軍神
「カンナ。おかえり」
タモンは、久しぶりにモントの城に戻ってきたカンナを城門まで行って出迎えた。護衛官のマキだけがついてきているだけで、気軽な軽装で城門まで歩いてきたその姿は、とてもこの北ヒイロを治めている国王とは思えないけれど、出会った頃と何も変わらないその気さくな笑顔にカンナは嬉しくなっていた。
「師匠との修行の日々は、どうだった?」
(まるで、僕が少年漫画のモブキャラみたい)
タモンは、精悍さを増して更に屈強な戦士の雰囲気を漂わせているカンナを見て、全く弱そうなままで変わらない国王である自分を比べてちょっと苦笑していた。
「私の勝手な我がままを聞いていただき感謝しております。必ずやこの戦でもお役に立ってみせます」
馬を下りたカンナは風格さえ漂わせて大きく一礼するとそう答えた。南ヒイロでの戦いの際に、師匠率いる軍に翻弄されたカンナは、戦いのあと再び師匠とともに修行の日々を送ることにし、今強くなって再びタモンの元へと帰ってきた。
そんな剣豪ものの主人公の様な日々を送ってきたカンナだったが、現在の状況はあまり理解できておらずモントの城を不思議そうに見回していた。
「ご夫人や侍女たちは、本当に退避されているのですね」
以前にモントの城に来た時とは比べ物にならないくらいに、黄色い声がしない。武具を整備し、訓練する金属音だけが勇ましくよく聞こえてきていた。
「南方に行くのかと思っていたのですが、なぜこのモントの城が戦場になるのですか?」
城の中に入り、タモンと廊下を歩きながらそんな疑問を口にする。それはまあ、当然の疑問だろうとタモンも思う。
「私たちの相手は、ニビーロ国になるからです」
二階の執務室に行くとそこにはエリシアが一人待っていた。
「ご無沙汰しております。エリシア宰相さま」
カンナは、お互いにそんな大層な肩書きが付く前からの仲間ではあるのだが、ちょっと嫌味っぽく役職を強調して深々と頭を下げた。
ミハトと違いカンナは昔からあまりタモン以外の人に心を開かない。エリシアとも死線をかいくぐった仲間としては認めつつも、二人の間には常識と遠慮があった。
「ニビーロですか」
カンナは不思議そうにエリシアに尋ねた。
「ええ、ニビーロです。ニビーロは、トキワナの北にある国で、一応独立していますが実際のところはトキワナの属国です」
さすがにカンナもそれくらいは知っていると思ったが、続きがあるのだろうと何も言わずにエリシアの話の続きを待っていた。
「戦争になれば、ニビーロはトキワナに従って兵を出して戦いますが、今までは戦う姿勢だけは見せるけれど、本気で戦うことはなかった。まあ、美味しいところはトキワナが持っていってしまいますからね」
「出征先で頑張らなくても国土の大半をトキワナと接しているので、攻め込まれたりすることはなかった。今まではね」
タモンも補足する。ここまではカンナも分かっている基礎的な知識なのでただ頷いていた。
「なので、今回、トキワナ帝国はニビーロに矢面に立ってがむしゃらに戦ってもらうことを考えた」
「いわば、属国同士で戦ってもらうように仕向けるということですね」
タモンとエリシアが続けて行った言葉に、カンナは今度はちょっと驚きながらも首を捻っていた。
「ニビーロが北ヒイロに攻めてくる。……それは分かりますが……ニビーロは海に面していますが、ろくな港もなければ船もないでしょう」
「そう。浅瀬だしね。ニビーロに船はない。帝国の軍艦どころか、モントの漁船にも負けるだろうね。だから、うちとは近いけれど防衛ではあまり気にしていなかった。……今まではね」
考えても分からないので、カンナは素直に肩をすぼめ両手を広げて降参してタモンとエリシアの答えあわせを待つことにした。
「この冬の戦いでは、海峡を歩いて渡ってくる」
「まさか……」
「そう! 大魔法使い様の魔法で海峡を凍らせてやってくるんだ」
カンナは、想像した通りの答えだったのにも関わらずあまりにも馬鹿げた作戦に呆れつつ怪訝な表情になっていた。
「大魔法使いとはいえ、そんなことが可能なのですか?」
「簡単ではないよ。だからトキワナ帝国も随分前から準備していた」
カンナは、どうやら本当のことらしいと頭では理解しつつもカンナの中の常識が理解を拒んでいる。
