ルイス
侯爵がフロレンシア様に部屋に戻るようにと言ったので、彼女とはまた近いうちに会うことを約束して別れた。
ローマイア領から立つときに、両親は訪問の旨を伝えるとともに、かつてルイスと思わしき青年を看取ったという内容の手紙を転送機でラングハイム家へ送っている。夫妻はそれを読んでいるためか、私をじっくりと観察しているのが分かった。
屋敷に入り、侯爵に案内されたのは絵姿が沢山飾られた部屋だった。歴代のラングハイム家当主一族の絵姿なのだろう。目に見えて古いものや、フロレンシア様が描かれたものもある。
「これが先代夫妻。そしてこれが私とルイスです」
侯爵が両親に一つの絵を指し示す。そこには壮年男性とその妻らしき女性、今の私たちと同世代の青年二人が描かれていた。青年の一人は真剣な表情だが、もう一人の青年は口元が弧を描いて優美に微笑んでいる。微笑んでいる方の男性がルイスなのだろう。
「ルイスは不思議な弟でした。あいつの近くにいると何となく心が安らいでね。周囲の空気が変わるんですよ。皆があいつの隣にいたがった」
「令嬢からも人気があったわね。学園でも男女問わずいつも人に囲まれていたわ」
夫人も懐かしそうに言う。
「ご令嬢を見るに、貴殿が看取った男はルイスでしょう。目の色や雰囲気がルイスにそっくりです。本当に、こんなことがあるとは」
侯爵は目を細めて私を見ると、感じ入るように言った。
「その……ルイス様が我が領に来られた時には、かなり衰弱しておられました。供も連れず、たった二人で」
お父様がおずおずと話し出す。ルイスがなぜそんな事になったのかが知りたいのだろう。侯爵はお父様に問い返した。
「ルイスと一緒にいたのは、どんな女性でした?」
「彼女の本名は知りません。髪は娘と同じ鳶色で、恐らくルイス様と同じ年頃の、控えめな女性でした。ティオ、いやルイス様はどれだけ衰弱しても、嬉しそうに彼女へ話しかけていたのを覚えています」
「そうか……」
侯爵は二人を悼むように、瞳を閉じた。私は、自分の父親という人の絵姿をずっと見ていた。
場所を応接室に変えることになった。案内された部屋に入り、ソファに座る。侯爵はにこやかに私を見ている。不思議に思ったものの、彼からすれば私は姪である。しかも死んだ弟の忘れ形見だ。可愛く見えるのかもしれない。
「本当に、似ている。うちの娘も、そこにいるオリバー君も……自分よりローマイア嬢のことばかり気にしていた。とても君が好きなことが伝わっていたよ。ルイスもそうだった。皆がルイスに魅せられていた。皆がルイスを自分のものにしたがった」
たとえ父親がそうだったとしても、私はそんな大層な人物ではない。思わず私は恐縮してしまう。
「私は、そんな……。私がルイスさんの娘だったとしても、彼とは別の人間です」
侯爵はそんな私を優しく眺めている。この人は恐らく自分の実の父のことを一番良く知っている人物だ。私は侯爵へ視線を合わせる。
「閣下。どうか、ルイスさんのことを教えていただけますか」
「もちろんだ、ローマイア嬢。ルイスと私は割と仲の良い兄弟だったよ。ルイスは変わった奴でね。魔術師の家で育ちながら、自分は魔力がなくても良い、のんびり田舎で生活したいと言う男だった。幼い頃から虚弱体質で、成長しても良く体調を崩しては寝込んでいたからそういう思考になったのかもしれないね。結果ルイスには魔力があったが、光属性のみで魔力も多くはなかった」
父親は複数属性ではなかったらしい。自分の親なのだから何となく複数属性なのだと思っていた。
「ラングハイム家の後継は私になり、ルイスは婿入り先を探すことになった。当時、我が家には多くの釣書が届けられた。光属性は派手ではないが希少だし、ラングハイム家と縁続きになりたいという思惑もあっただろうが、背景には令嬢たちの強い要望があった。とりわけ強く話を進めようとしたのは……ギディングス家だった」
私は思わずオリバー様を見る。オリバー様は表情を変えることもなく話を聞いている。
「俺の、母ですね」
「そうだ。君の母フリーデはギディングス家の跡取り娘で、誰よりもルイスに心酔し執着していた。うちに釣書を送ってきた他の家に圧力をかけ、強引にルイスを勝ち取った」
オリバー様のお母様と父親がそのような関係だったと思わなかった。オリバー様はある程度予想していたようで、驚いてはいないようだ。
「しかしルイスはフリーデに恋情を持ち合わせていなかった。常識的に婚約者として接してはいたようだがね」
侯爵は物憂げに目を伏せると、少し言葉を切った。
「ある時からルイスはフリーデとの婚約を取りやめられないかと言い出した。自分はギディングス家の婿にはふさわしくないと。しかし相手から望まれた縁であるし、フリーデに瑕疵がある訳でもない。父……当時のラングハイム侯爵も彼女とうまくやるようにルイスを諭すしかなかった」
