次は必ず君を捕らえてみせる
「よく戻られた。エミリエンヌ」
一月ぶりにモントの城に戻ったエミリエンヌを玉座に座りながら迎えたのは、王族のドミクルだった。
モントの城は、特にタモンが大した改修もしなかったので、ニビーロの王城などとは比べ物にならないくらい威厳はないままの城だった。謁見の間もあくまでも田舎のこぢんまりとした会議用の部屋という感じではあるのだが、ドミクルはまるで北ヒイロの新しい王であるかのように椅子に座り低い身長を大きく見せるかのようにのけぞってエミリエンヌを迎えていた。
(頭を下げて、頼んではきたりはしないだろうとは思ってはおりましたが……)
エミリエンヌは、急いできたので甲冑姿のままでドミクルの前に立った。
兵力では勝っていながら苦戦している現状に、エミリエンヌに泣きついて指揮を任せたいと言ってもいいと思うのだが、ドミクルは戦争の状況などどうでもいいかのように尊大な態度のままだった。
「帰還が遅れて申し訳ございません。ですが、私が戻ったからには周囲の北ヒイロも南の帝国の兵もすぐに撃退してみせましょう。今晩からはドミクル様もゆっくりとお休みくださいませ」
エミリエンヌは流れるような仕草で一礼する。モントの城がここ数日、攻撃されているという状況は聞いていたので、戦のことは全くわからないであろうこの王族のドミクルにも安心してもらえるように力強く宣言した。
エミリエンヌは、決して、大言壮語など言わない。『男王』の勢力はまだ得体が知れないところがあるが、それでも自分が指揮をとれば北ヒイロの制圧は時間の問題だと冷静な現状分析の元で確信している。
「うむ。まあ、まずはエミリエンヌ殿には、率いてきた兵で『男王』を捕まえてきてもらいたい」
「は?」
思わずエミリエンヌらしくない間抜けな声で応じてしまった。小さく病的に細い体で玉座に座りながらふんぞり返るドミクルには、その態度はちょっと不満だったらしくてわずかにムッとしていた。
「エミリエンヌの副官殿にお任せしていたのだが、一月経っても全く捕まえることができん。ここは責任をとって上官たる貴殿が捕まえるべきだろう」
(何を無駄なことに部隊を使っているのか……)
エミリエンヌからすれば、北ヒイロを平定してからゆっくりと男王は包囲して攻略していけばいいというのが持論だったが、この王族に説明しても無駄だろうと諦めていた。
「その点に関しては、代理の指揮官であるヨライネ殿と相談いたします。必ずや北ヒイロを平定して『男王』も捕まえてみせます」
「不要だ。今の北ヒイロ軍討伐の指揮は私に任されている」
「は?」
またしても、エミリエンヌは間抜けな声で応じてしまう。しかし、エミリエンヌの側からしても、今度はちょっと前に言った言葉の意味が分からないとかではなく完全に困惑していた。
「国王陛下からの命令である。従って、エミリエンヌ殿も私の指揮に従ってもらう。先程言った通り、ニビーロから率いた軍で『男王』捕獲に迎え! ケンザたちは、この城の守りにつかせるとしよう」
王族であり、一応は軍に所属してはいるが、ドミクルは階級としてはずっと低い。当然、指揮などしたこともない。その人物に、この北ヒイロと戦う十万近い軍を預けるということにエミリエンヌはさすがに内心では憤っていた。
「わ、分かりました。必ずや『男王』を捕まえてみせましょう」
私がいるからには、他も大敗することはないだろうと自分を言い聞かせながらそう返事をした。順番が入れ替わるだけだ、一刻も早く『男王』を捕まえればいいと納得していた。
(どう考えても、相手の思うつぼですが……)
エミリエンヌはそう嘆きながらも、自分であればうまく『男王』を捕まえられるのではないかという淡い期待も持っている。とはいえ、その点については自信もなかったので大言壮語することもできなかった。
