逮捕
美しい海の眺めとおいしい料理、人生の快楽がここにある。
伊勢エビのマスタードソースがけにかぶりつき、冷えたエールを喉に流し込む。私たちは食べることに専念した。レオは日頃の上品さをかなぐり捨てて、金目鯛のムニエルと格闘していた。旅の間はろくなものを口にしなかったのだから無理もない。
テーブルを舐め尽くすように料理を平らげたときには、太陽はすっかり沈んでいた。
芝生のあちこちに立っている黒いポールの先に灯りがともり、淡い暖色の光を投げかける。
「電灯あるの?」
「いえ、そんな便利なものはありません。あれは魔法で灯っているのですよ」
「そういえばさっきのエールも冷えていたけど、あれも魔法?」
「魔導石があれば、簡単な魔法を溜めておくことができます。ただとても高価なので庶民には縁遠いものです。電気というものがあれば、僕たちの暮らしも一変するかもしれません……」
旅すがら、レオは日本のことをあれこれと質問した。政治や社会制度、文化、科学技術。好奇心の塊のようなこの少年は、私の拙い説明にもかかわらず目を輝かせた。
「さっきの話なんだけど……魔法も、使い方次第では生活の役に立つってことよね? 今は高価な魔導石を使ってしか灯りをともせないかもしれないけど、もっと多くの魔道師に自由な研究が許されたら、誰でも安価に使える方法が見つかるかもしれないよ。レオが心配するようなことも勿論わかるけど、物事には必ず良い面と悪い面があると思うんだ。私たちの世界もそうやって進歩してきたんだ」
レオは複雑な面持ちで聞いていた。納得も反論もできないジレンマに陥ったような顔だ。
ひょっとしたら私は余計なお節介をしているのかもしれない。自分たちの世界の方が進歩しているのだという上から目線の発言が急に恥ずかしくなった。
「僕にはまだ良くわかりません……でもいつか、夏美さんの世界……日本に行って自分の目で自動車や飛行機を見たい」
「レオならすぐにいろんな事を吸収できるよ。君の歳ならちょうど中学生だ」
制服姿のレオが授業を受けているところを想像してみた。悪くない。
「たしか貧富に関係なく入れる学校ですよね……行ってみたいな」
「うん、おいで。日本の女の子はきっと君に夢中になるよ」
「僕は勉強しに行きたいのであって、そんなことには興味はありません?!」
真っ赤になって否定するところが可愛いではないか。
「弟も悪くないな」そんなことを考えていると、芝生の反対側で争う声が聞こえた。あざ笑う声とララノアの怒声に続いて皿の割れる音が響いた。
見覚えのある羽根付きの帽子を被った連中とララノアが揉み合っている。客たちが遠巻きに取り囲みはじめて、様子を伺うことができない。
立ち上がろうとすると、レオが腕をつかんだ。
「金狼の騎士です。かかわり合いになれば厄介な事になります」
レオの助言はもっともだ。私だってあの峠の門で、老人が話したことを忘れたわけではない。
だが、私はレオの手を振り払うと大股で歩き出した。
人垣をかき分けて前に出ると、二人の男がララノアをうつ伏せにして、腕をねじ上げていた。丈の長い赤いビロードのチュニックを着た男がそれを見ろしている。
「この俺の胸ぐらをつかんだ、その無礼な腕を折ってやれ!」
男が言った。
「やめろ」と、いう間もなかった。
ボキッと言う骨の折れる音がして、ララノアが悲鳴を上げた。羽根付きの帽子の男たちがそれを見てゲラゲラ笑い出した。
私はララノアの腕を折った男を撥ねのけた。
レオが駆け寄り彼女を介抱するのを見届けると、赤いチュニックの男を見下ろすように立った。
「俺を誰だか知っているよな?」
男は薄笑いを浮かべた。
「ああ、知ってるよ。人間のクズだろ?」
男の細い顔から笑いが消えた。
「俺は金狼騎士団の団長、カイル・ハイデンだ。俺を侮辱することはハイデン家を侮辱したにも等しい行為だ。それがどれだけ罪深いことか身体にわからせてやろう」
カイル・ハイデンは薄い口髭をゆがめて言った。
「そりゃ、どうも」
私は拳を固く握りしめると細い鼻面を殴りつけた。男はあっけないほど簡単にひっくり返った。短剣に延ばそうとした手首を踏みつけると、もう一度その鼻をまともに蹴ってやった。
鼻は血の海に陥没していた。当分は、息をするのにも痛みを感じることだろう。
ガシャリという音に振り向くと。金狼たちが一斉に剣を抜いていた。七、八人はいる。面倒だが、やるしかないと思い背中の魔装剣に手を掛けたとき、「ここで、そいつを抜くんじゃない」
野太い声が聞こえた。
人垣からごま塩頭の男がぬっと現れた。小柄ではあるが、その鍛え抜かれた筋肉は服の上からでもわかる。この男は戦士だと直感した。
「お前なら素手で十分だろ?」
ごま塩は不敵な笑みを浮かべると、手にしていた椅子を金狼の頭に叩きつけた。それを合図のように金狼たちが一斉に躍りかかってきた。
「もう一つある目を使え」
二人目を叩きのめしながら言った。
男の言った意味はすぐにわかった。カメラアングルが切り替わるように、私は自分自身を見下ろしていた。
背後から迫る男、最初にごま塩に叩きのめされた男がヨロヨロと立ち上がる姿、ララノアを騒動の輪から連れ出そうとしているレオ。それを取り巻く人の群れ。鳥が俯瞰するみたいに周囲の状況が視野に収まる。
這いよってくる背中の男に裏拳をぶちかますと、私は次々と金狼たちを殴り倒し、蹴り倒していった。見下ろし視点の戦闘アクションゲームをプレイしているような感覚だ。
アモイモンからすれば金狼など雑魚に等しい。立ち向かってくる相手を斬りつける覚悟も度胸もない連中だ。あらかた片付けると視点は元に戻った。
私は鳥の視点に無意識のうちに切り替えていた。身に危険が及ぶと、アドレナリンが分泌されるみたいにスイッチが入るのだろうか。
オークと戦っていたブランの姿を思い出した。彼は四方から襲いかかるオークとダンスでもしているように戦っていた。
すでに剣の魔獣は私の一部なのだ。
ギャラリー達はやんやの喝采を送っていた。すごすごと退散していく金狼たちには罵声が浴びせられていた。ごま塩を探してみたが姿を消していた。あの男は私を魔装剣の使い手と見抜いていたのだろうか?
ララノアの顔は青ざめていた。レオはシャツを脱いで裂くと、折れた椅子の脚を使って副え木を当てた。
「全部やっつけてくれた?」
私に気づくと、ララノアは言った。
「ああ、全部痛めつけてやったさ」
ララノアは痛みに顔を顰めながら笑顔を作った。
「医者に見せた方がいい」
レオは立ち上がると周りの客たちを見回した。
「この中にお医者さんはいませんか?」
誰も反応を見せなかった。それどころか潮を引くように皆背を向け始めた。
「無駄だよ。人間はボクたちを野生の動物扱いしてるんだ。金狼たちはボクの胸をわしづかみにしたんだ。でもだれもしらないふりさ……」
ララノアは力なく笑った。
「ボクのことは心配しなくていいよ。それより早く行った方がいい。店主が市警を呼びに行ってるはずだから」
だがもう手遅れだった。槍を林立させて銀色の兜の一団が押し入ってくるのが見えた。