侯爵の認識では、どちらが悪いという話ではなく、単純にルイスとフリーデ様の相性が悪かったということらしい。
「そして、突然ルイスはいなくなった。我々は手を尽くして方々を探したが、見つからなかった。ルイスは死んだということになり、フリーデはギディングス家の分家から婿を迎えた。それが今のギディングス侯爵だ」
侯爵は懐から紙の束を取り出した。質の良くない紙の束を、綺麗にまとめて紐で綴じてある。侯爵はそれを私に差し出した。
「これは君が持っているべきものだ。ルイスが残したものだから」
私は差し出された紙の束を恐る恐る手に取った。初めて自分の実の親が残したものを目の前にして、手が震えてしまう。
「ルイスさんが書いたものなんですね」
「あぁ。我々はルイスを死んだとした後もずっと行方を探していた。ある時に、ルイスらしき男と女性が一緒にいるという情報を掴んで駆け付けた宿屋に残されていたのがこれだ」
「私の母は誰ですか?」
「ミラ・アイクラー伯爵令嬢だ。正確に言えば、元伯爵令嬢だった。親が死んで、親戚に家を乗っ取られた気の毒な女性だ」
アイクラー伯爵家という家に思い当たらず私は首をかしげる。伯爵家以上の家名は一応令嬢教育のときに覚えたはずだからだ。
「君がアイクラー伯爵家を知らないのは仕方のないことだよ。かの家は随分前に爵位を返上してもう貴族年鑑にも載っていない」
母の生家はもう存在しないらしい。私が先ほど手にした紙の束を見つめていると、オリバー様がぽつりと呟いた。
「母が、かつて苛烈に追い詰めたという家ですね」
侯爵はオリバー様に曖昧に微笑む。
「私からのルイスの話はこれぐらいにしよう。子爵。ルイスがローマイア領に現れてからのことを聞かせていただけませんか」
「は……はい。ルイス様が街に現れたのは、雪がちらつきだした時期でした……」
お父様が語りだし、侯爵夫妻がその話を熱心に聞いている。私の頭の中は侯爵の話がぐるぐると回り、知らぬ間に手にした紙を強く握りしめていた。
「ありがとうございました。子爵夫妻には心より感謝いたします」
「いえ、私どもは彼がルイス様だとは思いもしませんでした。ただ領主として旅人を保護したというだけのこと。娘のことも、ご配慮いただきありがとうございます」
ルイスを保護してからの話や、彼が息を引き取った様子を侯爵に語り終えると、侯爵はお父様へ謝辞を述べた。
侯爵は両親と私が実の親子ではないことを表沙汰にはしないと約束してくれた。その代わりという訳でもないが、私と定期的に交流したいとおっしゃった。私は勿論了承し、王都に居るときはフロレンシア様も交えて食事などを共にすることになった。
「貴殿のおかげでルイスは温かいベッドで最期を迎え、セレスティナ嬢もこのように健やかに成長した。我らは貴殿に返しきれないほどの恩があります」
侯爵はお父様の手を強く握り、そのまま頭を下げた。両親は侯爵閣下に頭を下げられ仰天する。
「閣下。頭をお上げください。我々にそのような……!」
「本当に、有難うございます」
しばらく恐縮していた両親だが、やがて困ったようにほほ笑んだ。
「ルイス様には、感謝しています。私どもにセレスティナを育てさせてくださった」
侯爵は顔を上げた。お父様は侯爵に目を合わせる。
「セレスティナが生まれる前までは、我が家は暗く、寒々しく、あまり笑顔がない家でした」
そんな話は初耳だ。私は目を見開いた。
「しかし、セレスティナが産声を上げてから……最初にいつも思い詰めたような顔をしていた息子が良く笑うようになり、癇癪が多かった娘二人が仲良くセレスティナの世話をしたがるようになった。恥ずかしながら衝突の多かった我ら夫婦も、互いを尊重できるようになったのです」
ぽつりぽつりと語るお父様の背に、お母さまが手を添えた。
「我らの姿勢が変わると使用人たちも変わっていき、前向きな気持ちで領の運営に取り組むようになると領全体も変わってきた。良い循環のきっかけはルイス様の娘であるセレスティナでした。皆それを分かっているから、セレスティナを愛して大事に思っています」
どこか涙声で語るお父様に、私も目の奥が熱くなってきた。
「いつか、ローマイア領にお越しください。ルイス様とミラ様の墓標を見晴らしのいい丘に建てております。ルイス様が雪解けの街を見たいとずっと仰っていたので、街が一望できる場所に建てました。閣下が来てくださったら、きっとルイス様も喜ばれるでしょう」
実の両親の墓は、屋敷から少し歩いた場所にある。気持ちの良い風が吹く、素敵な場所だ。両親の本名が分からなかったので墓石には名は刻まず、祈りの言葉のみを彫ってある。
「本当に、ルイスに手を差し伸べたのがあなた方で良かった」
侯爵の目からは、一筋の涙がこぼれていた。




