表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ラブソングス

男爵令嬢は「あなたは恵まれてるんですから、これくらいは我慢すべきです!」と侯爵令嬢に言った

作者: 間咲正樹

「ほら、ジーナ」

「わあい、ありがとうございます、お父様! うぅ〜ん、美味しい〜」


 あれは私が8歳の時。

 市場を歩いていた私は、お父様に買っていただいたクレープを頬張り、幸せを噛み締めていた。


「……うっ」

「――!」


 その時だった。

 私の前方で、私と同い年くらいの痩せこけた少年が、糸が切れた操り人形みたいに、ドサリと倒れた。


「あなた! 大丈夫!?」


 私は少年に駆け寄る。


「お嬢様! いけません! そんな小汚い浮浪児、どんな病気を持っているか!」

「でも、放っておけないわ!」

「お嬢様……」


 侍女の制止を無視して、私は少年を抱きかかえた。


「しっかりして! 意識はある!?」

「お……お腹……空いた……」

「!」


 少年は色のない瞳で虚空を見つめながら、そう呟いた。


「じゃあ、これを食べなさい」

「っ!」


 クレープを差し出すと、少年はそれを無我夢中で食べ始めた。


「む!? むぐ!?」


 が、慌てて食べたせいで、むせてしまったらしい。


「ふふ、クレープは逃げないから、ゆっくり食べなさい」


 私は少年の背中をさする。


「あ……ありが……とう……」


 少年は頬を赤らめながら、ペコリと頭を下げた。


「どういたしまして。あなた、ご両親は?」

「……父さんは生まれた時からいなかった。……母さんは半年前に、病気で死んだ」

「……そう」


 私と歳の変わらないこの少年は、この歳で既に天涯孤独の身なのだ。

 そう思うと、私の中で何かが熱く燃え上がる感覚がした。


「お父様! お願いがあるのです!」

「ん、何だい、ジーナ」

「この子を、我が家で雇ってあげてほしいのです!」

「なっ!? お嬢様、いけません! 由緒あるサリヴァン侯爵家に、こんな浮浪児の居場所はありませんよ!」

「まあ待て」

「だ、旦那様……」


 激高する侍女を、お父様が制する。


「ジーナ、何故お前は、この少年を助けようと思ったんだい?」

「はい、それは――これこそが、ノブレス・オブリージュだと思ったからです」


 私はお父様を、真っ直ぐに見据える。


「お父様はいつも、『高い地位には義務が伴う』と仰ってますよね? ここでこの少年に救いの手を差し伸べることこそが、高位貴族令嬢としての、私の義務ですわ」

「……なるほど。うん、これは()()()()()()()()()()()。お前の要望通り、その少年をうちで雇うことにしよう」

「だ、旦那様!?」

「わあ、ありがとうございます、お父様! あなた、お名前は?」


 少年に尋ねる。


「あ、セイン・ターナー、です」

「セイン! いい名前ね。私はジーナ・サリヴァン。セインには、今日から我が家で働いてもらいたいのだけれど、いいかしら?」

「あ、はい! 精一杯頑張ります、お、お嬢様!」

「ふふ、よろしくね」


 これがセインとの出会いだった――。




 ――そして月日は流れ、私が16歳の時。


「お嬢様、本日のお茶請けはスフレチーズケーキでございます」

「まあ、とっても美味しそう」


 今では私の専属執事になったセインは、毎日私に淹れたての紅茶と共に、手作りのスイーツを振る舞ってくれていた。

 今日のスフレチーズケーキもふわふわで、チーズの香ばしい匂いが私の鼻孔をくすぐる。

 我が家に来たばかりの頃は、浮浪児時代の癖がなかなか抜けず、主にマナー面で侍女にたびたび叱責されていたセインだけれど、今では侍女も一目置くくらいの、洗練された所作を身につけていた。

 それだけセインが血の滲むような努力を重ねたということなので、それを想像すると、私の胸は熱くなった。


「ジーナ、ちょっと来てくれないか。大事な話がある」

「? はい、お父様」


 その時だった。

 お父様が神妙な顔をしながら、私に声を掛けられた。

 いったい何のお話かしら?




