〇兄の呪い
魔力判定以降、俺は魔法の練習と研究に明け暮れる日々を過ごすようになった。
わが国の魔法は、実利優先だ。炎はいかに強く、広範囲に燃やせるか。風はどれほど早く強い風を起こせるか。水はいかに多くの水を対象に降らせるか。土は大きな塊をどれだけ出現させられるか……。いわば破壊力に重点を置いている。
魔物から民を守ってきた先祖たちの価値観がそうさせているのだろう。
(別の方向性で魔法の可能性を探れたらいい。軍事面以外のアプローチから研究すれば、より面白い結果が得られるかもしれない)
今日は水で形を作るという魔法を試みている。水の形を保持するのは案外魔力を消費するらしい。丸、四角など簡単な図形を作ってみる。それら小さな水を沢山並べてみる。
「何してるの」
「今話しかけないでくれないか」
今日はフロレンシアが来る日だったらしい。忘れていた。今はそれより魔法だ。俺は形を保持した水を塊に変え、次は風魔法と合わせ渦にした。
(二属性同時に使うと流石に魔力の消費が激しいな。でも……)
次は火魔法も合わせ蒸発させてみた。一気に魔力が減る。これ以上は危険だ。
「水と風より水と火は消費魔力が多い。面白いな」
属性の相性があるらしい。火を使わずとも、水を霧散させられたら面白そうだ。色々とやりようがあるだろう。
「あなた一体なにしてるのよ」
考えこんでいると、フロレンシアが呆れたように声を出した。そういえば先ほども声をかけられていた。
「あれ、まだいたんだ」
「あなたって本当に失礼な奴よね」
俺は彼女を応接室へ案内した。メイドを呼び、お茶と茶菓子をもってくるよう命じる。俺も彼女の前に座ると、フロレンシアは息をついた。
「四属性だったらしいじゃない。これで嫡子はあなたに決まったようなものね」
「まだ嫡子になったわけじゃない」
今は父上と交渉中である。俺は確かに四属性だが、兄だって二属性だし、貴重で優秀な魔術師であることは確かなのだ。ぜひ当主になりたい兄に重責を担ってもらい、俺は気ままに研究に没頭したい。
「そういえば君は何の属性だっけ」
フロレンシアは俺よりも先に判定を行っていた。前に結果を聞いた気もするが忘れた。紅茶に口をつけながら聞くと、彼女は呆れたような顔をした。
「火よ」
「あぁ……そうだったね」
「本当に腹が立つ男ね。どれだけ私に興味ないのよ」
今日の茶菓子はレーズンのケーキだ。彼女は遠慮することなくそれを取り、口に放り込んだ。
「興味がないわけじゃないよ。忘れてただけだ。そういうことってあるだろ」
「それは手元の本から目を離してから言う台詞よ!」
俺は今、複数属性の魔術師が残した手記を読んでいた。彼の検証は中々興味深い。別に本を読みながらでも彼女の話は聞けるのだ。なので顔は上げない。
「さっきの魔法は何なの?あなたなら、もっと大きな水の塊を出せるんじゃなくて?」
「出せるさ。でも面白いだろ。水で形を作れたら」
「そう?滝みたいな水を出してくれた方が感心するけどね」
彼女の感覚は普通だ。派手で破壊力のある魔法が行使できる者が優秀であるというのがこの国の魔法に対する価値観なのだ。だから俺は別に彼女の魔法感を変えようとは思わない。
「で、俺と婚約することに決まった?」
未だ両家の縁談はまとまっていないが、彼女に魔力があった以上、ラングハイム家とギディングス家の縁談はほぼ決定事項として話が進んでいるらしい。だからこそ彼女は頻繁に我が家に訪れるのだ。彼女の父から命じられているのだろう。
俺がフロレンシアに目線を上げると、彼女は心底嫌そうな顔をした。
「デニス様よりはマシだけど、あなたと結婚したいとも思わないのよ。露ほどもね。あなただってそうでしょ!」
「俺は子どもさえできるなら誰でもいいからね。別に君でも構わない」
「本当に、何なのあなたは。言い方ってものがあるでしょう!」
また彼女を怒らせてしまった。俺は一応困った顔を作ってみる。
「……とにかく、何とかお父様を説得して婚約は保留して貰ってるわ。学園で良い人がいるかもしれないし」
「はは。俺より?」
自分で言うのも何だが、俺は割と良い物件だろう。ギディングス家の嫡子候補。しかも四属性もちだ。容姿も良いらしいし。
「えぇそうよ!前言っていたように、私が好きな人で、その相手に魔力があるなら及第点の筈よ」
「好き、ね……」
つまりフロレンシアは魔法学園で恋人を見つけ、その男と結婚したいらしい。
俺の周囲に愛情で結ばれた人間関係を築いている例はない。俺にはピンとこないが、世の中には仲の良い家族がいることは知っている。フロレンシアならそこを目指すのも不可能な話ではないだろう。彼女は家族関係が悪くないようだし。
