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村長やその他、主に話し合いの会場にいた面々に連れられて、木の柵より大きく離れた岩山に到着する。
切り立った岩肌の一部が反り返っていて、おそらくその上は平らだらうがここは真下である為にどうなっているのかは見えない。
現在は終始ぽつぽつと雨が降っていて、安易に岩肌に足を掛けたら滑ってしまうだろう。
「あのぅ、皇女様?……我々が食事を届ける時は後ろ側から梯子を使うのですが……」
「いらないわ」
「は、え?」
「いらないわ。そのかわりリラをよろしくね」
熊の耳を持つ獣人に、リラの手綱を渡す。
リラはふるん、と鳴くとこくりと頷いた。
私は靴底に魔術式を展開して、一気に岩山を駆け上がる。そそり立っている岩肌には、指先にも魔術式を展開し、頭上の僅かな突起に引っ掛け、跳躍。そのまま岩壁を蹴り、平らな面まで登り切った。
まずは自分の身体をぱんぱんと軽く叩き、埃や雨粒を払う。そして奥を見ると──
「……だ、れ?」
向こう側からも光が入る、ちょうど真ん中。少年というにはまだまだ幼い男児が横たわっていた。
ひどく、埃と泥まみれ。
岩山の中腹のこの場所は、やや長めのトンネルのようだが、少年が横たわっている場所にも水溜まりがある。
手足を丸めており、その頭上には犬の食事用と勘違いをしそうになるほどの、でこぼこのタライ。そこに、いつからあるのだろう、それすらも分からない、恐らくスープのような液体が入っている。
……胸が、痛い。
私は思わず駆け寄り、そっと少年を抱き起こし、自身のマントで包んだ。
“我々が食事を届ける時は後ろ側から梯子を使うのですが”
──こんなんじゃ、風が通って寝れないでしょうに!
それ以前の問題も、きっと想像以上にありすぎるのだろう。
少年の耳の上には、羊と言うより悪魔を連想させる、 左右不揃いの角が存在感を放っている。そして肌は村人の誰よりも褐色が濃く、真紅の髪は泥や埃だけでなく、内側からもどす黒さが滲んでいる。
せめても、と少年の頬の泥を撫で落としながら、村人たちに怒りを抱く。
隔離された村の、〝先祖返り〟がこの少年だ。
□■□
地図にも名前の乗らない〝隔離村〟の先祖は、勇者パーティの全員をその血統で網羅したくらい、実力者の集まりだった。
しかしそれは、魔王から〝呪い〟を受けてしまうまでの話だ。
村長の話にあった、〝残虐性の芽〟という呪い。
それは悠久とも言える程の寿命と、魔術を行使する度の激痛。
身体の中には邪気の受け皿があり、周囲の〝良くないモノ〟を大量に拾ってしまい、精神不安定に陥りやすい。
そしてきっとこの少年は、無意識で〝魔法〟を使ってしまうのだろう。
“魔法は、魔物が使うもの。”
“よって、魔法を行使する者は、魔物に堕ちる。”
その言い伝えを真っ直ぐに守っているのが、チェスティーリージュ王国だ。
──バカバカしい。だからって、他人を殺していい理由にはならないのに。
〝魔術〟を教えれば、それで済む話なのだ。無意識に〝魔法〟を放てるということは、誰よりも魔力が多い証拠でもある。
「……水は?飲める?」
私は少年に、努めて明るく言う。
少年は何も答えなかったけれども、私は‘時の収納バッグ’からコップを取り出し、指先に発動させた魔術式でその縁を軽く叩き、お湯で満たした。
齢4歳ほどの、小さな少年。彼はまずコップの水をじっと見つめ、それから私の顔をぼーっと見た。
洞窟の中にも、雨がぽつぽつ降り出した。
「私の名前は、長いからベルって呼んで。たぶんだけど貴方の苦しみが……ほんの少しは分かる側の人間よ」
そういうと、少年はその双眸からぽろぽろと涙を零した。
「……持てる?」
そう声を掛けつつ、少年の両手に半ばコップを押し付ける。
「……あったかい……」
少年はそうぽつりと呟くと、くしゃっと顔を歪ませ、コップを力強く握ってお湯を飲み干した。
「ひっ、ぐ、うぅっ」
唸り声のような嗚咽。──きっと、泣くのも諦めるしか無かった環境だったのだろう。私はその背を、とんとん、と撫でた。
