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勇敢な追跡者の物語  作者: tori
エルナス編
17/88

英雄失格

 目覚めたときにはレオの姿はなかった。

 抱き枕のように私は彼を抱え込んで眠った。私を起こさぬよう彼はそっと腕の中を抜け出したのだろう。レオは私が思っているよりずっと大人なのかもしれない。

 まだ気だるさは残っていたが、それは心地よい眠りのせいだ。ベッドから抜け出してトレーナーを着込んでいると、レオが顔を覗かせた。

「朝食の用意ができました。皆さんお待ちかねですよ」

 夕べの泣きべそなどなかったように、いつもの優等生の顔に戻っていた。


 ********************


 ダイニングルームではすでに四人の男が大きなマホガニーのテーブルを囲んでいた。卓の上に置かれたバスケットには焼きたてのパンが盛られていて、空腹を刺激する香りを立てている。

 ティレルとローラン、あと二人は見たことのない顔だった。

「夕べはよく眠れたかね?」

 ティレルが久しぶりに訪ねてきた親戚の娘を迎えるような笑顔で、自分の隣の席に手招きした。

 レオは素早く私のために椅子を引くと、その隣に腰掛けた。

「おかげさまで、自分の家のようにぐっすりと眠れました」

 私はチラッとレオのほうを伺いながら答えた。

「それは頼もしい。わしが初めて戦場に出たときには、夜中に何度も小便に起きたもんさ」

 ティレルは笑いながら隣の男の肩を叩いた。男は黒々とした立派な顎髭を蓄えていた。頭の方はそれに反比例して見事に禿げ上がっている。太い腕、盛り上がった肩の筋肉を見れば、彼が戦士であることはすぐにわかった。

「いざとなれば女の方が肝が据わっているものですよ。明日死ぬかもしれないのに、娼婦どもはいつものよう足を開いて金を稼ぐ。戦場ではお馴染みの光景だ」

 頑丈そうな歯で彼はパンをひきちぎりながら私を見た。

「止さないか、イーリン。ご婦人の前だぞ」

 ティレルが嗜めた。

「この男は初めて見る顔だったね。彼はサー・イーリン。我が家に残った最後の騎士だ。そして横にいるのが彼の従者のジョンだ」

 ティレルは二人を紹介した。

赤毛でニキビ面のジョンはさっきから挑発するような目つきで私を睨み付けていた。どうやら誰もが私とローランを歓迎してくれているわけではなさそうだ。

「このでかい女はあんたの馴染みの娼婦なのかい?」

 ジョンが隣に座っているローランににやつきながら囁いた。

「やめろ! ジョン」

 レオがテーブル越しにジョンの胸ぐらに手を延ばした。しかしローランはその手を掴むと、静かに押し返した。

「小僧、どうやら主に口の利き方を教わらなかったようだな。次に口を開いたらその細い顎を砕いてやるから、そのつもりでいろ」

 ドスの効いた声で脅されて、ジョンは助けを求めるようにイーリンを見た。

 ダイニングルームは剣呑な雰囲気に包まれた。ティレルが両手をテーブルに叩きつけて立ち上がらなければ、そのまま殴り合いになったかもしれない。


「イーリン、それにジョン。私の客をこれ以上侮辱することは許さん」

 静かだが、威厳のある言い方だった。

 イーリンは持っていたパン切れを皿に戻すと、居ずまいを正すように背筋を伸ばした。ジョンは赤いニキビ面をいよいよ紅くして俯いた。

「御前を汚すよう真似をして申し訳ありませんでした。ティレル公」

 イーリンは深々と頭を下げた。

「謝罪する相手を間違えているぞイーリン」

 ティレルは私の方を顎で示した。

「謝る必要はないわ。サー・イーリンは娼婦の話をしたのでしょ? 私はお金を貰って人に抱かれたことはありません……そもそもそんな経験もないし」

 場の雰囲気を和らげようと、つい余計なことを付け加えてしまった。きっと私の耳は赤くなっていたに違いない。頬だってニキビ面のジョンより紅潮しているはずだ。


(ブランの馬鹿……)

 心の中で呟いた。理不尽な怒りをぶつけられて彼は北の空の下でくしゃみをしているに違いない。


 ティレルはとんでもない告白を耳にして唖然とした表情を浮かべていたが、「サー・イーリン、君はご婦人を侮辱したばかりか、乙女の名誉も汚したことになる。その罪は万死に値するぞ」

 茶目っ気たっぷりに恐縮している家来に言った。

「俺は……あんたを娼婦呼ばわりしたわけじゃないんだ……つまり戦場では……」

 イーリンは訥々と語り始めた。こうやって見れば彼はそんなに悪い人間ではないのだろう。

「気にするな。これも戦場ではお馴染みの光景だ。誰もが気が立っているものさ」

 まだ謝罪の言葉探しているイーリンにローランが微笑みかけた。

 皆の表情に穏やかさが戻ったが、私はテーブルの下で握り拳を震わせているレオに気づいた。

「ありがとう。嬉しかったよ」

 私は彼の耳元で囁くと、そっとその拳を撫でた。


 ********************


「そんなことよりティレル公、今朝方櫓に登ってみたが、不気味なほどリュロスどもは静かだ。一向に寄せて来る気配がない。それなのに数ばかりが増えていやがる。奴らを操っているのが暁の使徒ならなぜ攻めてこないんだ?」

