夏休み最後の日とおかえりなさい
少女『ダリア』と少年『アギニス』のすれ違う恋心。
夏休み最後の日。
日中よりも少し涼しい夕暮れの散歩の途中で私は道端で猫を見つけた。
くりくりした黄色い目と茶色の髪は幼馴染みの彼によく似ていて、思わず手が伸びる。
猫は人懐っこくて怖がるどころか、私の手に擦り寄ってきた。
甘えたがりなのか、寂しがりやなのかわからない。
でもどちらにしても性格は彼に似てない。
私は彼のことを考えながら猫を撫でる。
今日で彼が彼のお祖父さんとお祖母さんのところへ行って一ヶ月半。
二人は世界中に名の知れた格闘家で、七十代には思えないくらい今でもすごく元気。
去年の年賀状にはタンクトップ姿のお祖父さんと柔道着姿のお祖母さんがなせか傷だらけになっているホッキョクグマを挟んで笑ってる写真が載ってた。
それを見てパパとママが相変わらず元気だなってしみじみしてた。
彼のお祖父さんとお祖母さんは絶対長生きする。
ひ孫の孫くらいまで生きてそう。
と、そんなことを思った。
二人の血を受け継ぐお母さんに、料理以外はなんでも出来るお父さんの子どもである彼は同じ年なのになんでも出来る。
勉強だって、運動だって、人付き合いだって得意で魔法も使える。
だからちょっとずるいと思う。
私には魔法しかないのにって。
でもその力は弱くて空を飛ぶとか、穴を掘ることくらいしかできない。
小さな頃は気にならなかったけど、今はすごくうらやましい。
そう思うようになったのは進路の話が出てきたから。
パパとママは好きなようにしていいよっていってくれる。
やりたくないことはたくさんあるのに、やりたいことはない。
数年後の自分が想像できない。
それよりもいったい私はいつまで人気者のアドニスの側にいられるんだろう。
「ダリア?道端で何をしているのですか?」
後ろから彼ことアドニスが声をかけてきた。
茶色の髪はさらさらストレートで、黄色い目は宝石みたいにきらきらだ。
女の子よりも真っ白な肌は少しだけ焼けていて、雰囲気もまた大人っぽくなってる。
たったそれだけの変化。
なのに私だけ子どものままで、アドニスは一人で大人になって置いていかれてるような気がした。
「あ、アドニス。日本に戻ってきてたんだね。お帰りなさい」
でもそれをアドニスにいっても困らせるだけだから、私は振り返って笑ってみせる。
「俺の質問は無視ですか……」
アドニスは呆れたような顔をする。
別に無視したわけじゃないんだけど。
「え?見てわからない?」
「野良猫……いえ。首輪をしているので飼い猫でしょう。この猫がどうしたんですか?」
一目見ただけでそこまでわかるなんてさすがアドニス。
「近所のスーパーにこの猫を探してくださいって張り紙があったから届けてあげようかと思って」
「今からですか?もう遅いので明日にしては?」
アドニスのいうことはもっともだ。
もう少ししたら日が完全に沈んで、真っ暗になってしまう。
「んー。それも考えたんだけど飼い主さんもこの猫も早くお互いに会いたいでしょ?ね、猫さん?」
猫に同意を求めるとにゃーと鳴いて答えてくれた。
なんて賢い猫なんだろう。
もっと撫でてあげよう。
「はあ……しょうがない人ですね」
アドニスは額に手をあてて、ため息を吐いた。
「アドニスも来てくれるの?でも長旅で疲れてるでしょ?無理しないでいいよ。一人で行ける距離だから」
「あなた一人の方が危険です」
「不審者が出ても大丈夫だよ。自分の身は自分で守れる」
「いえ。不審者よりあなたの方が危険です」
ひどいいわれよう。
そこらの大人よりも強いアドニスの方がよっぽど危険だと思う。
「アドニスって実は私のこと嫌いでしょ?」
思ったことを口に出すとアドニスの顔が歪んだ。
この顔は小学生の頃に算数がわからなくて聞いた時と同じだ。
「……あなたは俺がわざわざ嫌いな存在に対して時間を割くような殊勝な存在だと思っているのですか?」
アドニスは人当たりがいいけど、人の好き嫌いが激しいって知ってる。
でも損得勘定が得意だから、嫌いな人でもアドニスに利益があるなら仲良くできる。
表面上だけど。
「だって私と仲良くしてたらパパとママに印象がいいよね?」
私のパパとママはアドニスのお父さんの兄弟みたいなものらしい。
特にママはアドニスのお父さんと同じ職場で一緒に働くくらい仲がいい。
だからアドニスが私と仲良くしてくれるんだ。
「この鈍感が……」