「やっとお前の婚約者が決まった」

「「――!」」


 一枚の釣書を差し出しながら、お父様がそう仰った。

 こ、婚約、者……。

 ……そうよね、私ももう16だもの。

 そろそろそういう歳よね……。

 私の隣に立っているセインから、ゴクリと息を吞む気配がした。

 私の座っている位置からだと、セインの表情は見えない。


「左様でございますか。拝見しますわ」


 釣書を手に取って開くと、そこにはハーヴェイ侯爵家の嫡男、ドイル様のお名前が記されていた。

 ああ、ドイル様でしたら、家格的にも相応ね。

 ドイル様は私と同じく、王立貴族学園に通っている同い年の好青年だ。

 人当たりもよく、誰に対しても優しい博愛主義者なので、ドイル様と夫婦になるなら、きっと誰でも幸せになれることだろう。


「……お嬢様、おめでとうございます」


 そう言って私に軽く頭を下げたセインの顔が、一瞬泣いているようにも見えたのは、気のせいかしら……。




 ――そして更に月日は流れ、私は18歳。

 貴族学園の最高学年になった。


「ジーナは今日は、何を食べる?」

「そうですねえ」


 お昼休み、貴族学園の食堂に着いた私は、婚約者のドイル様からそう訊かれ、顎に手を当てながら思案する。

 この食堂では都度料金を支払うシステムになっているのだけれど、非常にメニューが豊富なので、いつも悩んでしまう。


「お嬢様、本日は真鯛のポワレ定食がオススメです。今朝方料理長が、新鮮な真鯛を仕入れたと仰ってましたので」


 私の隣に立っているセインが、そう助言してくれた。


「あら、そうなの、じゃあそれにしようかしら。いつもありがとうね、セイン」

「滅相もございません」


 セインが慇懃に頭を下げる。

 セインはこうして、学園内でも常に私の世話をしてくれているのだ。

 本来なら平民であるセインは、この貴族学園に通う資格はないのだけれど、私の専属執事ということで、特例で生徒にしてもらっている。


「いやあ、相変わらずセインの献身には頭が下がるね」


 ドイル様がニコニコしながら、セインの肩に手を置く。


「……これが私の仕事ですので」


 だがセインはドイル様から、そっと目を逸らした。

 いつもながらセインは、ドイル様には塩対応ね……。


「あら?」


 その時だった。

 食堂の端でポツンと一人で黒パンを齧っている、ピンクブロンドの令嬢が私の目に入った。

 あの人は確か……最近隣のクラスに転校してきた、男爵令嬢のメアリーさん。


「ごきげんよう、メアリーさん」

「っ!?」


 私はメアリーさんに近寄り、声を掛けた。

 突然声を掛けられたことが余程意外だったのか、メアリーさんは大きく目を見開いた。


「私はジーナ・サリヴァンと申しますわ」

「えっ!? あ、あの高名な侯爵家の!? こ、これは恐縮です! 私みたいな下位貴族にお声を掛けてくださって!」


 メアリーさんはあわあわしながら、私に何度も頭を下げている。


「うふふ、そんなに畏まらないでくださいな。――ところでメアリーさん、失礼ですが、お食事はそれだけなのですか?」


 メアリーさんの手元には、小さな黒パンが一つしかない。

 他に食器も見当たらないし、育ち盛りの若者のお昼ご飯が黒パン一つというのは、どう考えても異様だ。


「あ、はい……。実は私の家は貴族とは名ばかりの、没落寸前の男爵家なので、とてもここの高級な食事は手が出ないんです……」


 メアリーさんは眉毛をへにゃっと曲げ、苦笑いする。

 確かにこの食堂は貴族の生徒向けだけあって、値段が文字通り桁違いだ。

 メアリーさんの立場だったら、黒パンを一つ買うくらいがやっとなのかもしれない……。

 ――この瞬間、メアリーさんの姿が初めて会った時のセインと重なり、私の中で何かが熱く燃え上がる感覚がした。


「なるほど、ではちょうどよかった。私も今から昼食なんです。ご一緒してもよろしいかしら?」

「え? ああ、はい! 私なんかで、よろしければ……」

「うふふ、ありがとう。セイン、メアリーさんの分も、真鯛のポワレ定食を買ってきてくれる?」

