ハーレム解散
「どうぞ、私のここでお休みになってください」
イリーナは、タモンの部屋でベッドに座りながら自分の太ももを軽く叩いて招き寄せようとしていた。
「え? 重いよ」
「大丈夫です。お任せください」
完全に疲れ切ったタモンを見かねたイリーナの提案だった。
「お姉さまたちがいらっしゃるのにはまだ時間があると思いますし、遠慮なさらず」
こんな小さな女の子に膝枕なんてしたら苦しいだろうとはタモンは思いながらも、疲れ切った頭は、この細く綺麗な脚を枕にしてみたいという誘惑とちょっと意地悪をしてみたいという気持ちの方が勝って言われる通りに倒れ込んだ。
「旦那さま、失礼いたします」
タモンが細いながらも柔らかくすべすべした太ももの感触を楽しみながらうとうとしている間に、他の夫人たちが続々とタモンの部屋へと入ってきていた。
「へえ、ボクたちこの部屋は初めて入った。こんな部屋なんだ。……あまり立派な部屋でもないんだね」
コトヒが部屋に入るなり、周囲を見回してちょっと期待外れそうな感想を漏らしていた。夫人たち五人が勢揃いしても肩を寄せ合うとかいうことはなくかなり離れて立っていられるのだけれど、広い土地で育ったコトヒから見れば、どちらかと言えば窮屈な印象を受ける部屋だった。
ただ、姉であるコトヨがその言葉に曖昧にうなずいたのみで、エレナとマジョリーは特に何も語らない。
「あれ? もしかしてこの部屋に入ったことないのってボクたちだけ……?」
ちょっと不満そうに口を尖らせながら、タモンの姿を探すとまだ奥のベッドの上で寝ていた。幼女に膝枕されながら、静かに寝息を立てていた。
「イリーナちゃん。苦しそうだけれど、大丈夫?」
「ぜ、ぜんんぜん大丈夫です」
近づいてきたコトヨやエレナの問いかけに、涙目で苦しそうにそう答えるイリーナの姿があった。
「あれ? ああ、みんなもう集まって……」
そんな会話と気配を感じとって、タモンは目を覚ました。
横を見ると不審そうな目でこちらを見ている夫人たちの姿があり、上を見るとイリーナが明らかに苦しそうなのに、精一杯笑顔を作ってタモンの髪をなでていた。
「ああ、ごめんね。痛かったよね」
「だ、旦那様が癒やされたのでしたら、よ、良かったです」
さすがに強がりでも痛くなんてなかったとは言えないようで、タモンがどいた後でもイリーナはベッドに座ったままでしばらく動けないようだった。
「そんな細い足にずっと膝枕させるなんて、旦那様は酷い人ですねえ」
エレナは静かな物言いながら、嫉妬混じりの蔑んだような目でタモンを見ていた。
「た、ただの膝枕ですから、そんなご心配するようなことではありません」
イリーナはそう強がりながらも、他の夫人が楽々こなしているように見える膝枕でさえ、この小さい体ではままならないのかとちょっとショックを受けていた。
「大丈夫ですよ。私でもしばらくすると痛いですから」
そんなイリーナをコトヨが優しくフォローしてくれる。
「そうなのですか」
イリーナは、その言葉にちょっと安心しつつも密かにコトヨとエレナの太ももを見比べていた。
(エレナ様くらいだったら、しばらく膝枕しても大丈夫だったりするのでしょうか?)
健康的で柔らかそうなエレナの脚を見ていると、羨ましいと思うとともに頭を乗せてみたい衝動に駆られてしまうのだった。
「それで、旦那様……今日は何の集まりでしょうか?」
少し離れた部屋の真ん中でマジョリーはみんなの様子を観察していた。もしかして、自分だけが何も知らされずに集まったのではないかと思っていたけれどそういうわけでもなさそうだと安心しながらタモンに問いかけた。
「そうですね。全員呼び出すなんて、どんなことをさせたいのでしょうか?」
エレナはちょっと誘いつつからかうような表情でそう言った。マジョリーやコトヒたちは冗談だと分かっているけれど、イリーナだけはもしかして大人の話なのかとちょっとどきどきしながらタモンを見ていた。
「実はね……」
少し伏し目がちにタモンは切り出す。
思っていた以上に深刻な話なのかもしれないと夫人たちは皆、タモンの方を真っ直ぐ向いて次の言葉を待った。
「みんなには、この城から出ていって欲しいんだ」
その言葉にはさっきまでは余裕の表情だったエレナも、驚きのあまり一瞬で顔面蒼白になっていた。
「ああ、もちろん一時的にだよ」
エレナ以外の夫人もショックのあまり頭が真っ白になり完全に停止していたが、タモンの続けた言葉でなんとか再び動き出した。
「も、もう脅かさないでください。旦那さま。い、言い方が悪いです」
マジョリーは、まだ頭が回らないままながらもきっと大したことではないのだと自分に言い聞かせながら笑顔を作っていた。
「タモン君、それで、なぜなのですか? どれくらいの間、出ていけばいいのですか?」
