フリーデ
馬車は両親の馴染みの宿に着いた。私も今日は宿に泊まる。寮に帰ろうかとも思ったが、両親が帰った後に寮に戻ることにした。
疲労困憊の両親は先に宿に入り、オリバー様と馬車に残って二人で話す。
「明日、母のところへ行こうと思ってる」
「ルイスの話を聞くのですか」
「そうだね。でもそれ以上に、ちゃんと母と向き合いたい」
フリーデ様は今、別宅に移って一人で暮らしているという。オリバー様はその別宅へ訪問するのだろう。
「俺は、母が兄に禁止魔法を教えたと思っている」
オリバー様の推測に、私は驚いてしまう。
「そうとしか考えられない。……それに、母は自分が当主の間にラングハイム家と魔法誓約を結び、君の母の生家を追い詰めて、それが終わるとさっさと父に当主の座を譲り渡している。母の行動で俺と君は大きな影響を受けた。だからこそ俺は母にちゃんと向き合うべきだ」
私は彼の手を取った。
「私も、一緒に行きます」
オリバー様は少し逡巡するように私を見た。お母様と私を会わせることに抵抗があるのかもしれない。
「俺の家族が……、これ以上君を傷つけないか、不安なんだ」
彼の長いまつ毛が頬に影を落とす。弱弱しい声に、彼の心情が滲んでいる。
「何を言っているんですか、オリバー様。私だってあなたの家族です」
「ティナ……」
「まだ、こ、恋人、ですけど。でも、家族になろうって、言ってくださいましたよね?だから、平気です。あなたが一人で辛い思いをする方が、私は嫌です。きっとフリーデ様ともあまり良い関係じゃないのですよね?」
「そうだね。情けないことに」
「情けなくなんてありません!人間関係って、一方の努力だけで成り立つものじゃないですから」
オリバー様は私を抱き寄せてくれた。
「ありがとう。本当は、君がいてくれたら心強いって思ってしまっていた。母とはもう何年も会っていない。まともな会話もしたことがないし、触れてもらった記憶もない。何を考えておられるのか良く分からない人なんだ」
私は言葉に詰まる。思っていた以上に彼は冷えた環境で育ってきたらしい。
「今日の、ルイスに執着していたという話も、予想はしていたけどどこか信じられなかった。母が何かに拘りを見せることがあるなんて……自分の子どもにも興味がない人なのに」
「オリバー様」
「君の実の母の生家も俺の母が攻撃していたんだ。もし、君の実の両親を奪ったのも俺の母だったら……。俺はそれが恐ろしい」
「フリーデ様とオリバー様は別の人間です」
私は彼の目を見て言った。
「もしフリーデ様が……実の親を害した人だったとしても、それで私がオリバー様から離れるなんて絶対ないです。これからも、あなたの傍にいさせてください」
もうオリバー様と離れるなんて絶対に嫌だ。私がそう言うと、オリバー様は一度強めに私を抱きしめてくれた。
「君がいるから、母の前に立つ勇気が持てた」
彼はゆっくりと、頬に軽く触れるだけのキスをした。
「本当に、ありがとう。ティナ。愛してる」
「わ、私も……」
彼の突然の行動に、私は動揺しすぎて挙動不審になる。
「明日は一緒に行こう。迎えに来る」
「はい」
「今日は疲れただろうし、ゆっくり休んで」
「はい……」
愛おしそうに目を細め、彼は帰っていった。
◆
その夜、私はルイスが残した書付を読んだ。
そこには、ルイスが自身の魔力の少なさを嘆いていると取れる文章や、彼がギディングス家との縁談を重荷に思っているような文章があった。
(“きっと俺は長生きできない”……)
事実ルイスは若くして死んでしまった。彼は自分の体が弱いことを十分に自覚していた。
読み進めていくうちに、私はある一文に釘付けになった。
(……“アイクラー嬢に、黒いモヤが見える。あれはきっとよくないものだ”……)
私はその正体を知っている。
オリバー様を蝕んでいたあのモヤに苦しむ若い女性を思い浮かべ、私の胸は痛んだ。
◆
フリーデ様の別宅は王都の中の貴族街の一角にあった。こぢんまりとした建物だが、小さな庭もあり、一人で住むには大きな屋敷だ。
オリバー様が扉を叩くと、使用人と思わしき女性が出てきた。彼女はオリバー様も見知った相手のようなので、元々ギディングス家で長く働いた人物なのだろう。彼女は私たちを中に通し、部屋に案内してくれた。
「ここに来るのは初めてだ」
オリバー様の声にはどこか緊張が滲んでいる。
「そうなんですか……」
彼の幼少期は一体どんなものだったのだろう。お母様から触れてもらったこともないと言っていた。私には想像できないほど寂しい思いをしてきたに違いない。
しばらくすると扉が開き、部屋に美しい女性が入ってきた。
(この方が、フリーデ様)
両親と同世代なのだろうが、とても若々しく見える。豊かに波打つ黒髪は艶めき、肌は透き通るように美しい。
フリーデ様は私を見て目を見開くと、時が止まったように私を凝視した。オリバー様が立ち上がったので、私も立ち上がる。
