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魔王と博士の世界見聞録  作者: 秋山リョウ
第1話「旅立ちと初めての街」
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第4章「ぶつかる思いとこぼれる涙」

 夕焼けが過ぎ去り、月明かりと街灯が静かに照らす街を、エリシアとノアは並んで歩いていた。行き先は、宿屋。


「ねぇ、エリシア。今さらだけど、魔道具ってなんなの?私、詳しく知らない。」


 ノアの問いに、エリシアが口を開く。


「魔道具はね、魔術を誰でも使えるようにする道具だよ。本来、魔術は血筋とか才能がないと使えない。でも魔道具なら、誰でも魔術に近い恩恵を受けられる。その分、法の規制も厳しいけどね。」


「じゃあさ、今回の山賊みたいに武器として使うのは違法なんだ?」


「もちろん。軍人でもない者が、魔道具を武器にして脅すなんて、絶対に許されない。」


「じゃあ、山賊たちは……殺すの?」


「まさか。できればリーダーの魔道具を回収して、山賊たちは軍に引き渡す。正当な裁きを受けさせるよ。」


「ふぅん。でも、山賊なんかに怯えないで、みんなで立ち向かえばよかったのに。」


「……それは、君が強いから言えることだね。」


「え?」


「人間は、君が思うほど強くないよ。あんなふうに地面に巨大な穴を開ける魔道具を見せられたら……怯えて当然だ。」


「人間って無力なんだね。じゃあ私たちが助けてあげるんだから、せめて街の人たちにも、もう少し頑張ってほしいなー。」


「……みんな十分頑張ってるよ。もう限界がきてるんだ。その発言は無神経すぎるよ。」


「ちょっと、それ、どういう……」


 空気が重くなった、そのときだった。


「……あの、すみません、食べ物を恵んでもらえませんか……?」


 声の主は、八歳くらいの少年。着ている服はボロボロで、手足は木の枝のように細かった。


 二人は立ち止まり、少年を振り返る。


「ねぇ、エリシア? 非常用のドーナツとビスケット、まだあったよね? 私はいいから、この子にあげて?」


「……」


「エリシア?」


「ごめんね。」


 エリシアは少年に一瞥をくれると、そのまま背を向けて歩き出した。


「えっ? あ、ちょっと! 待って!!」


 ノアは少年を残してエリシアを追いかけた。


「ねぇ、待って! 待ってってば!」


 ノアはエリシアの腕を掴んだ。


「……」


「なんで!? あの子をほっといたの!? まだ食料あるんだし、あげればいいじゃん!」


「僕が彼に食料を与えて、何になるの?」


「え……?」


「たしかに、食料はある。でもあれは、僕たちの旅の非常用だ。彼にだけ与えるの? 他の人はどうする? 視線を感じなかったの?あそこにいたのはあの子だけじゃない。」


「.......!?」

「で、でも、かわいそうじゃん!」


「じゃあ君が食料を調達してくればいい。街の状況じゃ難しいだろうけど。僕は君の“人助けごっこ”に付き合うつもりはないよ。」


「……なによ、その言い方!!」


 ノアはエリシアの胸ぐらを掴み、そのまま壁に叩きつけた。


「っ……ずいぶん乱暴だね……。でも、僕に当たったって、何も変わらないよ……」


 エリシアは背中の痛みに顔をしかめた。


「なんで……なんでよ!! あんたは、あのケイルにも……私にも希望をくれたじゃない!! なのに、、どうして、お腹を空かせた子ども1人くらい助けないのよ!!」


 ノアの瞳には涙が浮かび、声は震えていた。


「さっきも言っただろう。僕が彼に食料を与えることは、本当の意味での救いにはならない。ノア。君の気持ちはよく分かる。でも、君がやろうとしていることは、一時しのぎにすぎない。」