「……承知いたしました、お嬢様」

「えっ!? そ、そんな! 悪いですよ、ジーナ様!」

「いいのよメアリーさん。――これが私の、ノブレス・オブリージュだから」

「――! ……ジーナ様」


 メアリーさんは神々しいものでも目にしたように、ウットリした。


「ふふ、流石だねジーナ。婚約者として、僕は誇らしいよ」


 ドイル様がニコニコしながら、私の肩に手を置く。

 うふふ、私のほうこそ、そう言っていただけるのは誇らしいですわ。


「僕の名前はドイル・ハーヴェイ。よろしくね、メアリー」


 ドイル様がメアリーさんに手を差し出し、握手を求める。


「あ、メアリー・クレイトン、です! よ、よろしくお願いいたします、ドイル様!」


 メアリーさんは真っ赤になりながら、ドイル様の握手に応じた。

 ――こうしてこの日私に、新しいお友達が出来たのだった。




「ジーナは今日は、何を食べる?」

「そうですねえ」


 あれから1週間。

 今日も食堂に着いた私はドイル様からそう訊かれ、顎に手を当てながら思案する。


「ジーナ様、私は今日は、牛フィレ肉のステーキ定食が食べたいです!」

「え?」


 その時だった。

 メアリーさんが満面の笑みでそう言ってきた。


「あ、ああ、いいわね、私もそれにしようかしら」


 あの日以来、メアリーさんの昼食代は、いつも私が出すことにしているのだ。


「……メアリー様、お言葉ですが、あくまでお嬢様はご厚意で、あなた様に昼食を振る舞ってくださっているのです。それだというのに、自分からメニューをねだるなど、いささか礼を失する行いではないでしょうか? まして牛フィレ肉のステーキ定食は、一番高価なメニューではありませんか」

「――!」


 だが、そんなメアリーさんに対して、セインの厳しい言葉が飛んだ。


「あ、そ、そうですよね……。ゴメンなさい私、調子に乗っちゃって……」

「まあまあセイン。そう固いこと言わずに。これがジーナのノブレス・オブリージュなんだから。ジーナの専属執事である君が、それを尊重してあげなくてどうするんだい? 君だって昔、ジーナに拾ってもらった身なんだろう?」


 ドイル様がニコニコしながら、セインの肩に手を置く。


「……くっ」


 だがそんなドイル様に対して、セインは苦虫を嚙み潰したような顔をしている。

 ……セイン。


「ね? ジーナもそう思うだろう? ノブレス・オブリージュだもんね?」

「え? え、ええ、そうですね。……セイン、私も牛フィレ肉のステーキ定食にするから、()()()買ってきてくれる?」

「……承知いたしました、お嬢様」


 珍しくカツカツと足音を立てながら離れて行くセイン。

 そんなセインの背中を見つめていたら、私の中で小さな染みみたいなものが、じわじわと広がっていくような感覚がした――。




「わぁ~、スッゴイ綺麗ですね、ジーナ様!」

「うふふ、そうね」


 あれから数ヶ月。

 今日は私とセインとドイル様とメアリーさんの四人で、クリスマスマーケットに来ていた。

 数々の装飾品で彩られたマーケットは圧巻の一言で、まるで別世界みたいだ。

 歩いているだけで、心が踊る。


「ふふ、メアリーは本当に、キラキラしたものが好きだよね」

「はい、大好きです! だってキラキラしたものを身につけてると、それだけで勇気が湧いてくるじゃないですか!」


 メアリーさんは子どもみたいにはしゃぎながら、そう力説する。

 なるほど、勇気、か……。

 うん、私にはあまりない感覚だけれど、言われてみれば、確かにそういう一面もあるかもしれないわね。


「あ、これなんか、とっても可愛い~」


 と、メアリーさんが指を差したのは、とある露店に売っていた、数々の宝石がふんだんにあしらわれたブレスレットだった。


「おお、お嬢ちゃんお目が高いね。このブレスレットはうちの目玉商品でね、本来なら15万サクルするところを、今回だけの特別出血大サービスで、10万サクルぽっきりだ! どうだい?」


