軍神のつまずき
「やっと、援軍が来てくれましたか」
「はい。正直、国王陛下と大臣たちが、また怯えて兵を出してくれないのではないかと思っておりましたが」
エミリエンヌはもう海峡を渡り終えたという援軍の知らせに満面の笑みを浮かべていた。
副官のケンザもずっと内心では戦のことなど何も分かっていない国王陛下とその取り巻きが自分たちの身を守ることしか考えないのではないかと疑っていたが、ちゃんと前線の要請に応じてくれたことを共に喜んでいた。
「率いているのは、ヨライネ殿か。うん、経験豊富な彼女なら『男王』を任せても問題なさそうです」
エミリエンヌは、目を輝かせていた。ケンザから見れば頼もしいこの指揮官が、おもちゃを与えられた子どものような楽しみにしている表情で南ヒイロ帝国攻略のことばかりを考えているのを可愛らしいと思うのと同時に、わずかばかりの怖さを感じつつ眺めていた。
「ご無沙汰しております。ヨライネ殿。遠路、ご苦労さまでした。これは心強い。ヨライネ殿と私と力を合わせて戦えば、北ヒイロはもちろん、南ヒイロの制圧も時間の問題でしょう」
エミリエンヌはケンザと共に、モントの城門までニビーロから送られた援軍を出迎えに行くと、大きな喜びに溢れた声でそう歓迎した。
エミリエンヌは大言壮語をするような人物ではない。ニビーロ国内でも屈指の実力者のヨライネと自分が連携して戦えば、この戦争も勝利に導けると本気で思っている。
無邪気にも見える笑みを浮かべて握手をしようとするエミリエンヌに対して、本国から派遣されたヨライネは元々厳しい顔立ちの初老の人物ではあったが、今は更に難しい顔をして直立不動のままだった。
「エミリエンヌ殿」
ヨライネが名前を呼んだ瞬間に、左右から甲冑を着た騎士たちがエミリエンヌとケンザを取り囲んだ。
「はい?」
馬から下りてはいるが、完全武装の騎士たちが剣ではなく長い槍を揃えて構えている。敵地に赴いた援軍なので完全武装をしているのは、違和感がなかったので見過ごしてしまったが、妙にヨライネ殿より前に出てきていると最初に気がつくべきだったとエミリエンヌは後悔した。
「何をする! エミリエンヌ様に向かって!」
エミリエンヌを信奉しているケンザは、怒っていた。階級では遥かに上のヨライネやその護衛の騎士との戦いもためらわない覚悟だった。
(こうなると……ケンザを連れてきたのは失敗でしたね……)
もっと弱そうな相手であれば、頼もしい護衛になるケンザなのだが、ほぼ丸腰でニビーロでも最強の騎士たちに取り囲まれてしまうと無力どころか足手まといでしかなかった。
(自分一人だったら、何とか逃げられるか……?)
