虜囚 エミリエンヌ
降伏したエミリエンヌは、一人モント城の一角に幽閉されていた。
両手両足を拘束されて、足から伸びた鎖は柱に繋がれている。
トキワナ帝国にもヒイロ帝国にも恐れられるその武勇と智謀も今は振るう場所もなく、ニビーロ国中の娘たちから羨望の眼差しを向けられるその美貌も、さすがに疲れ、この先のことを考えれば気が重くなるのか暗い影を落としたものになっていた。
(それにしても、この部屋は何だろう?)
ただ、暗い地下牢にでも押し込められると思っていたエミリエンヌは、部屋を見回して疑問に思う。
妙に風通しの良い部屋で、窓は適当に打ち付けられた板で塞がれているが隙間から覗ける光景でこの部屋は少し高いところ、二階かどこかにあるのだろうということは推測できた。
丸太を組み合わせた作りで、山にありそうな小屋みたいな印象を受けたけれど、ここは間違いなくモントの城壁の中にある建物だった。
(城からは離れた建物のようですね。後宮……なのでしょうか?)
モントの城を占領した時に、城から渡り廊下でつながっている後宮たちを面白い造りだと思った記憶があった。
北ヒイロの三家と南の帝国をあわせた『男王』の力関係を表しているのだとその時は『男王』に同情するような気持ちにもなったことを思い出す。
(ですが……魔導の道具?)
奥の部屋を見れば、魔導の研究に使いそうな薬や魔導書が並んでいる。魔法使いの隠れ家のような並びに魔導に詳しくはないエミリエンヌは益々、ここは何の建物なのか分からずに首を傾げていた。
耳を澄まして周囲の音を聞けば、逃げ出さないように監視している兵はいるのは分かるが、周囲を普通に人が行き交っている。
ニビーロからの遠征軍は去り、エミリエンヌも降伏したが、まだ戦争は続いているので、聞こえてくる声も兵隊らしき声ばかりだった。
(この鎖さえ外せてしまえば、簡単に逃げられそうなのですが……)
エミリエンヌとしての地位と名声があるから、丁重に扱ってくれているのだろうとエミリエンヌは思うのだが、自分のことを知っている割には甘い措置だとも思わざるを得なかった。
(とはいえ、部下たちを見捨てて逃げるわけにもいかない……)
部下たちがどこに囚われていてどんな扱いを受けているかを確かめなくてはいけないと思うと、エミリエンヌも困った顔でため息をついていた。
「むっ」
階段を上り、誰かがこちらに向かってくる音を聞いて、エミリエンヌは扉から離れた。両手を拘束されたままだが、部屋の真ん中で真っ直ぐ立ちながら訪問者が入って来る様子をじっと見ていた。
「こんにちは」
扉をそっと開けながら覗き込んできたのは、『男王』タモンだった。
先日、戦場で出会い、取り逃がした『男王』の顔をエミリエンヌも見間違うはずもなかった。
後ろには同じくその戦場で戦った護衛のマキが付き従いながら、部屋の中に入ってきていた。
(『男王』を人質にとっても何とかなりそうですが……)
いきなり『男王』が訪ねてくるとは思っていなかったエミリエンヌは驚いていたが、扉が閉まる前にこの建物を警備している兵の数を鋭く観察する。
囲まれるほどの兵はいないと判断したが、残念ながら鎖を引きちぎれるほどの怪力があるわけではなく、しばらく時間をかけて鎖は壊していかないといけない。
そして、マキの強さはあなどれないことを知っているので今は逃げることはできないなと諦めて力を抜いた。
(まあ、すぐに適当な罪を着せられて処刑されてしまうのでしょうが……)
相手の立場になれば、エミリエンヌを生かしておくのは危険でしかないだろうと思う。
ニビーロ軍は規律正しい軍だとエミリエンヌは自負している。それでも戦争中は何をしているかは分からない。適当に罪をでっち上げることも簡単だろう。それに、ドミクルが略奪の一つや二つもしていないとは考えにくかった。
(まあ、部下さえ、生かしてもらえるのであれば……)
諦めつつタモンと向かいあった。
「先日、戦場で出会って以来ですね」
にこりと笑いながら、タモンはエミリエンヌにそう話しかけた。あまりにも予想していなかった屈託のない笑顔だったので、エミリエンヌは不意をつかれたように呆気にとられていた。
「ふふ、もう少しで『男王』殿を捕まえられたのですが、残念ですよ」
「本当に危機一髪でしたよ。さすがはエミリエンヌ殿って思いました」
これは勝者の余裕で、虜囚をいたぶって楽しんでいるのだろうかとエミリエンヌは考えて応じたが、どうもこの『男王』の態度は違うように思えていた。
「殺すがいい。生き恥を晒したくはない」
エミリエンヌが、そう言い切ると、タモンは慌てていた。
「そ、そんなことを言わずに、せっかくこうして出会えたのですから、もう少しお話ししませんか?」