「うむ。そうそう。捕まえたらいきなり本国に送るでないぞ。この城にまずは持ってくるのだ。いいな」
ドミクルはいやらしい妄想をしている顔を隠そうともせずに、エミリエンヌにそう命じていた。
エミリエンヌはもう何も言うこともできずにただ頷くだけだった。
「エミリエンヌです!」
モントから西に離れた川沿いの道を行軍していたタモンの元に報告が入る。
「わー。本当にか」
もう一つ緊迫感のなさそうな声ではあるが、馬上のタモンはじっと東の方向を見つめながら驚いていた。
「こちらが仕向けた通りではありますが……」
隣で轡を並べるエリシアは、そう言いながらも少し顔が青ざめている。
「ロランが防げないことも想定済みだったから、罠を仕掛けておいたけれど……。いやー、こうも的確に僕のところに向かってくるとはねー」
以前よりエミリエンヌが南ヒイロ帝国と密約しているという噂を流しておいた。北ヒイロをエミリエンヌのものにするという内容を時々、最新の事実にあわせて何度も流した結果、ニビーロ本国はエミリエンヌを信頼できていない。
判断を決めかねたニビーロは、今、この稀代の名将を『男王』を捕まえるだけの任務につけている。
ここまではエリシアやショウエのシナリオ通りだと言ってよかった。最善の手ではなかったが、エミリエンヌの力を考えれば仕方のないことではあった。
しかし、各地を転戦する『男王』本隊を求めて、各地をしばらく右往左往するだろうと思っていたエミリエンヌは、完璧にタモンの本隊の居場所を突き止めて、今、まさに真っ直ぐ向かってきている。
勘だけなのか、こちらの陽動に踊らされない分析があったのかは分からないが、こうも完璧に突き止められるのは恐怖でしかなかった。
「さすがは、軍神様と言われるだけのことはある」
「陛下は何故か少し嬉しそうですね……」
まるで恋い焦がれる人に会えたかのように目を輝かせているタモンのことを、エリシアは不思議そうにじっとりと横目で眺めていた。
「いや、そんなことはないよ。今、僕はこの戦争最大のピンチだと言っていいのではないかな」
タモンは真面目な顔でそう答えていた。しかし、どこか口元は楽しそうに見えてしまう。
「エリシアは先行して、そこの林で兵を伏せさせて! 僕がそこにエミリエンヌを招き寄せるよ」
「また陛下自らが囮になる気ですか!」
エリシアは、さすがに心配そうに珍しく大きな声を出していた。この軍自体が囮ではあるし、今更な話ではあるのだが、今回の囮は砦に軍を引きつける作戦という話ではなく、エミリエンヌの槍か曲刀の切っ先から、うまく逃げきれるかという本当に危機的な状況の囮になる。
「大丈夫」
真剣な顔でタモンに言われるとエリシアとしても従うしかなかった。どちらにしても、このまま一緒に逃げていてもすぐに追いつかれてしまいそうではある。
土煙を上げながらものすごい速さで近づいてくるエミリエンヌの部隊を見ながら、エリシアは覚悟を決める。
「分かりました。必ず、無事に逃げてきてくださいね」
エリシアは力を込めてお願いをすると部隊の大半を率いて先へ急ぐ。ここでタモンが捕まれば、他に展開している部隊も無意味になる。カンナやルナも集めて奪還するための決戦をするしかなくなるのだが、とてもエミリエンヌが率いる軍に勝てる気はしなかった。
「さて、どうしようか」
タモンは、周囲を見回しながらうまく逃げる場所を考えていた。周囲には護衛のマキの他わずかな兵だけが付き従うのみだったので、身軽になって少し険しい細い道を登ることにした。
「エミリエンヌ様! あれは『男王』では?」
全速力で先陣を切るエミリエンヌは、後ろからの部下の声によって横を向いた。その先には、小高い山へと続く細い道を登っている『男王』らしき姿が見えた。
「それらしい人物だが……本隊はこの先に向かったはず……」
「罠でしょうか」
「まあ、そうだろうが……」
