『男王』の部屋で
南ヒイロ帝国の帝都カーレットは、中央には巨大な王城がそびえ立ち、綺麗に整備された道が王城入り口の門まで繋がっている。
「やっぱり大きいな」
帝都カーレットに入ったタモンたちは馬車の中からその巨大な王城を見上げていた。モントはもちろん、ビャグンよりも壮大で洗練された巨大な街は健在だった。
戦争による被害は帝都にはほぼ何もなく無傷で以前に来た時のままでかつてよりも活気に溢れているようにさえタモンの目には映った。
「エレナとマジョリーは、来たことがあるの?」
巨大な王城を目にしてもあまり驚かない二人の夫人を見て、タモンは疑問に思った。
「ええ、まあ、数回ほど」
二人ともそう答えた。『何でそんなことを聞くのか』というくらいの顔で、特に自慢というわけもなさそうだった。
(まあ、山脈はあるけれど帝国に隣接する名家だし、普通に交流はあるか……)
「え、そうなのですね」
タモンが納得する中、帝都生まれで帝都育ちのイリーナは驚いたようにその話に反応していた。
イリーナはこの3日間の旅の間、タモンの膝の上、もしくは股の間の席を譲ろうとはしなかった。今もその席から左右に首を振りつつ二人の夫人に話を聞こうとしていた。
「私も親に連れ回されているだけだったから、人の名前はあまり覚えてはいませんけれど……実は、昔に会っているのかもしれませんね」
エレナもマジョリーも笑顔でイリーナに向かって、そう答えた。
その言葉と笑顔に嘘はない。小さい頃のイリーナと出会っているかもしれないし、そうだったら嬉しいと思う。
ただ、エレナもマジョリーもやはりイリーナの座っている場所が気になってしかたがない。特にエレナは時々、妬むような視線をタモンに座っているイリーナに向けていた。
王城での歓迎式典が簡潔に執り行われた後に、タモンはすぐにかつて住んでいた南ヒイロ帝国の後宮へと案内された。
「イリーナ!」
「マリエッタお姉さま」
皇帝マリエッタはタモンの部屋をすぐに訪ねてくるとイリーナの姿を発見し駆け寄った。幼い姉妹は抱擁しあい再会を喜びあった。
「無事で何よりだ。元気か」
「はい。お姉さま」
イリーナが戦場に近い場所に行くことはなかったのだが、そうは言っても戦争中で主城から避難していると聞けば不安ではあったのだろう。まだ小さな体のマリエッタ皇帝は、イリーナの無事な姿を見て目を潤ませて感激していた。
「タモン殿も、おお、エリシア殿も。よく参られた」
マリエッタは妹を抱きかかえながら横を向き、タモンとエリシアとも再会できたことを喜びあった。
「マリエッタ陛下。お久しぶりです」
エリシアは、微笑みながら軽く一礼をした。皇帝マリエッタのこの態度を全く不快には思わない。むしろ、この綺麗で可愛らしい姉妹の対面を直で眺められて満足していた。もうしばらく放っておいてこの美しい姉妹の様子を、遠くから眺めていたいとタモンとエリシア主従の思惑は一致し、ちょっと後ずさったところだった。
「うむ。イリーナはタモン殿とも仲良くしているか?」
「はい。先日も一晩中可愛がっていただきました」
「ほう……」
マリエッタはイリーナの肩に手を載せながら一瞬、鋭い視線をタモンに向けた。『余の可愛い妹に何をしているんだ』という怒りの感情がどうしても一瞬、浮かんでしまった。
(いや、待て冷静になるのだ。そうなってもらうためにタモン殿のところに送り出したはずであろう)
皇帝マリエッタは、そう思っているのか何とか心を落ち着かせている様子だった。
皇帝の威厳を保ちつつイリーナから手を離し、タモンとエリシアを歓迎しようとする。
「残念ながら、子どもを作るのはもうちょっとだけお待ちください……」
イリーナからのその言葉で思わずマリエッタはタモンの側に一歩踏み出そうとしたところで固まってしまった。
(いや、そ、それも余が望んだことではないか)
目の前のタモンのことも気に入っているけれど、やはり愛する妹の『そんな姿』を想像してしまい思わずまたタモンを睨みつけてしまった。
タモンは怯みつつも、マリエッタが何を考えているかはよく分かっているので目をひたすら細くしてにこやかに受けとめていた。
「そ、そうか。ま、まあ、まだイリーナは子どもだからな」
皇帝マリエッタは、ややぎこちない態度でイリーナにそう言った。
「まあ、先に余がタモン殿のお相手をしようかの」
イリーナに対して姉の余裕を見せながらマリエッタは、そう低い声で言って笑っていた。
ただ、マリエッタもタモンから見ればまだまだ幼い体で、身長ではイリーナに並ばれてしまった感さえあるのでなんと答えていいのかとても困った顔になっていた。
「駄目です」
無下にもできずに困っているタモンの前に立ちふさがったのは、イリーナだった。
「え?」
マリエッタは驚いていた。愛する妹が自分をタモンに近づけないように割って入ってきた姿を見てただただ困惑する。
「タモン陛下は、私の旦那さまです」
イリーナが邪魔者は寄せ付けないという覚悟を見せていた。実の姉であろうとも。
「そんな……私もタモン殿と仲睦まじく過ごしてもよいであろう?」
「嫌です」
きっと何かの冗談だろうと思っていたマリエッタは、妹に完全に拒否されて威厳もなく打ちのめされていた。
「余が『男』の子どもを産むのが、帝国の未来のためにも安泰なのだ。そうであろう?」
帝国の皇帝が、幼い妹に懇願していた。
「……まあ、お姉さまもお忙しいでしょうから。ですが、将来は私が多く子どもを産んで一人養子にしていただくのがいいのではないでしょうか」
少し考えたあと、にこやかな笑顔でイリーナは答えた。妥協しているように見えて、実際のところは全くしていないのでマリエッタは涙目になっていた。
『男』の子を次期皇帝にした方が帝国としてはいいということはイリーナも理解して考慮しつつも、自分の夫が姉の相手をすることは拒否していた。
「タ、タモン殿」
マリエッタはタモンにすがっていた。
タモンも、こんな小さい女の子たちに子作りの話を相談されてしまって何もいえずに困ってしまう。
マリエッタは、妹に断られたことなんてないのだろう。タモンには自分のことを本気で争っているというよりは、マリエッタの頼みを頑なに拒否しようとする妹の姿にショックを受けているように見えた。
「まあまあ、イリーナも……まだ先の話だし……」
「ですが、すぐですから……考えておきませんと」
タモンの仲裁に、イリーナはそう答えて同意を求めるようにタモンの方を振り返った。
(すぐ? すぐなの?)