「でも、でも!!」


「彼に食料を渡したとしよう。それで終わり? 明日また空腹になったら? 君はどうする? 毎日食料を与え続けるの? 君の“自由な旅”は、それで終わり?」


「くっ……!」


「山賊を追い払うのもいい。けど、別の山賊がやってきたらどうする? 自給自足だって、住民の互助努力では限界がある。復興には時間がかかる。そもそも、君はこの街のために旅に出たの?」


「うっ……ぐすっ……」


 ノアは言い返せず、悔しさで涙があふれた。


「それに、彼にだけ与えたことで、ただでさえ気が立っている住人たちを刺激したらどうする? 町長もようやく、自分の価値観が間違っていたと気づきはじめている。今は、国の介入を促す絶好のチャンスなんだ。僕たちが余計な混乱を生むわけにはいかないよ。」


 ノアの力が抜け、その場に崩れ落ちて泣き始め

「君が街を助けたいと思ってるのは分かる。僕も同じさ。でも、本当に救うなら、表面だけじゃなくて、根っこから変えていかないといけない。」


「うぅ……ぐすっ、ぐすっ……あんた……私をだましたんだ……旅も自由も……全然、楽しくなんかない!!」


「最初に言ったでしょ? 旅に出れば、良いことばかりじゃないって。それに……“君なりの解釈”で世界を見ていけばいいって。絶望するのは、君の自由さ。」


「うぅ……ひっぐ……えっぐ……」



「僕は、君にこの街のドーナツを食べさせてあげたい。だから、君は宿で待っているといい。」


 エリシアは、背中を預けていた壁からそっと離れた。


「まって……! ぐすっ……わたしも、いぐ……!」


「はぁ……汚いから鼻水拭いて。」


 エリシアは静かにハンカチを差し出した。

ノアはエリシアの差し出したハンカチを受け取り、涙と鼻水を拭うと、二人はゆっくりと歩き始めた。


会話はなかった。

先ほどまでの言い合いが嘘のように、沈黙が夜の街に溶け込んでいた。

二人の間には、わずかな距離がある。だが、それは争いによる壁ではなく、それぞれの胸の内を整えるための、静かな間合いだった。


やがて宿屋の前に着き、エリシアが扉に手をかけたそのとき──


「……」


ノアの細い指が、エリシアの白衣の裾をそっと引いた。


「どうしたの? ノア。」


振り向いたエリシアに、ノアは何か言いたげに口を開きかけたが、言葉にならなかった。


その気配を察したエリシアは、ノアの頭に手を置いて、柔らかな声で言った。


「怒ってないよ。」


「……!?」


ノアは目を見開いた。心の中を見透かされたことに、驚きと戸惑いが混じる。


「君が心から怒ったり、泣いたり、笑ったりする姿が、僕は大好きだよ。感情を表に出すことは悪いことじゃない。むしろ、君自身が、君らしく生きてる証だろう? すっきりしたでしょ?」