 場が静まるのを待っていたようにローランが尋ねた。

「戦力が整うのを待っているんだ」

 ティレルが答えた。

「戦力だって? この砦を落とすのなら、今の数で十分だろう」

 ローランの疑問はもっともだと私も思った。

「奴らの狙いはエルナスだ。聖都の包囲を支援するのが目的なのだ。エルナスは王都と聖都を結ぶ街道の要所だからな。城があった頃と違い、防備は薄いとはいえ多くの騎士が滞留している。リュロスだけではどうにもなるまい。他の魔獣を準備しているのだろう」

「他の魔獣だって?」

「君も知っているだろうが、リュロスは大した魔獣ではない。矢防ぎ程度の役にしか立つまい。武装した騎士の敵ではない。恐らく主力となる魔獣を召還しようとしているはずだ。ただそれには時間がかかる。高位の魔獣を降ろすためには、術者自身が依り代とならなければならない」

 ティレルの言葉にローランは一瞬顔を引き攣らせた。

「ならば余計に急ぐ必要があるな。このままでは村人を脱出させる機会をうしなってしまう」

「今、ロブに降魔の儀式を行っている場所を探らせている。それが分かり次第、打って出るつもりだ。そのときはここに居る者全員に戦ってもらう」

 ティレルは一人一人の覚悟を確かめるように見まわした。

「俺に一つ考えがあるんだ」

 ローランが身を乗り出した。

「リュロスを少しづつ砦の中に引き入れてはどうだろう? それを何度か繰り返せば、数を減らすことができる。座して待っているよりはましだと思わないか?」

 ローランは同意を促すようにティレルを見た。

「ならばおびき出す役目は俺がやろう」

 サー・イーリンが申し出たが、ローランは首を振った。

「あんたにもしものことかあってはいけない。それは助っ人の俺の役目だ」

 ティレルはしばらく腕組をしながら考えていたが、「いいだろう。だが無理は禁物だぞ」とローランに念を押した。


 ********************


 ローランの策はまんまと当たったかに見えた。

 彼はリュロスが潜む灌木の茂みに近づくと、二、三発ボウガンを打ち込んだ。飛び出してきたリュロスを巧みな手綱さばきであしらいながら、門まで誘導する。私たちはそれを待ち構え、二、三匹が中に入ったと見るや、素早く門を閉じた。後続のリュロスたちには火薬がお見舞いされた。罠に掛かったリュロスたちは、村の男たちの槍衾と馬で背後に回った私やイーリンに挟み撃ちにされた。リュロスが倒れる度に村人から歓声があがった。完璧な作戦だった。

 サー・イーリンは手こずっている連中をどやしつけながら、「日が落ちるまでこれをやれば、敵を半分に減らせるぞ! もっともあのボロ馬がそれまで持つかどうかだがな」と軽口を飛ばす余裕を見せていた。赤毛のジョンですら殺戮を楽しんでいた。

「ローラン、けちけちしないでもっと中に引き入れてちょうだい」

 私が声を掛けると、ローランは照れたように片手をあげ灌木に向けて馬を走らせた。

 ただティレルだけが憮然とした表情でそれを眺めていた。

 何度かそれが繰り返されたときだった。櫓の上に居た男が大声で何かを叫んだ。

 それを聞いたティレルが門の外に出た。続いて外に出た私は灌木の向こうに現れた巨大な姿に息を呑んだ。

 額に角を一本生やしたその怪物は一つしかない目玉をギョロギョロさせながら、こちらに向かって来る。肩に担いでいる大槌は軽自動車くらいなら一撃でぺしゃんこにできそうなくらい大きかった。

 蜘蛛の子を散らすようにリュロスが灌木の茂みから逃げ始めた。巨人は逃げ遅れたリュロスをお構いなしに踏みつぶしていく。

「サイクロプス……」

 レオが呟いた。


 ********************


「ローラン! そいつを門に近づけるな」

 ティレルが叫んだ。

 しかし、ローランにはその声が届いていないのか、迫り来るサイクロプスを前にしてもまるで動く様子がない。

「彼はいったいどうしたのでしょう。巨人を門から遠ざけないと、あの大槌で叩かれたらひとたまりもありませんよ」

 レオが言った。

「きっと彼はあいつと一騎打ちするつもりなのよ」

 自分で言いながらも様子がおかしいと思った。ローランは剣を構えることもせず、両腕をダラリと下げたままだった。気のせいか、肩が小刻みに震えているように見える。まるで魂が抜けてしまったようだった。


「ローラン、居眠りでもしてない限り、そいつの槌を食らうことはない。足の腱を切るだけでいいんだ!」

 イーリンが苛ついて怒鳴った。

「まずいな。怯えている」

 ティレルが言った。それは私がもっとも恐れていた言葉だった。

「くそっ、なんてこった」

 吐き捨てるように言うと、イーリンは厩のほうに向かった。


 ローランはどうしてしまったのだろう。グールやリュロスを相手にしたときの彼はエルデン川の英雄そのものだった。しかし、サイクロプスを目にした途端、老いさらばえた放浪の騎士になってしまった。でもエルデンではもっと恐ろしく巨大なアマイモンを目にしたんじゃなかったの?