「おかげさまでこっちにも情報は筒抜けだったけれどね。あと、大魔法使い様は、魔力を使い果たしてしばらくは活動できないだろう。週に一度、巨大な火の玉を打たれたりするのに怯えなくてもいいのは、決して悪いことだけじゃない」
タモンが、意外に明るい声ではっきりと言うので、これは冗談ではなく本当に起きる想定なのだとカンナも逆に実感できるようになっていた。
「しかし、なぜ、その様な手間をかけてまでニビーロを……」
「さっき言った通りだよ。今回はニビーロに矢面に立ってもらいたいのさ。それだけ、僕たちを怖がっているということでもある」
「トキワナ帝国としても、ニビーロの領地が大きくなるのは避けたいのですが、今回はほら別のご褒美を差し上げられますし」
エリシアは、そう言いながらタモンを紹介するように手をかざした。
「なるほど……」
カンナはすっかり慣れてしまい忘れていたが、自分の主君はとても珍しい存在だったと改めて思い出していた。
「どれだけ舞台を整えるのに時間がかかっても、噂のあの人に前線に出てもらえば北はもう安泰だと思っているんだろうね」
「あの人……」
カンナもその噂は聞いている。
一体どんな人なのか、実際に相まみえてみたい気持ちで高ぶりつつ話を聞いていた。
噂のあの人を見る機会はタモンたちにとっては全く嬉しくないが予想以上に早くやってきた。
数日後に凍った海峡を渡ってきたニビーロの軍勢は、タモンたち北ヒイロの軍勢と北ヒイロの海岸沿いで相対する。
侵攻を予測して、海岸沿いに作ったはずの砦は大魔法使いの氷魔法の前に無力な存在となってしまっていた。
「なんと、でたらめな光景か」
カンナはタモンと轡を並べながら、そう言って呆れていた。戦いの場以外では、いつも冷静な言動のカンナだったが、今日は完全に凍りついた海と海岸を崖の上から見下ろしながら少し汚い言葉を投げかけていた。こんなのはずるいだろうとでもいいたそうだった。
「そして、あれがニビーロの軍神ですか」
少し冷静になりながら、カンナはまさに海を渡ってくる軍隊の戦闘を見つめていた。完全に氷の上だからなのか、騎馬隊はゆっくりと後方から詰めてきているようだったが、歩兵の中に一騎、全く氷の上でも苦にしていなさそうに速いペースで歩みをすすめる人物がいた。
「そう。エミリエンヌ将軍。ニビーロが誇る英雄。彼女に前線に出てもらいたいから、トキワナ帝国もあの手この手を尽くしたというね」
タモンの目では、まだはっきりと顔立ちまでは見えなかったけれど、氷の上で白銀の鎧はきらびやかに反射して見えて、兜をつけていないその頭は綺麗な金髪をなびかせていた。威風堂々にして、どこか繊細で美しい。そんな雰囲気を漂わせつつ彼女は歩兵たちを引き連れて北ヒイロの海岸に上陸しようとしていた。
「まずは、お手並み拝見といきますか」
目の良いカンナはその一挙手一投足を見逃すまいとじっと眺めていた。
ニビーロ軍を迎え撃つのは、ミハトの部隊だった。
「トキワナの犬どもめ。俺の名を覚えて海に帰るがいい。『男王』タモンの妹分ミハトとは俺のことだ!」
いつものように勇ましく突撃隊長らしく名乗りを上げて自らが戦闘で突撃を開始していくミハトと数人の精鋭は一岩となってニビーロの軍を切り裂いていった。
「ぐっ、こいつら、強い。エミリエンヌ様に近づけさせるな!」
単純な少数部隊の攻撃が予想外の強さだったので、ニビーロの軍も焦っていた。
この場にいる軍全体ではニビーロの軍の方が多いのだが、上陸できる場所は限られているので先頭の軍はミハトの部隊とそれほど数に変わりはなかった。
しかし、ニビーロ軍全体を指揮していると思われるエミリエンヌは安全のために下がったりなどということは全く考えていないようだった。焦る様子もなく馬上から迫りくるミハトの姿をじっと観察していた。
「なんだこいつは? 阿呆か!」
ミハトは、まだ兜もかぶらず槍も構えていない敵の将軍の姿をとらえていけると確信していた。ただ、やはり氷の上での騎馬には慣れていない。自分の頭で思い描いた動きとは違う距離の詰め方にはなった。
「だが、もらった!」
ミハトは自慢の戦斧で、エミリエンヌの護衛の兵たちを弾き飛ばすとそのまま戦斧を振り上げてエミリエンヌの頭を狙った。
