魔法の発動
毎日朝早く教室に向かい、ギディングス様へ挨拶する。静かな教室で予習をおこない、授業にのぞむ。そのようにして数週間が過ぎた。
ギディングス様とは挨拶しか交わしていないものの、素敵な男の子と目線が合うだけで幸せな気持ちになる。
しかし少し気にかかることがあった。彼の顔色が日に日に悪くなっている気がするのだ。しかしギディングス様は笑顔を絶やさず、声もはりがある。杞憂だといいのだが、何となく彼の顔色をチェックしてしまう。
授業では魔力操作の授業が始まった。私はそれに四苦八苦している。まず自分の魔力を自由自在に動かせるようになることが大切らしい。
相変わらず友達がいない私は、機会があればクラスメイトに挨拶している。当初の目論見通り、数人のクラスメイトと言葉を交わすぐらいはできるようになってきた。
「セレスティナ様のおうちって、子爵家よね」
「そうですよ。ローマイア家といって、北の果てにある領地です」
「子爵家の令嬢で三属性もあるなんて。ご家族に魔力もちはいらっしゃるの?」
「いません。ロミルダ様は?」
彼女はロミルダ・ディンガーと言って、初日に話しかけたラングハイム様のグループにいる令嬢だ。隣の席なので毎日にこやかに挨拶をしていたら、だんだんと話しかけてくれるようになった。
「兄と母が魔力もちよ。そういえば、セレスティナ様に婚約者はいる?わたくしの兄に会ってみません?」
彼女の兄と会ってどうなるのだろう。私を気に入ってくれたのかもしれないが、これも貴族同士の駆け引きかもしれない。私は令嬢教育が十分でないので、いまいち彼女の真意が分からない。
「婚約者はいませんが……あ、ロミルダ様。ラングハイム様がいらっしゃいましたよ」
「もう、セレスティナ様ったら。また兄の話をさせてくださいね」
ロミルダ様はにこやかに笑うとラングハイム様のもとへ歩いていった。少し困ってしまったが、こうして言葉を交わす相手が増えたことは嬉しい。
ラングハイム様には挨拶できていない。是非話してみたいが、彼女はいつも友人に囲まれているので、遠くから整った彼女の美貌を拝んでいるだけだ。
アロイスとは前に機嫌を損ねて以来、放課後に少し話す程度になった。それも変わったことがないかを聞かれるぐらいで、長く会話を楽しむ訳ではない。
クラスも違うのだからそれも自然なことだと思っている。
昼食は朝に寮で作ってもらい、それを校庭のベンチで食べている。
(今日は……豆のサラダに、パン。あら、肉も焼いてくれたのね)
寮の食堂のおばさまとはもう仲良くなった。本当は簡単な料理なら自分でできるが、やっぱり作って貰った方が美味しい。夢中で食べていると、校舎からギディングス様が出てきた。
「ギディングス様!」
「ローマイアさん。いつもここで食べているの?」
「はい!」
ギディングス様と挨拶以上の会話をすることはほとんどない。そのまま通り過ぎるだろうと予想していると、彼はなぜか私の前で立ち止まった。
「昼からはいよいよ魔法の実践だね」
「はい。凄く楽しみです!」
これまで座学だった魔法の授業が、昼から実践となるのだ。ずっと楽しみにしていた。これまでは教室で理論を学び、魔力操作の練習ばかりだった。
満を持して私も魔法を発動するのだ。
穏やかな風がふわりと彼の髪を揺らした。彼の黒髪は良く見ると少し茶色が入っていた。私も髪に一部変色している部分がある。魔術師にはよくあることらしいが、彼は前髪にその特徴が出たようだ。私は少し見えた彼の額まで形が良いことに感心した。
「君って、本当に魔法のことを学んでこなかったみたいだね」
「はい。自分に魔力があるなんて、夢にも思わなかったものですから」
こんなに長く彼と言葉を交わすのは初めてのことだ。
