別離
朝になり、兄様はローマイア領に帰るため荷造りを始めた。私の荷物は寮に殆ど置いてあるが、取りに行ける状況でもない。
(ギディングス様にいただいた魔石は持っておきたかった、かな)
あの魔石を使ってギディングス様とたくさん話をした。見ているだけで心強い気もしていた。魔石を握りしめて眠る日も多かった。
でも諦めなければならない。彼の道には私はいないのだから。
兄様が買ってくれた服や本を片付けて、一息つく。ローマイア領に帰ればきっと、心が安らぐだろう。夏休みが終わる頃にはきっと王都も落ち着いているはずだ。学園ではまた一人でひっそりと過ごして、卒業したらすぐローマイア領に帰ればいい。
(ちゃんと卒業はしたいものね)
私がぼんやりとしていると、扉が開けられた。トビアス兄様が少し焦った様子で部屋に入る。
「セレス。ギディングス様がいらした」
心臓がどくん、と大きく震えた。私は分かりました、と何でもないように返事をした。
トビアス兄様とギディングス様が待つ部屋に入ると、ギディングス様は私を確認してはじけるように立ち上がった。
「ティナ……!」
「こんにちは、ギディングス様」
「ようやく、君に会えた」
ギディングス様は変わらないように見える。でもモヤはすっかり消えてなくなったというのに、少し顔色が悪い気がする。彼は今きっと大変な状況にあるのだろう。
「私、聞きました。トビアス兄様から。フロレンシア様のこと」
ギディングス様は声を詰まらせると、トビアス兄様の方をぎろりと睨んだ。
「俺から話すと言っただろう」
「約束などしていませんし、あなたの希望を叶える義理もありません」
「トビアス、君は!……分かったから、外してくれないか。彼女と二人で話したい」
「それはできない相談ですね」
私はギディングス様に目線を合わせる。
「ギディングス様。私から兄様に願ったのです。私が寝ている間に何があったのか聞かせてほしいと。そしてギディングス様。私たちはクラスメイトでしょう?二人で話さなければならないことなどないですよ」
「ティナ」
「愛を伝え合った訳でも、未来を約束した訳でもありません。確かに毎日お会いして魔法をかけていましたが、それもあなたの事情を考えればやむを得ないことです」
私は笑顔を作った。
「フロレンシア様との、婚約も……家同士の約束なのですから、他人に言えないのも当然です。理解します。ですから、私に対して、悪い、とか感じる必要はありません」
ギディングス様は首を横に振った。
「俺は、君に誠実でなかった。身勝手だった。君との時間が心地良くて、伝えるべきなのは分かっているのに、言わなかった。何も言わずに、君の隣にいたかったんだ」
「駄目ですよ、ギディングス様。そんなこと言ったら、女の子はみんな、あなたを好きになっちゃいますよ」
ギディングス様は目を見開いた。
「髪を触ったり、愛称で呼んだり。抱きしめて、くれたり……。その上、隣にいたい、だなんて言われたら、好きになっちゃいます」
「君は……俺が、好きなの?」
ギディングス様は驚いているように見えた。
この人は一体、何を言ってるんだろう。何を驚いているんだろう。彼はいつもどこかずれていて、そんなところも好きだった。
「……ふふ。酷い人ですね。あなたは」
泣きつくしたはずなのに、また目尻からぽろりと涙がこぼれる。
「ティナ……!」
「はい。あなたが好きです。大好きです。あの綺麗な魔法を見たときから、ずっとずっと。あなたと一緒にいると嬉しくて、胸がぎゅっとなって。だから私、相手がフロレンシア様でも、あなたが他の女性と並んでるところを見るのはきっと辛いんです」
ぽろり、ぽろりと涙が溢れてきた。トビアス兄様が私の背を撫でてくれる。
「おめでとうございます、と、お幸せに、を言えなくて、ごめんなさい。お二人とも、私の大好きな人なのに、ごめんなさい。お二人に声をかけていただいて、本当に嬉しかったのに。でも、もう、今までみたいには過ごせません」
私はギディングス様を見る。やっぱり、あのモヤはすっかり消えている。もうきっと、彼はあの痛みに一人で耐えることはない。
「ギディングス様に毎日光魔法をかけたことは、全然後悔してません。あの黒いモヤを消せて、本当に良かった」
私が笑みを浮かべると、ギディングス様は何かを堪えるように手を握りしめた。
「ティナ。君を利用しようとか、騙そうとか、そんなことは思ってなかった。君を本当に、大切に思ってる」
「その言葉だけで、十分です。ギディングス様。私、ローマイア領に戻ります。夏休みが終わればきっと戻りますが、今までのように声をかけたりはできないと思います」
「うん」
「私のことは、もう気になさらないでください。……フロレンシア様も、きっと気に病んでらっしゃると思いますけど、私、全然恨んだりしてませんから」
「……」
ギディングス様は泣き出しそうな顔をしている。じっと私を見て、何かを言いかけて、言わない。
少しは私の事を、思ってくれていたのかもしれない。そうだったら、嬉しい。
「もういいでしょう。ギディングス様」
トビアス兄様が話を終わらせると、扉を開けた。私が部屋を出るまで、ギディングス様はずっと、私を見つめていた。