 チョビ髭の露店商が、手をパンと叩きながらメアリーさんを煽る。

 10万サクルといえば、平民の1ヶ月分の収入に相当する。

 こういった庶民向けの露店で売っているものの割には、いささか高価ね。


「わあ! それってとってもお得ですね! ジーナ様、これ、()()()()()()!」

「……え?」


 メアリーさんが満面の笑みで、そう提案してきた。


「ちょうど2本ありますから、2本買って私とジーナ様で、お揃いにしましょうよ! 記念になりますし!」


 今までの傾向からして、この2本のブレスレットの代金を払うのは私ということなのだろう。

 ……でも、いくら何でも10万サクルは払いすぎじゃないかしら。


「メアリー様! いい加減になさってくださいッ!」

「「「――!!」」」


 その時だった。

 珍しく声を荒げたセインが、メアリーさんに喰って掛かった。


「そうやっていつもいつもお嬢様にたかって、恥ずかしくはないのですか!? お嬢様はあなた様の都合のいい銀行じゃないんです。どうしてもそのブレスレットが欲しいと仰るのでしたら、どうぞご自分でお買い求めください」


 ……セイン。


「な、何よッ! 平民のクセに貴族である私に盾突くなんて、イイ度胸じゃない!?」

「「「っ!?」」」


 今度はメアリーさんの態度が急変した。


「いい? 私は一度だって、ジーナ様に金品を()()したことはないわ。あくまでジーナ様が、()()()()私に恵んでくださってるに過ぎないのよ。――これがジーナ様の、()()()()()()()()()()()()()()

「くっ……!」


 奥歯を嚙みしめながら、メアリーさんを睨みつけるセイン。

 ――ノブレス・オブリージュ。

 その単語が、何度も私の頭の中で反響した。


「うんうん、メアリーの言う通りだね。ここでメアリーを見捨てるような、()()()()()()()()()()()、ジーナは?」

「ドイル様……」


 ドイル様がニコニコしながら、私の肩に手を置く。


「10万サクルくらい、高位貴族(僕ら)にとってははした金じゃないか。君のノブレス・オブリージュのためにも、ここはメアリーにブレスレットをプレゼントするべきだと、僕も思うよ」

「わあい! 流石ドイル様! 大好きです!」


 メアリーさんがドイル様に抱きつく。


「ふふふ、君は本当に可愛いね、メアリー」

「えへへへー」


 そんなメアリーさんの頭を、ドイル様は愛おしそうに撫でる。

 あ、あぁ……。


「なっ!? お二人とも、何をなさっているのですか!? ドイル様は、お嬢様の婚約者なのですよ!」

「オイオイ、セイン、このくらい、ただのスキンシップじゃないか。ジーナはこんなことくらいで怒るような、狭量な女じゃないよ。そうだよね、ジーナ?」

「そうですよね、ジーナ様!」

「……!」


 二人が屈託のない笑顔で、私を見つめる。

 そ、そうよ……。

 私は誇りあるサリヴァン侯爵家の娘……。

 ここで怒ったら、ノブレス・オブリージュが為せなくなってしまう……。


「……ええ、問題ないわ。……セイン、私とメアリーさんの()()()、ブレスレットを買ってきて」

「お嬢様……! …………承知いたしました」


 セインは無念を嚙み殺したような顔をしながら、ブレスレットを二つ、手に取った。




 そして訪れた、私たちの貴族学園卒業パーティー当日。


「……ドイル様、遅いですね」

「……そうね」


 私とセインはパーティー会場の入口で、かれこれ30分以上ドイル様を待っていた。

 この卒業パーティーでは、婚約者がいる女子生徒は、婚約者にエスコートしてもらうのが通例になっているので、ドイル様が来てくださらないと、私は入場できない。

 メアリーさんの姿も見当たらないし、いったいどこで何をしてるのかしら……。


「やあ、ジーナ、待たせたね」

「っ! ドイル……様……?」


 その時だった。

 やっと現れたドイル様は――()()()()()()()()()()()()していた。

 ――なっ!?


