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チェスティーリージュ王国の西の海岸下部から、南大陸を斜めに流れる大河がある。王国の南側にある隣国は2つあり、大河より西側に別の王国、東側に共和国がある。
そしてチェスティーリージュ王国ともう1つの王国の間には砂漠が広がっているが、大河を挟んだこちら側──王国と共和国の間──には樹海が生い茂っている。
共和国は隣国の小国と国交があるため、多種多様な文化の品物が集まる、商業国家でもある。
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「本当に、行かれるのですか……?」
日を跨いだ、午前中でもまだ早い時間。
関所の騎士が、困惑したように尋ねてきた。
「ええ」
私と共にユニコーンのリラの隣に立つ、カジョの頭に手を起きながらそう答える。
「……川を下られたほうが、はるかに安全ですよ」
「知っているわ」
そう返すと、騎士は悲しそうに眉尻を下げる。
こんなにも食い下がるのは、彼がオルンの兄だからだろう。彼女と同じ、薄紫色の髪。けれども彼女より柔和な印象の、優しい目尻。
そんな騎士の手には、くしゃっと数枚の紙が握られている。
「……市井の相棒に──オルンに伝えて。“ありがとう”、“大丈夫”って」
騎士はややゆっくりと息を吐くと、ぽつりと語り出す。
「家が没落した後、また明るい妹へと導いて頂けたのは、貴女様です。……俺からも、どうかお礼を」
オルンの兄はその場に両膝をつき、腰の剣を背後に置いて、両手の拳を地に付け、深く頭を下げた。
恭順の形に則った、騎士の最上級の礼である。
「頭を上げてちょうだい」
そう言いつつ、私はしゃがむ。そして続けた。
「……お互い様よ。私も助けられた」
オルンの兄は、手はそのままに頭を上げた。
「心優しい貴女様が、どうして……」
彼のその言葉を言いきれないのは、旅人の影に〝死〟が連想されるからだろう。
──そんなの、心底どうでもいいのに。
しかし、その優しさも無碍にはできない。……私は会えて気丈に、そしておちゃらけて言う。
「そんなの分かりきっているでしょう。私しかオルンと互角に戦えないんだから」
言い切ると騎士はぶは、っと笑った。
「聞いていた通りのお方だ」
そして彼はひとしきり笑い、急に真面目な顔つきで手のひらを差し出してきた。
「……どうか、これを。妹からです」
それは、先程から握られていた数枚の紙だ。受け取って、流し読みをする。
──オルンらしい。
紙全部で4枚。うち3枚は私への手紙だ。罵詈雑言のような時候の挨拶から始まって、黙っていた恨みつらみから、私を心配する文章へ変わっていく。
オルンにはあと2人兄がいるが、国境を任されている騎士は彼だけだ。
“これを読んでくれているってことは、ベルは樹海を抜けるっていう賭けに私は勝ったということね!”
……とドヤ顔を連想させる記述も多数。
そして3枚目の最後には、“出世して待っているから、無事で帰ってこないと殺す”。
「……ははっ」
封筒に入っていない、ということは、この内容は彼も読んでいる、ということ。
「オルンが出世、って……勤務態度からして絶望的でしょうに」
「違いない」
そう言い合いつつ、笑い合う。
そして私は4枚目の紙もざっと見て……4枚全てを突き返した。
「……受け取れないし、必要ないわ」
4枚目は、ソイルタートルの素材を換金した時の小切手がテープで留められていた。……用紙のサイズを揃えたかったのだろう。たしかにその方が落下などによる紛失の危険は減るが……斜めに貼られたテープが、彼女の雑さを物語っている。
「……ですよね」
騎士の彼は両手で受け取りつつ、赤髪の少年に視線をちらりと向けた。厳密には、その側頭部に生えている、左右不揃いの羊の角のようなものだ。
「獣人?全く見ない人種……中央山脈ですか?」
「えぇ」
「中央山脈の魔物は、一体だけでも騎士が徒党を組むレベルなのに」
「だから、大丈夫なの。オルンには“袖の下に使って”って伝言をお願い」
騎士の彼は、ははっ、と乾いた声で笑い、カジョを真剣な瞳で見つめた。
「少年、このお方をどうか、僕の代わりに守るんだぞ」
するとカジョは困ったように、小首を傾げた。
「……守る?」
「……いつか分かればいいさ。よろしく頼む」
騎士はカジョの頭をがしがしと撫でた。
カジョはどこか疑問符が抜けきらない表情のまま、こくりと頷いた。
「しかし、困ったな……」
私に続いて、騎士の彼が立ち上がりながら言う。
「……それは、どうして?」
なんとは無しに聞き返すと、彼はは心の底から困った顔で呟いた。
「……渡せなかった、って言ったら、オルンにボコボコにされる」
想像ができてしまうのが、怖くて笑える。
「じゃあ、“ベルは走って関所を抜けていったから、話しかける暇も無かった”と伝えれば……」
「国境警備の責任を問われるやつ!それもオルンに袋叩きにされる!」