エミリエンヌは周囲を見回しながら、そんなことを計算していた。しかし、今、意味のない妄想をしても仕方がない。何とか、この副官が怒りのあまりに暴発しないように話しあわないといけないと思っていた。
「これはどのようなおつもりでしょうか? まさかヨライネ様は敵に寝返って……」
「違う! その疑いがあるのは貴殿の方だ!」
エミリエンヌの問いかけを、ヨライネは途中で大きな声で遮った。
「エミリエンヌ様が、裏切るなんてあるわけないだろう! この公明正大で忠義の塊のようなエミリエンヌ様が!」
ケンザは、激高して反論していた。エミリエンヌは『いや、そこまでの人物でもないのだけれど』と内心では困りながらもなんとかケンザが殴りかかったりしないように抑えていた。
「どういうことでしょう? 私は今も前線で北と南のヒイロ軍を相手に奮戦しているのですが」
「私もそれは分かっているのだが、国王陛下が疑っているのだ」
苦しそうな表情で、ヨライネは答えていた。
(髪に白いものが増えましたね。ヨライネ様)
エミリエンヌは、じっとヨライネの様子を観察する。少なくともヨライネが寝返ったわけでも頭がおかしくなったわけでもなさそうだと感じていた。
「南ヒイロを追い出したあとは、貴殿が自ら北ヒイロの王になるつもりだという噂が流れている……」
「そんなよくある流言に……」
「だが、先日も敵軍から貴殿宛に手紙が届いたのをドミクル様が確認している」
「……それもよくある敵の策略でございましょう」
このやり取りにエミリエンヌはそれほど深刻な話でもなさそうだと油断していた。
エミリエンヌの能力と人望が高すぎるためにそういった噂話はエミリエンヌを妬む味方からもよくあることだった。ただおそらく敵が動いている結果、王族であるドミクルに疑われてしまったのはちょっと厄介だなと思ってはいるくらいだった。
「私もそう思っている。貴殿を信じたい。だが、先日の戦いのあと大した兵のいない敵の要地を攻めずに戻ってきたのはどういったわけか?」
「む。マジェルナの丘のことでしょうか」
「そう。まさにドミクル様からの報告ではマジェルナの丘にいる司令官から、『男王』も寝返ってエミリエンヌ様に仕えるという手紙が届いていたという」
「あの時点では、兵がどれくらいいるかがはっきりしなかったので連戦の疲れもあったため無理をせずに引き上げたのです」
エミリエンヌは険しい顔になりながらもそう釈明する。
ただ、モントの城に戻ってきてからはマジェルナの丘にいる兵力も普段と変わっていないようだったし、あの時点で攻めるべきだったのかもしれないとエミリエンヌ自身も後悔したところではあった。
「……やや不自然であると言わざるを得ないな」
傍から見ていると確かにそう見えてしまうのは、エミリエンヌにも理解できる。
(私が『無敗の名将殿』に対して慎重になりすぎたか……。それは一度退くだろうと読まれてしまっていたのが問題か……。いや……攻めたら攻めたで何か別の用意があったに違いない。そういうタイプの策略家なのか、『無敗の名将殿』は……)
まだ会ったことも戦ったこともないルナに対しての勝手な妄想だけがエミリエンヌの中で益々広がっていく。
「それにまずは『男王』を確保しろという命令だったはず。それに応じずに南ばかりを相手にしようとしているのはどういったことか。……と国王陛下がおっしゃっている」
「まずは戦争に勝たなければなりません。そうでなければ、戦後に『男王』を確保する権利も得られないでしょう」
エミリエンヌと共に何度も他国へも遠征しているヨライネなら分かってくれる。エミリエンヌは、こんな当たり前のことを理解されないはずがないだろうと思っていた。
「……国王陛下たちがお疑いなのだ」
ヨライネは分かった上で、質問しているのだ。そのことが分かるとエミリエンヌは、自分自身のことよりもヨライネが面倒なことに巻き込まれてしまったことに同情していた。
「どうだね。ここの軍は私が預かるから、エミリエンヌ殿は一度、ニビーロに帰って国王陛下に釈明しては……」
「ヨライネ様では……」
エミリエンヌは反対しようとする。これは相手の思うつぼだ。
それに北ヒイロの軍はまだ本気を出していないだけでかなり手強い。
