秘密の会議
「お久しぶりです。タモン様」
「ラリーサさん!」
中庭から王城へと入るところで、タモンは見知った声に呼び止められた。
タモンも珍しく油断しきった明るい笑顔になって、その声の主と再会を喜び合っている。
「誰ですか。あれは……」
エレナとマジョリーはタモンからは少し離れた後宮の柱に隠れながら、その二人の様子を見ていた。
「ラリーサ様ですね。帝都に近いキリレン領の領主様で、皇族の血筋でもあるのでマリエッタ陛下の信頼が厚い方です」
エレナとマジョリーの側にいたエリシアは、慌てたようにタモンと親しげに話している女性の説明をした。
別にエリシアが責められるようなことは何もないのだが、エリシア自身にやましいことがあるかのように妙に緊張して二人の夫人に説明していた。
「ふうん。しかし、胸のあたりがすごい鎧ね」
エレナとマジョリーは、エリシアが頑張って余計なことには触れないようにした説明を軽く流していた。肩書きも、マリエッタ陛下の信頼も別に興味はなかった。知りたいのはただタモンとの関係だった。
王城の中なので、あくまでも軽装の鎧なのだが胸当ての部分は飛び出たような形状になっている。
奇抜なファッションとかではなく、あれは中の豊満なものが収まりきらないので、仕方なく胸当てだけ特注で苦しくないように双丘が飛び出たような形状にしたのだ。エレナには、ラリーサの胸元を見てそのことが即時に理解できていた。
(しかし、私よりも大きい……)
エレナは常日頃はそんなもので褒められても嬉しくないと思っていたけれど、自分より少しだけ年上で、すごく太っているわけでもない綺麗な女性が自分よりも胸が大きいのを見ると負けた気分にもなっていた。ましてやタモンは露出が少ないその鎧姿でさえ、嬉しそうに受け答えをしている。
「『男』って馬鹿よね」
後ろに夫人がいるのにも関わらずデレデレしているタモンに、エレナは苛立っていた。
「……それに旦那さまに近いですね。近すぎますわね」
マジョリーは、恨みが籠もっているかのようにつぶやいていた。
鎧の飛び出した胸当てが軽くタモンの胸にも触れるくらいの距離だった。そのことを気にする様子もなくラリーサは、タモンと顔を向かい合わせながら笑顔で話が弾んでいるようだった。
「あれは、『寝て』ますね」
「そうですね」
マジョリーの言葉にエレナが応じる。するとすぐに二人は確認するかのように振り返って、エリシアに鋭い視線をぶつけていた
「え……あ。ど、どうでしょう」
エリシアは普段の冷静な受け答えからは想像もできないくらいに、挙動不審な動作で視線が落ち着かない様子で二人の夫人の視線に耐えていた。
「エリシア宰相。私たちは、あなたを責めたりしませんよ。たとえ、マリエッタ陛下と示し合わせてあの女を篭絡したのだとしても……ね」
「あ、はい」
エレナに見つめられて、『これは……ほとんど、ばれているな』とエリシアは心の中ではすでに降参していた。
「それで……どうなのですか?」
マジョリーは念を押すように、エリシアの顔を覗き込んで確認していた。
「はい。おそらく一晩、一緒に過ごされたと思います」
主人の浮気隠蔽ということだけではなく、片棒をかついだだけにエリシアは恐縮しながら返事をしていた。
「一晩? 一晩だけ?」
「はい。おそらく……」
その後会ったりしていたのだろうかとエリシアは、思い出してみたけれどそんな時間はなかったように思う。
「そう……」
二人の夫人は、ちょっと安心したような顔になり、再びタモンとラリーサの様子をじっくりと監視していた。
「でも、旦那さまはああいった方がお好きそうですよね。いくら綺麗でもお子様の皇帝陛下などよりは……」
周囲に聞かれたら、問題になりそうなエレナの発言にエリシアは更に怯えていた。
「エリシア。私たちは会議には参加しませんから、ちゃんと見張っておいてね」
「え、あ、はい」
「よその国に取られたりしないように! 私たちのタモン陛下ですからね」
マジョリーはエリシアに対して、そうお願いをする。エレナも叱咤激励していた。
(ご夫人二人と仲間だと思ってもらえているということでしょうか……)
『何故?』という気持ちもありながらも、綺麗な二人の夫人に挟まれて頼りにされると悪い気分はしないエリシアだった。
王城内の会議室に入って、タモンはラリーサと離れた。
