2つの影
この日は突然にも雨が降ってきて、私は傘を持ってきていなかった。
最初は小雨だったので走って図書館から出てきたのだが、途中から激しさを増してきて、雨宿りせざるをえなくなった。
(無茶したら、大切な本が濡れる。)
当然本も大事だ。
だけど何より、私自身が風邪を引くわけにはいかない。
今日の夜も居酒屋に行く予定だ。
風邪など引いてられない。
だけど、財布を持ってくるのを忘れていた私は、コンビニ前に行っても傘を買う事が出来なかった。
いつもは図書館に長居するのでその帰りに買い物をするのだが、今日は用事だけを済まし直ぐに帰宅する予定だった。
買い物の予定がないと思って、財布を家に置いてきてしまったのだ。
(迂闊だった。濡れて帰れないし、少し小雨になるのを待つしかないわね。)
しかし、いくら待っても雨は止むことを知らないようで、次第に激しさを増していく。
もしかしたら、一晩降るぐらいの雨なのかもしれない。
(どうしよう。)
居酒屋にいくどころか、これでは家にさえ帰れない。
洪水、という程でもないが、流れの悪いアフファルトに水が溜まってきた。
靴もジメジメしてきて、多少なりもと雨に濡れた服が冷たくなって寒気がする。
コンビニの中に入っても何も買わないんじゃ意味ないし、迷惑かもしれない。
(こうなったら強引にでも走るしかないか。)
覚悟を決めて、本の入ったカバンをしっかりと両手で抱え、走る準備をする。
幸い、運動は嫌いではあるが、苦手ではない。
足も遅くない。
一気に走ってこの先の駅にまで行ってしまえば、建物の中から通り抜け出来る。
そこまでは走る!
ぐっと力を入れ、走る体勢を取る。
「何をしている?」
「!」
背後から不意に腕を掴まれ、思わずビクリとする。
聞き覚えのある声に、安心感を覚えながらも、一瞬にして恥ずかしさがこみあげてきた。
「ゆ、悠斗、さん?」
「お前さ、この雨の中を走ろうとしてなかった?」
振り返ると大きな傘を持った悠斗さんがスーツ姿で立っていた。
どうやら仕事帰りの様だ。
悠斗さんは、私の腕をつかんでいる手を一気に引き寄せ、傘の中に入れてくれる。
「バカ、この雨は傘があっても濡れるんだよ。未成年じゃ判断出来ないのか?」
呆れ声と注意するような視線を私に向ける悠斗さん。
私は慌てて反論する。
「だって、傘持ってなかったから、早く帰りたかったんだもの。」
「何、急ぎの用事でもあるの?」
「そ、そういう訳じゃないけど。」
強いて言うなら貴方に会うため、とか言えない!
さらっと言い返されて、私はしどろもどろになりながらも、走ろうとした経緯を話す。
当然、本音は隠す。
「ふぅん、根本的な理由は聞けなかったけど、要は傘がないんだな。」
悠斗さんは少ない情報で直ぐに納得してくれた様で、私に本を包むビニール袋を貸してくれた。
そして、私を傘の中に入れてくれた。
「…いいんですか?」
「傘、無いんだろう?雨は明日の朝まで降ってるぞ。」
「ありがとう、ございます。」
その後、悠斗さんとの会話は無かったけれど、私はそのさり気ない優しさが嬉しかった。
事情も必要最低限で、全てを知ろうとはしなかったし、本が濡れないようにビニール袋まで出してくれて、傘の中にまで入れてくれた。
相合傘をして貰っている私は、その事に既に心が一杯過ぎて最後に気付いたけれど、ちゃっかり家まで送って貰っていた。
寒かった筈なのに、心はとても温かい。
ほんわかした気持ちに包まれていて、逆にその気持ちを想うと、その後訪れると解っている『別れ』が怖く思えて仕方がなかった。
土砂降りの雨の中、1つの傘と2つの影がそこにあった。