洞窟の奥から、ゆっくりと村長達が姿を現す。
「あの!皇女様!外の雨が大変なんですが!何をしてくれているんですか!」
びしょ濡れの髪を掻きむしりながら、村長が怒鳴る。
──抑えろ、私。我慢は得意分野でしょう。
すぅ、と息をゆっくり吸い、外野を一瞥する。
そして一瞬の静寂の間を縫って、私は告げた。
「この子は、私の旅に連れていきます」
ザーザーと雨の音に紛れ、村長が「……そ、」と動揺の表情を浮かべる。
「そ、そんなの!許されるわけが……!」
そう言い放つ村長の瞳を見据えながら、私は言葉のボールを投げ返す。
「この惨状は、国には口外しません」
「……だ、だがっ!そんな気味の悪い……本当なら成体でもおかしくはないのに、まだ幼児体型の、ただただ手のかかる餓鬼ですよ!」
「……だから、なんですか?」
村長の言葉に、冷ややかに返す。
顔を真っ赤にして、村長は唾を飛ばしながら叫ぶ。
「……雨が!止んでいない!」
──なるほど、その方法があったか。
不安げな顔で村長と私をゆっくり交互に見る少年の瞳を覗き込みつつ、私はその頭を撫でた。そして──
「──ごめんね、ちょっと寝てて」
先程のお湯の魔術式とは違う、今度は魔法陣を指先に浮かべて、少年の額をつついた。
……すると少年は、ふっ、と力尽きたように眠りに落ちた。がくん、と力の抜けた身体をマントで包み直し、肩に頭を乗せるようにして縦に抱く。
……雨は、止んだ。
「……これでいいですね?」
村長達は、もう何も言わなかった。
私はぴゅいっと指笛でリラを呼び、その背にひらりと乗る。そして村長達に「お世話になりました」と形だけの言葉を言い放ち、隔離村を飛び立った。
□■□
少年の目が覚めたのは、彼をリラの背に寝かせ、私がその手綱を引きながら草原を歩いている時だった。
時刻は夜。夕飯時を少し過ぎたくらいの時刻で、月も、雲のひとつも無い濃紺の星空の下だった。
「……ん、」
もぞもぞと身動ぎをした少年が、寝ぼけ眼で横を歩く私をじーっと見だした。
「起きた?気分はどう?」
「……まぁまぁ」
「……そっか」
“まぁまぁ”という返答は、汎用性が高すぎて嫌いだ。まぁまぁという語彙しか知らない場合も、痛みに慣れすぎて“いつも通り”の場合も、全て“まぁまぁ”で済ませる事ができるから。
サクッサクッとユニコーンのリラが草を踏みしめる音が響く。
次に口を開いたのは少年だった。
「……帰らなくて、いいの?」
……どこに?とは聞くまでもない。この子は、あの隔離村の世界しか知らないのだ。
「帰りたいの?」
そう問いかけると、少年は俯きながら小さくふるふると首を振る。そして消え入りそうな声で……──
「──……でも、帰らないと怒られる……」
とリラの背に顔を埋めた。
──何を言えばいいのだろう。
……そんなものは、きっと一生分からないだろう。……でも……私が言って欲しかった言葉なら──言える。
「──帰らないよ」
そう、優しく告げる。少年は「……え?」と戸惑いながら、私の顔を見た。
「君はこれから、私と旅をするの」
「旅、……どこまで?」
「どこまでも。君が帰りたい、って言うなら戻るけど……帰りたくないなら、私の隣が、君の新しい居場所だよ」
私がそう言うと、少年はくしゃりと顔を歪めた。困惑しているような、それでいて今にも泣き出しそうな、そんな表情。
「……あの村だけが、世界じゃない。魔法だって、練習すれば魔術になる」
少しの沈黙。幾秒かして、少年が私に問いかけた。
「なんで、そんなに良くしてくれるの?」
簡単な質問だ。けれども答えるのはとても難しい。
昔の自分を救いたいから、とは抽象的すぎる気がする。
いろいろ考える。そして腑に落ちる言葉は、いつの間にかぽつりと零れていた。
「……罪滅ぼし、かな」
少年は、小首を傾げている。
私はそんな彼の両脇に手を差し込み、リラの背に起こしながら「見てて」と言って一人で歩き出した。
……大量に、いるのだ。
地中に、サンドワームの群れが。
距離にして、10mほど歩いた。そして、その時は一瞬で訪れた。
バフンッと巨大な土煙を上げながら、キシャアアア!と7匹の巨大ミミズが牙を剥く。
