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左上腕に重みを感じて意識が浮上した。リラに背を預けたままそちらを見ると、左右不揃いの羊の角と、赤黒い髪、そして旋毛が見えた。
時刻は夕暮れ時。静かに収縮を繰り返すリラのお腹に呼応するように、カジョがすーすーと寝息を立てていた。
さあぁっと風が吹き抜ける。
カジョの頬に、角のすぐ下から生えている髪がかかる。そっと払って頬を撫で、リラのお腹に再び背を埋めた。カジョとは反対側に顔を向けると、額に1本角の生えた白馬の瞳と、静かに合った。
「リラ、ありがとう。……またあなたに助けられたわね」
そう言うと、リラらいつものようにぶるんと吐息で返事をする。けれどもどこか哀愁の漂う、か細い吐息だった。
「カジョ、起きないわね」
そう言って、リラと目を合わせながら苦笑する。
私は‘時の収納バッグ’から洗い替え用のマントを取り出し、魔法でカジョを浮かせて包んだ。
……実は、私にとって〝魔法〟は、息をするように出来るものだ。
──けれど、〝魔術〟を使わないといけないのが、この世界のルール。
「……カジョが起きたら、話せる範囲は説明しなくちゃね」
そう呟き、立ち上がる。
カジョはそのまま、リラの背に乗せた。……まるで、初めてカジョを連れ出した時のようだ。
リラの手綱を握って、歩き出す。
王都郊外の魔物なんて、生ぬるかった。魔王復活までまだ幾年もあるのに、強力な個体が後を絶たない。
「私の代で、終わるのかなぁ……」
空の茜色が、徐々に濃紺に変わっていく。
──〝世界の意思〟……どうか今回だけは、見逃してください。
そう心の中で懺悔をしながら、私は魔法を用いて樹海を進み出した。
□■□
目が覚めたら、リラの背の上でうつ伏せになっていた。……まるで、ベルに村から連れ出してもらったあの日のようだ、と既視感を抱いた。
……と同時に、あの時よりも世界に慣れたはずなのに、また介抱をされているという羞恥心が込み上げた。
密林の大蛇をベルが這う這うの体で倒し、回復のために休んでいた隣で、僕も寝落ちをしてしまっていた。
その時は夕暮れが近かった。けれども今は、昼の太陽が降り注いでいる。
──あ、これ……ベルのマントだ。
自身を包む暖かいものの正体に気付き、また胸の奥にじんわりと熱が生まれる。
なんとなく恥ずかしさもあって、身動ぎをしながら上体を起こす。すると、ユニコーンのリラの尻尾が僕の背を軽く叩き、その音で気付いたのだろう、手綱と共に斜め前に居たベルがこちらに振り向いた。
「起きた?……おはよう」
ベルはそう言ってふわりと笑った。優しい声。……思わず泣きそうになる。
悔しかったから?ベルの傷に胸が傷んだから?それとも──いなくなっちゃうんじゃないか、って、思っちゃったから?