「ドイル様ッ! どういうことですか、それはッ!?」


 セインの怒号が飛ぶ。


「どうもこうも、見ての通りだよ。――ジーナ、君には申し訳ないけど、僕は君よりもメアリーのことを愛してしまったんだ。だから君との婚約は、今この時をもって破棄させてもらうよ」

「「――!!」」


 あ、あぁ……、そんな……。


「えへへー、そういうことです、ジーナ様! でも、別に構いませんよね? ジーナ様は恵まれてるんですから、これくらいは我慢すべきなんです! これこそが、ノブレス・オブリージュなんですから」


 メアリーさんが無邪気な笑顔でそう言う。

 ――ノブレス・オブリージュ。

 ――ノブレス・オブリージュ。

 ――これが、ノブレス・オブリージュ、なの……?


「……うっ!」

「お嬢様!」


 遂には涙が(こら)えきれなくなった私は、この場から逃げ出した――。




「う、うううぅ……!」


 そして人気のない、暗い中庭まで来た私は、声を押し殺して泣いた。


「……お嬢様」

「……セイン」


 そんな私に、包み込むような表情のセインが声を掛けてくれる。

 私にはセインが、救世主(メシア)様に見えた――。


「……まだ夜は冷えます。私のもので恐縮ですが、これを」


 そしてセインは自らの上着を脱ぎ、そっと私の肩にかけてくれたのだった。

 ――この瞬間、私の中で何かが弾けた。


「あ、あああああああ……!! セイン……!!」


 私はセインの胸に飛び込んで、幼子のように泣いた。


「私は……もうわからないわ……! 何が正しいのか……! 何が、ノブレス・オブリージュなのか……! 私は――どこで間違ったのかしら」

「――! お嬢様……!!」

「セ、セイン……!?」


 その時だった。

 セインにギュッと、強く抱きしめられた。

 セ、セセセセセセイン!?

 すっかり大人の男に成長したセインの逞しい腕に抱きしめられていると、私の胸が自分のものじゃないみたいに高鳴った――。


「――お嬢様は何も間違ってはいません。少なくともあの日お嬢様が私に手を差し伸べてくださらなかったら、私は野垂れ死んでいたでしょう」

「……セイン」

「……ですが、世の中にはそんな優しさに付け込む、悪魔のような人間もいるのも、また事実です」

「――!」


 ……悪魔。

 そうか、私がセインを雇ってくださいと懇願したあの日、お父様が「いい機会かもしれない」と仰っていた意味が、やっとわかった。

 お父様は私に、優しくするだけがノブレス・オブリージュではないということを教えるために、敢えて私の好きにさせたのだわ。

 ……いつかこうして、私が痛い目を見ることを見越して。

 ひょっとしたらお父様も、若い頃に私と似たような経験をされたのかもしれないわね……。


「……でも、これだけは覚えておいてください」

「……?」


 セイン……?


「――私だけは何があろうと、死ぬまでお嬢様の味方ですから」

「――!」


 セインが耳元で甘く囁くものだから、私の全身は、一瞬で燃えるように熱くなったのだった――。




 ――そして月日は流れ、あれから半年が経った。

 あの後、私とドイル様の婚約は正式に破棄され、ドイル様はメアリーさんと結婚したらしい。

 私はあれ以来二人には一切会っていないので、それも風の噂で聞いたのだけれど……。


「……ふぅ」


 私は自室で一人、本を読んでいた。

 でも、どうにも目が滑り、内容が頭に入ってこない。


「お嬢様、今、よろしいでしょうか?」

「……?」


 その時だった。

 ノック音と共に、セインの声が扉の向こうから響いてきた。


「ええ、どうかした?」

「失礼いたします」


 いつも通り慇懃に頭を下げてから入室して来たセインだけれど、どこか違和感があった。

 若干緊張しているとでもいうか……。


「何かあったの?」


 私は本に栞を挟んで立ち上がり、セインと向き合う。


「……はい。実は本日はお嬢様に、大事なご報告が二つあるのです」

「?」


 大事な……報告?


「そう、じゃあ、順に聞かせてちょうだい」

「はい……。一つ目なのですが――つい先日、()()()()()()()()()()そうです」

「……なっ!?」


 た、逮捕……!?

 ドイル様が……!?


「いったいどういうことなの……?」

「それが……、何でもドイル様は、()()()()()()()()()()()()していたそうなのです」

「――!!」


 そんな――!


