、頭髪はほとんど抜け落ちていた。片方の目玉が抉られたように空洞になっている。
男は屈んで鼻を近づけると私の匂いをかぎはじめた。男の鼻が股間に近づいたとき、思わず腰を引いた。
牢番はその様子に歯のない口を開けて笑った。
「間違いなく女の匂いだ。しかも処女の匂いだな」
いつもの私なら、膝蹴りの一つでも食らわしてやるところだったが、反射的に身をすくませてしまった。
牢番は棚から手錠と足枷を取り出した。
「まさか、それをはめようというんじゃないだろうな? ロイスを呼んでくれ」
「無駄だ。牢の中のことは俺が決めることになっているのさ。なぁに、朝までの辛抱さ」
牢番は手錠と足かせをはめると、鉄格子の扉を開けた。
一刻も早くこの男から離れたかった。
小さな格子を潜ろうと身をかがめたとき、後ろから襤褸布を鼻に被せられた。強烈なアルコールの匂いが鼻孔を突き刺した瞬間、私は膝から崩れ落ちた。
********************
頬を叩かれて目が覚めた。
まだ頭はぼんやりしている。廊下から差し込む灯火が、しゃがんで見下ろしている三人の男の姿を浮かび上がらせた。そのうちの一人の顔が包帯で覆われているのに気づき跳ね起きようとしたが、体に力が入らない。
「無駄だな。凶暴な囚人用の痺れ薬を効かせてある」
頭上で牢番の声が響いた。
「あとでお前にも味あわせてやるから、酒でも用意しとけ」
包帯の男がくぐもった声で言った。
「旦那、そいつは処女ですぜ。もう少しはずんでいただかないと」
牢番は阿るように揉み手をした。
「そいつはいい! このカイルが初めての男とは運がいいぞ。鼻の礼も含めて念入りにかわいがってやらんとな」
「俺たちが犯るまでに壊しちまうんじゃないぞ。カイル」
別の金狼が笑った。
「あの酒場の女は乳首を潰された上に、指の骨を全部折られていたよな。カボチャみたいに、顔を腫らして豚みたいな声をあげてよがってやがった」
もう一人の金狼が言った。
「心配するな。こいつは少々、無茶しても大丈夫なガタイをしてやがる、忘れられない夜にしてやる。抑えていろ」
カイルは絹のシャツを脱ぎはじめた。金狼の一人が私の頭を床に押しつけた。抵抗しようにも体か言うことを聞かない。脳の指令を身体が受け付けないのだ。
私は魔獣に呼びかけた。心臓が激しく鼓動を打ち、集中を妨げる。
――お願い!あの時みたいに出てきて
叫びに答える声は聞こえない。
剣が傍になければだめなんだろうか。もう一度試しみる。しかし結果は同じだった。
男の手が私のジーンズを荒々しくはぎ取った。
「これから犯られる気分はどうだ?」
カイルが顔を近づけて囁いた。そして胸を鷲掴みにすると、握り潰すように力をこめた。あまりの痛みに声を上げた。
「いい啼き声だ」
サディステックな目が歪む。
――助けて!ブラン。なんであんたはこんなときに居てくれないの!
頬を涙が伝うのがわかった。心底怖かった。弱虫のくせにいきがっていた自分を後悔した。魔獣の力がなければ、結局私は少々図体のデカい女でしかない。すべてを捨てて消え去りたい。
「見ろ!この女泣いてやがるぜ。昼間の威勢は何処に行った?」
男たちがあざ笑う。
カイルが私の下着に手を掛けたとき、激しい金属音が鳴り響いた。
「その手を離して、さっさとここから出て行け!」
ロイスが槍で鉄格子を叩いていた。
「何のつもりだ? 元司令官殿」
金狼のひとりが言った。
「聞こえなかったのか? ここから立ち去れと言ってるんだ」
「俺たちに逆らえばどうなるか、お前が身をもって味わっただろう。今度は降格だけでは済まないぞ」
カイルが凄んでみせた。
「それはどうかな? お前たちのやっていることは牢破りだ。いくら市警が腐りきっていても、こればかりは見逃されないぞ。王の牢を破ることは大罪だ」
ロイスは手前の金狼の喉に槍の穂先を突きつけた。
「やれるもんならやってみろ」
カイルは立ち上がりその槍に触れようとしたが、ロイスは素早く槍を引くと、カイルの腿を突いた。鮮血が飛び散るのが暗がりでもはっきりと見えた。
「こいつを殺せ、今すぐここでたたき殺せ!」
駄々っ子のように暴れるカイルを仲間の金狼が引き摺るようにして牢から連れだした。
「あいつは狂ってる。どれだけ甘やかされたらあんな化け物ができあがるんだ」
ロイスは金狼たちが立ち去ったのを見届けると、吐き捨てるように言った。彼は自分の上着を私の剥き出しになった脚に掛けると、手錠を外してくれた。
「怪我はしなかったか?」
私はただ頷いた。優しい言葉に喉が詰まり、声にならなかった。
「自分が馬鹿なことをやったなんて思うなよ。あんたのやったことは立派なことだ。ああいう輩には法が裁きを下せないなら、誰かが制裁を加えてやる必要があるんだ……ただあんたは若い娘だ。あんな目に合わされたらビビっちまう。だからと言って、あんたがやったことの値打ちが下がるってわけじゃないんだぞ」
ロイスはその無骨な指で涙をすくい取ってくれた。
「でもあんなことをして、大丈夫なの?」
「まあ職は失うだろうな。だがもういい。賄賂を拒むことで自分一人が清潔なつもりでいたが、不正を見て見ぬ振りをしてきた俺も同罪だ。市警の資格はない」
ロイスはそれだけ言うと、立ち上がり鉄格子をくぐった。
「それからあの牢番は叩きだしてやった。だから安心して眠るがいい」
思い出したように一言残すと、彼は立ち去った。
彼は錠を下ろさずに行った。逃げろという謎かけなのだろう。
私は立ち上がるとジーンズを履いた。まだ少しふらつくが、薬の効果も薄らいできたようだった。
格子の扉に手をかけたとき、ローランの顔が浮かんだ。次にサー・イーリン、赤毛のジョン、ティレル・ハイマン、ブラン。皆勇気ある男だった。彼らならどうしただろう。
このまま私が立ち去れば、ロイスは罪に問われる。そうなれば職を失う程度では済まないだろう。
あんな怖い目にあったけれど、私は騎士なんだ。勇敢であると誓ったはずだ。勇気には勇気をもって報いよう。
私は扉に掛けた手をそっと離した。




