メイジタワー
ザルンの街はバームクーヘンのように何重にも城壁できれいに区分けされている。魔獣の侵攻への配慮からだ。いざという時にはそれぞれの鉄の門扉が防火シャッターの役目を果たす。
もちろん普段は解放されていて、街のど真ん中にある王宮を中心に放射線状に伸びた道路で行き来できるようになっていた。
私たちは外側の区画の宿屋街に向かった。
石造りの建物が人の入れる隙間もないほど密集して建っていた。
旅をしている間、宿には何度か泊まったので建物の外見でランクの見当はつく。いや、それよりも出入りする客の身なりに注目したほうが手っ取り早いかもしれない。通りには最低の木賃宿から、個室を備えた宿まで色々と揃っていた。
私は中くらいのランクの宿に入ると、二人部屋を頼んだ。もうぼったくられるようなへまはしないと、身構えていたが、さすがに王都の宿ともなるとそんな阿漕な真似はしない。宿賃は納得のいくものだった。
「無駄遣いをすべきではありません。もっと安い木賃宿にすべきです」
レオは不満顔だったが、私はザルンに長く留まるつもりはなかった。エミリアを見つけ出し、美月の居所を聞き出せば――それはかなり骨の折れる仕事ではあるが――すぐにそこに向かう。あとは野宿をすれば良い。宿に泊まって悠長にしていられるのは今だけだ。
問題はエミリアをどうやって見つけるかだ。「運が良ければ王都で合おう」などと能天気にあの女はのたまわったが、正直これほど大きな街とは思わなかった。
「それについては良い考えがあります」
旅装を解きながら、レオが言った。
「そのエミリアという人は魔道師ですよね? ならば話は簡単です。メイジタワーに行けば手がかりが見つかるはずです」
「メイジタワー? それは初耳ね」
「メイジサークルのある建物をそう呼ぶんです。実際のところ、たいていは塔なのですがね」
「彼女が魔導師だからそこに居るかもしれないってわけね」
「このザルンに居るならかなりの確率で会えるはずです。魔導師は教会から厳しく行動を制限されていますから。メイジタワー以外の場所で、聖職者の監視なしの魔道の研究は許されていません」
世界を混乱に陥れたのは彼らの召喚術だ。しかし、私は釈然としないものを感じた。
「でもそれは健全なことではないわね。魔道だって学問なのでしょ? 自由は保障されるべきだと私は思う」
「なぜですか? 魔獣の降臨のような術を野放しにした結果、とんでもない災厄がもたらされたのですよ」
「それはそうかもしれないけど、本来研究は自由に行われるべきものだよ。それがもたらす結果については魔導師の倫理に委ねるべき問題だと思うわ」
「夏美さんのような考えをする人がいないわけではありません。僕の父も同じような考えの持ち主でした。彼は迫害されている暁の使徒の身の上に同情したから保護したわけではありません。真理の探究に制限を設けるべきではないという彼らの主張に共感したからなのです」
私は沈黙するしかなかった。
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メイジタワーは港の沖合にある小さな島にあった。高い塀からのぞく円柱形の塔が見えるだけで、島の詳らかな様子はわからない。陸とは橋一本で繋がっている。
橋の袂にある門衛の詰め所でエミリアに面会したい旨を伝えたが、まるで要領を得ない。
「許可証がなければ通すわけにはいかない」と門衛に権高に追い払われた。
仕方なく元来た道を肩を落としながら二人して歩いていると、後ろから若い男が追いかけてきた。臙脂色のローブを着ており、首には幾重にも金の鎖をかけていた。
「良かった。塔の窓から見張っていた甲斐があったというものです」
街中で偶然見かけた友達に挨拶するような気安さで彼は言った。
「失礼だけど、あなたは?」
「私はトニアと申すものでメイジタワーの魔導師です。実はエミリア様からあなた宛てに手紙を預かっているのです。ものすごくデカい女が数日中に訪ねて来るから、渡してくれと」
ものすごくは余計だと思いながら、私は彼の差し出す手紙を受け取った。
「エミリアはここには居ないのですか?」
「ええ。もう何年もここには戻っていません……私の元へたまに遣い烏が来るくらいです」
「でもよく私がここに来るってわかったのね」
「そりゃあもう知恵のエミリアですからね。彼女は何でもお見通しなのです。だから私もここ数日、窓に張り付いていたというわけですよ。ほんの一瞬でも目を離せないので、交代を立てて見張っていましたが、これでやっとお役御免でホッとしました」
まったくご苦労な話である。しかし、当の本人はいかにも楽しげに語る。エミリアはああ見えて人望があるのかもしれない。
「エミリアってそんなに凄い人なの?」