タモンは重要人物とはいえ、あくまでもゲストだった。
用意されていた少し離れた席に一人座る。
前を向けば、ラリーサは、マリエッタ陛下が座るであろう真ん中の席の横に一人こちら側を向いて立っている。
(もしかして、ラリーサさんは強いのだろうか……)
会議室の中でも、特別に軽装ながらも鎧と武器を持つことを許されているようだった。
マリエッタ陛下の護衛も兼ねているのだろうと推測するのだが、タモンは優雅でおっとりとした貴婦人といイメージしか思いだせなかったので、戦う姿がタモンには想像できなかった。
ただ、今は間違いなく帝国の大物ばかりの会議室を落ち着かせるくらいの威圧感がある。
「よう。『男』君」
そんなことを考えていたタモンの隣に腰掛けてきたのは、意外な人物だった。
「リュポフ……様」
帝国との内戦の際には反皇帝派側につき、タモンたちとは直接戦ったリュポフだった。
「ここにいるのが意外か? まあ、マリエッタはああ見えて優しいからな」
驚いているタモンの表情を見て、リュポフは愉快そうに笑っていた。
「騎士団への復帰を許されるとすぐに今回のトキワナ帝国との戦が起きた。私がいないと東方騎士団は駄目駄目だからな。無事に名誉と地位を回復することができたってわけだ」
何も聞いていないのに、自分のことを語り続けるリュポフだった。そういえば、こんな人だったとタモンは少し諦めたかのように話を聞いてうなずいていた。
「まあ、私は皇帝の地位なんて興味はない。少しでもましなやつの方がいいと思って姉上たちの誰かに押し付けようと思ったが、なかなかどうしてあの小さな姪っ子は頑張っているよ」
負け惜しみも少しあるのだろうが、マリエッタのことは認めているというリュポフにタモンは少し安心していた。
「それで? 今日の話は何だ? 『男』殿はトキワナに攻め込みたいのか? 魔法についても何か……」
「リュポフ様は、そこがお席ではありませんよ」
タモンに密着して絡もうとしてきたリュポフに対して、前の方からラリーサが注意をした。
(やっぱりラリーサさん強そうだな……)
タモンが今までは見たことのない鋭い視線に驚き圧倒される。
実際に視線を向けられて注意されたリュポフはそそくさと、自分の席へと戻っていった。自由奔放で強そうなリュポフが不満を一言も漏らさずに従っているのを見るとそう思う。
「陛下がおいでになりました」
ラリーサは、奥の扉を開けてマリエッタを向かい入れる。
この小学生高学年くらいの女の子に対して、大人がみんな頭を下げて座るのを待っているのは分かってはいてもタモンの目には異様な光景に映る。
(でも、今日は人数も少ないな)
以前に帝国に来た時には、もっと人が溢れかえっていた気がするが、今日はテーブルの前列に座っている数人くらいしかいない。
「堅苦しくしなくてよい。今日はトキワナ帝国に対して、貴殿らの率直な意見を聞きたい」
マリエッタの幼い顔をじっくりと見てしまうと違和感があるが、それ以外は天性のカリスマと威厳があるとタモンも思っていた。
(まあ、トキワナを攻めるにせよすぐに停戦するにせよ。まだ一部の人だけが知っていることにしておきたいか)
タモンは、前の方の席についている顔ぶれを見ながら、そう思う。
ぱっと見て皇族が多いとは思うが、飾りの肩書きではなくて、実際に政治や軍の中心となっている人物ばかりだった。
「陛下はトキワナを攻めたいと思っているということでよろしいの?」
率直な話をする雰囲気ができていた。
まずは一族の長老格であるタチアナが優雅に自らの姪っ子に軽く手を上げて質問した。普段はもう隠居して、政治には関わっていない彼女だったが、影響力は強い。今のマリエッタがあるのも彼女の支持のおかげだった。
「どちらでもありません。ただ、好機だという可能性はあるかと思っております」
マリエッタも、タチアナに対しては心を許しているようで緊張しつつも穏やかな受け答えだった。
「北の……『男王』さまと一緒にということでいいのかしら?」
急にタチアナに振り向かれて、タモンは驚いた。
「はい」
タチアナは威圧的ではなくむしろ優しい笑みだった。気品あるおばさまの言葉をタモンは慎重に受け止めつつ、うなずいた。
「確かにトキワナには大打撃を与えた。『北』と一緒にならかなり有利だろう」
そう言ったのは、もう一人の長老格のオリガだった。こちらは軍服姿で、厳格な雰囲気を漂わせている中年の女性だった。
