使命
今までの経緯を洗いざらいティレルに話した。私が異世界から来たこと、妹をガランドに掠われたこと、それを追ってこの世界にやって来たこと、そしてエミリアから聞いた美月の真実。ティレルは私の話を聞き終わると、深いため息をついた。
「君がこの世界の人間ではないということは薄々だが感じていた。異世界から召還された人間のことは古い史料で読んだことがある。しかし、魔獣の王を封印した娘をガランドが見つけ出したとはな……」
「ガランドのことをご存じなのですか?」
「あの戦争で一緒に戦った仲だ。国を思う心は誰にも負けない熱い男だったよ。しかし、魔獣の王を封印したのが彼の娘だとは知らなかった……あれだけの英雄でありながら、その後忽然と姿を消したのは謎だったが、そんな事実があったとはな」
ティレルは椅子に背を預けると、眉間を指で揉んだ。私が異世界から来たという事実より、自分が係わった出来事の裏側にある真実の方に少なからぬ動揺をしているようだった。
ようやく彼は背を起こすと、両肘を机の上に置いて私を見た。
「君がこの世界に来た目的はわかった。しかし、それとこの問題がどういう関係があるのかね? 妹さんを探すというのなら、むしろ早くここを立ち去った方が良い」
ティレルの言うことはもっともだ。暁の使徒とやらの企みを阻止することより、美月を探すことの方が私にとっては最優先すべきことだ。
しかし、私はこのまま立ち去るべきではないと思った。魔獣の降臨を止めることは自分に課せられた使命なのだという確信に近い閃きがあった。これは天啓なのかもしれない。
「試されていると思うんです」
「試されている?」
「私の勇気をです……馬鹿げて聞こえるかもしれませんが、この砦に来たことは、何かに導かれているんじゃないかという気がするんです」
母はあの洞窟で美月を取り上げたとき、再び生きるためのゼンマイを巻き直した。それは彼女に与えられた試練であり、差し延べられた最後の手だった。絶望的な状況から、母は二人の娘を死に物狂いで育て、その試練に打ち勝った。
美月を救い出す資格があるのかどうか、きっと今の私も同じように試されている。そんな気がしてならないのだ。
私は息をひそめてティレルの答えを待った。彼が様々な思索を巡らせていることは、その表情から手に取るようにわかった。やがて彼は意を決したように眉を開いた。
「レオ、彼女をロブに案内させなさい。それから村の男の中で腕の立つもの四、五人募りなさい」
ティレルは命じた。そして私を見て言った。
「それは戦地に向かう格好ではないな。老ティレル公が愛用していた鎖帷子がある。それに着替えなさい。君にぴったりのはずだ」
私は素直に申し出を受けた。二千九百八十円の特売品のトレーナーで斬り込むのは心もとない。
「ありがとうございます。でも、村の人たちの助けは要りません。私一人でやります。無謀なことは承知しているけど、もうこれ以上誰も死なせたくないんです」
正直な気持ちだった。その村の男たちにも家族はいるはずだ。父親を失った苦労を私は人一倍知っている。
ティレルは私の顔を穴があくほど見つめていたが、やがて椅子から立ち上がった。
「君は勇敢な娘だな。私がもう少し若ければ放っておかないんだが……」
彼は私を息が詰まるほど強く抱きしめた。
この世界の男は皆、自分の感情をストレートに表現する。明日をも知れぬ世界に生きてる人間にとって、今ここにある瞬間がすべてなのかもしれない。
そんな男たちにこの世界の女はどう答えてきたのだろう。抱きしめられながら、ふとそんなことを考えていた。
「お祖父様、僕を夏美さんに同行させてください。彼女だけを死なせることはハイマン家にとって恥辱です」
レオがいきなり声をあげたものだからびっくりした。彼の握りしめた両の拳は震えている。見た目の幼さからは想像もつかない強い心をこの少年が持っていることを私は知っている。だからといって、彼を連れて行くつもりは毛頭なかった。
