ミハトのリベンジ
「エミリエンヌ様!」
一時、モントの城に退却しようと思っていたエミリエンヌの元に騎馬で駆け寄ってきたのは、元副官のケンザだった。
「ああ、ケンザ! 丁度いいところに! 『男王』を追い詰めてある。手を貸してくれないか? 反対側を抑える兵さえいればもう『男王』は落ちたも同然だ」
いつになくエミリエンヌの声にも喜びが溢れている。
伝令はすでに出していたが、モントの城で合流を待つつもりだったエミリエンヌからすれば、戻る手間が省ける。今、ケンザに力を貸してもらえるなら、タモンが隠れて逃げられる可能性も低くなる。
もう『男王』の捕獲作戦は成功したのも同然だと思っていた。
「あの……エミリエンヌ様」
いつも元気というか血気盛んなケンザが歯切れの悪い言葉を返すので、すぐに引き返そうする勢いだったエミリエンヌも動きを止めた。
「心配するな。ドミクル殿にはあとで私から言っておく、事後報告になってしまうかもしれないが、前線の判断だ。『男王』を捕まえてみせれば、咎めだてもされないだろう」
そんな言葉にもケンザの反応は鈍かった。
エミリエンヌもケンザが今、ここにいるのは少し意外に思っていた。
ドミクルがあっさり許可を出すとも思えないので、独断でここまで来てそのことを後ろめたく思っているのだろうと推測していた。
安心させるようにいつも通りの微笑みを浮かべてお互いに馬に乗りながらも器用に肩を叩くエミリエンヌだったが、ケンザの表情はまだ曇ったままだった。
「どうかしたのかい?」
心配になり下から顔を覗き込むエミリエンヌだった。
「モントの城が奪われました」
ケンザは特に興奮した様子もなくそう告げた。
「何? ……なるほど、少し守りが手薄だったかもしれないな。ドミクル殿は無事なのか?」
エミリエンヌは反省しつつも、こちらもあっさりとした反応だった。
ドミクルの指示でケンザがこちらに向かうなんて、珍しくいい判断をするなどと思ったが、そういうわけではないようだ。
いなくなっても別に構わないとは思っていても口には出せないが、邪魔をせずどこかに逃げて隠れてくれるのが一番いいとは思っていた。
「それが、すでに本国に向けて逃げております」
ケンザの言葉に、怯え過ぎだろうと少し驚きはしたが、それくらいは予想の範囲ではあった。ここまでは。
「遠征軍を全軍引き連れて、海峡を渡る勢いです」
「え?」
続けたその言葉には、エミリエンヌも目を丸くして驚いていた。
それどころではない事態なのだが、ケンザも周囲の兵たちもいつも冷静なエミリエンヌが困った姿は見たことがなく、どこか可愛らしいなどと感じていた。
「それは、援軍にきてくれたヨライネ将軍の軍だけではなく……」
「はい。エミリエンヌ様が率いてきた元の遠征軍も全て退却させようとしております。私にも、ドミクルの元にすぐ集まるように命令がきましたが、まずはエミリエンヌ様のところにと」
つまり今、ここにいるエミリエンヌの予備兵とケンザの直属の兵しか残っていないということだった。
十万近くいた軍が、もはや一万以下になってしまう。
十分の一になってしまえば、さすがにエミリエンヌと言えどもこの地方の制圧などできない、ましてや南ヒイロの帝国に攻め込むなどは夢物語になってしまう。
「すぐに伝令を! モントの城など私がすぐに奪還してみせますと!」
元々それほど守りに適した城ではないのだ。だから『男王』もさっさとここで守ることはせずに逃げ出した。
とにかくドミクルには冷静になってもらわないといけない。まだ、全然不利な状況ではないのだ。そう言い聞かせて伝令を送り出した。
「ヨライネ将軍なら分かってくれていると思うのですがね」
エミリエンヌは、ため息をつきながらケンザに不満をこぼしていた。