エミリエンヌは少し考えながら、後続の部隊が追いついてくるのを待っていた。
(これが精鋭部隊であったなら……)
のどかな山を望む田舎の風景の中でエミリエンヌは静かに考え込んでいた。
どうしても予備兵たちなので動きが遅い。それでもエミリエンヌに引っ張られる形で頑張っている。それはエミリエンヌも認めながらも、この場にケンザやいつも率いている部隊があれば楽なのにとはどうしても思ってしまう。
「罠があろうと大したことはない。後続部隊は左手から回り込んで、道を登っていけ。先行部隊は私に続け! このまま真っ直ぐ『男王』を追い詰める!」
勇ましくエミリエンヌが宣言すると、部下たちも高揚して大きな雄叫びを上げていた。先月まで、農家の手伝いをしていたような一兵卒まで、軍神と『男王』の戦いに参加できてまるで自分も英雄譚に参加しているかのような気になっていた。
「エ、エミリエンヌ様。このまま進んでも崖です」
「分かっている」
十数騎だけを引き連れて『男王』が視認できる場所まで近づきはしたが、彼は小高い道の上を進んでいる。目の前には急な角度の斜面があり二人の間を邪魔していた。
(私は、焦っているだろうか……)
エミリエンヌはわずかばかり冷静になって、今の自分を振り返っていた。
(大丈夫、『男王』さえ捕まえれば、我々の勝ちだ)
どうしても、この馬鹿げた任務から早く開放されたいという思いはあるのだが、それでもこれは千載一遇の好機ではある。多少の危険を冒しても挑む価値はあるし、自分ならできると確信していた。
「やあ、そこにいるのはタモン陛下とお見受けする!」
舞台俳優がするような大きな演技がかった大きな声で高いところにいるタモンに呼びかけた。
「私の名前はエミリエンヌ。逞しき男性であれば、私と手合わせ願えないだろうか」
自分の名前を明らかにしてしまうのは、エミリエンヌの側にとっても危険ではあった。それでも、この部隊の反応をみるのには重要だった。
(応じてくれるとは思っていないが……)
陽の光に照らされたタモンの顔は、一瞬分からなかったが、エミリエンヌの方を向いてくれていた。
(笑っている……?)
想像していた男の人物とは違っていた。逞しさはなく、まだ若いこともあり険しい顔つきでもない。今の予備兵たちと比べてもそれほど強そうにも見えない。そんな彼はむしろ優しそうな顔をしながら、エミリエンヌを見て微笑んでいた。
エミリエンヌはしばらく呆然としていた。余裕すぎる態度に混乱してしまったのかもしれないと頭を振りながら、再び『男王』を追いかける。
「これくらいの斜面で安心しているのでしたら、甘いですね」
エミリエンヌと彼女の愛馬は、並走しながら斜面を器用に段々と登っていく。
見たこともない馬の動きに、タモンの周りの兵たちは慌てふためいていた。
(どうやら当たりみたいですね)
タモンを守っている兵たちの態度を見て、これは『偽物』ではないと確信する。エミリエンヌの名前に明らかに怯え、どうすればいいのかと混乱している。エミリエンヌについて来られている部下は誰もいなかったが、エミリエンヌの名前を聞いて、足はすくみ弓矢で応戦したりするまで頭が回らないようだった。
あっという間に、エミリエンヌとその愛馬は斜面を駆け上り、逃げるタモンまであとわずかというところまで迫っていた。
彼女が槍を軽く振るうだけで、護衛の兵たちは最初からいなかったかのように消し飛んでいた。
エミリエンヌは、タモンに追いつくとまずは先を抑えようとしばらく並走する。
その瞬間に、一度横を見てタモンの様子を窺うと、タモンもエミリエンヌの方を向いていた。
(必死だが……なにか……)
逃げるタモンの顔には大きく汗が浮かび、馬を走らせるたびに揺れては落ちていた。ただ、その汗だくの顔の中でも目はエミリエンヌに近くで会えて嬉しいかのように輝き笑っている。
(と、とりあえず馬からはたき落とす!)