カンナやミハトの戦いっぷりを思い出して、失礼だとは思いながらもヨライネだけに任せられないと言おうとした。
「そうそう。ヨライネ殿にお任せしなさい。『男王』を捉えるのなんてヨライネ殿なら容易いことでしょう」
「ドミクル様……」
いつの間にか話をややこしくしている王族のドミクルが近寄ってきて話に加わってきていた。
「何をおっしゃいますか。我らの指揮官はエミリエンヌ様しかおりません!」
副官のケンザは、何も働いていないこの王族の言葉に明らかに反感を持っていた。
(まずいな……)
ケンザの反論も余計にエミリエンヌの立場を悪くするだけだったので、エミリエンヌは仕方なく諦めることにした。
「……分かりました。私は一度、ニビーロに戻ることにいたしましょう」
「エミリエンヌ様!」
食い下がるケンザに対して優しく肩を叩いて説得するエミリエンヌだった。
(敵の思い通りになってしまうのは癪だが……。国王陛下の不安は払拭しておいた方が後々のためだろう)
まだ氷が溶けるまでには時間もある。
エミリエンヌは、不安はありつつも一度前線を退くことにした。
「『男王』とマジェルナの丘に、伝わらなければ大した問題はない。数日もすれば帰ってくる」
エミリエンヌは部下たちにはそう言うと、地味な格好でわずかな護衛だけを連れて密かにモントの城を出ようとしていた。
(ふふふ、噂の軍神様も甘いですね)
その様子を、港町モントの商人に扮した格好で見ていたのはショウエだった。実際に商人と連絡をとって、子どものように見える外見から、港町からの配達で城に出入りするのを不審がる兵もいなかった。
「よう。お嬢ちゃん。配達ありがとうな」
「どう? お嬢ちゃん。今晩、俺たちと一晩付き合わない?」
それどころか、城門で警備している兵たちには人気となり親しく話をするようにさえなっていた。
「ええ~? うちはそういうお店ではないので、ご主人様に叱られてしまいます」
普段のショウエを知っているコトヒやコトヨから見れば、信じられないくらい可愛らしい声で体をしならせながらあしらっていた。
「冷たいなあ。いいじゃない。もうちょっと話し相手になってよ」
一人の兵が強引に手首を掴んで、ショウエを引き留めようとしていた。その様子を見ていた、上官らしき人が近寄ってくるとたしなめていた。
「おい。まだ任務中だぞ。それにまだ子どもじゃないか。やめておけ」
「はっ、失礼いたしました」
敬礼をするついでに、ショウエの手を離してくれた。
(これでも規律正しい方だよね……)
ショウエは掴まれた手首が少し痛かったものの、無理やり子どもをどこかに連れ込んだりといったする兵たちではないとも感じていた。
(いえ、我は子どもではないのですが……)
自らの幼い外見を利用しつつも、誰も違和感を持ってくれないことにはちょっと不満なショウエだった。
「エミリエンヌ様が、お出かけになるのだ。ちゃんと立っていろ」
先ほどの上官が少し声を潜めつつ、部下たちを叱りつけていた。
「どちらに行かれるのでしょうか?」
「教えられてはいない」
「例のあれでしょうか?」
「あれって、ニビーロに戻っちゃうっていうやつか?」
「大丈夫だ。エミリエンヌ様を信じろ」
上官と部下たちは、ひそひそと会話を続けていた。規律正しいなかでも、この部隊は仲良さそうでショウエはちょっと微笑ましくなってしまう。
「それでは、失礼します。そういうお店のお姉さんにはサービスしてもらえるように話しておきますね」
可愛らしい声を出しながら、警備の兵たちにお辞儀をしながら去ろうとする。
「おー。頼むよ。お嬢ちゃんもまた来てな。お菓子をあげるよ」
その言葉に、にこやかに手を振りながらショウエは城門を出ていった。
「やはり優秀すぎる将軍は、無能な国王に疑惑を持たせるのが一番ですね」
いつもどおり城の中には入れなくても、充分な情報を集めたショウエは、城から出るとほくそ笑んでいた。
エミリエンヌは、まだ知らない。
エミリエンヌの軍に対して、戦略を練り、策略をめぐらせているのは、『男王』でもなく『マジェルナの丘の司令官』でもないこの幼く見える少女だということを。
「さて、化け物のいない今が勝負ですよ。タモン陛下」
ショウエは帰り道で魔法使いを呼び寄せて、各地へ連絡をさせる。
限られた時間の中での決戦が始まるのだった。