ノアはこくんとうなずいた。


「感情を抑えて生きてたら、人間じゃなくなってしまう。自由でもない。だから、君が僕に感情をぶつけてくれたことを、僕は嬉しく思ってる。」


エリシアはノアの頭をやさしく撫でながら、ふっと微笑んだ。


「だから、遠慮せず思ったことは言ってくれていいよ。……まぁ、僕も自分の意見を簡単に曲げるつもりはないから、また泣かせるかもしれないけどね?」


その冗談めいた一言に、ノアはくすっと笑った。


「……やっぱ、いじわる。」


そしてふと、エリシアの顔を見上げて、ぽつりとこぼす。


「ごめんね、背中、どんってしちゃって……」


エリシアは微笑みながら、静かに言った。


「気にしなくていいよ。僕も君ほどじゃないけど、そこそこ頑丈だからね。」


ノアは少しうつむいて、恥ずかしそうに呟いた。


「……私にも、して?」


「何を?」


「その……気が済まないの。私、エリシアに痛い思いさせたから……おあいこにして?」


「はぁ……わかったよ。」


エリシアが一歩近づいた。ノアは目を閉じ、そっと身を固くする。


「いたっ!?」


次の瞬間、ノアのおでこに軽い衝撃。エリシアのデコピンだった。


「これで、おあいこね。恨みっこなし。」


「ずるい……。なんか、私だけ子どもみたいじゃん。」


ノアはおでこをさすりながら不満げにつぶやく。


エリシアは肩をすくめて笑った。


「ふふ。僕からしたら、君はまだ子どもだよ。」


ちょうどそのとき、宿屋の扉が開き、中から見覚えのある男が顔をのぞかせた。ケイルの父親だった。


「おや、お戻りでしたか。町長から、今夜ご宿泊されると聞いておりました。ささ、冷えますのでどうぞお入りください。」


「ありがとうございます。」


エリシアは軽く礼を述べると、ノアに向き直り、手を差し出した。


「行こう、ノア。」


ノアはその手を、そっと握った。


「うん!」


二人の間にあった距離は、その一瞬で、すっと縮まった。

まだ心の奥には痛みや疑問が残っていたかもしれない。

けれど、今はその手の温もりが、全てを包み込んでいた。


宿屋の扉を開けると、すぐに温かな灯りと、かすかな香ばしい匂いが2人を迎えた。

玄関から奥へと案内され、ノアとエリシアはダイニングへ通される。

部屋の中には、数人の街の男性たちがテーブルを囲み、疲れた顔で食事をとっていた。


ケイルの父が二人に向き直る。


「少ないですが……夕食です。申し訳ありません、こんな状況ですから、うちも食料はギリギリでして……」


申し訳なさそうに盆を差し出す手には、わずかにかすれた苦労の色が浮かんでいた。

それでも、盆に並んだ皿には、温かいスープと黒パン、そして根菜の煮物が一人前ずつ、丁寧に盛りつけられている。


エリシアはやさしく微笑み、言葉を返す。


「いえ、お気になさらないでください。こうして温かい食事をいただけるだけで、僕たちは十分にありがたいです。」


「わぁ……いただきますっ!」


ノアは明るい声で礼を言うと、待ちきれない様子でスプーンを手にした。

その勢いに、エリシアは思わずくすっと笑う。


「ふふ、ゆっくり食べなよ? 火傷しちゃうよ。」


ノアは少しだけ照れた顔をして、スプーンの速度を緩めた。


「お二人は本当に仲が良いですね。……ケイルも、お二人が来るのを心待ちにしていたんです。ですが、もう寝てしまいまして。」


ケイルの父は、テーブルの向かいに座りながら語った。

その顔は少し疲れていたが、どこか穏やかで、どこか誇らしげでもあった。


「昼間は魔道具のメンテナンスで、疲れたんでしょうからね。無理もないですよ。」


エリシアの言葉に、男は静かにうなずいた。


「博士……あなたには、なんとお礼を申し上げたらいいか……。足が動くようになって、ケイルも私たち家族も、笑顔が本当に増えました。」


その声には深い感謝がにじんでいた。


エリシアは首を横に振り、静かに答える。