エミリエンヌは、やっと腰に帯びた剣に手を伸ばしてミハトの攻撃を受けようとしていた。
「そんな細い剣なんぞで!」
ミハトが叫ぶ。周囲のミハトの部下もニビーロの兵たちも、その通り受けるのは難しいのではないかと固唾を呑んで見守っていた。
しかし、少し曲がった剣はあっさりとミハトの戦斧の攻撃を受け流した。
「何!」
少し馬ごと体勢を崩したミハトは、すぐに立て直そうとする。よろめきながら一周すると再びエミリエンヌに相対した。
「大丈夫だから、みんな下がって。近づくと却って危ない」
エミリエンヌは何事もなかったかのように、そして危機など全く感じていないかのように涼しい表情のままミハトと自分のとの間に命をかけて守ろうとする部下たちを止めた。
「なめやがって!」
ミハトは激高していた。さっきから自分の実力を観察された上で一番被害がでない方法を見定めたのだと分かっている。それだけに不気味なものは感じつつも、怒らずにはいられなかった。
大きな戦斧を何度も大きく振りかざした。しかし、その度に曲刀であっさりとエミリエンヌは受け流していた。
あの大きな戦斧をあんなに軽々と振り回せるミハトに、ニビーロ軍は驚きながらも、やはりエミリエンヌの敵ではないことに安堵して歓喜の声をあげていた。
「強くて上手い。だが、叩き割れる!」
すごい剣技だとは認めながらも、ミハトは実戦ではそんな技術よりも力だと重さが全てだと身を持って知っている。渾身の力で次は曲刀を叩き割ることだけを考える。
「うわっ」
しかし、渾身の一撃はまたしても受け流された。その前になのか後なのかは分からないが、ミハトの馬は足元を滑らせてミハトと共に倒れ込んだ。
「ミハト様!」
ミハトの副官クレハが、ミハトを助けにきた。自らが馬を下りて、自分の馬にミハトを持ち上げて乗せようとする間に、ミハトの一番弟子であるシュウはエミリエンヌの前に立ちふさがっていた。
「やめろ! シュウ! お前じゃ無理だ」
ミハトは叫んでいたが、副官たちはそれどころではなかった。何とかミハトを馬の上に乗せるとそのまま馬の尻を叩いて、一目散に脱出させた。
「深追いしなくていい。まずは上陸してしっかりと足場を固める」
エミリエンヌは、若きシュウの挑戦をあっさりと退けていた。
汗一つもかかずに、シュウは先ほどのミハトのように地面に倒れ込んで動けなくなっていた。
このまま敵の大将を捕まえて戦果を確実なものにしたいと思う部下たちを、エミリエンヌは冷静に周囲を観察しながらたしなめていた。
「ミハトも歯が立たないとは!」
崖の上から、戦場の様子を窺っていたカンナはこの結果に驚愕していた。
ミハトの実力はカンナが一番良くわかっている。一対一の戦闘では自分以外では互角に戦える人を見たことすらなかったのだ。慣れない氷上での戦いとはいえ、エミリエンヌもそれほど慣れているわけでもないだろう。
「そして、伏兵も見抜かれたね」
タモンはわざわざ自分の部隊が見えるような場所に布陣して誘いをかけていたが、のってきてはくれなかった。どの程度伏兵に気がついていたかは分からないけれど、指揮官として冷静なことも伺える。
「武勇でも戦術でも噂通り、手強そうだね」
タモンはお手上げという表情で、振り返った。
「ミハトの部隊と合流して、退く!」
部下たちにこの戦場からの離脱を告げた。上陸してくる軍を迎え撃つことを諦めて、北ヒイロ領内で迎え撃つことにしたのだった。
「ゲリラ戦ですね」
過酷な戦いが待っているのだが、慣れているとでも言いたそうに、カンナは少し余裕の笑顔で退却する馬に乗った。
「でも、春になって氷が溶ければ補給はできなくなる。それまで生き残れれば勝ちさ」
さっきのエミリエンヌを見てしまうとそれしかないと思いながら、本当に生き延びられるだろうかと不安になりつつタモンも馬上の人になった。
(しかし……それにしても……)
タモンは馬上から、先ほどの戦場を振り返っていた。
(戦う姿は美しかったな……)
エミリエンヌの勇姿を思い出していた。マジョリーみたいに飾られた花のような美しさとはまた違う凛々しく戦う姿は別の美しさがある。機能美を追求した結果とも思えるその姿はタモンの脳裏にいつまでもこびりついていた。