「お久しぶりです、母上。彼女は俺の妻になる人です」
オリバー様が私をフリーデ様に紹介してくれたが、彼女は何も言葉を発することはない。
「セレスティナ・ローマイアと申します」
私が礼をとる間も、フリーデ様は瞬きもせずに私を見ている。
「母上。俺は、ご存じの通り嫡子を降り、ギディングス家の籍からも抜けました。これからお会いすることは殆どないでしょう。今日はご挨拶に来ました」
フリーデ様はようやくオリバー様を見た。しばらくじっと彼を見た後、目を伏せた。
「オリバー。お前、まさかそんな事を告げるためにここへ来たとでも言うの?そんな訳がない。この女を私に見せるためでしょう」
「母上、彼女のことをこの女などと」
「この女を、お前の妻にですって?」
はっ、とフリーデ様はオリバー様を鼻で笑った。
「好きにすればいい。なんて人生かしら。家のために好きでもない男の子どもを二人も産んだというのに、結果はこのざまよ」
投げやりに、哀れっぽく、彼女は言った。
「母上。家の為とおっしゃるなら、あなたはこれまで何をして来たのですか?私怨でアイクラー伯爵家を潰し、次世代の俺たちを縛り付ける魔法誓約を結んで後は父上に当主の座を放り投げたではないですか」
「お前たちを産んだわ。血を繋ぎ、家を繋ぐ以上の役割があると思って?それから逃げたお前がどうして私を非難できるの」
「兄上に禁止魔法を教えたのも、母上ですね。あなたは一体何がしたかったのです。俺は死ぬところだった。息子同士が殺し合うのが見たかったのですか」
「本当に使うなんて思わなかったわ。デニスがお前を引きずり下ろしたいと言ったから、こんな魔法があると教えただけ」
「俺は……、兄上と俺は、あなたの息子でしょう!」
私はオリバー様の悲痛な叫びに、胸が痛くなった。
禁止魔法を秘匿することで、オリバー様とデニス様が守りたかったのは、この人のことだったのかもしれない。オリバー様は、ずっと母の愛を求めていたのかもしれない。
フリーデ様は冷たくオリバー様を見下ろしている。
「そうね。だから、どちらかが残ればそれで良いの」
フリーデ様は私を見た。その瞳が映しているのは、私か、ルイスなのかは分からない。
「ラングハイム家の子と私の子が交わって欲しいと思ったわ。その血が、ギディングス家を継いでいけばいいと……」
彼女は私を見ているようで見ていない。彼女が私を通して見ているのは、ルイスであり、ミラなのだろう。
「フリーデ様、私はセレスティナ・ローマイアで、それ以外の何者でもありません。ローマイア領で生まれ育った田舎の子爵令嬢です」
私はオリバー様を見上げる。黒いモヤに侵食され、苦しんでいた彼を救いたかった。彼の呪いを解きたかった。
「オリバー様は苦しんでいました。家族からの悪意や無理解に傷ついていました。あなたにとってオリバー様が愛する家族ではないのでしたら、私が彼の家族になって、彼を愛して、オリバー様と一緒に生きていきます」
ルイスから愛されなかったとフリーデ様もまた傷ついたのだろう。自分以外の女性と通じ合ったルイスが憎らしかったのだろう。
「ルイスはあなたを疎ましく思ってはいませんでした。ルイスは自分の体調に不安を覚えていた。だから、婚約を破棄したかったのです」
フリーデ様は目を見開いた。
「ルイスは自分について、魔力が少なく、ギディングス家の婿に相応しくない。体も弱く、きっと長生きできないと分析していました。そんなときに、ミラに黒いモヤが見えた」
「黒いモヤ?」
「ミラは何者かから禁止魔法を使われていたようです。私もオリバー様に黒いモヤが見えました。光属性の術者はどうやら視覚的に禁止魔法を捉えられるらしいのです」
「……そうね。私はアイクラー伯爵家から禁止魔法の本を見つけた」
フリーデ様はぼんやりと呟いた。きっとミラは実家を乗っ取った親族から禁止魔法により害されていたのだろう。
「ミラは家から追い出され、黒いモヤにのまれて今にも死んでしまいそうだった。ルイスは、自分は体が弱く早いうちに死ぬのだから、フリーデ様と結婚して周囲に迷惑をかけるよりも、自分が消えた方が皆の……あなたの為になると考えたようです」
それで彼らは共に出奔し、二人で逃げ続け、いつしか愛し合うようになり、私を授かった。
フリーデ様は口元をわななかせた。
「私は、ルイス様がいればそれで良かったのよ。彼の魔力が少なくても、そんなことは問題ではなかった。体が弱くても、傍にいるのは私が良かった」
フリーデ様の瞳が潤み、ぽろぽろと涙がこぼれる。オリバー様はそんなフリーデ様をじっと見つめた。
「母上。俺はあなたを許すことはできないでしょう。あなたも、俺のことなどどうでも良いと思っているのは知っています。それでも……産んでくださって有難うございました」
オリバー様は一礼すると、私の手を引いて屋敷を出た。




