1-5 君と一緒に
日が昇り始めると、“花”は彼女を覆うのをやめ、彼女を朝の光にさらした。瞼をやかれた彼女が、うっすらと目を開け、数回の瞬きの後にゆっくりと起きあがる。
「……おはよう」
「おはよう」
少女は、“花”にたまった朝露を口にし、花びらを幾枚か剥がして口に運んだ。朝食はそれが全てだった。
「……お腹、減らないの?」
「そういわれると減ってる。何が食べられるのかな」
「……たぶん、なんでも」
少女が玄関に回ってしばらくすると、縁側の窓から食べ物を抱えて出てきた。
「……食べてみて」
泥棒じゃないか、なんて考えは今更起こらなかった。供給のストップしてしまったこの町で生き残るため、俺も店や民家に入らざるを得なかったから。
俺が食べ物を腹に収めるのを見届けると、彼女は黙って銃を腰に下げ、立ち上がった。
「どこに行くんだ」
「……わからない。とりあえず、歩くの」
「目的は?」
「……人を見つけたら、死なないから、大丈夫だ、って言うの。それから、“異形のモノ”を殺してく」
「……『死なないから、大丈夫』?」
「……うん。死なない人が、いるの」
「どういうこと?」
少女はうまく説明できないのだ、というように眉を下げた。母に説明を求めているのか、小さく頷いたり、首を傾げたりしている。
「……母……“花”がくっつくと、死んじゃう人がいるの。わかる?」
「ああ、もちろん」
俺の家族も、友人も、彼女も、きっとそうだ。
「……それから、死なない人がいるの」
「もしかして……俺みたいな?」
俺は死ななかった。傷口に無理やり種を付着させただけで、皆のようには死ななかった。しかし、あれは偶然ではなかったのか。俺の粘膜が優秀すぎただけじゃなかったのか。
少女はこくり、と首を縦に振った。
「……そういう人に、“花”がくっついちゃうと――」
「俺みたいに、“異形のモノ”になる。そうだな?」
少女はまた、こくり、と頷いた。それからさらに悲しそうに眉を下げた。
「……ごめんね、ごめんね、間に合わなかったの。……大丈夫、って言うのが、間に合わなかったの」
「いいや、君のせいじゃないよ」
「……ごめんね、私が、遅かったの」
少女は、涙が出ないようだった。
今にも泣きそう――否、もう泣いているような顔をしながら、頬は全く濡れていなかった。
「……私の、役目なのに。ごめんね」
幾度も幾度も謝り続ける少女に、俺は頭を撫でようと手を伸ばした。しかし、鋭い鱗が、棘が、爪が、否が応にも目に入る。俺はため息をついて中途半端に伸びた手を振った。
きゃらきゃら、と硝子のような軽い音。少女は泣いている顔を、少しだけゆるめた。
「大丈夫だよ。俺は大丈夫」
大丈夫、と何度も繰り返すと、少女は最後に小さく「……ごめんなさい」と囁いて、口をつぐんだ。
「もう、行かないとな。間に合わないと困るんだろ?」
「……うん。まだ、間に合う人が、いるかもしれない」
「そうだな」
少女は、心配そうに俺をみつめ、やがて振り切るように、2,3度足踏みをした。
「……もう、行くね」
「そうだなぁ、次はどこに行こうか」
「……え?」
「君は、どこに行きたい?」
「……ついて、くるの?」
「だめ? なんにもできないんだ。君がいなきゃ、なにもできない」
少女は母、と初めて声に出して彼女の母を呼んだ。
「……この人に、来てほしい。……だめ?」
いくつかの“花”が顔を見合わせるように動いた。心なしか、蔓や葉もざわざわしているように感じる。
やはり、彼女の敵……排除する対象である“異形のモノ”に戸惑っているのだろうか。“花”にとって俺のような者が生まれるのは計算内のことではなかったのか。
やがて一つの“花”が彼女の耳元で花びらを揺らした。彼女はぱっ、と表情を明るくした後、少しうつむいて、眉をひそめる。そして、俺に恐る恐る、といった風に尋ねた。
「……しばらくは、いいって。しばらくで、いい?」
「ふむ……ずっといられるように頑張るよ。君の母に気に入られなきゃ」
少女はちょっとだけ目を見開き、それから、嬉しそうに笑った。
「……空が、綺麗だよ」
「夜と違って透明だ」
「……青い、透明だね」
こうして、俺は、青い透明の中で、少女と歩き始めた。
第一章が終了しました。 ここまで読んでくださった方に心からお礼申し上げます。