「何言ってるの! あんたはハイマン家のたった一人の跡取りなんでしょ。それにまだ子どもなのよ。未来があるの。それならどっちかというと、老い先短い……」
思わず私は口を押さえた。
ティレルは抱擁を解くと、これ以上可笑しいことはないというように、腹を抱えて笑った。
「いえ、今祖父に死んでもらうわけにはいきません。リュロスに家も畑も荒らされた村人の今後のことを考えたら、祖父には生きていてもらわなければなりません」
レオの頬は亢奮で紅潮していた。
「あんたね、死ぬ死ぬって決めつけているけど、私はそんなつもりはないよ。妹を探さないといけないんだもん。どんな意地汚いことをしたって生きるつもり」
「だったら僕が同行したって問題ないはずです。だいたい夏美さんは暁の使徒を甘く見過ぎですよ。彼らには魔導師だっているんですよ」
レオはなおも食い下がった。私たちはにらみ合い続けた。
「知らぬ間にお前もそんな歳になっていたんだな」
黙って様子を見ていたティレルが、意味深な笑顔を浮かべながら、孫の頭を掻きむしるように撫でた。
「なっ……何をいってるんですか! 僕はただハイマン家の名誉のために同行を申し出たのです」
レオはその手を払いのけて抗議した。
「惚れた女のために命を賭ける、それがハイマン家の男だ。行ってくるがいいさ。夏美、孫のことを頼む」
ティレルは片目を閉じて見せた。
いったいこの人たちの価値観はどうなっているのだろう。私は呆れるような思いで、二人の男を眺めた。
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私たちは日が落ちるのを待って砦を出た。
ユリシーズは久しぶりの野駆けを楽しんでいるかのように足取りが軽かった。赤土の荒野を私とレオ、案内役のロブの三騎が進んでいく。
かつてはこの辺りは豊かな森だったらしい。しかし、目にするものの中にその名残を留めるものは何もなかった。
「儀式が行われているのはあそこです」
ロブが木立に覆われた小高い丘を指さした。赤茶けた大地に緑色のお椀を伏せたようなその丘は明らかに周りの景色とは異質の空気を漂わせていた。
「すでに魔獣が召還された後なんてことはないよね?」
私はレオを振り返った。
「まだその気配はありません。もっともそれほど猶予はありませんが……」
レオは空を見上げて言った。
レバーのような色をした裂け目が今にも月を呑み込もうとしている。
「大魔が降るとき、あれは燃え盛る炎のように耀くはずです。急ぎましょう」
レオは手綱に手を掛けた。しかし、私はそれを制した。
「ロブ、案内ありがとう。ここからは私とレオで行く。あなたはは帰リなさい。これからやることはあまり分の良い賭けじゃないわ。生きて戻れる保障はなんてないもの」
魔操剣が使えなければ、かなりの確率で命を落とすことになる。そして今のところその目処はまったく立っていない。ハイマン家の使用人に過ぎないロブが命を落としてまで義理立てする必要はない。
「お願いです。連れて行ってください。孤児同然の身の上だった俺を拾ってくれたのはティレル公なんです。俺はあの人に恩がある。たとえ死んでも恨みません」
ロブは今にも泣き出しそうな顔で哀願した。
「夏美さん、ロブは家族も同然なんです。僕からもお願いします。彼を連れて行ってやってください。それにどんな汚いことをしても生き抜くんでしょ?」
レオがいたずらっぽく笑ってみせた。
「わかったわ。でも私一人が生き残るなんてことになったら承知しないから! どんなことがあっても生きなさいよ」
私はユリシーズの腹を軽く蹴った。
木立の中は静まりかえっていた。すべてが不気味なほど平穏に進んでいた。自分たちがこれからやろうとしていることを忘れるくらいに。
「この崖の向こうが窪地になっているのです。儀式はそこで行われています。馬はここに繋いでおきましょう」
しばらく進んだところでロブが言った。
