2-2 伝えること
親子は、俺たちを町中の小さな家に案内した。
「茜のおうちね、おにわがあるんだよ!」
茜ちゃんが、行く途中でぴょんぴょん飛び跳ねながら明るく歌うように言う。
「あのねえ、おばあちゃんちのコスモスは、このおはなになったけど、茜のコスモスはコスモスのままなの!」
「……コスモスが残ってるの?」
「うん! はるになったら、チューリップもさくの!」
「何故か、私たちの家は花壇がそのまま残っていて……」
父親は未だ俺を警戒しながらも、娘と手を繋いでいる少女を微笑ましそうに見つめている。俺はそんな三人の後ろから、できるだけ怖がらせなくて済むように静かに歩いていた。
五分ほどで着いたその家は、こじんまりとしていながらも綺麗で、閑静な住宅街、といったところに建っていた。まあ、今となってはどこでも閑静ではあるのだが。
「どうぞ、中に……」
「……いえ、よろしければお庭で。……彼が入れませんから」
「いや、俺はいいよ。中で話しておいで。出てくるまで待ってるからさ」
「……あなたがいると、わかりやすいでしょう?」
「あ、ああ……いや、もう見たからにはわかってると思うんだけど……」
適当な言葉でお茶を濁すが、やっぱり少し悲しいものはある。見世物にされるような気分。わかりやすい、だなんて言ってほしくなかった。嫌というほど味わった人間じゃないという事実を、を再度確認させられる。
「……いいから。いて」
少女は父親に頼み込み、庭の方へと回った。門の前で立ち止まった俺にも「行くよ」と目で訴え、強引に庭へ。庭には木でできた白いテーブルとイスがある。
「ここ茜のせきー!」
ぴょこん、と茜ちゃんが席に着き、父親がその隣へ、少女は父親の向かいへと座る。俺は少女のすぐ横の地面に腰を下ろした。
「……まずは事実を。……あなた方は――あなたと茜ちゃん――は、“花”によって死ぬことは、ありません」
「は? それはどういう……」
「……おかしいと、思いませんでしたか。……周りの人が、次々亡くなってる中で、自分たちが何ともないのを」
「思いました、でも」
「……そういうことです。……とりあえず、口や鼻からの摂取で、“花”が寄生することは、ありません」
「口や鼻から、ですか。ほかに寄生されることがあるのですか?」
「……はい。……この彼は、傷からの発芽だったと、聞いています」
そうよね? という少女の問いかけに、俺は自分の右肩を見せた。
「これ。ここに、自分で傷をつけて、“花”が咲きました」
腕輪のようになった“花”を確認し、父親はおそるおそる、といった風に少女に尋ねた。
「傷口から“花”が発芽すると“異形のモノ”になるのですか?」
「……詳しいことは、わかりません。……でも、彼も、死なない人だったことは、確かです」
「……茜、怪我はしてないね?」
「うん。どっこもいたくないよ!」
父親は茜ちゃんを抱き上げて、体中を確認した。
にぱっ、と笑う愛娘にほっとしたような息を付き、少女に向き直る。
「あなたも、死なない人ですか?」
「……はい、とも、いいえ、とも言えます。私も“花”で命を落とすことは、ありません。ですが、彼やあなた方とは、少し違う存在だと、思います。……だから、こうして、使者をしています」
「使者?」
「……はい。死なない人に、『死なない』と伝えることを、目的に、歩いています」
「誰かに頼まれたの?」
「……なんとも言えません」
「そうか。いや、いいんだ。言いたくないこともあるだろうし。その髪や、目は遺伝?」
「……よく、わかりません。母は、私が生まれてすぐになくなりました」
「おかあさん、いないの?」
それまで久しぶりに父以外の人に出会ってはしゃいでいた茜ちゃんが、少女の「母」という言葉に反応して、少し眉尻を下げた。
「茜と、いっしょだね」
「……この子の母親は三か月前に失踪しました」
父親が、うつむいてしまった茜ちゃんの頭を撫でる。
「二,三日前から青白い顔色をしてましたから、きっと体の異変に気づいたんでしょう」
「……それから……」
「ええ。…………そうか、僕も茜も、彼女のところにはいけないんだ」
「…………生きて、ください」
少女が、ぽつり、と言葉を漏らした。少し呆けたような表情をしていた父親が、え? と訊きかえす。
「……生きて、ください。何があっても。……生きることは、難しいです。でも、一回しかできません。……母親にも、大事な女の人にも、いつか会えます。……今は、生きてください」
「……ああ」
父親の頬に、一筋、水が流れ落ちた。
「パパ、パパ、どうしたの。いたいの? いたいのいたいのとんでけーってする?」
「大丈夫だよ、茜。茜は、パパのことが好きかい?」
「うん! パパだいすき!」
「うん。パパも茜が大好きだよ」
それから、真剣な顔で俺と少女に向き直る。
「この子がいるから、死ぬわけにはいきません。どういう理屈で、どんな基準で、僕たちが生き延びているのかわかりません。それでも、精一杯やってみようと思います」
「……はい」
「きっと、大丈夫です」
頷いた少女に、俺も続く。少女はこうやって、旅をしていたのだ。ひとりひとりの話を聞いて、生きる不安を少しでも取り除けるように、そうやって旅をしていたのだ。
会った人のほとんどは大事な人を亡くしていただろう。そういう人は、俺のようにその人のそばへ行きたいと願っている。そんな人に生きることを伝えるために、歩いてきたのだ。
「茜ちゃんを、大事にしてください」
「もちろんです」
俺の言葉に強く微笑んだ父親の目には、もう迷いはなかった。