本気半分、青ざめた顔の彼に掛けられる言葉は、もう無い。
ああああああ、と頭を抱える彼の前で、私はバッグを掛け直し、リラの手綱を握った。
「じゃあ、行ってくるわね」
「……はい、行ってらっしゃいませ」
複雑な表情の彼の前を、2人と1匹で通り抜ける。
関所を抜け、顔に掛かる太陽に目を細める。……すると、背後から彼の大声が響いた。
「行ってらっしゃいませ!」
そしてそれに続いて、砦のあちこちから“行ってらっしゃいませ”と響き渡る。
皆が皆、騎士の礼を取っている。……その中でも特にオルンの兄の背筋が、オルンと同じ位にシャキッとしていた。
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実は、中央山脈ではほぼ片手間で魔物を倒せていた。しかし樹海はそうもいかず、魔物の強さが段違いに跳ね上がっていた。
魔術の一撃では、確実に足りない。魔物も、奇襲に群衆にとにかく殺しにかかってくる。
生命線の泉も、清水と毒の区別も、一見では分からないものが多い。食料として利用できる植物も、無害そうに見えてそうでない、というものばかりだ。
魔術は、万能ではない。魔力に限りがあるため、ある程度の温存が不可欠だ。いざという時に使えなければ、逃げるも進むも、命を繋げない。
そんな中で更に私は、カジョに魔術を教えながら樹海を進んでいた。
「魔術式や魔法陣を使うことで、決まった出力と結果を導くの。そうすることで身体へのダメージを減らすの」
樹海に足を踏み入れてまだ2時間ちょっと。カジョは既に、指先に魔力を集める動作をマスターしていた。
「魔法陣は魔力を注げば誰でも同じ結果が出せる魔術式の一種。でも魔術式は、個人で使用するなら実は、強固なイメージができるなら文字は何でもいいの」
「……うん?」
カジョは分かったような分からないような顔で返答し、指先に集めた魔力で空中にぐるぐると円を描いていた。
「例えば、その丸も。もっと強く光を縁取るイメージで描いて、あの木に当てるように飛ばしてみて」
あの木、とは樹海のそこかしこに生えている針葉樹だ。ちょうど3mほど奥に、それなりに高く立つモミの木があった。
カジョは、私のその言葉通りにゆっくりと丸を描き、指先をモミの木へ振る。……すると、物語に出てきそうな、天使の輪のような光が木の幹に当たってふわっと消えた。
「できたね」
そう言うと、カジョは嬉しそうに微笑んだ。
「その要領で、たとえば丸の中を塗りつぶしたり、込める魔力を多くしたり、風の要素を足して早く飛ばしたり、自分のイメージで変えて、違う結果をを作り上げるの」
その言葉を聞き、カジョは平面の丸ではなく、垂直、斜めと線を重ね、円を描くように指先を振った。
光は完全なオーブ状になり、木の周りを周回するように動きながら空へ消えていった。
線を描きながら中を塗り潰すのは、実は繊細な技量が無いとできない。そして飛ばす動きも、確固たるイメージが継続してできないと成り立たない。
──この説明だけで、ここまでやれるとは。
「すごいわ」
驚きながら、赤髪を撫でる。カジョは私を見上げながら、わくわくした表情で「次は?」と訊ねてくる。
「楽しいのは分かるけど、そろそろお昼ご飯を食べなきゃ。リラもお腹を空かせているから」
そう言って、相棒の天馬に目を向けさせる。ユニコーンのリラは、ふんふん!と鼻息を荒く頷いた。
カジョは少し悲しそうに、一言「そっか……」と呟いた。
「ここから先は、複雑になるから。一定した確かなイメージをしやすい記号や文字列があるの。……私が使っているもので良ければ、食べながら教えるわ」
すると一転、カジョは嬉しそうに「うん!」と返事をした。
その時だ。背後の茂みから蛇型の魔物か飛び出してきた。
私はよく使う氷の魔術式を描き上げて飛ばし、まずは足止めをした。それと同時に走りながら腰の剣を抜き、切り上げる要領で魔物の首を狙う。……けれども素早い動きで躱され、致命傷には至らない。
次に私は一旦距離を取り、両肩付近に炎の魔法陣を展開。槍の形の火炎を飛ばしながら再び肉薄し、槍の炎が刺さって動きの鈍った蛇の頭を、切り落とした。
ふぅ、と息を吐きながら背後のカジョとリラを振り返る。
……リラの隣で、カジョがぺたん、と地面にお尻と両手をついていた。
「一瞬びっくりしたけれど、これくらい大丈夫よ。……リラも、カジョを守ってくれてありがとう」
前半の台詞はカジョに。後半はリラに。それぞれに視線を向けて、近づきながらそう伝える。
リラがぶるん、と小さく喉を鳴らす。カジョは、ゆっくりと立ち上がった。……ぱんぱん、と土を払う手に、心なしか力が込められている。
「……魔術、がんばる」
小さく告げられた宣言。けれども、私を見上げる双眸には、強い光が宿っていた。
「期待しているわ」
それは、心の底からの本音だ。
カジョの頭をぽんぽん、と撫でる。一瞬だけ少年は身体を強ばらせたが、次の瞬間にはこくり、と深く頷いた。