目の前には三メートルくらいの高さの崖が目隠しになっていて、向こう側が見えない。ロブが崖に取り付き、レオが続いた。崖のてっぺんは平らになっており、そこにも木が生えている。
すでに着いて地面に身体を貼り付けるように下を覗き込んでいたレオが振り返った。
「夏美さん、屈んでください。目立ちすぎます」
うっせえよと舌打ちしながらも、身を低めてレオの横に這い寄った。
丘全体がクレーターになっていた。窪地の真ん中には三メートルくらいありそうな立石が環状に並んでいる。その中央には魔方陣が赤い塗料で描かれていた。
周囲を六人の黒いローブに身を包んだ男たちが取り囲み、聞いたこともない言葉でお経のような呪文を唱えている。紫のローブを着た男が魔方陣の中央で、両手を天にむかって掲げていた。
(あれが依り代なのだろうか)
ぐるりと辺りを見回してみたが、他に人影はない。
「あれだけしかいないの? もっと兵士なんかが護衛していると思ったけど」
「降魔の儀式は彼らにとって、秘儀中の秘儀ですから、高位のメンバー以外には見せたくないのでしょう。砦を囲んだのも儀式から目を逸らすためかもしれません」
レオは用心深く首をすくめながら言った。
「あの人数なら奇襲を掛ければ制圧できそうね」
「油断はできません。暁の使徒の上位メンバーは魔法の心得があますから。ただそうも言ってられないのも確かです。あの紫色のローブの男は大祭司です。彼が依り代になっているのはかなり大物の魔獣を降ろそうとしているはずです」
レオはふたたび空を見上げた。裂け目はさっきより明るさを増している。
「馬で一気に逆落としでいこう。魔法って呪文を唱える時間があるでしょ。その隙を与えなければ勝機はある。あの紫色の男は私がやる!」
レオは私の剣をみた。
「それは使えそうですか?」
私は首を振った。
「これはもうあてにはしない。生身の人間なら、ただの剣で充分」
私はそう言い残すとユリシーズのところに向かうため崖を降りた。その時、背後でもみ合う音がして、振り反った。
「剣を捨ててもらおうか?」
ロブがレオの首筋に短刀を当てていた。
「一体何の真似?」
「儀式が終わるまで、あんたらには大人しくしてもらいたいのさ」
私の背後から、黒ローブの男が二人現れた。
「ロブ、君はまさか暁の使徒だったの?」
「坊ちゃん、そのまさかってやつですよ」
薄笑いを浮かべてロブが言った。思わぬところに伏兵がいたらしい。
黒ローブの二人は私とロブを木に縛り付けた。
「心配しなくても坊ちゃんには危害を加えません。その女には魔獣の餌になってもらいますがね」
「僕はどうなっても構わない。その人には手を出すな!」
レオは激しく暴れた。
「ティレル公に恩義を感じているのは本当です。それにあなたのお父上にもね。教会に追われていた俺たち親子を保護してくれたのはお父上です。そして俺の父親同様、処刑されてしまった……言ってみれば俺たちは同じ境遇なのです」
レオはロブを睨みつけた。
「こんなことをしたって父は喜ばないぞ! 早く儀式を止めさせるんだ」
「黙れ!」
黒ローブの男の一人がレオを殴った。唇が切れて血がにじんだ。さらに殴ろうとする男の手をロブが止めた。
「わからないのですか?お父上を殺した連中がのさばるこの世界はもうすぐ終わる。天の王が降臨し裁きを下される日が来たのです。俺たちはその先触れなのです」
ロブは言い聞かせるようにレオの両肩を揺すった。
「妄想はそれくらいにしとけ」
木立の中から声が聞こえた。次の瞬間、レオを殴った男の胸を矢が貫いた。
もう一人の黒ローブが剣を抜き放つと、矢の飛んできた方向に向かって走った。聞き覚えのある声の主を確かめようとしたが、そちらを見ることはできない。仕方なく耳を澄ましていると、剣を打ち合う音が二、三度響いてきた。
一瞬の呻き声と人が倒れる音。
ロブは短剣を構えて、見えない襲撃者に備えている。私は目の前の膝の裏を思いっきり蹴っ飛ばした。
「足の使い方を覚えたようだな」
前のめりになったロブの首根っこを押さえながら、ローランが白い歯をみせて言った。