「僕は、魔道具の研究者として当然のことをしただけです。それに昼間もいいましたが、ケイルくんの足が動くようになったのは、彼自身の努力の賜物ですよ。」


その言葉を受け、ケイルの父の目が一瞬だけ潤んだ。


「……ありがとうございます、博士。」


静かに深く、彼は頭を下げた。


その時間は、ささやかだが、確かに誰かを救った実感がそこにあった。


夕食を終えると、エリシアにはコーヒーが、ノアには温かいホットミルクがそれぞれ差し出された。

食器を片付け終えたケイルの父も、湯気の立つカップを手に、再び二人の向かいに腰を下ろす。


ふう、と静かに一息ついたあと、ケイルの父が真剣な面持ちで口を開いた。


「博士……一つ、お願いがあります。」


その言葉を合図にするかのように、奥に座っていた街の男たちも、無言で父の背後に並んだ。


「私たちに……山賊に対抗できる魔道具を、作っていただけませんか。」


そう言って、ケイルの父は机に手をつき、深く頭を下げた。後ろの男たちも同じように頭を垂れる。


その光景を見たエリシアの表情が一瞬にして冷たくなる。


「……本気で言っているんですか?」


その声は、鋭く、そして静かだった。


「町長から話は聞いたでしょう? もう限界なんです。このままでは、街も、家族も、ケイルさえも……守れない。戦うしかないんです!」


ケイルの父は切実に訴える。


だが、エリシアは首を横に振ると、静かに、だがはっきりと告げた。


「……愚かな考えですね。」


「え……?」


「ちょっと、エリシア!?」


ノアが慌てて声を上げるが、エリシアの目は真っ直ぐ男たちを射抜いていた。


「魔道具の力に怯えて何もできなかったあなた方が、今さら戦うと? 一時の感情に駆られて山賊に立ち向かったところで、状況を打開できると本気で思っているんですか?」


男たちは唇を噛み、ノアは困惑した表情で二人の間を見つめていた。


「無駄死にするのは、あなた方の自由です。ですが……それで本当に、大切なものが守れるのですか?」


エリシアの言葉が重くのしかかる。


「父親という大切な存在を無くしたケイルくんが笑って生きていけるとおもいますか?せっかく笑顔が増えたあの子から笑顔を奪うんですか?」


「くっ……!」


ケイルの父の目が揺れる。


「それに、魔道具は兵器じゃない。誰かを傷つけるための道具じゃない。そんなこと……僕が許しません。」


静かに立ち上がるエリシア。


「じゃ、じゃあ……どうしたらいいんだよ! 泣き寝入りしろって言うのか!?」


抑えていた感情がついに爆発し、ケイルの父が叫ぶ。


「はわわ……」

ノアは手を握りしめて言葉を探すが、何も出てこない。


エリシアは、まっすぐに男の目を見据えた。


「……あなたは、ケイルくんのそばにいてやってください。大切な人が目の前でいなくなる――それが、どれほど辛いことか。」

エリシアの表情がさみしそうになる


「っ……!」


その言葉に、ケイルの父は何も言えなくなり、拳を握りしめるだけだった。


「……それが、今のあなたにできる最善です。」


そう言い残し、エリシアは椅子を押し戻して立ち上がる。


「少し、外の空気を吸ってきます。」


そう言って、ゆっくりと宿の扉を開き、冷えた夜の空気のなかへと歩き出した。




エリシアは、冷たい夜の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、宿の庭先へと歩を進めた。

柵の前に立ち止まり、両手をそっとかける。見上げた夜空には、雲の切れ間から星々がこぼれていた。


どこか遠く、まるで手の届かない場所にあるように思えた。


そこに、後ろから足音が近づく。


「もっと……優しい言い方できないの?」


少し不満げで、でもどこか気遣うようなノアの声。振り返らなくてもわかる。

エリシアは肩越しに微笑み、苦笑まじりに答える。


「君なら泣いちゃったかな?」


ノアはむっとした顔で彼女の隣に並んだ。