ちらら、と背後の少年を見ると、びくっと身体を硬直させ、ぱくぱく口を開けたり閉めたりしていた。……から、微笑んで見せる。
……それは、一瞬の出来事。何の前触れも無く、ミミズ達が炎に包まれた。
強いて言うなら、コンマ以下の刹那に私から放射状に魔力が溢れたことくらいだろう。
サンドワーム達はあっという間に身体を縮ませ、横たわってまっ黒焦げになった。
リラに跨る少年を振り返る。
少年は、唖然としていた。
私はその場から動かず、少年に語りかけた。
「私も、魔法が得意なの」
少年の耳が、ぴくりと動いた。
多種多様な獣人の血を入れた一族の先祖返りだ。耳が悪い訳はない、と想像はしていた。しかし、思ったよりも聞き取れてしまうようだ。
「そして私は……──」
そのの真実は、小声で囁く。
「──〝化け物〟、って呼ばれた」
少年が、ひゅっ、と息を飲んだ。
……私は靴底に魔法陣を展開させ、一気に跳躍をして少年の側に戻った。そして何も言わずに、その柔らかな頬を撫でる。
少年は再び、眉と口をぎゅっとさせて、困ったような泣き顔をしながら私を見る。そのまま撫で続けていると、少年の方からおずおずと……小さく両手が出された。
私はそれを、その身体ごと抱き寄せた。
びくっと硬直する少年の全身。反射で身構えてしまうのは、痛みしか知らないからだ。
とんとん、と固まっている背中を優しく撫でる。
……暫くすると、少年は私の服の前身頃を両手でぐっと掴み、胸元に顔を埋めて唸り声を上げた。
喉が痛いんじゃないかと想像てわきるくらいに、嗚咽を噛み殺している。
「いいんだよ。……泣けるようになったら、たくさん泣きなさい」
自分のペースを尊重する言葉を聞いて、少年はまた驚いたようにぴく、と反応した、刹那──
「──うわあああああああああ!」
大粒の涙が溢れて、零れて、慟哭が草原に響き渡った。
私はただ、その背中をとんとんし続けた。
□■□
少年が落ち着いたのは、それでも10分も経たないすぐ後だった。
「お腹すかない?」
少年は小さく頷いたので、‘時の収納バッグ’から赤い果物──りんごを取り出して渡す。
「街に付くまでの我慢ね」
少年はおそるおそるといった体で受け取ったが、じっとりんごを見つめている。
「齧って食べて」
そう説明して初めて、少年はりんごに口を付けた。
しゃり、と音が響いて、少年が目を見開く。もにゅもにゅと動く口元が大胆になり、果汁を伝わらせながら一心不乱に齧り付いている。
その目尻にまた涙が浮かんでいるのは、今度は見なかったことにする。食べているのを邪魔することになってしまう。
「うっ、」
りんごの中心部を齧り、少年の眉がぴくっと動く。
「芯は硬いから、食べないで最後に渡して。燃やして灰にすれば、それもちょうど良い肥料だよ」
微笑みながら言うも、少年は芯の部分を咥えたまま、ふるふると首を振った。……そしてじゃりじゃり音を立てて、食べ出した。
「え、食べるの?」
芯を超えたら、あとは一瞬だった。あっという間にりんごは無くなって、すっきりとした少年の顔が残った。……両手と共に口周りがとてもベタベタだが。
水の魔術式を空中に描き、少年の手をすすぐ。顔はどうしようか、と考え、私は次に自分の袖を濡らした。その袖で、拭う。
「きれいなタオルじゃなくてごめんね」
「……ううん、母さんも、やってくれていたから」
過去形。それが意味するものを追求するのは、まだ野暮だ。
拭い終えながら、再びのやりとりを再開させる。
「……名前は?」
「名前……」
むぅ、と少年が悩む。
「これから一緒に旅をするから、無いと困るからね」
けれどもきっと、少年に名前は無い。村の人々には“アレ”と呼ばれていた。
それを見越して、呼ばれたい名前は?……と聞こうとして、少年がぽつりと話し出す。
「母さんには、」
「うん」
「カジョ、って呼ばれていた」
「うん」
「意味は無い言葉だけど……」
確かに、全く聞かない名前の音で、そんな単語も無いために意味なんて存在しないのだろう。
けれども私は、ゆっくりと返す。
「……いい響きの名前ね」
少年は、恥ずかしそうに微笑んだ。




