家族に
二人で庭に行き、並んで椅子に座った。私は何を話せば良いのか分からずじっと庭を見る。ギディングス様は私の方を向いて言った。
「ティナ。こうして時間を取ってくれて、ありがとう。急に現れて、何もなかったみたいに話して、ごめん。もし俺と話すのが嫌だったら、俺は何年でも待つから、今は席を立って貰っても構わない」
「な、何年でも!?」
「うん」
彼は至極真面目な表情で頷いた。
「俺、学園を卒業したら、ローマイア領に住むつもりなんだ」
「えっ……?」
思いもよらぬことを言われて、私は思わず驚きの声を出してしまう。私はギディングス様がどこまで本気なのかを判断できなかった。彼は王都で生まれ、有数の大貴族の子息としてここまで育ってきた人だ。とてもこんな辺境で暮らしていけるとは思えない。
「きっと、何言ってんだって思ってるんだね。でも本気だよ。だから、嫡子の座なんて返上したんだ。侯爵家の籍からも抜けたしね」
「本当に、家を継がないのですか?ローマイア領に住むために……?」
「うん。君の傍にいたいから」
彼が言っていることは、とても現実感のない話だった。私のために身分を返上するなど、考えられない。彼が手放したものの大きさに、私はおののいてしまう。
「ご家族は、納得されたのですか?」
「納得なんてするはずないよ。でも、ちょっと兄はやらかし過ぎたよね。俺が四属性だろうが、あの兄の弟というだけで、もう俺の評価はボロボロだよ。それに、ギディングス家の分家達もカイを認めてくれたし、ラングハイム家がカイを受け入れたから」
「そんな」
「ティナ。本当に俺は、当主の座なんて欲しい訳じゃなかったんだ。兄か俺が家を継ぐべきだろうとは思っていたけど。でもそれも、本当にそうなのかなって。血を繋ぐのが一番の目的なら、親族の子でも良いはずだよね。先祖は同じだし」
彼は空を見上げた。私は胸が苦しくなってきた。彼は本当に、何もかも捨てたというのだろうか。私などのために。
「君が王都からいなくなって……色々考えた。俺はずっと、家門や血を守ることを責務として捉えていて、それが貴族として生まれた者としての当然の価値観と思っていた。だからこそ、君を諦めてでも、ラングハイム家との婚約も一度は受け入れた」
「……」
「血にばかり縛られていた。兄が何をしても、同じ家の人間だから、なるべく大ごとにないようにと。思考停止で、がんじがらめだった。結果君を巻き込んで、傷つけた」
ギディングス様はいつも、余裕があるように見えた。どんなときも笑顔で、軽い調子で話すから。でも今の彼はいつもとまるで違って、どこか必死なように思えた。
「確かにさ。魔力を継いでいくって大事なことだよ。家を繋いでいくことも大事なことだ。でも、俺はさ。君がいないときっと今頃死んでいただろうし、君がいないと、これからも……とてもまともに生きていけると思えないんだよね」
「ギディングス様……」
「ティナ。俺はもう、ギディングス様じゃないよ。ただのオリバーだ」
くしゃりと彼は笑った。
「ただのオリバーだから、何のしがらみもなく、ようやく言える。ティナ。君を、愛してる」
その言葉が私に染み渡ると、なぜか私の瞳には涙が溢れてきた。
「君の隣は心地良くて。君の笑顔が愛おしくて。君のために何かしたくて。離れてると寂しくて。俺のことを見て欲しくて。きっと最初から、ずっと……俺は君に恋をしてた」
ギディングス様は私をじっと見つめている。
「持っているが為に君の傍にいられないなら、そんなもの俺にとって何の意味も持たないって良く分かったんだ」
「私の、ために……?本当に……?」
彼はゆっくりと頷く。
「俺さ。君とトビアスを見ていたり、君が家族について話しているのを聞いていて、羨ましいと思っている自分がいた。俺とは違う家族関係だからそう思うのかなと思っていたんだけど、違ったんだよね。俺は君に大切に思って貰っている君の家族が、羨ましいと感じていたんだ」
「私の家族が、羨ましい、ですか?」
「うん……俺は君の……家族になって、君に大切に思って貰いたいと思っていたんだ。きっと、ずっと」
どこか照れくさそうに彼は言った。
「ティナ。俺はもうギディングスじゃなくなって、ただの魔術師になっちゃったけど。でも何があっても君を飢えさせないと誓うよ。俺は割と何でもできる方だし、君がいれば俺はそれだけで頑張れるから。だから……俺の家族になってくれないか」
彼の美しい新緑の瞳が、まっすぐ私を映している。
