名前を付けると
フロレンシア様に連れられラングハイム家の馬車に乗ると、人心地ついた。デニス様に掴まれた腕を見ると、赤黒く手の跡が付いている。私はぶるりと震えた。
「まぁ……酷いわ。痛む?」
「大丈夫、です」
しかし、先ほどのデニス様の目を思い返すと、またぞわぞわと不快感が蘇ってしまう。
「あの方はどうしようもないわ。セレスティナ、あなたを気にしていたみたいね」
もしかするとデニス様は私がギディングス様の黒いモヤを薄めているのに感づいたのかもしれない。
あの人があの禍々しい魔法をギディングス様にかけたのだ。ギディングス様の死を願いながら。
怖くて、嫌な人だ。
「あの方は、本当にギディングス様のお兄様なんですか……?全然、違います」
「そうね。中身は全く似ていないわね。デニス様のことは昔から余り好きではなかったけど、魔力判定からはもっと嫌いになってしまったわ」
「魔力判定から?」
「えぇ。デニス様は二属性なの。オリバー・ギディングスが四属性だと分かるまでは、ギディングス家の後継はデニス様に殆ど決まったものと見られていたわ。でも、オリバー・ギディングスが四属性だと分かってからは風向きが変わって……」
「後継?長男が家を継ぐ訳ではないのですか」
「魔術師の家系はね、魔術師として優れている者が家を継ぐのよ。性別も、生まれた順序も関係ないわ」
私は初めて知った魔術師の常識に目を丸くした。そういった基準なら、ギディングス様が後継となるのが普通の流れだろう。
「当主を目指すデニス様は弟が稀有な四属性であることを歓迎しなかった。結果あんな卑屈で攻撃的な男になったの」
フロレンシア様は心底軽蔑するように語った。それは、いつものギディングス様に対する物言いとは全くかけ離れたものだった。
(フロレンシア様は、ギディングス様を本当に嫌ってる訳じゃないのね)
馬車が寮に到着すると、フロレンシア様は私に何度も本当に大丈夫かと聞いてきた。私は笑顔を作って彼女を落ち着かせると、明日の実習は頑張りましょう、と言って別れた。
寮の部屋に戻ると、私はベッドの中にもぐりこんだ。
(ギディングス様、大丈夫かな)
あんなお兄様が家にいるのだ。これまで、どれだけ嫌な思いをしてきただろう。私が光魔法をかける前は体調が悪く、学園に行くのも辛かったと言っていた。
無意識に、彼に貰った魔石をぎゅっと握る。すると、ぱっと魔石が光りだした。
『ティナ?』
「ギディングス様!大丈夫なんですか?」
『大丈夫だよ。今日は不快な思いをさせたね。本当にごめん』
「ギディングス様のせいではないです!あれから、酷いことはされませんでしたか?」
『あぁ。心配いらないよ。兄はとにかく俺を嫌な気持ちにさせたいだけなんだ。でも兄は俺には勝てないから』
ギディングス様はいつも通りの軽い口調だ。彼はポーカーフェイスが上手い。声だけだと、彼の状態が分からない。
『ティナ。今まで有難う。俺のためにこれ以上君に迷惑はかけられない』
「どういう意味ですか」
『君のおかげで体調も回復したし、光魔法のことも知れた。だから……』
彼は、私から距離を取ろうとしているのだ。そう理解すると、一つの感情が私を支配した。
(絶対、嫌!!)
彼の言葉を遮って私は声を出す。
「ギディングス様!一緒にローマイア領のためになる魔法を考えてくださるのでしょう?私の欲しい物を用意してくださるのでしょう?」
『ティナ……』
「魔法が上手く発動できるようになったのも、ギディングス様のおかげです!迷惑なんて思ったことありません!それに、私は黒いのがなくなるまでギディングス様に毎日魔法をかけたいのです!そうじゃないと、安心できません!」
『君が、安心できないの?』
「そうです!だから、私のために、傍にいてください!!」
とんでもない言葉を口にしたと気づいたのは、言葉が出た後だった。
しかし出てしまった言葉を取り消すことはできない。私は余りの羞恥心に、ぴょんぴょんとジャンプしたい衝動に駆られた。
『そう言われると、嬉しいな』
「はわわ……」
『はは、何その声』
ギディングス様は堪えきれないというように笑い始めた。どこか彼の声が明るくなった気がする。
『……ティナ。明日は、俺が君を守るから。だから安心して』
「へっ……」
『実習、不安なんだろ。俺が君のことを助けるし、守ってあげる』
何だか凄いことを言われている気がする。一体どう受け止めたらいいのか分からない。
『駄目かな?やっぱりフロレンシア嬢には敵わない?』
「い、いえ!すごく……嬉しくて」
私は、手を胸に当てた。一つの感情が、じわじわと私を支配する。
「ありがとうございます。ギディングス様のおかげで、明日は思いっきり頑張れそうです!」
『ティナは優秀な魔術師だから、自信を持って』
ギディングス様の声は、どこまでも落ち着いていて、耳に心地いい。
通話が終わっても、魔石を握りしめたまま私はしばらく動けないでいた。自分の気持ちに名前を付けてしまうと、不思議とそれはもっと膨らんで、もう見失いようもない。
「ギディングス様が好き」
多分きっと、あの美しい魔法を見た時から。ずっと私は彼の虜だったのだ。
憧れとか、助けたいとか、その気持ちも本当だけど。
「大好きだなぁ……」
ぽろっと、涙がこぼれる。
でも、彼と私の道は交わらない。
彼は名門侯爵家の跡取りで、私はいつか辺境に戻りたいと思っている身なのだから。