「十代で魔術の六道をおさめた人ですよ。エルフならともかく、人間では過去に類例がありません。あれでもう少し教会と折り合いを付けてくだされば、サークルの指導者に相応しい人なのですが……」
トニアはいかにも残念だという表情で言った。
私にはそれがどれだけすごいことなのか分からなかったけど、教会と折り合いが悪いという言葉ににんまりした。いかにもあの女らしいではないか。
「門衛に無理を言って出てきたので、すぐに戻らなければなりません」
トニアは一礼すると、慌てて橋の方に戻って行った。
私は手紙をレオに渡した。エミリアの魔法は読み書きまでは及ばないのだ。
「申し訳ありません、この文字は僕には読めません」
レオは一目見て、私に手紙を突き返した。
レオに読めない文字が私に読めるはずはない。なんだってあの女はそんな面倒なことをしたのだろう、そう思って文面に目を落として、私は思わず笑ってしまった。女学生みたいな丸っこい漢字とひらがなでそれは書かれていた。
さすがの知恵のエミリアもお利口な従者が私に付いていることまでは見通せなかったらしい。
”これを読んでいると言うことは、お前がザルンにたどり着いたということだろう。褒めてやる。
私は今ガランドを追っている。詳細は語れぬが、妹はまだ無事だ。お前に話すことなく彼女を殺しはしない。なんとか別の方法を考えてみるつもりだ。だからお前は軽挙妄動を慎み、私が戻るまでザルンを離れるな。 以上”
素っ気ない一方的な文面だった。これでは姉から幼い妹に宛てた手紙ではないか。しかも以上ってなんだよ。しかしあの女がこのカワイらしい文字を鉛筆なめなめ書いていたかと思うと、想像するだけで可笑しい。
「あの……夏美さんはそれが読めるのですか?」
知らぬ間にニヤついていたらしい。レオが不思議そうに私の顔をみて尋ねた。
「うん、日本語だからね」
レオは少しプライドが傷ついたように目を伏せた。
「しばらくはここに留まることになりそうだよ。そうと決まれば何かおいしいものでも食べようよ」
元気付けるように言うと、レオは目を輝かせた。
「それなら港にある鯨の髯亭はどうでしょう。そこの海鮮料理はザルンの名物なんです!……でもちょっと値が張るかもしれません」
「ご主人様に任せておきなさい!」
私はレオのサラサラの黒髪を撫でてやった。
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鯨の髯亭は港のはずれの高台にあった。
広々とした芝生にテーブルが並べられているオープンカフェスタイルの店だ。
名物というだけあってたいそうな賑わいだった。揃いのユニフォームに身を包んだ女給たちが水槽の金魚のようにテーブルの間を行ったり来たりしている。エルナスの店と違いここの女給たちはどこか垢抜けている。赤いタータンチェックのワンピースに白い大きなエプロンが可愛い。原宿あたりのおしゃれなお店にいるような錯覚を覚える。
席の空きを見渡していると、背中をツンツンと突かれた。
「予約はあるの?」
小麦色の肌をした小柄な女給だった。
随分とぞんざいな口を聞く奴だが、それより私を驚かせたのは彼女の尖った耳だった。
「エルフ?」
私のつぶやきを聞きとがめた彼女は、八重歯をむきだし、金色の眼を細めた。猫が威嚇するような感じだ。
「あのね! ボクはエルフじゃないの。ウッドエルフだよ。いくらお客さんだってそんな間違いは許さないから!」
ウッドエルフのボクッ娘は、はち切れそうな胸をぴんと張って睨みつけた。なにかエルフに含むところでもあるのだろうか、偉い剣幕だ。
「知らなかったとはいえ、傷つけちゃったみたいだね。ごめんなさい」
私は素直に謝った。
「分かってくれたらいいんだよ。ボクだって君に悪気はないのは知っている。でもエルフと一緒にされるとついかっとなっちゃうんだな……ところで予約はあるの?」
「それが残念ながらないんだ。また日を改めて出直すよ」
引き返そうとする私たちを彼女は引き止めた。
「お馴染みさんのために空けてある席がいくつかあるんだ。そこに案内するよ」
「そんなことをして構わないのかい?」
「このララノアさんに任せなさい! さっきはボクも言い過ぎたから、そのお詫びさ」
ララノアの案内してくれた席は海にもっとも近い場所だった。
「君たちはほんとに運がいいよ。ここから眺める夕暮れの海の景色は最高なんだ」
熟した柿のような太陽が水平線の真上にあった。黄金色に染まった海が運んでくる潮風が久しぶりに故郷の海を思い出させる。私たち三人はしばしの間、黙って眺めていた。それぞれが何を見ているのかはわからなかったけれど、胸に去来する甘酸っぱい感傷は同じものだったに違いない。