本気で悲しそうな顔をしていているので、エミリエンヌは困惑していた。
(何が狙いなのか……)
ともあれ、すぐに殺されない可能性が高いのであれば、耐えて好機を窺うかという気持ちに傾いていた。
「まあ、『また会おう』などと言って、こんな再会は無様としか言いようがないのですが……」
自虐的にエミリエンヌは笑っていた。半分は演技だが、半分は本音だった。
「いえ、そんなことはありません。最後まで素晴らしい戦いぶりと、部下のことを思っての降伏には感激しております」
「そ、それはどうも……」
嫌味ではなく、どうやら本気で目を輝かせて称賛してくるタモンにエミリエンヌは押されていた。
「それでですね。エミリエンヌ殿には……」
さらにぐいぐいと距離と詰めようとするタモンを、後ろにいたマキが肩を掴んで制止する。
「陛下。宰相様とのお約束があるはずです」
「あ、そうだった」
マキに制止され小声で注意されると、タモンはエミリエンヌの前から離れるとふらりと一人で奥の部屋へと行ってしまった。
疑問に思いながらも、エミリエンヌはマキと一緒にしばらく待っていた。
「どうぞ。お座りください。エミリエンヌ様」
マキは大物との二人の時間に恐縮したのか、椅子を持ってきて勧めていた。
「いや……うん、ありがとう」
拘束されたまま立っているのも、様にならないと思ったエミリエンヌは素直に応じて椅子に腰掛けた。少なくとも『男王』とその側近には憎まれていないらしいと実感していた。
(最初から、家族は避難させていましたしね……)
モントの城をはじめて制圧した時はすでにもぬけの殻だったことを思い出していた。
もしあの時、ご夫人たちを捕まえていたりしたら、ドミクルが殺害していたかもしれない。用意周到だった『男王』にこそ今は感謝していた。
「おまたせしました」
タモンはとても敵軍の将に向かい合うとは思えない明るい態度で、戻ってきた。
「これを飲んでいただけますか?」
タモンは床に片膝をついて、座っているエミリエンヌよりも低い目線で見つめながら小瓶を手のひらに載せて差し出した。
「これは……毒でしょうか?」
さすがにエミリエンヌも顔は青ざめて声がわずかに震えていた。
「いえ、毒などではありません」
あまりにも低姿勢でにこやかに微笑みながら言うので、信じてもいいのだろうかという気持ちと逆に得体が知れなくて怖いという気持ちが同時にエミリエンヌの中で渦巻いていた。
「飲んでいただけたら、捕虜になっている部下たちは全員解放いたします」
「え?」
意外な提案にエミリエンヌらしくない声をあげて驚いていた。
それなら、毒だとしても飲んでいいと思う。
(いや……しかし……)
奥の部屋をもう一度横目で眺めていた。魔法使いの隠れ家のような部屋の内装を見て、訝しいと思う。
(世の中には死よりも恐ろしい呪いの類があると聞く……)
もう一度だけじっと目を閉じて考えたが、部下の命が助かるのであればやはり迷うことはなかった。
「本当に部下たちは解放してくれるのですね」
「はい。必ずや」
即答されれば、悩むことはなかった。
「では」
拘束されたままの両手で小瓶を掴むと、一気にぐいっと飲み干した。
タモンはそんなに一気に飲まなくてもいいのにという表情で、その様子をじっと見上げていた。
「飲みました……が?」
エミリエンヌは一瞬、頭がくらっと揺れた気はしたが、それ以降は何も体に変化はなかった。あまりにも変化がなさすぎて、逆に不安になってしまう。
「ああ、じゃあ、マキ。拘束を外してあげて」
「はい。陛下。かしこまりました」
長身のマキが、タモンと同じ様にエミリエンヌの前で床に膝をつくと鍵の束をとりだしていた。
「え? え?」
手と足の拘束が外されて、エミリエンヌは自由の身になっていた。
「よろしいのですか? 私をこんな自由にしてしまって」
自分から言うのも変な話だと思いながらも、エミリエンヌは自由になった手首をさすりながらタモン主従に問いかける。
「これは僕に危害を加えられないようになる薬です」
タモンが自ら魔法の小瓶を、エミリエンヌの手からそっと抜き取った。
「……つまり、これは『男王』の命令に絶対服従する呪い……」
エミリエンヌは小瓶を真剣な眼差しで見つめながら、自分の体に起きることを想像していた。
「いえ、そんなすごい魔法薬は作れないです。もし、あったとしてもエミリエンヌ殿の体や心にダメージがでてしまいますし」
「はあ」
手を振りながら謙遜して言うタモンに、エミリエンヌはどうも調子を狂わされていた。
(魔法の薬を『男王』が自分で作っているのか? そして何でそんなに私の健康など気にしているのか?)