(……ん?なに、あれ)
改めて彼を観察してみると、体のあたりに黒いモヤのようなものがあった。これは何だろう。こんなにはっきり見えるのに、今まで気が付かなかった。それに彼の顔色は明らかに青白く、目の下にクマがある。寝不足だろうか。
「あの……ギディングス様。体調は大丈夫ですか」
「体調?」
「もしかして、寝られていないのでは」
「……まぁ知ってのとおり早起きだしね」
ギディングス様は笑顔ではあるが、感情が伝わってこない。彼の新緑のような瞳が私を映していると思うと、なんだかどぎまぎする。どうすれば良いか分からず私は目をそらした。
「ギディングス様。私は教室に戻りますね。ではまた!」
ほとんど食べ終えた昼食の箱を片付け、私はその場を退散する。
(あぁ緊張した!何で私に話しかけてくれたのかしら)
彼と話せることは嬉しい。でも、もの凄く緊張してしまう。
(あの黒いのなんだろう)
今まで気が付かなかったが、ギディングス様に良く分からないものがまとわりついていた。あの黒いものはあまり良くないもののような気がした。
魔法の実践は外の演習場でおこなうらしい。演習場には的らしき木で作られた板が並べられている。
アイマー先生が前に立つと、大きな声で話し出した。
「まず俺が実演する。俺はあの左の的を壊す」
彼はそう言うと、手を的の方へ突き出した。しばらくすると渦を巻いた炎が現れ、それは二つに分かれると、速度を上げて左の的へ命中した。的は勢いよく炎上し、燃え尽きた。
(すごいっ!!)
さすが先生だ。私は音を立てずに称賛の拍手をする。
「魔力操作はこれまで教室でもやってきたな。あとは発現させる事象を具体的にイメージして、魔力を乗せるんだ。じゃあできそうだと思うやつからやっていけー」
誰が一番手を務めるだろうと思っていると、ギディングス様が前に出た。さすがである。
ギディングス様は的の前に進むと、真ん中の的を指し示した。真ん中の的を狙うようだ。彼が手を的に向けると、突風が巻き起こり、竜巻のようになって的に激突すると、的は粉々になった。割としっかり作られている的だというのに、粉々だ。私はぽかんと先ほどまで的だった木片たちを眺めた。
(水だけじゃなく、風の魔法もあんなに正確に……凄すぎる)
拍手やため息がそこかしこで起きていた。皆言葉もなくギディングス様を眺めている。やはり彼はレベルが違うようだ。
「お前ら。ギディングスは本当に例外だから気にすんなよ。入学前からこんだけ使える奴なんて、俺も初めてだ」
アイマー先生がクラス内に向けて言った言葉に少し安心する。私はなぜかAクラスにいるものの、確実に最底辺だ。ギディングス様を見ていると魔法を発動することにもちょっとためらってしまいそうだ。
アイマー先生の言葉で背をおされたのか、何人かが魔法を発動し始めた。魔法が的まで届かない生徒がほとんどで、届いても壊れない。やはりギディングス様は規格外だったらしい。
「フロレンシア様、頑張ってください」
「えぇ。ありがとう」
ラングハイム様が令嬢たちから励まされている。次は彼女が発動するようだ。彼女が優雅に指先を的に向けると、ごうっと音をたてて炎が出た。その炎は渦を巻くようにして的へ当たり、炎上する。ラングハイム様は燃え尽きた的を見て妖艶に微笑むと、友人たちの輪の中に戻っていった。
「ふぁぁ……凄い」
思わず間抜けな声を出していると、知らない間に隣にギディングス様がきていた。
「彼女も俺と同じだ。ギディングス家もラングハイム家も魔術師の家系だから、英才教育を受けている」
「そ、そうなんですね」
美形から急に話しかけられると心臓に悪い。若干挙動不審になってしまう。
(俺!ギディングス様って自分のこと、俺って言うんだ!)