タモンは、イリーナの押しの強さにただ混乱していた。
「根回しは終わりました」
夜になり、エレナとマジョリーはタモンの部屋を訪れていた。
「各騎士団には、私の方から武器や食料の調達を約束させていただきました」
エレナは続けてそう報告する。要するに騎士団長たちの買収は終わったという意味だった。
「皇族の中でも特にマリエッタ陛下の後ろだてになっているタチアナ様とオリガ様とは、親交を深めております」
マジョリーの方はもう少し穏便だった。普段は政治に口を出したりはしない皇族たちとも仲良くして、少なくとも反対派には回らないように頼んであるという報告だった。
「うん、ありがとう」
タモンは、二人の夫人の報告を聞くと労をねぎらった。
ほとんど優秀な文官のような二人に対して、頼りにしていると本当に感謝して頭を下げる。
北ヒイロでは、指揮官不足よりも更に深刻なのが文官がいないことだった。歴史がないために人がおらず、今まであまりにもエリシアに頼りすぎていた。その問題を埋めるべく夫人たちがそれぞれの家の人材と資産を使いつつ協力してくれていた。
(でも、二人ともほとんど本家を乗っ取っているよね……)
タモンは助かっていたけれど、しばらく離れている間に益々権力を強めている二人の夫人に少し頼もしすぎて怖いものを感じていた。
「まあ、近いうちに会議が行われるようですし、そこで決まるのではないでしょうか。今のところはトキワナへの遠征が行われるかについては五分五分か……少し不利なくらいでしょうか」
エレナもマジョリーも、トキワナのことは嫌いではあるが、打倒トキワナが悲願ということもない。タモンの求めに応じて動いているだけなので、あくまでも淡々と分析していた。
「あとは私たちの切り札がどれくらい効いてくれるかでしょうか」
そう言うとエレナは、この話は終わりとでもいうように部屋の奥にあるベッドまで歩いて腰掛けた。
「ところで、この部屋は何なのですか?」
ベッドの柔らかいクッションを満喫しながら、エレナは尋ねた。
「中庭の中にありますし……変わってますね」
マジョリーも、タモンの後ろの光景を観察しながらそう言った。
どうも、タモンがこの部屋に慣れていることも気になっていた。
「ええと、前にマリエッタ陛下が僕にくださった部屋だよ」
「部屋を?」
エレナもマジョリーもしばらく意味が分からずに部屋の周囲を見回していた。
「ああ、なるほど、マリエッタ陛下の後宮ということなのですね」
「夫人などはいなかったので気が付きませんでした。そうですね。私たちの旦那さまはここで、マリエッタ陛下に囲われて楽しいひとときを過ごしていらしたのですね」
二人ともすぐにこの部屋のことを理解したが、それだけにマジョリーは悔しそうな表情で部屋を見回したあとタモンを見つめていた。
「え、いや。別にマリエッタ陛下もまだ子どもだし、そんなやましいことはしていないよ」
「『そんな?』」
「う、うん」
「一緒に寝たくらいということでしょうか?」
「そ、そうだね。それくらい……かな」
にじり寄るマジョリーに、気圧されるタモンだった。
「私たち、今晩はここにお泊まりしてよろしいのですよね」
「え、うん。いいんじゃないかな」
エレナやマジョリーの部屋も用意されているはずだが、『自分の部屋で寝れば』などとはとても言えない状況のタモンだった。
「でも、いいですよね。皇帝って。『男』をこうやって囲ったりできるのは……うらやましい」
エレナはベッドに腰掛けて、二人が来るのを待ち構えながらぼそりとつぶやいていた。
考え過ぎだとは思うけれど、もしかして、自分の地位が狙われているのではないかと首筋が寒くなるタモンだった。