「別に泣かないし。」


「ふふっ、だよね。」


少しだけ、空気がやわらぐ。

エリシアは視線を空に戻し、ぽつりとつぶやいた。


「……僕には、ああいう言い方しかできないよ。思ったことを、そのまま言っただけさ。」


「ふぅん……」


ノアは短く返し、それきり沈黙が落ちた。

ふたりの間に流れる夜風が、思いのほか冷たい。


やがてノアが、静かに口を開く。


「街を出て、山道をずーっと行ったところに……ちょっとした丘があるんだって。」


「……何の話?」


横目で見つめると、ノアは少しだけ真剣な表情になっていた。


「そこに、山賊たちがいるみたい。……ケイルのお父さんが、そう言ってた。」


その言葉に、エリシアはわずかに目を細めた。


夜の静けさのなか、言葉だけが不穏に残る。


そして――


「行くんでしょ? 私も行くよ。山賊を、ぶったおす。」


ノアの口から出たのは、強くまっすぐな意志だった。


エリシアは目を伏せて、苦笑する。


「……全く、物騒だね。」


「行かないの?」


「言ったでしょ。彼らを裁くのは、僕たちじゃない。国の仕事だ。」


「でも、その国が動かないじゃん。」


ノアの反論はもっともだった。

エリシアはひとつ深呼吸し、ゆっくりと白衣を脱ぐ。そしてノアの手に、それを託す。


「動かないなら、動かす努力をしよう。……お手柄だったよ、ノア。」


彼女の身体を包んでいた白衣の下から現れたのは、黒のインナー。

白く細い腕は、見た目に反して鍛えられた強さを感じさせた。


ノアは目を見開く。


「え? どうする気なの……?」


エリシアは庭の門の方へと歩を進めながら答えた。


「君はここにいて。ケイルのお父さんたちが、もし血迷って山賊のところへ向かおうとしたら、止めて。」


「ま、まさか……一人で行く気!?」


「その辺にコンタクトレンズを落としただけさ。」


振り返ることなく、エリシアは軽く手を振った。


「頼むよ、ノア。」


「は、はぁ!? なんなのよ、ったく!!」


ノアは白衣を抱きしめるように抱えて、その場にどすんと座り込んだ。

夜空を見上げて小さくぼやく。


「……心配、なんだからね。」


風のなか、エリシアの背中はどこか頼もしく、そして少しだけ遠く見えた。


丘にある広場では、山賊たちが焚き火を囲みながら酒盛りに興じていた。

笑い声とがさつな叫びが、静まり返った山道に不快なほど響いている。


その様子を、木陰から一人の少女が見下ろしていた。

水色の髪に黒い服。白衣ではめだっていただろう。夜の闇に溶け込むその姿――エリシアだった。


彼女は端末を手に、広場の様子を冷静に撮影していく。


「……あの一際大きな男。あれがリーダーか。」


ズーム機能を使い、男の腕に埋め込まれた金属製の筒状の装置にフォーカスを合わせる。


「腕ひとつ、まるごと魔道具。……素人の手にしちゃ、随分と無茶をしたね。痛覚遮断処理もしてなさそう。プロの仕事じゃない。」


パシャ、と無音でシャッターが切られる。


視線を広場の隅に移すと、ぼろぼろの荷車が停められていた。

板にはかすれた文字で、《ミルティア》と記されている。


「物資を運んだ証拠……こちらも押さえておこう。」


再び撮影。十分に証拠は揃ってきた。


「残るは、音声か……」


ポケットから取り出したのは、小型の盗聴用魔道具。コインほどのサイズのそれを、エリシアは指先で弾くように投げた。

カサリ、と草の影に転がったそれに、山賊たちは誰一人として気づかない。


耳にイヤホンを装着し、音声を拾う。



山賊A「がはは、毎日飯にありつけて、おれらは幸せだなあ!」


山賊B「全部リーダーの武器のおかげだな。ビビらせりゃ、タダで飯くれるんだからよ!ミルティアの連中、ちょろいぜ!」


山賊A「次は女も呼ぶか? ガハハッ!」



イヤホンを外す


「ふふっ、とても悪人ぽくていいね。」


エリシアがリモコンのスイッチをおすと、盗聴器は音もなく自壊