これは『男王』の魅了の力なのだろうかと、わずかに動揺した気持ちを振り払うかのように槍を振りかざした。
「させません」
タモンが騎乗している馬の頭を叩きつけようとしている槍を間に入って受け止めたのは、親衛隊長のマキだった。
「ほう?」
タモンに集中していたためか、どこから現れたのかがエミリエンヌにも分からなかった。
同じ様に長身ですらりとした体格ながらも、柔軟でかつ力強い筋肉を持った二人が並んで槍を合わせていた。
軍神と称されるエミリエンヌに対して、田舎の国でも更に西の辺境から来た一隊長。ミハトやカンナと比べても全く無名と言っていいマキが数度に亘ってエミリエンヌの槍を防いだので、エミリエンヌも感嘆の声が思わず出てしまう。
マキにとっては、敵ながら恐れ多い憧れの人物とわずかな時間でも食らいついていけるのは誉れでしかなかった。
とはいえ、実力と経験の差は明らかだった。必死に食らいつくマキを追い詰め、反撃をいなすと体勢を崩させると一気にエミリエンヌは前へと飛び出した。
再び逃げるタモンが目の前にあった。
(馬はできるだけ傷つけたくなかったが……)
そう言っていられる余裕もなくなったので、馬の尻を槍で突き落馬させて止めようとする。
「え?」
しかし、確実に突き刺したはずの槍は空を切った。
「幻影?」
いつ、魔法使いと打ち合わせる時間などあったのかとエミリエンヌは驚いたまま傾いた体で前を見ると、タモンはすでに数馬身か先を行っている。
魔法使いがいたとしても、それほど多くの身代わりを用意できるとも思えないと再度、タモンに追いつこうとする。
しかし、その瞬間に横の林からいくつもの矢が飛んできた。
肩鎧に矢が直撃し、エミリエンヌの体が大きくよろめいた。常人ならそれで落馬するところだったが、エミリエンヌと愛馬はすぐに立ち直る。ただ、全速力で追いかけるのは阻止されてしまった。
「くっ、本隊か!」
待ち伏せているであろうことは、予想していた。
しかし、回り込ませた部隊はまだ到着する気配もなく、気がつけばエミリエンヌの方が孤立している。
「あと少しだったのだが……」
手を伸ばせば、捕まえられそうな距離にまで迫ったのにという無念は消えなかったが、冷静に周囲を見回せば今、危機にいるのは自分の方だった。
かなり近い距離から手練の弓兵たちに狙われ、先程の攻撃で肩はいまだにしびれている。
さらには振り返れば、後ろからは先程自分の攻撃を受け止めてみせたマキが迫ってきている。
(もし、これでカンナやミハトが近くにいれば逃げられないだろう……)
意外なほどに強い武官がいる『男王』の軍に感心している余裕はなく、足を止めるのは危険だと判断したエミリエンヌは、踵を返す。
「また会おう『男王』殿。今度こそは私の手で捕まえてみせるよ」
エミリエンヌは、自分らしくないみっともない捨て台詞に聞こえるかもしれないと思いながらも、声をかけずにはいられなかった。
タモンの方はといえば、馬上でまたにこやかな笑顔を浮かべながら、小さく手さえ振っていた。
「憎らしい君だ」
我ながら妙に執着していると思いながらもエミリエンヌは、迫るマキの横をすり抜けてまた急な斜面を下っていく。
目の前で見ているのに関わらず、タモンの部下はとてもその人馬一体の動きを真似できなかった。斜面をわずかに降りることさえ、おっかなびっくりでとてもエミリエンヌとその愛馬のように全速力で降りることなど試す気にさえなれずに躊躇していた。
「いいよ。追わなくて」
タモンは、マキたちにそう声をかける。
潜ませていた本隊の攻撃に驚き、エミリエンヌと合流するためにエミリエンヌの部隊は一旦退いていた。慌てる必要もなくタモンたちは、山へと退く余裕ができていた。
エミリエンヌの超人的な強さに翻弄された感があるタモンたちだったが、外から見ればエミリエンヌらしくない失敗と映っていた。
「せめてケンザの軍を借りて、再度また来るとしようか」
エミリエンヌは、タモンが消えた山の方を見つめながら再戦を誓っていた。
手強いが、この周辺の兵力はもう完全に把握した。次は必ず君を捕らえてみせると、エミリエンヌは自信たっぷりに笑みを浮かべていた。




