もう一人の失恋
穏やかな日を過ごしながら、王都に思いを馳せる。
フロレンシア様はどうしているだろう。
きっとフロレンシア様は本当に私を友人だと思ってくれていたのだと思う。彼女のことは今でも好きだ。でも今はまだ、彼女の前で笑える自信がない。
(クライバー様のことは……諦めるのよね)
いつも凛としたフロレンシア様がクライバー様の前に立つと可愛らしい表情になった。彼のことを話すときは頬が染まり、その顔が本当に綺麗だった。
(でも、フロレンシア様はギディングス様と結婚する)
今、フロレンシア様は何を思っているだろう。
ギディングス様は元気だろうか。彼は辛くても周囲にそれを悟らせない。無理をしていなければいい。
「セレス!」
「ユリアーナ姉様、どうしました?」
部屋で小説を読んでいると、ユリアーナ姉様が焦った様子でやってきた。
「すごく顔面が綺麗な男があなたに会いにきたわ!クライバー家の人だって!」
「え、クライバー様が?」
私は思わぬ人物に目を丸くする。なぜ彼がローマイア領に来ているのだろう。信じられない。
「と、とりあえず着替えますから、少し待って貰ってください」
「分かったわ。約束もないんだし、待たせとけばいいのよ」
一応貴族令嬢として客人を迎える服装というものがある。私は基本的に家族や使用人としか顔を合わさないので、あまりドレスを着ていない。慌てて相応しい服装を取り出し、メイドを呼んで着替える。さすがにドレスは一人で着られない。
(なんでクライバー様がこんな辺境まで)
頭の中は疑問符でいっぱいだ。支度が終わり、私は部屋を出た。
応接室に入ると、クライバー様は紅茶を飲んでくつろいでいた。私に気が付き、にっこりとほほ笑む。
「久しぶりだね、ローマイア嬢」
「は、はい。クライバー様」
私はクライバー様の前に座る。見たところ彼は変わらない。彼は紅茶を置き、顔を私に向けた。
「道中、領地を見させてもらった。ここは良いところだね。何だか落ち着くよ」
「ありがとうございます。何もないですが、私には大切な場所です。凄く、遠かったのでは?」
「まぁね。急に来てごめんね。何か王都にいたくなくてさ。でもクライバー家って、領地がないんだよ。それで君を思い出して、来ちゃった」
何でもないように彼は言うと、物憂げに目を伏せる。
週末はいつも、四人で過ごしていたことを今さらながらに思い返す。彼もまた、私と同じなのかもしれない。
「王都は、騒がしいですからね」
「うん。本当に」
私たちはしばらく、たわいもない話をした。クライバー様がローマイア領に入るまでに見たものの話。彼が初めて二枚貝を食べた話。私の家族の話。最近生意気になってきたという彼の弟の話。
ギディングス様とフロレンシア様の話は、しなかった。
クライバー様はしばらくローマイア領に滞在されることになった。お父様やトビアス兄様にローマイア領が気に入ったと語り、お母様とお姉様方としばらくお茶をしたら、あっさりと許可がおりた。
「割と口は上手い方なんだ」
「そのようですね」
彼は既に私の家族から受け入れられているようだ。王都ではあまり見なかった一面に、私も思わず笑った。
クライバー様がいても、私の日常は変わらない。お父様の手伝いをして、畑の世話もする。お姉様たちと話して、たまにお兄様とダンスをする。
「何してるの?」
「あ、クライバー様。今は、畑の苗に木を添えて支えています」
「なぜ君が?」
「楽しいので、昔から手伝ってます!あ、でもこれは私の実験用の畑なので、私が世話をしている区画なんですよ」
クライバー様がずっと家にいるので、私も服装を改めることをしなくなった。そうなると彼に気遣うこともなくなり、本当にいつも通り過ごしている。今は畑の苗が伸びてきたので、支柱を添える作業をしている。もちろん私一人ではなく、使用人と一緒だ。
「楽しいんだ……」
私を見て不思議そうにつぶやく。作業が終わると、私は土魔法で雑草を土から出した。
「え、ちょっと待って。今の、魔法?」
「はい。雑草取るのって大変なんですよ。やってみたらできたので。みんな便利だなって喜んでます!」