深く息を吐き、リーダーの腕に視線を向ける。


「とはいえ、あの魔道具……下手に壊せば爆発の危険もある。あれだけは慎重にやらなきゃね。」


そっとその場を離れ、音もなく木々のあいだを抜けていく。


「……ま、回収は明日。ノアにも手伝ってもらおう。」


満天の星空の下、エリシアの足取りは静かで、それでいて迷いがなかった。

夜はまだ長い。だが、やるべきことは見えている。


宿屋の庭先。夜風が通り抜けるなか、ノアはエリシアの白衣を抱きしめるようにして、ぽつんと腰を下ろしていた。


「……はぁ、エリシア、大丈夫かな。」


誰に聞かせるでもない呟き。空は静かで、星だけが見守っている。


「山賊なんかにやられるような子じゃないって、わかってるけど……でも、やっぱり心配だよ。」


白衣を膝の上に広げ、じっと見つめる。

手触りの柔らかさに、どこか気持ちが落ち着くような気がして。


きょろきょろとあたりを見渡して、そっと顔を寄せる。


「……すんすん。」


鼻先にふわっと漂う、エリシアの香り。


「はぁ……エリシアの匂い……」


頬を染めながら、顔を白衣にうずめたそのとき。


「……何してるの?」


突然の声に、ノアの身体が飛び跳ねた。


「ぴゃっ!? べ、べべべ、別に!? な、なんでもないからっ!!」


振り返れば、いつの間にかエリシアが戻ってきていた。

どこか呆れたような微笑みで、腕を組んで立っている。


「はぁ……まったく。」


苦笑しながらも、どこか安心したような声。


そこへ、宿の扉がそっと開き、ケイルの父が申し訳なさそうに顔を出した。


「お、お二人とも……さきほどは、すまなかった。頭に血がのぼって、あんな口を……」


深々と頭を下げる。


「いえ、気にしてませんよ。僕は……」


エリシアが口を開きかけたそのとき、ノアが彼女の腕をぐいっと引っ張った。


「エリシアも謝って。あんたも言い方がキツすぎたよ!」


「ノア……?」


「いいから! ちゃんと!」


その真剣な目に、エリシアは一瞬はっとして、目を伏せた。


「……僕も、言い方が悪かったです。申し訳ありません。」


彼女もまた、素直に頭を下げる。


しばしの沈黙――


「よしっ、これで仲直りっ!」


ノアが元気よく手を叩いた。


「まったく、君は……」


エリシアは小さく笑い、ケイルの父も思わず頬を緩めた。


「ははは……やられましたな、博士。お風呂の支度ができております。どうぞ、ごゆっくり。」


「ありがとうございます。」


「わぁ、お風呂!」


ノアが目を輝かせると、エリシアがふと微笑みかけた。


「ノア。一緒に入ろっか。」


「……へ?」


その瞬間、ノアの顔は真っ赤に染まった


脱衣所に入ると、ほんのりと木の香りが鼻をくすぐった。

壁沿いに並んだ木製のロッカーが、古びた旅籠の趣を感じさせる。


エリシアはためらうことなく、白衣を脱ぎ、ロッカーに丁寧に畳んで収めていく。

その動作には、無駄な迷いも、恥じらいもない。


一方で、ノアは部屋の隅の椅子に座り、タオルを胸に抱きしめたまま、そわそわと足を揺らしていた。


「どうしたの? ノア。」


エリシアがちらりと視線を向ける。


「わ、わ、私は……あとで、いいかな、なんて……」


目を合わせようとせず、視線が泳いでいる。


「女同士なんだし、恥ずかしがらなくていいよ?」


「そ、そういうわけじゃ、なくて……!」


「まぁ、僕は男性とでも気にしないけど。」


無邪気に笑うエリシアの言葉に、ノアは文字通り飛び上がる。


「は、はぁ!? あんたほんとにバカなの!? 無神経にもほどがあるでしょっ!」


「ふふっ、面白いなあ。」


苦笑混じりにそう言いながら、エリシアはインナーまで脱ぎ、すべてをロッカーへと収める。

その姿があらわになると、白く引き締まった背中に、鍛え抜かれたしなやかな筋肉が浮かび上がった。


思わずノアは顔をそむける。

