1-2 変化は痛みと共に
「が……っ」
右肩の刺すような痛みに飛び起きた。“花”は既に蕾になっている。どれほど寝ていたのか分からない。時刻は夕方。一時間かもしれないし、丸一日寝ていたのかもしれない。
意識が覚醒しようとした途端、頭に激痛を感じた。
「ぐ……うああああああああ!」
叫ばずにいられない。上も下もわからない。脳みそを鋭い刃物でぐちゃぐちゃにされるような痛み。有刺鉄線で何重にも縛って、引き絞られるような痛み。
「あああああああああ!」
頭に共鳴したのかなんなのか背中も痛み始める。脊椎とか関係あるのか。初めに右肩に感じた痛みはさらに鋭くなってくる。骨がバキバキ、となる音がした気がした。もう何もわからない。とにかく痛い痛い痛い!
もういっそ殺してくれ、と願いながら、あまりの痛みに気を失った。
次に気が付いたときは、まず日の光が目に飛び込んできた。どうやら、気絶したまま一夜を過ごしたらしい。
……どうも視界が狭い。その割に、日光がまぶしくてめまいがする。体が重い。手をついて立ち上がろうとすると、きゃらきゃら、と軽い音がした。
「……あ?」
思わず声が出た。いや、出したはずだった。しかし俺の耳に届いたのは、「……が」というひび割れた音だけで、俺の声なんかどこにもなかった。
否、そうじゃない。それどころじゃない。
俺の手が。取り立てて綺麗な形でもなかったけど、気絶する前までは確かに人間の手だったはずの俺の手が。
一回りも二回りも大きくなった俺の手は、細かな鱗に覆われていた。魚よりは大きな鈍色の鱗で、とがった先が照明に鈍く反射している。その鱗が、幾重にも俺の手を覆っていた。一番上の層の鱗には、細かなとげも生えている。この鱗がこすれあって、きゃらきゃら、と音を立てたようだった。
指――もう指とは呼べないかもしれないが――の先には鋭く、大きな爪。小さな獣なら、一撃で屠れるような。
手を目の前まで持ってきて、じっくり確認していると、突然、視界の狭さが怖くなった。
寝起きでまだ日の光を眩しく感じているだけだと思っていたが……異変をきたしたのが手だけじゃなかったら?
慌てて立ち上がると、バキ、と木の割れる音がした。恐る恐る視線を下げると、ヒビの入った床と、鱗に覆われ、大きな、手よりも大きな爪のついた足があった。
やたら尻が重い、と後ろを除くと、床に垂れ下がった、これもまた、鱗に覆われた尻尾が見えた。
事態を理解できなくて、俺は逆に冷静に洗面台へ向かった。こんな訳の分からないことを脳が受け入れるのを拒否したのかもしれない。
床を割らないように、なんてズレたことを考えながら洗面所まで歩いて鏡に姿を映し、俺は戦慄した。
犬のように伸びた鼻先はやっぱり鈍色に光っている。
口を開けると、ズラリと並んだ三角形の歯と、とりわけ鋭い四本の犬歯がわかる。
口を閉じてよく見れば、目は「人間だった」頃よりずいぶんと小さく、吊り上って、奥の方に引っ込んでいた。動くたびにきゃらきゃら、と硝子にも似た軽い音が鳴る。
「おいおい、何だよこれ……」
そういったはずだ。だが、どこにあるのか鏡では確認できない俺の耳は、かすれて聞き取れない唸り声を拾っただけだった。声帯もぶっ壊れたみたいだった。
テレビで見たことがある。“花”の被害から少し遅れて現れた“異形のモノ”だ。
どこからやってきたのかも不明、なんの生物が変化したものなのかも不明。大体人と同じ大きさをしていて、その町に残った建物を破壊し、動物や人間を襲う。
調査しようにも、科学者や生物学者はとっくに“花”の餌食になっていて、かろうじて2,3体が民間人によって倒されただけだと聞いている。
そのとき、テレビの画面に映っていた“異形のモノ”と、今の俺は、同じ姿をしている。
俺は、今までの“異形のモノ”も、こうやって現れたのかな、なんてぼんやりと鏡の中の目を見つめ返した。
ふと、右肩を鏡に映すと、鱗の上に蔓が幾重にも巻きつき、咲いた“花”が棘で腕に縫いとめられていた。まるでこういうデザインの腕輪をつけているようだ。
「お前のせいなんだろ」
声にならない声でつぶやき、“花”にぺっ、と唾を吐きかける。“花”は当然のごとく沈黙したままだった。
吐いた唾が以前と同じように無色透明であることに、ほんの少し安堵し、俺はその場に座り込んだ。
もう一度眠りたかった。
誰かに、「これは夢だ」と教えてほしかった。