1-4 “花”の役割
とある民家の一階部。少女は縁側に座り、俺は庭に座った。家の中に入ると、硬くて大きな足が床を踏み抜いてしまうかもしれなかった。相対的に少女を見上げる形になる。
「……話して。聞くから……わかるから」
少女は感情の読み取りにくい表情のまま、俺をみおろした。
「あの……」
話そうとして、自分の口から洩れるひび割れた声にひるむ。口を開いたり閉じたりして、やっぱり発声するのが怖くて下を向いた。
「……『あの』、なに? 続き」
「え? 聞き取れる、の?」
「……うん」
それからは、もう、止まらなかった。
“花”の発生から起こったこと。家族や、彼女のこと。自分でわざと“花”を咲かせたこと。激痛と共に、この姿になったこと。
微に入り細に入り、話は外が暗くなるまで続いた。
「あ、火とか焚く?」
この姿になってから暑さ寒さもよくわからないが、少女にとっては外は暗く、寒いものかもしれない。しかし、少女は首を横に振った。そして、微かに笑う。
「……“異形のモノ”の姿をした人に、火の心配をされるなんて。不思議」
そうして、幾度かためらって、言葉をつづけた。
「……母が、嫌がるから、いらない」
「母? でも、君のほかには誰も……」
「……いるよ」
少女がトントン、と“花”を指先で叩いた。
「……さっき、聞き取れる、って言ったよね? ……あなたの声がわかる、って」
「そう、だね。びっくりしたよ。自分でも聞き取れるような声じゃないから」
「……わかる部分も、あるんだけど。聞き取れないところは、カバーしてもらってる」
少女は左耳のそばに咲いている“花”を指した。
「“花”と話せるの?」
「……うん。それだけじゃない」
驚かないで、と前置きして、少女はそばにある“花”の花びらを一枚、指先でそっ、とはぎ取った。
そのまま、それを口に運ぶ。
幾度か咀嚼して、こくり、と飲み込んだ。
「へ?」
間の抜けた声、というか音が出る。
「……これが、私の食事」
「え、でも、あの」
「……これ以外、受け付けない」
「君は、人間じゃないの?」
初めて現れたときからおかしいとは感じていた。世界の人口が半分以下になるような世界で、こんな少女が何の対策もなく外を歩いて、未だに生きている方がおかしい。
それに、少女に呼応するようにざわめいていた“花”。染めているにしてはあまりにも自然な薄紫色の髪。
「……いいえ、人間よ。あなたと同じ、少しずれてしまった、まぎれもない人間」
「君は“花”から生まれてきた、まるで“花”の化身のように見える」
「……あながち、外れじゃない。見たでしょう?」
「なにを?」
「……母……あなた達が“花”と呼んでる植物が、私を守ろうとするのを」
「あ、ああ」
少女に撃たれそうになったとき、左右の花が彼女を守るように伸びてきたのは記憶に新しい。
「……“花”はね、私を育ててくれた母であり、私が生き延びるための食糧であり、私を守る騎士なの」
そうして少女は、少女自身の身の上を話し始めた。
「……私も、母から聞いた話だから、確証はないんだけど……。私の母――生みの母親――は“花”が寄生した状態で、私を生んだ」
「え、でもそれじゃあ……」
「……うん。私を生んで半日もしないうちに命を落とした。……それからは“花”が、私の母として、私を育てたの。
……花びらを糧にして、“花”の露をミルク代わりに。だから、普通の人間の食べ物は、受け付けない。……どうしても吐いちゃって」
少女は弱々しく笑った。そして、傍らに置いてあった銃、M4A1を手に取り、愛おしげに撫でる。
「……10歳のとき――母が言うには、だけど――私はこれを手に入れた。母が持ってきてくれたの。
……それから、私は外に出た。生まれてから一度も出ていなかった病院の外に」
「待てよ、10歳? “花”が咲き始めてから、まだ1年も経ってないぞ?」
「……母?」
少女は、小さく首を傾げ、傍らの彼女の母に問いかけた。数十秒の間があり、少女が口を開く。
「……1ヶ月で3歳。15歳くらいまで成長したら止まる、みたい」
「君は、いくつなの?」
また数秒おいて、少女が尋ね、返事がくる。
「……15歳。もう、止まってるね」
ひと月で3歳も人は成長するものなのだろうか。
15歳になると成長を止められるものなのだろうか。
疑問はいくらでもわいてくる。だが、この薄紫の少女には、なにがあっても不思議ではない気もする。
少女は空を見上げる。つられて俺も頭上を向いて、息をのんだ。
「空、こんなにきれいだったのか」
「……初めて外に出たとき、私も同じことを思った」
くすり、と小さな笑い声をもらし、少女は簡潔にしめくくった。
「……それからは、ずっとこの世界を歩いてる。母に言われたら、あなたと同じ姿の“異形のモノ”を殺したり、しながら」
「俺のほかに、この姿のやつに会ったことがあるの?」
「……そうね、たぶん5,6体は会った。……みんな、もう、人間の脳は残ってなかったけど」
そこまで話すと、少女は縁側にごろん、と横になった。
「……眠たくなっちゃった。続きは明日でもいい?」
「明日まで、俺……生きてるのかな」
「……大丈夫。母が殺さなくていいって、言ったもの」
「そう。……おやすみ」
「……おやすみなさい」
少女は吸い込まれるように唐突に眠りに落ちた。
彼女を寒さから守るように、夜露から守るように、“花”が彼女を覆う。
眠気を覚えなくなった俺は、ただぼんやりと、空を見上げていた。
急にいろんなことが起こりすぎて脳がついていっていない。
“花”が世界にはびこり始めてから8ヶ月。
俺が、“花”に寄生されて、“異形のモノ”になった。
目の前に現れた少女は、“花”に育てられた人間だった。“花”を日々の糧とし、“花”に守られた人間だった。
ふと気になって彼女に手を――爪を――のばすと、足元の“花”が威嚇するように俺の足に絡みついた。
“花”でも愛情を感じるのかと、そんなことを思った。