「……どうやらドイル様には嗜虐癖があったらしく、メアリー様を地下室に監禁し、毎晩執拗に全身を殴るといった、拷問紛いのことを繰り返していたそうなのです」

「……」


 あんなに優しそうだったドイル様に、そんな一面が――!

 つまりもしあのまま私がドイル様と結婚していたら、私もそうなっていたということ……!?

 そう考えた途端、背中にブルリと悪寒が走った――。


「ですが、遂に見かねた使用人の一人が警察に密告し、ドイル様の逮捕に踏み切ったとのことです。警察が地下室に突入した際、手足が鎖に繋がれたメアリー様のお顔は、殴られた痕でほとんど原型がなくなっており、まるで死んだみたいにぐったりしていたそうです。――メアリー様は現在入院中ですが、意識不明の重体だそうです」

「…………そう」


 何という皮肉なのかしら……。

 私からドイル様を奪っていなければ、メアリーさんは今頃、慎ましいながらも、健康な生活が送れていたのに……。


「……なるほど、わかったわ。それで? もう一つの報告というのは?」

「……はい」

「っ!」


 その時だった。

 おもむろにセインがその場で、片膝をついた。

 セ、セイン!?


「このたび私は、イングラム伯爵家の養子にしていただけることになりました」


 なっ!?

 イングラム伯爵家は我が家の親戚に当たる家で、セインが若い頃に、執事修行の一環で一時期居候していたところだ。

 イングラム伯爵はセインのことを大層気に入っており、子どもがいなかった伯爵は、セインを跡取りにしたいとずっと言っていたのだけれど、そう、遂に実現したのね……。


「おめでとう、セイン。これでセインも、正式に貴族の仲間入りね」


 セインの長年の努力が報われて、本当によかったわ……。


「ありがとうございます。これで私もやっと、旦那様から許可をいただけました」

「?」


 許可?

 何の?


「――お嬢様に、()()()()()()()許可をです」

「――!!?」


 この瞬間、火をつけられたみたいに、私の顔がカッと熱くなった。


「――お嬢様、私はお嬢様に拾っていただいたあの日からずっと、お嬢様のことをお慕いしておりました」

「……セイン」


 セインは潤んだ瞳を向けながら、私に左手を差し出してきた。

 ――セインと出逢ってから今日までの思い出が、私の頭の中を駆け巡る。


 ――いつも私に、美味しい紅茶とお菓子を届けてくれたセイン。

 ――雷が怖くて寝付けなかった私の手を、朝まで握っていてくれたセイン。

 ――そしていつでも隣で、静かに私を見守ってくれていたセイン。


 嗚呼、私もやっと確信した――。

 ――私も、セインのことが。


「――私も、セインが好きよ」

「――!! お嬢様……」


 私はセインの左手に、自分の右手をそっと重ねたのだった。


「だから私を、セインのお嫁さんにしてちょうだい」

「はい――! 私が必ずお嬢様を――いえ、ジーナ様を幸せにします」

「ふふ」


 その約束は、もう果たされてるわ。

 ――だって私の心はこんなにも、幸せで満ち溢れているんだもの。



拙作、『12歳の侯爵令息からプロポーズされたので、諦めさせるために到底達成できない条件を3つも出したら、6年後全部達成してきた!?』がcomic スピラ様より2025年10月16日に発売された『一途に溺愛されて、幸せを掴み取ってみせますわ!異世界アンソロジーコミック 11巻』に収録されています。

よろしければそちらもご高覧ください。⬇⬇(ページ下部のバナーから作品にとべます)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バナー
― 新着の感想 ―
多分ドイルはジーナと結婚してたらジーナには暴力も監禁もしなかったと思う。 ジーナの実家も対等な侯爵家だし家族とも良好な関係だし、暴力や監禁してジーナが社交に出なかったら不審に思われるし、暴力がバレたり…
超よかったです! 忠義者って美しいですわ! たまらんかったです!
ジーナとセインが末永く幸せなら、これでいいのだ! 個人的に、欲しがり系の女はゴ●ブリのほうが可愛く見えるほど大嫌いなので、ダルマにされなくて良かったネ!としか思わないッス。  (↑ JS~JC時代に…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