あの歴戦の将軍にも、王族の命令には断りにくい事情があるのかもしれない。
(いや、兼ねてから私を煙たく思っていたのだろうか……)
目立つ立場だけに、年取った将軍や大臣からそういったやっかみは常に感じていた。それでもヨライネ将軍ならニビーロのために分かってくれていると思っていた。
想像でしかないが、エミリエンヌも色々考えると気が重くなってきてしまいため息をついていた。
伝令を乗せた騎馬は、すぐに戻ってきた
エミリエンヌの軍はかなりモントの城へと近づいたが、まだドミクルたちは近い距離にいるのだと分かってエミリエンヌはとりあえずは胸をなでおろした。
「ドミクル様は、『分かった。エミリエンヌ様がモントの城を奪還したなら戻る』と仰せでした」
「左様ですか……」
そんな可能性もあるだろうとは思っていたが、一緒に戦ってくれる気は全くないのだなとさすがにエミリエンヌもかなり気落ちしていた。
「……どうやら、エミリエンヌ様が敵と通じているという噂がありますようで……」
「良くある策略でしょう。そんなものに踊らされて……」
「それが相手の内通者という人から、頻繁に連絡がきておりまして……」
呆れた顔のエミリエンヌに、細かい説明をしてくれるのは副官のケンザだった。
「その度、的確に攻撃の時期などを教えてくれていたとのこと。それにエミリエンヌ様が、戻ってくる時にはあっさりと通してくれることなどを教えてくれていたとか」
「……困った時に、ちゃんとした報告書よりも、ちょっと隠してある偽物の宝の地図を信じてしまう人がいるのですよね」
「今回も、『エミリエンヌ様が『男王』を見逃して帰還する約束になっている』と先程、内通があったとか……」
「それは、情報の伝達が早いだけ……ですよね」
エミリエンヌも少し悔しそうな表情を浮かべていた。
「ニビーロにも魔法使いはいるのですがね……」
「本国の防衛用ということで貸してはいただけませんね」
魔法にあまり詳しくないケンザは、軽い調子でとっくの昔に諦めているかのような口調だった。
「他国は、攻城戦だけではなく。連絡用にもよく使っていますね。特に『男王』殿は見事ですね」
タモンの軍は各地に散らばり、潜伏している。
しかし、ばらばらというわけではなくそれぞれがうまく連動している。
伝令の兵が捕まって、居場所を突き止められるなどということもないのは魔法使いを一日に一回の火の玉で攻撃させたりというよりも、連絡用に使っているのだとエミリエンヌは推測していた。
「まあ、モントの城を我々だけで奪還するしかないのでしょう」
色々諦めたかのように、エミリエンヌは苦笑しながらも前を向き、愛馬に跨がった。
モントの城はそれほど守りに適した城でもなかったし、今のところはそれほど多くの兵がモントに集まっているとも思えなかった。
「行きましょう! 今日中に奪還してみせましょう」
「おお!」
頼もしいエミリエンヌの声に、ケンザをはじめ周囲の兵たちも意気揚々と応じていた。
エミリエンヌは、ケンザの兵もいる今ならモントの城攻略は十分勝算があると思っているし、兵たちもエミリエンヌが率いるのなら負けるはずがないと信じている。
(モントの城を守っているのが、カンナ殿でなければいいのですが……)
カンナであっても負けることはないと思ってはいるが、時間がかかると不測の事態が起きてしまうかもしれない。
エミリエンヌもそれだけは不安に思いながら、行軍を開始する。
ドミクルはといえば、海岸沿いの砦に陣を引いていた。元々はニビーロからの侵攻に備えて、南ヒイロ帝国の力で作ったタモンたちの砦だったが、エミリエンヌにあっさりと突破されて全く使われていなかった。
そんな中で寒風の中で小さく細い体に大きな防寒着を着ながら、イライラした様子でうろつきながら周囲の部下にあたっている。