だが――目の端に映った、**その背中の「紋様」**から目を離せなかった。


それは、骸骨の死神が、天使に手錠をかけられ吊り上げられているという、どこか寓意めいたタトゥーだった。

死神の眼窩は虚ろで、天使はどこか悲しげに見える。

周囲には、今はもう使われない古代文字がびっしりと刻まれていた。


「……エ、エリシア? その背中……」


思わず声をかけると、彼女はロッカーの扉に手をかけたまま、静かに振り返る。


「ん? ああ、やっぱり気になるよね。」


少し遠い目をして、エリシアはかすかに微笑んだ。


「これはね――“消したいけど、消えてほしくない過去”かな。」


その声には、わずかに揺れる感情の波がにじんでいた。

悲しさとも、懐かしさともつかない感情が、言葉の奥に静かに漂っていた。


ノアは何も言えず、ただ黙って見つめた。

照明のやわらかな光のなかで、エリシアの背中のタトゥーが、まるで物語を語るように揺れていた。


その重みを前にして、ノアは思わず、言葉を飲み込んだ。


「……あ、ご、ごめん、ね。」


何が“ごめん”なのか、自分でもはっきりとはわからない。

でも、そう言わずにはいられなかった。


エリシアはゆるく微笑む。


「謝るくらいなら――君も脱げ。」


「えっ……!?」


言うが早いか、タオルを構えるノアにじりじりと近づいていく。


「ちょ、ちょっとまって!? い、いやぁぁぁぁぁ!!」


脱衣所に響く悲鳴と笑い声。

そして――


──


ふたりは湯船に肩を並べていた。


灯籠のやわらかな光が湯けむりに溶け込み、世界はやさしい蒸気の中にある。

ノアは長い髪を濡らさないよう、後ろでひとつにまとめている。

顔はのぼせているわけでもないのに、頬が真っ赤だった。


エリシアは湯の温もりに目を細め、静かに言う。


「はぁ……気持ちいいね。」


「……う、うん。」


ぎこちない相槌。でも、それはどこか心地いい。


しばらく黙っていたエリシアが、ぽつりと問いかけた。


「どう思った?」


ノアが小さく瞬きする。


「え?」


「君は、街の人たちが山賊に立ち向かわないことを不思議に思ってたよね。

でも、ケイルのお父さんたちは……自分たちで立ち向かおうとしてた。」


エリシアは湯をすくって、手のひらからぽたぽたとこぼす。


「君はどう思った?」


ノアは湯に視線を落とす。


少しの間、考えて、それからゆっくりと答えた。


「……やめてほしい、って思った。

無謀だよ。武器も訓練もしてないのに、勝てるわけない。

死ぬかもしれないのに……どうしてって思った。」


その声は、かすかに震えていた。


エリシアがふっと笑う。


「ふふっ、魔王様が人間を憂うなんてね。」


ノアは眉をひそめ、そっぽを向いた。


「……うるさい。」


風呂を上がった二人は、宿の奥にあるこぢんまりとした部屋へと通された。

白を基調にした壁、木の床、そして並んだ二つのシングルベッド。素朴だが清潔な空間だった。


ノアは髪を乾かしてもらいながら、どこか心地よさそうに目を閉じる。

そのあと、ふわりとベッドに横たわった。髪はまだほんのりと湿っている。


反対側のベッドでは、エリシアが小さな灯りの下でノートパソコンを操作していた。

彼女は真剣な面持ちでキーボードを打ち込みながら、先ほど撮った映像や音声データを整理している。


それは、国への報告のための資料作成。

山賊の存在、魔道具の危険性、物資の略奪、証拠は十分に揃っていた。


カタ、カタ……静かなタイピング音が、部屋の中にささやくように響いている。


ふと、エリシアは背中にぬくもりを感じた。


「……ノア?」


振り向くと、ノアがそっと彼女に抱きついていた。


「どうしたの?」


「……寒いの。」


その声はかすかで、どこか寂しげだった。


「毛布、頼もうか?」


ノアはゆっくりと首を横に振る。


「これが……いいの。」


エリシアは小さく笑った。


「……ちょっと待ってね。すぐ終わるから。」