 ――僕の聞いた話では兜を持ち帰ったのは豪胆のレストンでした

 声が頭の中で反芻する。


(違う!そんなことあり得ない)

 私は当然のように導かれる結論を受け入れることを拒んだ。


「いけません、落馬しますよ」

 レオが指差した。

 サイクロプスに反応した馬が竿立ちになり、ローランはそれを御すこともできず、そのままズルズルと地面に転落した。手放した剣を拾おうともせず彼は這いつくばったまま逃げようとしはじめた。


「放浪の騎士なんてあてにしたのが間違いだったのさ。いや騎士ということすら怪しいものさ」

 ジョンが私に向かって言った。ニキビ面を張り倒してやりたいくらい腹が立ったが、言い返すことはできず私は拳を握りしめた。


「門を開けろ!」

 戻ってきたサー・イーリンがが怒鳴った。

「あんな奴を助ける必要なんかありませんよ」

 ジョンが馬上の主に言った。

 サー・イーリンは若い従者の顔をしばらく見ていた。

「お前は自分の言っていることがわかっているのか? 奴はもう戦う勇気を無くしたのだ。見殺しにはできん」

 彼はジョンの頭をコツンと叩くと、馬腹を蹴って飛び出していった。

 すでに騎士として死んでしまった彼を二度も殺す必要はないということなのだろうか。


「サー・ローランを助けなさい」

 ティレルが門の傍にいる男たちに命じた。彼にはまだサーという敬称を忘れないだけのやさしがあった。

 ローランはサイクロプから逃れようと、地面を必死に搔いている。

 その姿は私自身の勇気も凍りつかせてしまった。何もすることができず、ただ目の前の光景を呆然と見つめていた。

 ローランの馬が主を守ろうと、前脚を掲げて前進するサイクロプスに勇敢に挑みかかった。

 サー・イーリンはランスを水平に構えると、馬の脚をさらに速めた。

 巨人はあっという間に、馬をズタズタに引き裂くと、血まみれの足を掴んで齧りつきはじめた。


 胃の中のものが込み上げてきて、私はその場にうずくまって吐いた。涙と鼻水を垂らしながら嗚咽した。こんな場所にのこのこと英雄気取りでやって来た自分を呪った。


 ********************


「借りるぞ」

 ティレルが私の手から剣をひたくった。それはもう私に必要のないものだ。

 彼は馬に跨がると、イーリンを目指して走り去った。

「夏美さん」

 私の横で馬を止めたレオが言った。

「酷い目に合わせてごめんなさい。僕が助けを求めなければ良かったんだ」

 同情とも憐憫ともつかぬ目で彼は私を見下ろしていた。首を振るのが精一杯だった。

「でも貴方に逢えて良かった」

 彼は言い残すと、祖父のあと追った。


 イーリンはサイクロプスの目の前にまで達していた。このまま彼は体当たりするつもりなのだ。私は目を伏せた。金属がひしゃげる鈍い音が響いた。イーリンのランスは巨人の股の付け根を貫いた。しかし、その衝撃でイーリン自身も馬から放り出され、地面に叩きつけられた。

 片足を破壊されながらも巨人はイーリンににじり寄っていく。しかしイーリンはピクリとも動かない。振りかぶった大槌がイーリンの身体に振り下ろされる前にティレルが間に馬を入れた。

 次の瞬間、自分の目を疑るようなことが起こった。彼はなんと大槌を魔操剣で受け止めたのだ。剣はあの時と同じように青い光を放っていた。サイクロプスの単眼に恐怖が見えた。

 ティレルは裂帛の気合いとともに、サイクロプスの首を刎ねた。


 気がつくと、灌木の茂みからでてきたリュロスたちが門に殺到し始めていた。

「門を守るんだ」

 赤毛のジョンが剣を抜き、押し寄せる緑の壁に立ち向かっていった。槍を持った男たちがそれに続いた。

「火薬だ、ありたっけの火薬を放て!」

 ティレルが叫んだ。

 櫓の上から次々と投げ込まれた火薬が爆発しはじめた。


 緑色の肉片が私の肩に当たって落ちた。リュロスの腕だった。

 血の臭いと硝煙の立ちこめる中で、私は震えながら悪夢が覚めることを念じ続けた。


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