「エミリエンヌ殿を自由にした結果、僕が人質に取られたり、殺されたりしたら大変だとうちの宰相がうるさいので。それだけはできないようにさせてもらいました」
「ふむ」
エミリエンヌは、それは宰相の方が正しいだろうと内心では頷きながら、そっと手を伸ばしてタモンの肩に触れてみる。
特に何も体に異変はない。
それならと思って、タモンを人質に取るイメージを膨らませてみる。
このまま、素早く背後に回り込んでタモンの首を締め上げる。いつでも、首の骨を折ることができるという宣言をしてマキを牽制する。
実際にできてしまいそうだと思った瞬間に、体が動かなくなった。
「ぐっ、なるほど……」
素早く背後に回り込もうと思ったが、それさえ足が全く動かなくなった。貧血でも起こしたように視界が一瞬暗くなってしまい、浮かした腰を沈めてまた椅子に座り直した。
「つまり、これで私を手篭めにしようと、そういうことですか……」
端正な顔立ちがわずかに歪み、いくつもの汗が頬を流れながらエミリエンヌは、これからの自分の身に降りかかる運命を悟っていた。
「い、いえ、そんな乱暴なことはいたしません」
「え?」
これからどんな悲惨な運命が待っているのかと身構えたけれど、タモンの方は全くそんなことは考えたこともなさそうに慌てていた。
「『男王』といえば、手篭めにしてそのうち体から心も支配して、言うことを聞かせるものなのではないですか?」
「なんですか。その偏見は……」
真剣にそのようなことを言うエミリエンヌに対してタモンの方が呆れたようにため息をつくと、背後に控えていたマキがそっと声をかけた。
「陛下。エミリエンヌ様は、ニビーロの出身ですので、特にそういう話を聞いて育っているのだと思います」
「そうなの?」
タモンが不思議そうにマキに聞いた言葉に、当のエミリエンヌが答えてくれる。
「まあ、ニビーロはトキワナとヒイロの両帝国に近いところにありますからね。それぞれ『男王』が降り立ち帝国建国の際には、ニビーロは力ずくで占領されました」
「なるほど。北ヒイロでもそんな昔話は伝え聞くけれど、まさに当事者の国ってことか」
タモンはエミリエンヌの説明に深く頷いていた。
「そういうことさ。君のお仲間の悪行が知れ渡っているせいだと思ってくれたまえ」
「別にトキワナの暴虐王もヒイロの略奪王も、僕の仲間でもご先祖でもないのですが……」
タモンは心外そうに眉をひそめていた。
「陛下。実際には、ニビーロ王家があっさり降伏する際の言い訳に使っていただけだと思います」
後ろからマキが明るい声で慰めようとしてくれる。
「『男に無理やり手篭めにされてしまったら、言うことを聞かないといけない体になってしまう』そんな魔法みたいなことにしておけば、あっさり敵の帝国に寝返って戦っても民にも許されると思って自分から広めたんのですよ。きっと」
適当な推測ではあったが、マキの感覚は北ヒイロの庶民と近い。民衆にもそう思われているであろうところにタモンは、納得したようにうなずいていた。
「あまり、我が国の王家を侮辱するのは控えていただきたい」
エミリエンヌは、不快そうにそう答えた。とはいえ、元々、エミリエンヌもそう思っていた上に、今回の戦いでは王族に邪魔ばかりをされたのであまり言葉も声も強くはなかった。
「あはは。まあ、敵わないと思ったら、さっさと逃げるか、降伏していいと僕は思いますよ。無駄に兵や民衆の命が犠牲になるよりは……」
タモンはそう言いながら笑っていた。今回のお互いの対応を間違っていないと言いたいのだろうとエミリエンヌは受け止めたが、どこか寂しそうな笑顔だとも感じていた。
「それでですね!」
タモンは、急に元気な声を出すとエミリエンヌに一歩近づいた。元々近い距離にいたので、今や息がかかるくらいの距離までお互いの顔は近づいていた。
「無理やりなんていたしません」
「あ、はい」
拘束は外れたはずの両手をしっかりと握られたエミリエンヌはすっかり気迫に押されていた。
「ですが……」
「ですが?」
何を言われるのだろうとエミリエンヌは息を呑んだ。
「戦場を駆けるその姿に惚れました! 僕の妻になってもらえませんか!」
顔を真っ赤にしたタモンの告白に、エミリエンヌはただ目を丸くしていた。