僕派もしくは私派だと思っていたので意外だな、なんてどうでも良いことを考えてしまう。
彼によれば、高位貴族の中でも、魔法教育の内容には差があるという。ギディングス様とラングハイム様は判定前から魔力がある前提で高度な教育を受けていたらしい。
「と言っても、君ほど魔法を知らずに入学する生徒はいないと思うけどね。ローマイアさんも発動したら?」
彼の言葉にクラスを見回すと、既にほとんどの生徒が発動を終えていた。たしかに見ているだけでは魔法は使えないのだ。私は自分を奮い立たせる。
「では、行きます……!」
「はは。頑張って」
ギディングス様の言葉に勇気をもらい、的の前に足を進める。
定位置につくと、私は皆がやっていたように手を的に向けてみた。
(よしっ!いまこそ、魔法を発動するとき!)
満を持して突き出した手から魔力を出す。が、何も起こらない。
思ってもみない事態に思わず首をかしげた。
「あれ……?」
魔力操作は寮でも自習したのだ。ちゃんとできているはずなのに、何も発動しない。
「ローマイア。起こる事象を具体的に想像して、魔力を乗せるんだ。判定師は何の属性が強いと言ってた?」
困っている私を見かねてか、アイマー先生が来てくれた。判定師から貰った魔力判定の結果を思い返す。確か光、風、土の順番だったはずだ。
「光が強いと言われました」
「じゃあ、具体的に光を出すイメージを持ってみろ。はじめは声に乗せた方が出しやすい」
「声……?」
確かに、何やら呟きながら魔法を発動している生徒もいた。しかし何と言えばいいのだろう。小説に出てくるような格好いい呪文があるのだろうか。ちょっと作詞は自信がない。
「言葉は何でもいい。イメージが具現化するように発声するだけだ」
考えが顔に出ていたのか、アイマー先生が付け加える。それなら何とかなりそうだ。私は再び手を的に向けると、魔力に集中した。
(光。光。光魔法って一体何なんだろう。光が出ればそれで正解なのかしら。的があるんだから、的まで光が届けばいいのかな)
私は頭の中で、安直に太陽の光をイメージした。全て浄化するような、圧倒的な光。
「……光れ!」
何の捻りもなく、そのままの言葉を出すと、指先からまばゆい光が出た。それは想定以上に強く、的どころか演習場全体に広がった。
まるで太陽がそこにあるかのような容赦ない照度の光は、とてつもない破壊力だった。
「うぁ!目が」
「きゃあ!まぶしい!!」
もはや的がどうなったとかいう話ではない。光は無差別に皆の視界を奪う。術者は魔法の効果外なのか、私の目は無事なため、皆が手を覆って目を守っているのが良く見える。
「ローマイア!もう止めろ!」
「ど、どうすれば!!」
私はもうパニックとなり、ひたすら眩しい光を出し続けるヤバい女となっている。
「魔法を止めるんだ!」
アイマー先生が焦ったように言うが、私はもう頭が真っ白だ。周囲の悲鳴が余計に私を焦らせる。
「分かりませんー!」
私が半泣きになっていると、後ろから肩に誰かの手を添えられた。
「ローマイアさん、魔力を止めれば光は消える。落ち着いて」
その声はギディングス様だった。彼の声が耳に届くと、少し冷静になった。魔力に集中し、それを止める。ようやく周囲を包んでいた光が消えた。
「消えた……」
良かった。本当に良かった。私はすぐにクラスメイトに向き直り、頭を下げた。皆、茫然と私を見ている。
「も、申し訳ありませんでした!」
やらかしてしまった。とんでもない失態だ。
「光属性の生徒を受け持つのは初めてでこういう事態を想定していなかった。これは俺の失態だ。ローマイアは悪くない」
アイマー先生が私とクラスメイト達に向けて言った。何て良い先生なんだろう。涙が出そうになる。
「威力は調整できるはずだ。それも練習だな。よし、じゃあ全員終わったな——っておい、ローマイア!?」
遠くにアイマー先生の声が聞こえる。私、どうしたんだろう。力が入らない。
ついに立っていられなくなり、そのまま意識は深く沈んでいった。