「……よかった……っ」
嗚咽を噛み殺して、ベルにそう言う。
するとベルは困ったように笑いながら、‘時の収納バッグ’から紙で包まれた手のひら大の何かを取り出し、差し出してきた。……ぐぅ、とお腹が鳴って、自分が空腹なことにも気が付いた。
「さっき作ったの。サンドイッチ、って言うのよ」
紙の包みを開くと、粗めの小麦の丸いパンに、数種類の具材が挟まれていた。
肉のようなものは、道中で倒した、魔物の肉を干したものだろう。葉っぱも、道中で採れる食べられる植物。……しかし、1個だけ分からないものがあった。
「ねぇベル……このこの沢山ある、細くてしなしなの白いのは何?」
「あぁ、それはね──」
ベルはまた少しだけ寂しそうな目をして、続きを言う。
「──大根、っていう野菜を切って塩で揉んで、私好みに味付けをしたやつ。お漬け物……‘たくあん’のなんちゃって版、てところかな」
「ふーん……」
良くは分からないけど、食べてみる。
「……っ!」
「おいしそうでよかった」
干し肉には味なんてほとんどついていない。葉っぱはそのまま。けれどもベルのお手製のその食材の塩気が、干し肉と葉っぱの良さを引き立てていた。更に言うと、絶妙なバランスの水分が、硬めのパンを柔らかくしてくれている。
「……食べながらでいいから、聞いて欲しい事があるの」
夢中でたべていると、ベルがそう言った。
……それはおそらく、自身も邪気を扱える事だろう。
なんとなくぴりっとした空気感を感じ、僕は顔を引き締め、深く頷いた。
□■□
ベル曰く、〝邪気〟とは〝歪み〟から発生する〝破壊のエネルギー〟らしい。
〝魔法〟も〝魔術〟も、〝魔力〟を用いてその場の現象を歪める技術。
そのため、それらを行使する度に実は邪気が発生しているとのこと。
そして発生した邪気は大気中を漂ってそれぞれ〝核〟などの、邪気が溜まりやすい所に集まる性質があるらしい。
「その中で、1番大きな核が魔大陸にあるの。次にダンジョンの最奥などね」
ベルの説明を聞きつつ、密林を進む。ベルは魔力を出し惜しみしないことにしたようで、昨日より快適に歩けていた。
「その次に、邪気の〝器〟を持つ者。……隠していてごめんね、実は私も邪気の器があるの。あなたよりはずっと小さいんだけどね」
そう言ってベルは、悲しそうに笑った。
曰く、邪気を発生させる〝歪み〟は、〝心〟も含まれるらしい。
嫌悪、憎悪、嫉妬……そういった感情が行き過ぎると、心──つまり〝魂〟が歪み、絶えず邪気を撒き散らす生物になってしまう、とのこと。
その魂を持つ人間から放たれる魔術もまた、多くの邪気を孕んでいるらしい。
「──そしてね、それが人間だった場合……つまり〝イジメ〟となって、その対象になっていることを〝許容〟してしまうと、後天的に邪気の器ができてしまうの」
そうベルは淡々と話し……更に続ける。
「魂が歪んでいる人が放つ魔術は、その人の心を痛める
。けれども、心は見て見ぬフリを出来ちゃうものでもあるから、1番に痛いのは……虐めに抗うのを諦めちゃった、所謂私たち」
そこまで聞いて、今までの一部が繋がった。ベルが邪気に詳しいのは、ベル自身も、僕と似たような立場だったから。
……いつもの優しさと、涼しい顔の陰を想像してしまい、胸がぐぅっと痛くなった。
今なら分かる。村にいた頃の僕は、邪気で身体も痛かったけれど、……それ以上に、心も痛かったのだ。
「……そんな顔しないで」
酷い顔をしていたのだろう。ベルを見ていられなくて俯いていると、視界の端から優しく手が近づいてきて……頬に触れると同時に……熱を思い出させてくれた。
「……でもね、私は、……ここから先に、謝らなければいけない事があるの」
僕の頬に触れるために、しゃがんだベルが立ち上がる。サンドイッチはとっくに食べ終わり、リラと共にベルの隣を歩いていた僕は、見上げてその表情を覗く。
──苦しそうだ。
まるで、今にも泣きそうな表情。堪えるように、眉に力を入れ、唇にぐっ、っと力を入れている。……けれども数秒後、ベルは諦めたように微笑んで、ゆっくりと口を開いた。
「私は、自分の中に出来た邪気の器を、自ら大きくしているの」
「それは、なんで……?」
邪気は痛いのに、と心の中で付け足す。
ベルは僕の表情から察したのだろう、答えはすっきりしていて、……残酷だった。
「邪気は痛い。けれどもね、邪気を使った魔法・魔術は、自分が痛むのと引き換えに、とてつもない威力を発揮するのよ」
“──〝化け物〟、って呼ばれた。”
「……っ」
ベルと初めて会った時の、悲しい台詞を思い出す。
けれどもベルは、そんな僕を置いてけぼりにして続ける。
「数値に表すとすると、魔力10に対して歪められる現象は最大で10。でも邪気は、使い方によっては10が100にも1000にもなる。……私は、自衛のために、手離したくない。そして私は器が小さいから……どのみち隔離村から1人、旅のお供を見つけるつもりだった」
すぅ、と息を吸って、ベルが告げる。
「──私は、あなたから邪気を貰っているの」