「農作業に、魔法を……」
彼は驚愕したように私を見ている。農作業に魔法を使うのは一般的ではないのだろうか。
「だめでした?」
「いや、駄目じゃないけど。その発想がなかったから驚いた」
「そうなんですね。でもギディングス様は……」
びくりとクライバー様が停止する。私は自分の口から出してしまった名前にはっとして、口を手でふさいだ。彼はそんな私を見て困ったように笑う。
「……はは。良いよ。俺は大丈夫。君こそ、オリバーの話をしても辛くないの?」
「辛くないとは、言えないです。思い出さない日もないです。でも、無理に忘れようとも思わないです」
「そうだよね……」
彼は晴れ渡った空を見上げた。さわさわと、気持ちの良い風が吹いていた。
農作業がひと段落したので、クライバー様と庭に移動して椅子に座った。彼は穏やかな顔で我が家の庭を眺める。
「ここに来てよかった。何て言うか、空気が綺麗だし、みんな素敵な人だ」
「ふふ。ありがとうございます。ローマイア領を褒めて貰えて嬉しいです」
「うん。でもそれは、ローマイア領というか、君の周りの空気が綺麗になるっていう感じがするな」
どういう意味かよく分からずクライバー様を見る。
「君と一緒にいると、自分も善人になるような感じがするんだ。君のそんなとこが、きっとオリバーもフロレンシア嬢も居心地が良かったんじゃないかな。それで、何も言えなかったんだと思う」
クライバー様がどこか二人の名を寂しそうに声にしたので、私は胸が苦しくなった。
「クライバー様……」
「ひっでぇよなぁ、あいつら。あんなに一緒にいたのに、なんで何も言わないんだよ。俺も君も貴族なんだから、家が勝手に縁談をまとめることぐらい分かるのにな」
「クライバー様も、何もご存じなかったのですか?」
「知らない。本当に知らなかった。オリバーに至っては、俺にフロレンシア嬢と仲良くなれってけしかけてたんだぞ。俺がローマイア嬢を可愛いって言ったらめっちゃ嫉妬するし」
「嫉妬、してくれてたんですか。ギディングス様が」
「うん、凄かったよ。君に近付く男には睨みつけてるし。人前で堂々とティナ、ティナってさ。俺が知る中ではあんなの君だけだよ。こいつ結構、独占欲が強いタイプなんだなって意外だった」
「そう、ですか」
どうしても嬉しいと感じてしまう自分がいて、私は顔を手で覆った。きっと今自分は顔が赤い。
「はは、可愛い。こういう事もあいつがいないから気にせず言えるな」
クライバー様が相好を崩す。私は一層恥ずかしくなってしまう。
「フロレンシア様も、いつもクライバー様を見ていました」
私の反撃に、クライバー様は固まった。
「クライバー様の話になると、いつもより笑顔が可愛らしくなって……クライバー様を見つけると目で追ってらっしゃいましたよ」
「そうか……」
ちょっと参ったというように苦笑すると、彼は右手で頬杖をついた。
「フロレンシア嬢は昔から綺麗でさ。しかも優しいだろ。ほんと高嶺の花だよ。あんな子から好意的に接してもらえると、男はみんな舞い上がるさ」
「舞い上がっていらしたんですか?そのように見えませんでした」
「俺だって貴族だから。ポーカーフェイスは得意だよ」
いたずらっ子のように彼は口端を上げる。
「バカみたいだよね。もしかしたら、彼女とどうにかなれるかも、なんて思ってさ。親にまで言ったりして……結果、順当な二人がくっついた」
自虐するようにクライバー様が言う。彼は私と同じだ。どうしようもない失恋に、胸を痛めている。
「クライバー様は馬鹿じゃないです。絶対に」
私が彼の目を見て言うと、クライバー様は少し涙目になっていた。しばらく私たちは黙り込む。
「ありがとう。セレスティナ嬢」
彼が私を名前で呼んだので、私は少し目を見張った。もしかすると、彼の中で私の位置づけがクラスメイトから友人になったのかもしれない。私は思わず笑みがこぼれる。
「こちらこそ、ありがとうございます。カイ様」
私がそう返すと、彼もまた嬉しそうに微笑んだ。