いち早く冷静になったらしいコトヨが詳しく聞こうとする。ただ、普段ではしないような強い言葉遣いになり、前で組んでいる手もわずかに震えている。コトヨは、覚悟を決めているようだった。
「帝国同士の戦争がもうじき始まるから、ここは危なくなる。だからみんなにはツーキの街に避難して欲しいんだ。そうだね……戦争が終わるまで」
タモンの言葉に、また部屋の中は静まり返った。やはり深刻な事態なのだと改めて認識する。
「ですが、ここまで戦場になるのでしょうか? トキワナとの戦争であれば、南の方に敵兵が侵入するのは分かりますが……」
「確かに、ここは、比較的ビャグンからも近い場所ではありますが……」
エレナの疑問に応えるように、マジョリーもつぶやいた。帝国同士の戦いで、トキワナが攻めてくるとすれば北ヒイロで矢面に立つのはビャグン地方だった。ビャグンで生まれ育ったマジョリーはその事をよく分かっている。もしビャグンがあっさり突破されて、ここまで軍が迫ってくるようではそれは負け戦なのではとマジョリーは心配する。
「ビャグンよりも、ここの方が戦場になる可能性が高いということです」
「なるほど……そういうことですか」
タモンの簡潔な説明に、エレナだけは深く理解したようにうなずいていた。他の夫人たちは、他の国の動きなどは詳しく分からないままに、モントの城こそが危険だということは理解して深刻な表情をしていた。
「分かりました」
エレナは、重苦しい雰囲気を振り払うように大きな声で拳を握りしめながらうなずいていた。
「でも、それでしたら私はツーキの街にはまいりません。明日にでも実家へ帰らせていただきます」
エレナの言葉に、一瞬、明るくなったような気がした部屋の雰囲気はあっという間にまた重苦しいものになった。
「エ、エレナ様。決して不快な思いはさせませんから、ご一緒にツーキに参りませんか?」
コトヨは、慌ててエレナの前に回り込んでいた。エレナが、ツーキなんて田舎の町に一緒に行くのは嫌だと思っているのだろうと推測すると本来はツーキの街の主である人間としては説得しなければという使命に駆られていた。
「……別に私がツーキの街に行ってすることなんて何もないのよ」
生真面目なコトヨに詰め寄られてしまうと、あっさりと否定することも茶化すこともできなかったけれど、エレナの考えは変わらなかった。伏し目がちにそれだけを言うともうタモンの部屋から出ていこうとする。
「え。私たちはどうしたら……」
マジョリーは、エレナとコトヨを交互に見たあとで、混乱して助けを求めるようにタモンの方を見た。しかし、マジョリーの視線にタモンの返事は、優しく微笑むだけだった。
(言われたとおりに逃げろということよね……)
「分かりました。退避の準備をして早いうちにツーキの街に避難します。……タモン君のご無事と勝利を祈っています」
沈黙するマジョリーの横で、コトヨはタモンに向けて深く頭を下げてタモンのお願いを聞く覚悟を固めていた。
(まあ、コトヨさんたちは、故郷に帰るだけですから……)
それは比較的、気楽だろうと思いながら、マジョリーもしばらく考えた後に同じ様に深く頭を下げて了承したことを示した。
「ごめんね」
タモンは、一言だけそう言った。『勝って、必ず迎えに行くから』と付け加えてはくれないので、コトヨもマジョリーも、さらには少し後ろにいるコトヒ、イリーナも悲しい気持ちになり目頭が熱くなっていた。
「待っています」
マジョリーも頑張って笑顔を作りながら、そう応じていた。つい昨日までみんなで仲良く温泉に入ったりしたので、いきなりの出来事にまだ頭が追いついてはいなかった。ただ、言葉にしてしまうと諦めと実感が湧いてくる。
後ろでコトヒとイリーナもマジョリーの気持ちが伝わったのか悲しそうにすすり泣く音が聞こえた。
「旦那様と……エレナ様ともしばしのお別れなのですね」
マジョリーから見れば、エレナは元々はこの城に来た時にはライバルとして、対立していたけれど、ここ最近はエレナとも親しく会う機会も多くなっていた。これから会えなくなるのだと思うと自分でも驚くくらいに空虚な気持ちになっていた。
「あ、そうですわ。旦那様」
そんなしんみりとしていた感情になっていたマジョリーだったが、一度部屋を出たはずのそのエレナが何もなかったかのように戻ってきた。
「退避の準備はいたしますけれど、今晩はちゃんと私の部屋に来てくださいましね」
エレナはいつもの調子でタモンに近づくと少し拗ねたかのようにお願いをしていた。
「今夜は、朝まで可愛がっていただきますから、覚悟していてくださいね」
その宣言なのかおねだりなのか分からない言葉に、他の夫人たちは目を丸くしていた。特にイリーナは顔を真っ赤にしながら、羨ましそうにタモンとエレナを見つめていた。




