彼の提案
ギディングス様の案内で到着したのは、落ち着いた雰囲気のカフェだった。ギディングス様は慣れた様子で店員に何事か告げると、私たちは個室へ案内された。
「ここはうちが運営している店でね。割と融通がきくんだ」
「そうですか」
王都の一等地にこんなに雰囲気が良い店を運営しているとは。さすがである。ギディングス様がおすすめの菓子と紅茶を注文すると、しばらくして教育が行き届いた様子の店員が商品を持ってきてくれた。
「さぁ、俺はこれを食って本でも読んでるから。兄妹で積もる話もあるんじゃないの?」
「ギディングス様……!」
「ギディングス様、ありがとうございます」
どうやら彼は気を利かせてくれたらしい。確かにタウンハウスがないローマイア家は落ち着いて話ができる場所がない。兄様と今日ゆっくり話すのは難しかった。ギディングス様は口端を上げると本に視線を落とした。
「トビアス兄様。今日到着したのですか?」
「そうだ。セレスに会うために馬をとばした。学園の前で待っていたらアロイスが来たんだ」
「その、手紙を見ていただいたのですか?」
「そうだ!あいつ、何て屑野郎だ。セレスを陰で貶めるなど許しがたい」
やはり私の手紙を読んで飛んできてくれたらしい。兄様は怒り心頭といった様子だ。私は気になっていたことを聞くことにした。
「私とアロイスが婚約しているというのは、嘘ですよね?」
「うん、でも、バーンスタイン家から打診があったのは事実らしい。お前とアロイスは仲が良かったし、同じ魔術師だし、悪くないと父上は考えていたようだが」
やはり、正式に婚約した訳ではなかったらしい。私はほっと胸を撫でおろす。
「でもアロイスが屑だと分かって、セレスも嫌がっている以上、この話はなしだ!安心したらいい。手紙を見て、父上がバーンスタイン家に話はもう白紙だと通達している」
「良かったです……!私はもう、アロイスと親しく接することは難しいと思います」
兄様はうんうんと頷くと、私の頭を撫でた。安心する。しばらく私の頭を撫でた後、兄様はちらりとギディングス様に目を向けると、口に出しづらそうに私に問いかけた。
「そ、それでな、セレス。ギディングス様とは、一体、どういう?」
「ギディングス様は、クラスメイトです!」
「クラスメイト」
全く腑に落ちない様子で兄様が繰り返す。自分の話をしていることを察知したのか、ギディングス様は組んでいた足を直して本を閉じた。
「お兄さん。ティナは光魔法というかなり希少な属性に適性がある魔術師です。俺は魔法の研究をしているので、光魔法の研究について彼女に協力して貰っています」
「魔法の研究ですか?」
「えぇ。彼女はとても優秀ですから、是非にと俺から頼み込んで協力して貰っているのです」
ギディングス様の言葉に、兄様は満面の笑みになる。
「セレスが、優秀!えぇ。そうでしょうとも。その上可愛らしく、優しい天使ですから!」
「トビアス兄様、やめてください!」
私を褒められたことに気をよくした兄様は、大きく頷いた。家族は私を愛してくれるあまりに、たまに暴走するのだ。ギディングス様はそんな兄様を興味深そうに見ている。
「セレスがあまりに優秀で希少で可愛い魔術師だからという理由でしたら、ギディングス様のような高貴なお方がセレスの隣にいることも納得せざるを得ません……」
「可愛いとはおっしゃってませんから!」
「ふっ、ふふ。ははは!そうですね、お兄さん。ティナは優秀で可愛いですから」
「ギディングス様まで!」
私が慌てるのを見て楽しむようにまたギディングス様が笑う。私は話を変えるためにも、兄様に問いかける。
「そういえばトビアス兄様。ローマイア領は変わりないですか?」
「まぁ相変わらずだな。今年は去年より実り豊かだといいのだが。しかし漁獲量は安定しているし、例年通りその収入で他領から穀物を仕入れられるだろう。心配は無用だ」
「領内でもっと作物が実ればいいのですが」
「まぁそれが一番良いな。だが我が領はあまりにも寒い時期が長い。農業を推進するには厳しい条件だ」
ローマイア領は一年の半分近くが雪に埋もれるような土地だ。暖かい時期に作物を作っているものの、冬の間の領民を飢えさせないほどの収穫量ではない。海産物は豊富に獲れるので、それを特産品として他領に売り、穀物を仕入れている。冬の間は皆、家にこもって過ごす。冬ごもりの前に、どれだけ食料が仕入れられるかがローマイア領の命題なのだ。