「ですが、帝都マツリナへの道は遠い」
「そして、トキワナ帝国には大魔法使いがおります」
将軍たちが次々と懸念を述べていた。
どちらかと言えば、好戦的な軍の人たちだった。
トキワナ帝国を恐れているわけではないが、やはり遠征軍が大打撃を受けて、下手とすれば全滅する可能性もある。そう考えれば、簡単には遠征軍を出せないという意見だった。
その後も、様々な声が飛び交ってはいたが、やはり問題としては最初に話した二点に集約されていた。
一つは、トキワナ帝国の本拠地マツリナは、遠く道が限られているということだった。途中の補給線を確保するのは並大抵のことではなかった。
もう一つは、トキワナには大魔法使いがいるという点だった。必ずしも大魔法使いたちは国家に忠誠を誓っているわけではない。本来は気まぐれな存在なのだが、今回、大魔法使いヨハンナは北ヒイロに向けて海峡を凍らせたりと、トキワナ帝国とは一心同体と言ってもいい良好な関係を続けているようだった。
「ふむ。それで、何か『男王』殿には、妙案があるという話だが」
皇帝マリエッタは、当初からの予定通りタモンに話を振った。ただ、マリエッタも実際にどんな策があるのかは聞かされてはいない。やや緊張した面持ちで椅子に座り直してタモンの方を見つめた。
その言葉に他の皇族や将軍たちも一斉にタモンの方を振り返り注視した。
「敵の帝都マツリナに攻め込む道を増やし、補給を確保する手があります」
タモンは立ち上がると、更に後ろを振り返った。
「入ってきて!」
後ろの扉に静かにそう呼びかけた。
(手とは……?)
皇族や将軍たちは、不可解そうな目でタモンを見ていた。
新たな援軍や外交の話でもしてくれるのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。少し期待外れかもしれないと思いながら、扉から入ってくる人に注目していた。
扉が開いて、最初に目に入ったのはエリシアの姿だった。この北の宰相は南の帝国でも顔も名前も知られている。それだけに特に誰も驚きはしなかった。
彼女が何かを持ってきたのかとマリエッタも最初は思った。
だが、あくまでもエリシアはエスコートする役のようだった。
彼女が扉を開けると後ろから華やかな白い軍服姿でしっかりとした体格の長身の人物がゆっくりと歩いて会議室に入ってくる。
白い軍服はシンプルながらも華やかな装飾が各所に散りばめられている。それ以上に、軍服越しにでもしなやかに鍛えられた体が見てとれた。綺麗な髪を後ろで束ねていて、整った顔立ちもまた美しさを感じさせた。
「おお」
逆光の中のその人物が誰かということは分からなくとも、その芸術品のように整った顔、体や振る舞いに皇族たちから感嘆の声が思わず漏れていた。
「まるで、伝説のミランダ将軍のよう……」
姿格好からもそういう演出なのだろうと思いながらも、みんな目を細めて見ていた。
「エミリエンヌ殿か……!」
エリシアによって扉が閉じられて、後ろからの光が遮られたところで、マリエッタはその人物が誰かを確信した。
マリエッタは、数年前に一度、直接話したことがある。その時の印象のままだったのでこの部屋の中でマリエッタが真っ先に気がついた。
「エミリエンヌ!」
皇族も帝国の将軍たちも、一様に驚きの声を上げていた。全員が面識があるわけではないが、『軍神エミリエンヌ』の名前を知らないものはいない。帝国の将軍であっても、畏怖や憧れの存在だった。
「なるほど……ニビーロを牽制して、うまくいけばエミリエンヌ領から食料も売ってもらえる。それどころか、うまくいけばニビーロ領から帝都マツリナに北からのルートで攻め込むこともできるかもしれない……と」
幼い皇帝マリエッタは、地図を見ながら、エミリエンヌがこちら側に加わる意味を想像してぶつぶつと言いながら、一人で何かを確認していた。
「確かに、タモン殿、これは勝てるな!」
この部屋の誰よりも幼い皇帝陛下は、タモンがエミリエンヌを連れてきた意味を誰よりも早く理解する。
自分のすぐ前にまで歩いてきたエミリエンヌを見て、大きく膝を叩いて立ち上がって喜びの声を上げた。
エミリエンヌは一言も発することなく、ただこの場に現れただけで、南ヒイロ帝国はトキワナ帝国に攻め込む方に流れが変わっていた。