「君の思う相手はどうせカイだろ」
「な、な、な……!」
「全然態度が違うからすぐ分かるよ。カイに魔力があって良かったね。まぁクライバー家なら割と良い家だし、なくはないんじゃない?」
カイとは昔から交流がある。同じ魔術師家系で、ギディングス家とは親戚でもある。俺の交友関係の中では一番親しい友人と言えるだろう。
フロレンシアは否定できないのが悔しいのか、ふてくされたような表情をしていたが、何かを思い出したように声を出した。
「あ、そうだわ!知っていて?三属性の子が出たらしいわよ。しかも光属性ですって!」
「光!?三属性だって?」
光属性は希少な属性だ。魔力があっても、火・水・風・土の四大属性のいずれかの者がほとんどで、その他の属性が発現する者はかなり稀である。
「急に反応が変わるじゃない」
フロレンシアは面白くなさそうに紅茶に口を付けた。
「そんな面白い話は早く言ってくれよ。光属性って……君の親戚にいたよね」
「えぇ、叔父様よ。でも叔父様は、光が出るだけであまり有用じゃないと言っていたみたいね。まぁ夜は便利らしいけど」
光がでるだけとは何とも酷い言いようだ。それだけで、無限の可能性があるではないか。彼女の叔父は既に死亡している。つまり光属性の術者は今、その同級生だけ。
「どこの家だ?」
「ローマイア家の令嬢らしいわよ」
「ローマイア家……確か百年以上前から魔術師は出ていないけど」
「何でそんな豆知識知ってるのよ。まぁ、まさかご令嬢に魔力があるなんて思わなかったんじゃない。本人は領地に滞在していて、魔力判定もつい先日だったらしいわ」
非常に興味深い話だ。魔力は血縁により継承される。ローマイア家は魔術師の血縁が途絶えたと言ってもいい状態だった。そんな家から光属性——それも三属性の魔術師が誕生するとは。
学園に入学すれば、きっとその魔術師と会えるだろう。魔法を見られるかもしれない。
「早く見てみたい……光魔法」
光魔法については本で調べたことがある。闇を払うとか、抽象的な表現ばかりでいまいち具体的なことが分からなかった。
「相手は令嬢だから、変に関わって勘違いさせないで頂戴ね。可哀想だから」
フロレンシア以外の令嬢はにこやかに話をすると、なぜか俺が好意を持っていると勘違いしてしまうことが多い。かといって俺は女性に対してきつい態度など取れないので、できればあまり令嬢と話したくない。光属性の魔術師には非常に興味があるが、確かに令嬢であればおいそれと関われない。
「面倒だな。男なら良かったのに」
「本当に最低な男」
フロレンシアは呆れたようにつぶやいた。彼女だって、割と俺に酷いことを言っていると思うが、そこを指摘しては倍になって返って来るのだ。本当に女性は難しい。
「良いご身分だな。嫡子となる余裕か?」
フロレンシアが帰った応接室でそのまま本を読んでいると、突然兄が現れた。兄は目に見えてやつれて、どこか不穏な雰囲気をまとっていた。
「デニス兄様、まだ父上は次期当主について言及されていません」
「ふん。四属性の息子がいるのに、わざわざ俺を嫡子にする訳ないだろ。お前があのフロレンシア嬢と結婚して、晴れて次期当主だ」
「……俺は、デニス兄様が次期当主に相応しいと思っています」
俺の言葉を聞いた兄は固い岩のようなものを出現させ、勢いよく俺の胸に当てた。
「っ!」
「哀れみのつもりか?オリバー、良い気になるなよ。四属性だと?なぜ、なぜ、なぜお前が!それは俺のものだったはずだ。俺が、俺が!」
岩が当たった胸が、かなり痛い。さすがに兄は土魔法を使いこなしているらしい。
兄は俺の髪を掴み、乱暴に引き寄せた。ばさり、と音を立てて手に持っていた本が床に落ちる。
兄の目はどこか正気ではない。そもそも彼は今日学園ではないのだろうか。なぜ家にいて、俺に危害を加えているのだ。
「あ、に、うえ……これ以上は、俺も、反撃します……」
「死ね、オリバー。死ね。死ね!お前さえいなければ……!」
これまで兄からこれほど直接的な悪意を向けられたのは初めてだ。俺を見る目は憎悪に歪んでいる。
兄は瞬きもせずにじっと俺を睨みながら、小声でぼそりと呟くと、魔法を発動した。良く分からないものが俺の体内に入り込んだのが分かる。ぞわり、と激しい違和感に体中が粟立った。
「……!?」
俺の様子を観察していた兄は満足げに口元を歪めると、ようやく髪を掴む手を離した。
これは何だ。兄は俺に何をした。
「一体、何を?」
「これで、お前は終わりだ……!死んでしまえ、オリバー……」
兄はそう言うと、魔力切れを起こしその場に倒れこんだ。
何か、取り返しのつかない事態になったかもしれない。俺は言い知れない不快感に苛まれた。