「ヨライネ将軍はまだなのか? 遅い。遅いわ」
帝国から送られてくる軍に備えて、南のビャグン周辺の制圧に向かっていたヨライネ将軍の主力は、急遽呼び戻されてまだ合流しきれていなかった。
エミリエンヌに加え、ヨライネからも説得というよりも叱責されたドミクルは、ひとまずはこの国に留まることを決めたが早く兵が集まってくれないだろうかと落ち着かない様子だった。
「ドミクル様!」
ドミクルの側近が走り寄ってくる。多くの兵が集まっている中において、鎧などは着ていない昔からドミクルに仕える文官の一人だったが、ドミクルに近寄ると顔が重なる距離まで近づくと耳打ちしていた。
「例の、反対勢力なのですが……」
「うむ、何かと我々に情報を流してくれた者たちだな」
ドミクルの表情にわずかに明るくなる。今回もモントの城から無事に脱出できたのは、『男王』に反対する勢力からの内通のおかげだと思っている。
攻めてくる情報に対して、備えて戦うなどという選択肢のないドミクルは真っ先に城から逃げ出した。そうしていなければ、自分は捕まってしまっていただろうと冷や汗を流していた。
「兵を率いて近くまで来ているそうです。ドミクル様のお力になりたいと」
「ふむ?」
その言葉に嬉しそうな顔を浮かべたが、兵を率いてと言われるとドミクルも本当に信用して大丈夫だろうかとすぐに不安な表情になっていた。
『男王』の軍は各地に潜伏しているとはいえ、反『男王』派の軍が集まって、モント側の海岸まで行軍できるものだろうかと不審に思っていた。
「本当に……信用して大丈夫な者なのだろうか?」
「調べましたが、本当に『男王』には恨みのある者です。信じていいかと思います」
「何者なのだ?」
「元キト家のランダと申すものです」
「キト家か……」
あまり政治的なことには興味のないドミクルであっても、近隣のこの地域の三家については知っていた。そして、この地に来てから三家の状況についても確認している。
「キト家は『男王』と戦って破れ、娘は二人とも『男王』の妾にされたため。旧キト家領も『男王』のものになっております」
「ふむ。そうだな」
結果だけを見れば、その報告に間違ったことはない。ランダの名前も昔から聞き覚えがあったので、信頼してもよいかもしれないとドミクルは頷いていた。
「すでに万近い軍がいるそうです。ぜひ、今すぐに一緒に攻撃して欲しいとのこと。エミリエンヌの軍が攻撃している背後をつけば、モントの城奪還は簡単だと言っておられます」
「ほほう。そんなに兵が……。確かに好機かもしれぬ……」
戦いのことには全く明るくない彼女であっても、確かにこれは間違いなく勝てそうだと今手元にいると合わせて兵の数を計算する。
「まあ、私に逃げるようにと進言してくれた者たちなら、裏切ることはなかろう」
臆病な彼女であっても、さすがにずっと砦に引きこもって将軍たちが何とかしてくれることに期待していることには罪悪感があった。
それに、もしエミリエンヌが苦戦している間に、自分が率いた軍でモントを奪還できるのであれば、何をしてもかなわないエミリエンヌに対しても貸しを作り、大きな顔をできるかもしれないとにやりと笑っていた。
「よし、討って出よう!」
「はっ。ヨライネ将軍の本隊はいかがいたしますか?」
「のろますぎようぞ。さっさとモントの城奪還に合流せよと伝えておくがいい」
重すぎる腰を一度あげれば、逃げるときと同様に素早い。武官たちを叱責しながら、早々に砦を出発させた。
「モントの城を守っているのは……ミハト殿か」
エミリエンヌは、その小柄ながら強そうな敵将の姿を確認すると少しだけ安心したようにつぶやいた。
