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猫が鼠を知る  作者: シアン サッカ


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2/8

「なぜ」

教室は、ほとんど静まり返っていた。


先生の声は、熱を帯びていたが、その熱は空気の表面をかすめるだけだった。


森菜月は、耳で聞きながら、心では別の場所にいた。

彼女のノート――課題や備忘を書き連ねるためのそれ――には、いびつな矢印がいくつも描かれていた。

ありえない論理を求めるように、線が交差し、結ばれていく。


中心にあるのは、たった一語。


――「なぜ」。


新井遥に勉強を教えることを、承諾した理由を探していた。


彼女は学年で五番目に入る成績だった。

試験はいつも九十点を切らない。

ただし、社交的な能力となると、ほとんど存在しないに等しかった。


新井遥のことは、知っている。

だが、この教室で互いを知らない者などいるだろうか。


紙を消し線で横切る音が、いつもより大きく響いた。


その下に、短い一文を添える。


「佐藤先生に会いに行くこと。」


ノートを閉じる。


授業が終わった。

時間は、そこに留まることをやめたかのようだった。


菜月はいつものように、落ち着いた動作で荷物をまとめる。


視線を感じた。


顔を上げると、遥がこちらを見ていた。

目が合うと、すぐに逸らされた。


話しかけるか、立ち去るか。


数秒のあいだ、迷って――後者を選んだ。


鞄の紐を肩にかけ、職員室へ向かう。


退屈だった。


足音は、落ち葉のようにかすか。

他人の声が波のように押し寄せ、息が詰まりそうになる。


ただ帰りたかった。

それでも、せめて筋だけは通さねばならなかった。

――家庭教師は引き受けられない、と。


拒む理由は、やりたくないからではない。

理解できる理由が、なかったからだ。


職員室に着くのは早かった。

習慣のようにノックして、静かに扉を押す。

金属の擦れる音が、小さく伴奏をつける。


佐藤先生を探すまでもなかった。


「森さん、こちらよ。」


柔らかな声が、彼女の足を止める。


菜月はわずかに目を細め、一定の歩幅で近づいた。


そして、迷わずに口を開いた。


「どうして、私なんですか。」


その問いに、すべての疑問が集約されていた。


佐藤先生は数秒考えるように目を伏せ、やがて穏やかな笑みを浮かべた。


「森さん、あなたにしか分からないと思ったの。」


返事はなかった。


キーボードの音が、二人のあいだに落ちる。


沈黙の中、彼女の思考だけが深みに沈んでいく。


「どうして、私……」

今度の問いは、勉強の件ではなかった。

もっと曖昧で、もっと遠い場所に向かっていた。


佐藤先生は指を組み、目を伏せた。


「はっきり言うべきことではないけれど……本人から聞くのが一番よ。

でも、もし引き受けるなら、彼女と一緒に過ごす時間が必要になるわ。

新井さん、このところ成績がかなり落ちているの。

このままでは、進級が難しいかもしれない。


あなたなら、支えになれると思ったの。」


沈黙。


――落第を防ぐため。


それは、十分に論理的な理由だった。

納得できる、唯一の理由。


けれど、もう一つの「なぜ」は、まだ答えがなかった。

母が言っていた、「時間が答えてくれるもの」――その時間は、いまだ沈黙していた。


「……分かりました。新井さんの成績表を一部ください。準備をします。」


佐藤先生は小さく手を叩いた。

まるで奇跡を見たかのように。


ノートパソコンを操作し、印刷した紙を菜月に手渡す。

菜月は軽く会釈し、静かに部屋を後にした。



---


午後の光は、どこか優しかった。


新井遥はどの部にも所属していない。

だから放課後のチャイムが鳴ると、まっすぐ家に帰るのが常だった。

けれど、たまに寄り道をする。

家の近くの公園。風の声が聞こえるベンチ。

人生に押されている日ほど、そこに座る。


今日も、木の上で鳥が鳴いていた。

母の言葉が、ふと思い出された。


――「大きくなったら、何になりたい?」


答えられなかった。

説教を受けた気もするが、内容はもう忘れた。

ただ、その問いだけが、ずっと胸の奥に残っていた。


答えは、案外単純だったのかもしれない。

大人になりたいわけじゃない。

働けて、温かいご飯を食べて、静かに眠れればいい。


けれど、それを口にしたら、何かを諦めた人のように聞こえる。


一人娘なのだから、遠くまで行かなければならない――

そう言われて育った。


夢が小さいということは、自分も小さいということなのだろうか。


中途半端な笑いが漏れた。


目の前の鳥たちを見る。


――「鳥になりたいな……」


「どうして、鳥に?」


声に驚き、ベンチから飛び上がりそうになった。


「わ、私、声に出してた!?」


返ってきた声は淡々としていた。けれど、不思議と耳に優しかった。


顔を上げると、森菜月が立っていた。


近くで見るのは初めてだった。

肩までのまっすぐな髪。長めの前髪が片目にかかっている。

邪魔そうに、それを指で払った。


「どうして、鳥に?」


再び同じ問い。

遥の口は、上手く動かなかった。


「え、えっと……忘れて……」


菜月は何かを言いかけたが、やめた。

代わりに、折りたたんだ紙を取り出して差し出す。


遥が受け取ると、顔が赤くなる。


「英語と算数、ひどい成績ね。」


「は、はは……別に、助けてくれなくても……」

遥は顔を両手で隠したくなった。


「一応、義務だから。

他は大丈夫。弱点はこの二科目。」


二人の間に、風が通る。


鳥たちが一斉に飛び立った。

空に光る羽根と土埃。


「うぅ……わ、分かった。えっと……」


「森菜月。」

軽く頭を下げる。


「森先生……」


「森さんでいい。」


「じょ、冗談だよ。」


「じゃあ、明日。放課後、図書室で。」

もう一度、短くお辞儀をして菜月は去っていった。


遥はその背を、見えなくなるまで目で追った。


鳥の声が消えていく。

風が重たくなる。


困っているのか、救われているのか。

どちらとも言えなかった。


口の中に残るのは、恥ずかしさと、少しの希望。


――今日はもう、十分だ。


ベンチを立つ。


風が、帰り道をなぞるように吹いていた。


二章まで読んでくださって、ありがとうございます。

もしこの物語を気に入っていただけたら、感想を残してもらえると嬉しいです。

皆さんの言葉が、この作品を育ててくれます。

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