ずっと彼と私の道は交わらないと思っていた。彼は私の憧れで、好きな人で。でも決して手の届かない人だった。だからこそ、フロレンシア様との婚約を知った時は辛かったけど受け入れた。
「私……私、すごく、あなたが好きです」
また鼻の奥がツンとする。視界が揺らいで、頬を雫がつたう。
「大好きで、大切で。だからこそ、私、あなたを欲しがってはいけないと思っていました。傍にいられる時間を大切にしようって。あなたがいつか違う道を行く人だって分かった上で好きになった私が悪いんだって」
一緒にいられる時間を楽しめばいいと思った。いつか侯爵になるだろう彼の役に立って、良い思い出で終わらせることができたら、きっと満足できると。
「でも、私の中はそんな綺麗な気持ちばっかりじゃなくて。あなたを私だけのものにしたいと思う自分がいたのを、あの時初めて知りました」
フロレンシア様の夫となって、幸せに暮らしていく彼を見たくなかった。好きなのに、彼の幸せを願えない自分が、嫌だった。フロレンシア様のことも大好きなのに、彼女に嫉妬してしまう自分が嫌いだった。
「大好きです。あなたの隣にいられるなら、あなたが誰でも良い。だから、私の家族になってください」
また、涙がぽろぽろとこぼれていく。彼は指がそれをぬぐうと、手のひらで私の頬を包んだ。私は彼を見上げる。
「抱きしめて、いい……?」
遠慮がちに、ぽつりと彼が言ったので、私は返事の代わりに彼の胸に顔を埋める。彼は腕を私の背に回した。
「夢みたいだ。ティナがこうして俺を受け入れてくれるなんて」
「もう隠し事は、しないでくださいね……?」
またあんな思いはしたくない。私が彼の目をじっと見ると、彼もまたしっかりと私を見返した。
「うん、しない。君が知りたいことは全部話すし、君に話すべきことは全部伝える。誓うよ」
そう応えた彼の目は今まで見たことがないほど真剣で、真摯だった。
私は彼の体に身を寄せる。耳が彼の心音を捉えると、その鼓動はとても早くて、彼の内心が伝わってくる気がした。
「本当に、可愛い」
「え?」
「ずっと思ってた。ティナが可愛いって。でも言えなかった。カイもフロレンシア嬢も良く言ってたけど、俺がそれを言ったら駄目なんだろうなって思って」
「そうだったんですか」
彼の基準は良くわからない。距離が近かったり、傍にいたいと言うのは良いのに、可愛いという言葉は駄目だったらしい。確かに彼から面白いと言われることはあったけど、可愛いと言われたことはなかったかも、しれない。
「でも、本当は言いたかった。仕草も、言動も、声も、もちろん顔も……凄く可愛いなといつも思ってたから」
「……」
ギディングスじゃなくなった彼はとても糖度が高いらしい。私は彼の胸にうずめた顔をもう上げられない。
「ギディングス様が、私を可愛いと思ってくださっているのなら……とても嬉しいです」
彼は私の髪を撫でた。まるで大事なものを扱うように。
「ティナ、だから、俺はオリバーだ。オリバーって呼んで」
また彼は自分を名前で呼ぶように求める。彼の名を呼ぶことは、どこか恐れ多い気がしていたが、不満げな彼を見て私は勇気を出した。
「オ……、オリバー様」
恥ずかしくて彼の顔を見られず俯いてしまう。なんの反応もないので不思議に思って顔を上げると、彼はまだ少し不満そうだった。
「様もいらない。敬語もいらない」
「えっと……それはちょっと、無理かもしれない、です」
「なんでだよ。バーンスタインには普通に話すのに。しかも俺より先にカイを名前で呼ぶし」
私はぽかんと彼を見た。彼はアロイスやカイ様に対抗心を燃やしていたらしい。だからずっと名前呼びに拘っていたのだろうか。
「ふ……ふふっ。オリバー様、可愛い」
「かわ……俺が!?」
思わず私は笑ってしまう。彼は自分が可愛いと評されることに納得がいかない、というように首をかしげた。
「カイ様があなたは結構嫉妬深いと言ってましたけど、本当だったんですね」
「だって君が仲良くする男は俺だけじゃないと嫌なんだ。仕方ないよね」
オリバー様の子供っぽい反応にまた私は声を上げて笑ってしまう。
「私が好きなのは、オリバー様だけですよ」
私がそう言うと、オリバー様は頬を少し赤くして、また私を抱きよせた。
「はぁ……可愛い……どうしよう……すごい好き」
普段の彼からは絶対出てこない呟きに、果たして彼は本当にオリバー様本人なのだろうか、と私は真剣に悩んでしまうのだった。