城に籠もることもなく、馬に乗ったミハト自らが先頭に立ちエミリエンヌを迎え撃とうとしている。
モントのような小城であっても、城に籠もられると今のエミリエンヌにはそれほど兵力がいるわけではないので攻略に手間取ってしまうかもしれないという点だけを心配していた。
(そして、カンナ殿ではないのであれば……)
『男王』の軍で自分と互角に渡り合えるのは、カンナだけだと思っている。
目の前のミハトが『男王』の二枚看板と言われているのは理解しているが、エミリエンヌにとっては、ミハトはカンナに比べれば一段落ちるという格付けだった。先だって戦った『男王』を守るマキの方が印象に残っているくらいだった。
「一騎打ちをご所望か?」
ミハトは軍を動かさずに、一騎だけ前に出てきていた。
それに応じるようにエミリエンヌも軍を止めると、自身も一騎で前に出た。
前回のリベンジをしたいのだろう。
エミリエンヌは、過去にもそんな挑戦を何度も受けてきた。
受ける価値のない相手もいるが、今回は自身の兵力も少ない。一騎打ちで勝って、相手を意気消沈させることができるのなら、それに越したことはないだろうと応じた。
「応!」
ミハトは短くそれだけを発すると、自慢の大きな戦斧を振りかぶりながらエミリエンヌに挑んできた。
「ふん」
強烈な一撃をエミリエンヌは槍で防いだが、彼女らしくない必死な形相で大きな声をあげていた。
「槍ではないほうがよかったか……」
エミリエンヌが前回の戦いを鮮明に覚えていれば、最初から曲刀を選んでいたのだが、そこに焦りと油断が同時にあったことを本人も自覚する。
「まあ、ならば、受けることもないくらいに素早く攻めればいいだけのこと」
わずかにしびれる手のままで、素早く遠目から何度も突きを繰り出す。しかし、ミハトは大きな戦斧の鉄片で軽く受け止めていた。
「その重い斧を……」
本気を出したエミリエンヌの方が攻勢ではあったが、今までに経験したこともない受け止められ方をして驚愕していた。これが戦場での敵味方でなければ、握手を求めて褒め称えるところだろうと思い苦笑していた。
「いくぞ」
エミリエンヌの攻勢が止まったわずかな瞬間を見逃さずに、ミハトは横から戦斧で踏み込んだ。
「あっ」
エミリエンヌは、槍で受け止めた。
巨大な戦斧とはいえ、そんな簡単に折られてしまうような槍をエミリエンヌは使っていない。いつもどおりに受け止めたはずだった。しかし、エミリエンヌの愛馬の方がその衝撃を受け止めきれなかった。後ろ足がぐらつくと、そのままエミリエンヌは落馬した。
「落ちた!」
「おおー」
「何だと!」
ミハトの軍からは歓喜の雄叫びがあがり、エミリエンヌの軍からは信仰に近いほど負けることなど想像されたこともない彼女が落馬したことに、衝撃を受けて動揺していた。
(くっ。ちょっと今日は君に無理をさせすぎましたね)
土にまみれたエミリエンヌは、愛馬の心配をする。朝から『男王』を追い、ありえない急勾配を登ったり降りたりしたのだ。無理もなかった。
「まあ、馬が足を滑らせるのはあり得ること」
戦斧を肩に抱えたミハトは、そう言いながら自らも馬を下りた。
「え?」
エミリエンヌの部下たちは、命に代えてもエミリエンヌを助けるのだという気概で今にも飛び出して自分を盾にしようとしていたのに、敵将の思いがけない行動に呆気にとられていた。
「さあ、決着をつけよう」
ミハトは、これで前回の負けは無しだとでもいうように地に足をつけて歩くと戦斧を構えた。
「今、襲いかかればよかったものを」
指揮官としては、これは駄目な行動だろうと思いながらも、エミリエンヌは戦士としての自分が高揚していることを感じていた。
どうしても戦って勝ちたいと思ったエミリエンヌは槍を捨て、曲刀を構える。
再び二人の一騎打ちが始まった。