ノアは何も言わず、ただその背に顔を預けていた。

彼女の体温が、ほんの少しずつ手のひらに広がっていく。


やがて作業を終えたエリシアは、ノアと同じベッドにそっと身を滑り込ませる。



二人は毛布にくるまり、寄り添うように眠った。

月明かりがレースのカーテンをすり抜けて、静かにベッドを照らしている。


その光のなかで、少女たちの寝息が、深い夜をゆっくりと満たしていった。



***

 冷たく湿った空気が、どこからともなく吹き抜ける薄暗い空間。

錆びた鉄格子の中に、ひとりの男が座っていた。寝癖はぼさぼさで、無精髭に覆われた顔。年の頃は三十前後、知的そうな眼鏡をかけている。


壁も床も、何かの狂気に取り憑かれたように数式、化学式、魔法術式が彫られていた。

その男は石片を手に、鼻歌まじりでさらに壁へと何かを書き続けている。


そこへ、小さな足音。


ひとりの少女が、鉄格子の前にちょこんと座った。

水色の髪、黒い瞳。年は十歳ほどだろうか。目に光はなく、虚ろで、感情の揺れを見せることはなかった。


「おや? 新しい看守さんかい?」

男は楽しげに声をかけた。

「ずいぶん可愛らしい看守さんだね。」


「……。」


「誰も僕の話を聞いてくれないんだよ。僕と話してると、看守さんたち、倒れちゃうんだ。」


「……あなたの話は難しいんだって。みんな嫌がってる。」


「心外だなあ。僕は輝かしい未来の話をしてるのに。」


「……壁に書いてあるの、“マドウグ”っていう悪いやつ?」


男はふっと笑った。


「ははは。そう教わったのかい?」


「だから、あなたは捕まった。」


「魔道具は、世界を救う。僕は本気でそう信じてる。」


「……すごいね。」


男の手が止まる。


「君、興味があるのかい?」


「……ちょっと。でも、大人に怒られる。」


「驚いたな……まだ、感情を奪われてないのか。」


「……?」


「君、名前は?」


「A-01」

機械のように、少女は番号を答えた。


「それは名前じゃない。ただの識別番号だよ。」


「……あなたの名前は?」


「知らないのかい? なら、教えてあげよう。」


男は立ち上がり、誇らしげに胸を張った。


「僕はルシウス。ルシウス・クローネ。悪名高き魔道具の研究者だ! まあ、気軽に“博士”と呼んでくれたまえ!」


「……博士。いいな。名前。」


少女の目が、ほんのわずかに揺れた。


「君、名前がないのか。」


少女は小さくうなずく。


「よし、じゃあ……僕が名前をつけてあげよう。すこし待ってくれ。」


博士は床にしゃがみこみ、石で名前の候補を描きはじめた。

その背を、少女は無表情ながら、どこか期待に胸を高鳴らせながら見つめていた。


「……よし、決めた!」


男は立ち上がると、柔らかく微笑んだ。


「僕に娘ができたらつけようと思ってた名前があるんだ。とっておきだ、大事にするんだぞ?」


少女はこくんとうなずく。


「君の名前は――」




──エリシア。


***

「はっ……!」


エリシアは目を覚ました。


夜明け前、まだ星が瞬いていた。

隣ではノアが穏やかな寝息を立てている。


「夢……か。」


小さくつぶやいて、エリシアはそっとノアの頭をなでて、ベッドから抜け出した。


バルコニーに出ると、ひんやりとした風が肌を撫でた。

空には名残の星たちが静かに輝いている。


そのなかで、一際強く光る星を見上げる。

エリシアの唇が、やわらかく弧を描いた。


「ねぇ……見てるの?」


「……会いたいよ、博士。」


一筋の涙が、頬を静かに伝う。


冷静沈着で、誰よりも理知的な彼女が、今だけは一人の少女だった。



ノアとエリシア、住人たちは思いをぶつけあった。

それぞれの想いを胸に街をとりもどす戦いがはじまろうとしていた。






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