表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫が鼠を知る  作者: シアン サッカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/8

通知

メッセージの通知音が、静かな部屋に震えた。


菜月からの「もうすぐ着く」というそっけない一文。


真琴は母の香織と並んでスナック菓子をつまんでいた。


「へえ…アイスね」


香織はうっすらと笑った。


娘は昔から友達付き合いとは無縁で、社交にも興味がなかった。


本を読み、猫と遊び、あるいは一日の予定を細かく書き込む。


そんな生活の中で、今日は珍しく違う行動をとった。


それだけで祝いたくなるほどだった。


「そう言ってたよ。多分、誰といたかも分かるけど…まあいいや。母さん、その“陰謀めいた喋り方”やめてくれない?」


と真琴。


「何言ってるのよ。菜月が誰かと出かけて、外の世界を知って、 人と 関わってるのよ! あの子が!


あの療法、本当に効いてきたんじゃない?」


香織は興奮して部屋を行ったり来たりし、突然ぴたりと動きを止めた。


目を大きく開き、真琴を覗き込む。


彼はスナックを飲み込み、息を整えた。


「ちょっと…」香織は身を乗り出す。「“誰といたか分かる”って言ったわよね。まさか男の子?」


疑うような視線。


「違う違う。女の子。新井遥さん。あの日、名前を聞いた」


真琴は降参のポーズをとった。


「ふむ…その子とも話してみるべきかしら…」


香織は席に戻り、腕を組む。


「誰と? 菜月と? それとも新井さん?」


「その新井さんと連絡取るの、悪くないんじゃない?」


「ああ…」


真琴は心の中で、新井遥に深く謝罪した。


まだ会ったこともないのに。


「さ、つまみはここまで。今日はお父さん


が帰ってくるし、菜月のお祝いに特別な夕飯を作らないと」


香織は立ち上がった。


チョコの味がまだ舌に残っていた。


わずかで、けれど印象に残る甘さ。


森菜月は家に入る前、夜の空をちらりと見上げた。


そしてスマホを確認する。


新しく増えた名前が光っていた。


「遥」


画面を開き、短い文を打ち、送信。


ほぼ同時に既読がつき、菜月はわずかに鼻を鳴らした。


煩わしさと、よく分からない喜びが混ざったような反応。


メッセージにはこう書いた。


着いた。


返事はすぐ来た。


よかった! 私はもうすぐ家。もう少しで着くけど、暗いからちょっと怖いの。


何かあったら困るでしょ、用心に越したことはないし!


あ、ごめんね、いっぱい書いちゃって。


じゃあ、また家に着いたら連絡するね ⸜(。˃ ᵕ ˂ )⸝♡


菜月は「よかった」とだけ返すつもりだったが、


送信前にふっと迷い、気まぐれで一つだけ付け加えた。


よかった ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶


スマホをしまい、家に入る。


いつものように玄関の靴を確認する。


母の靴、真琴の靴…そして珍しく父の靴まであった。


眉をひそめる。


父は遅くなると伝えていた。


理由もなく早く帰ってくる人ではなかった。


家にいる時は、だいたい“何かあった時”だ。


靴を脱ぎ、数歩進んだ瞬間、香ばしい香りが鼻をくすぐった。


唐揚げ。


吸い寄せられるように台所へ向かうと、香織が仕上げをしていた。


「…唐揚げ」


菜月は食欲を隠せず呟いた。


「明日はあなたの好きな魚にするわよ」


香織は手を止めずに言う。


「で、何か話したいことは?」


「分からない。誰かと出かけた。それだけ。真琴から聞いてない?」


菜月が兄を見ると、彼は“余計なこと言うな”という目で返す。


菜月は一歩下がろうとしたが、母の手が頭にのった。


沈黙を破ったのは通知音。


「で? 何を話すのかしら?」


香織の声は近い。


菜月は母を見ないままスマホを取り出した。


遥なら、返事が遅いだけで不安になりそうだった。


メッセージにはこうあった。


家に着いたよ。猫がいたから、抱っこして少し遊んでた ( ,, ︵ ‿ ︵ ,, )


菜月は母が覗き込むのを避けて、ダイニングテーブルに座り直す。


よかった。ペット飼えるの? ₍^. .^₎⟆


送信すると、香織が問う。


「で、どうなの?」


「うちの家系、同じ言葉を繰り返すの好きね」


真琴がぼそりと呟く。


「今日から勉強を教えることになった。新井遥って子」


それだけ言って沈黙した。


香織は諦めて皿を並べ続ける。


菜月はスマホを見る。


遥からは「飼えない」と長文が返ってきて、最後に小さな顔文字が添えてあった。


≽(•⩊ •マ≼


菜月は短く打つ。


そっか。


今回は絵文字なし。


新井遥は画面が光いた瞬間、反射のように返事を開いた。


あまりにも早すぎて、我ながら笑えてくるほどだった。


普段はスパムか母の通知しか来ないのに。


「そっか…」


声に出して読み、遥は眉を寄せる。


「もしかして、飽きられた…?」


ベッドには先ほどの猫がちょこんと座っている。


撫でて写真を撮ったが、送る勇気はなかった。


迷惑かもしれないと思った。


スマホを置き、天井を見る。


しばらくして、思い出す。


アイス。


歩いた時間。


別れ際。


その全部。


顔が一気に熱くなる。


枕に顔を埋めて転げ回り、


「うああああああ!!!」


と呻くと、猫は怯えて机の上へ逃げた。


そして思い返す。


震えた声で言ったあの言葉。


「あ、あの…連絡先、教えてくれますか…?」


菜月は首を傾げ、淡々と聞き返した。


「何のために?」


「…その、連絡を取り合うため…」


現在の遥はベッドの上で転げ回る。


「……っ無理……!」


顔が枕に沈む。


猫がじっと見ている。


遥は起き上がり、聞いた。


「もし君なら、なんて言う…?」


猫は瞬きしただけだった。


遥はまた横になり、目を閉じる。


もっといい答えがあったはずだと考えながら、


いつの間にか眠ってしまった。


夕飯の席。


菜月は静かに食べていた。


箸の動きには一定の秩序があり、けれど背筋には微かな緊張が残っていた。


香織は好奇心を隠さず見つめ、


真琴は見ないふりを続け、


父は遠くの謎を解くような顔で様子をうかがう。


ついに菜月は食べる手を止め、無言で家族を見た。


「お父さん、あなたの“可愛い娘”が何か話すのを待ってるみたいよ」


香織は大げさに言った。


父はびくりと目を開き、


しかし妻の軽い蹴りで状況を理解した。


「う、うむ…菜月。学校はどうだ…?」


不自然な声。


菜月は目を細め、罠の有無を見極めるように父を見た。


「普通」


それ以上話す意思はなかった。


もちろん、新井遥のことなど話す気は一切ない。


唐揚げを口に入れ、沈黙の壁を築く。


それでも父は諦めずに言う。


「…友達ができたって、聞いたんだが」


菜月は動かない。


頬を動かすだけ。


まったく表情を崩さない沈黙こそ、彼女の防御だった。


返事はなくても、父は満足そうに頷いた。


理由は分からない。


ただ、以前より娘の雰囲気が少しだけ柔らかくなったような気がした。


それだけで十分だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