2-1 最初の町
少女は本当に当てがないようだった。
俺もそこまで詳しいわけではないが、コンビニで見つけた地方紙と地図で人口の多そうな町を探し、そこへ向かうことにする。
こういう時にインターネットが使えたらよいのだろうが、生憎、電気の供給はずいぶん前に止まっていた。
「自転車とか、使わないのか?」
「……使えるのは、残ってない」
「確かに」
大抵の自転車は“花”の蔓が絡みつき、一種のオブジェのようになっていた。こんな世界でなければ、芸術品として評価されたかもしれない。『植物の反抗』とか、『環境を守るために』とか。いや、自転車はエコか。
もしかしたら今回の“花”の被害は、本当に植物の反抗かもしれない。長らく地球の生態系のトップに君臨しながら、その生態系を自ら壊そうとした人間への。
“異形のモノ”は大体人間と同じ大きさだとテレビが言っていたが、俺は人間だったころより身長が伸びていた。測ったわけではないから何とも言えないが、目線の高さや歩幅から、10cmちょっと伸びたんじゃないかと思う。重い尻尾もついたし、歩きにくいことこの上ない。
昨日は頭が混乱して、熱に浮かされたように歩いていただけだったが、ある程度受け入れざるを得なくなった今は落ち着いている。つまり、歩くのを意識してしまう。俺は、一歩一歩を踏みしめなければ、大きくふらつくようになっていた。
「……大丈夫?」
「そのうち慣れるさ」
しかし、俺はそれよりも気になることがあった。
きゃらきゃら、というあの音。
歩くたびに自分の体から鳴るその音は俺が人間でなくなってしまったことの証だった。普通ならばそれほど気に障る音ではないが、こんなことになった後では、鳴れば鳴るほど「お前は人間ではないのだ」と囁かれているような気分になる。
俺はついに耐え切れなくなって口を開いた。少しでも声で音がかきけされればいいと思ったのだ。
「なあ、今までに何人の人に『大丈夫』って言ってきたんだ?」
「……14人」
「結構多いんだな」
「……場所によって、バラバラ。5人残っているところもあれば……一人も残っていないところもある」
「ふうん。基準は何なんだろうな」
「……わからない」
「君の母は?」
「……母も、教えてくれないことが、あるの」
足を踏み出す合間に投げかける内容の薄い言葉を、少女は全て拾って投げ返してくれた。ここ1,2ヶ月人と話していなかった俺は、それだけで嬉しくて仕方がなかった。
「……最初より、よくなってる」
「ん? なにが?」
「……発音。いっぱい、話したからかも」
言われてみれば。あんなにかすれてひび割れて、「声」というより「音」でしかなかった発音が、随分とましになっている。声帯の使い方がわかってきたのかもしれない。
「嬉しいことが、二つ目だ」
「……よく、聞こえなかった。……なんて?」
「なーんにも」
俺の住んでいた所がいくら田舎とはいえ、隣町まで車で2時間……なんていうほどの田舎ではない。半日ほど、いくらか休憩も挟みながら歩けば、目的の町にたどり着いた。
やはり、俺の町と同様、不気味なほどの静けさだった。
「さてさて……家の中に閉じこもってるかもしれないしな。一通り見ていくか」
「……うん」
「この町だいぶ広いからなあ。手分けするとして、どこから――」
「……待って」
少女がぴたっ、と動きを止め、じっと目を凝らす。俺も同じ方を凝視するが、視界が狭くなったため見えにくい。
「パパ! パパ! おんなのこがいるよ!」
俺は姿よりも先に声を拾った。まだ舌足らずな女の子の声。俺のことは見えていないのか、何かの残骸だと思っているのか。
「茜、悪ふざけはいい加減に……」
やがて俺の目にもその姿が映った。若いお父さんと、肩車された4,5歳の女の子だ。
「ね、ね、ほんとでしょう?」
「まさか、私たちのほかにも……」
父親の方が俺に目を止め、ひ、と押し殺した悲鳴を上げた。
「“異形のモノ”……! 君、こっちへ来なさい! 早く!」
幼い子供を肩車から降ろしておんぶし、俺の傍らにいる少女を必死の形相で呼ぶ。
少女は傍らの俺を見上げ、微かに笑って言った。
「……座って。私の言うことが、わかるんでしょう?」
ぴん、ときた俺は素直にその場に腰を下ろす。
少女はこくり、と意思が伝わったことを確認して、親子に聞こえるように、声のトーンを上げた。
「……あの2人を傷つけるつもりは、ないでしょう?」
大げさなくらい首を縦に振る。
「……建物を壊したり、動物を襲ったりも、しないよね?」
がくがく。ついでに、できるだけ綺麗に発音できるように気を付けながら「はい」と返事もしてみる。
少女は、ほんの少し考え込むしぐさを見せてから、親子に向かって、ややイタズラっぽく微笑み、俺に向かって首を傾げた。
「……踊れる?」
がくが……あれ?
頷いてしまったからには仕方あるまい。俺は“花”が広がるまで流行っていたアイドルの曲の振付をいくつか踊った。
「……見たとおり、この人は、無害です。……あなた方を傷つけるようなら、これもあります」
少女は腰のM4A1を胸の前に持ってきた。
「……よければ、話を聞いてもらえませんか?」
父親は逃げ出そうとした変な姿勢のままで固まっている。やがて、娘の、俺のダンスに対する拍手を聞いて、当惑した表情のまま、曖昧に頷いた。