珍しく苛立った口調でアドニスが呟いた。
うん。そうだね。
どうして今まで気がつかなかったんだろう。
「今まで気がつかなくてごめんね。これからは無理に仲良くしなくてもいいから。パパとママになにかいわれたらうまくいっとくよ」
「……わかってはいるつもりでしたが、あなたは想像以上に考えが足りませんね」
いつもと同じ口調のはずなのに突き放されたように感じた。
「アドニスと比べたら誰だって頭が良くないと思うよ」
そういったらアドニスは私から目をそらした。
ちょっと寂しいなって思って私はおどけたようにいう。
「それじゃあさっそくこの猫を飼い主さんに会わせてあげよう。『転」
「やめなさい」
一瞬で場所を移動する魔法を唱えようとしたら、アドニスに止められた。
「どうして?魔法を使った方が早く会わせられるよ?」
「あなたは『転移』で失敗したことを忘れたんですか?」
小学五年生の頃に一度、借りた教科書を返そうとして魔法を使ったら、アドニスはお風呂に入ってて私は浴槽に落ちた、ということがあった。
浴槽にはお湯が入っていたから怪我はなかったけど全身びしょ濡れになってしまった。
その後になぜかアドニスも一緒にパパから怒られたんだよね。
あの時のアドニスの驚きと状況がわからなくてぽかんとした顔を思い出してつい笑ってしまう。
「いたっ!」
つむじにチョップされた。
「失礼。全く反省していないあなたに苛立ってつい手が出てしまいました」
アドニスは謝っているようで全く謝ってない。
他の女の子には絶対に暴力を振らないのに、どうして私だけ?
「アドニスはいじわるだよね」
「あなたのせいです」
「でも優しいよね」
アドニスはいつだって優しい。
今だって疲れているはずなのに、こうしてなんだかんだいって私に付き合ってくれる。
「あなたに首の上についている頭は飾りですか?」
「せっかく褒めたのにアドニスは本当に素直じゃないね。そんなんじゃ好きな子が出来ても嫌われちゃうよ?」
「余計なお世話です」
ぴしゃりといわれてしまった。
もしかしてアドニスには好きな人がいるとか?
うわあ、すごく気になる。
どんな子だろう?
でも同じくらい聞きたくない。
どちらにしてもアドニスが教えてくれることはなさそう。
「じゃあ『飛翔』で行こう」
「この年齢で魔法少女に憧れているんですか?」
「憧れるもなにも魔法は生まれつき使えるから私は最初から魔法少女だよ?」
アドニスは今さら何をいっているんだろう?
「ではネットのトップニュースになりたいのですか?」
「見出しは中学生男女と猫が空を飛ぶかな?それでこの町が注目されてマスコミとか来て、アドニスは私とパパに怒られる」
「俺を巻き込まないでください。やるなら一人でどうぞ」
「あれ?私一人で行くのは危険だって行ったのは誰だっけ?」
ニヤニヤと笑いながらアドニスの顔を下から覗きこめば、形のいい眉が釣り上がった。
アドニスは怒ってもかっこいい。
「あなたは口だけは達者ですよね」
「ありがとう。でもアドニスほどじゃないよ」
なんだかおかしくなって私はにこりと笑う。
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
アドニスもつられるように笑ってくれた。
明日には忘れてしまいそうな中身のない会話。
でも私はその会話が大好きだ。
話している間、アドニスは私のことを見てくれるから。
飼い主さんの家までそう遠くなかった。
歩いて行って猫を渡すと、飼い主さんは嬉しそうに受け取ってくれた。
お礼に飴をもらって今度は自分達の家路につく。
その間も会話は続いていく。
話の内容はこの夏休みに何をしていたのか。
アドニスが経験した夏休みは冒険物語のようでハラハラしたり、わくわくしたりと聞いてるだけなのに忙しかった。
そもそも魔法を使おうと思ったのは、私は疲れているのにわざわざ付き合ってくれるアドニスに楽をしてもらいたかっただけ。
多分、アドニスはそれをわかっていたんだと思う。
でも魔法使いがほとんどいないこの世界で魔法を使うのは、自分から異端だっていうのと同じこと。
異端な者がどうなるのかは今までの歴史が教えてくれた。
だからアドニスは私に魔法を使わせたくないんだ。
ひねくれ者で怒りっぽくて口が悪いけど、本当はすごく優しいアドニス。
ねえ、ひとつ聞いてもいいかな?
『アドニスはいつまで私の隣にいてくれる?』って。
まだまだ続きます。