「私が領に帰るまでに、何か打開策が見つかればいいのですけど」
「ティナは領の運営に関わっているの?」
「あ、いえ。ただ私が何か役に立ちたいと、兄様や両親に教えて頂いているだけなのです。特別何かを任されているという訳ではありません」
「うちのセレスは本当に健気で良い子でしょう!」
またトビアス兄様の妹自慢が始まった。しかしギディングス様は先ほどのように声を上げて笑うでもなく、ただほほ笑んだ。
「俺もそう思います」
その言葉がいやに真に迫った感じがして、私はどこかそわそわと落ち着かない気持ちになった。
トビアス兄様はしばらく王都に滞在されるという。社交シーズンでもあるし、次期領主として社交を含め王都にいた方が円滑に進む仕事をこなされるそうだ。
「どこに滞在されるのですか?」
「宿を取っている。冬になる前には帰るよ」
お父様たちも、王都に来るときは貴族向けの宿に宿泊する。兄様もそれに倣って馴染みの宿を抑えていたらしい。
「お兄さんさえ良ければ、ギディングス家にいらっしゃいますか?部屋なら余っていますよ」
ギディングス様が食事にでも誘うような気軽な調子で言った。兄様は一旦停止すると、ぶんぶんと顔を横に振った。
「それはあまりにも過分な申し出です、ギディングス様。それに、私に敬語は必要ありません。私は魔力もない、ただ子爵家の長男なだけの男です。とてもあなたに敬意をはらっていただくような立場にない」
「……じゃあ、バーンスタインのように君をトビアスと呼んでいいか?」
「私ごとき、いかようにもお呼びください。本日は重ね重ねのご厚意に感謝します」
兄様が礼を取る。どこかギディングス様は寂しそうな顔をした。
店を出て、兄様が直接宿に戻ると言うので、また会うことを約束して別れた。宿の場所は知っているので、会おうと思えばいつでも会える。王都に家族がいるというだけで、何とも心強いものだ。
ギディングス様は私を寮まで私を送り届けてくれると言う。私は有難くその申し出を受け、二人で歩きだした。
「貴族にも君たちのように仲の良い兄妹がいるんだね」
「ふふ。トビアス兄様も姉様二人も、ちょっと過保護なのですが……自慢の兄姉です!」
ギディングス様は眩しいものを見るように目を細めた。
「子爵夫妻はどんな方?」
「両親はとても優しくて……領主としてローマイア領のために毎日身を粉にして働いています!辺境の何もない街なのですが、両親はそんなローマイア領を愛しているので、私も自然と故郷を愛するようになりました」
「さっき言っていたね。領に帰ると」
「はい。せっかく魔力があるのですから、魔法を使って、ローマイア領のために何かできればと思っています!」
「そうなんだ」
そう言ってギディングス様は黙り込んでしまった。そこで、自分の家族の話に嬉しくなり喋りすぎてしまったことに気が付く。彼の家族関係は良くないのだ。配慮が足りなかったかもしれない。
「ギディングス様……」
「ティナ。君のためにできることが分かった。俺も一緒に考えるよ」
「へ?」
「ローマイア領のためになる魔法」
ギディングス様は瞳を輝かせている。私はぽかんとそんな彼を見返した。
「俺ならきっと君を手伝える。魔法のことなら、力になれるから。もちろん、俺が君から貰っている恩はそんなものじゃ返しきれない。君が欲しいものがあるなら、何でも用意する」
彼はいつかのように早口で私にまくしたてる。その勢いに、私は圧されるがままだ。
「平日は魔法をかけて貰ってたら研究まで手が回らないし、週末にしよう。実習のための練習もしたいしね。カイとフロレンシア嬢には一応報告しておくから、どっちかは来てもらえるだろう。問題ない」
「そ、その……正直言うと有難いですが……よろしいのですか?ローマイア領のことなど、ギディングス様には全く関わりのないことです」
「ティナの力になりたいんだ」
ギディングス様は私をじっと見つめた。新緑の瞳が、一つ揺れる。私は思わず胸が高鳴ってしまう。
(だめだめ!!ギディングス様は、光魔法の恩を返したいだけ!勘違い、だめ!)
私は必死で自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりと首を縦に振ったのだった。




