『私が癒やしてさしあげます』
「すごいわね」
第一夫人を自称するエレナは、口を開けたまま呆然と完成したその建物を見上げていた。
「城より立派ですね」
いつも冷静な付き人のフミもエレナの隣で同じ様に呆然としている。最近、あまりエトラ家の後宮に来る時間も取れないほどに多忙な彼女だっただけに、三階から見る景色がこんな風になっているとは想像もしていなかった。
「さすがは南ヒイロ帝国が作る後宮ですね」
フミは窓際まで近づいて感心する。ほんの数ヶ月前には、エトラ家、キト家、ヨム家出身の夫人が住む後宮が並ぶその裏には小さな後宮なのか隠れ家なのか良くわからない建物が一つぽつんとあるだけだったのに、今では裏山が切り崩されて巨大な建造物が作られようとしていた。
「センスがないわ。我が家だって、その気になれば大きな後宮を作ることはできたのに、城よりも大きくしてはいけないと思って三階建てにするくらいでうまくまとめたのよ。あれくらいの建物は作れるわ。頑張れば」
三家の建物をあわせれば城よりも大きな広さにはなるが、あくまでもモントの城に付随する建物でしかなかった。うまく三家でバランスが取られていてそれぞれが個性的ながら主張しすぎずにうまくモントの景色に溶け込んでいた。
しかし、新しい建物は明らかに巨大だった。モントの城は元々帝国の城などとは比べ物にならない小城ではあったが、それにしてもまだ工事途中であるのにもかからずモントの城よりも大きく、そして堅牢な作りに見えた。
後宮の立派さで帝国の威厳を見せようとかそんな次元の話ではなく、もはや新たな城だった。
「陛下に住んでいただくことを目指してそうですよね」
フミは窓から身を乗り出して、新しい建物の概要を確認する。まだ工事中で、幕が覆いかぶさって細かい箇所ははっきりしないけれど、その気になれば単にタモンが住むだけではなくて、城で働いている人、全員が引っ越して政務を行うこともできそうな大きさがあった。
「まあ、私たちが来た時とはこの国もかなり変わりましたからね。お城自体を新しくしてもいいのかもしれませんね」
エレナは諦めたように意外にサバサバとした声でそう言った。フミはちょっと意外そうに横目で自分の主人を見ていた。
(プライドよりも実利を取る。それにこの国が大きくなるのを支えてきた自負があるのですね。さすがですエレナ様)
エレナはフミがお仕えした時からしっかりとしたお嬢様ではあったけれど、この城に来てから単なる国王に寄り添うだけの夫人ではなく一人でも頼れる存在になっているとフミは目を細めていた。
「むー」
そうは言っても、やはりちょっと悔しいらしくエレナはイリーナの後宮を見上げながら変な声で何度も唸っていた。
「後宮もかなり完成に近づきましたし、タモン陛下を招いて宴でも開かれてはいかがですか?」
巨大な後宮の中にできた謁見の間にイリーナは国王であるかのように座らされるとジナイーダが片膝をついてそんな進言をしてきていた。
「美酒や珍味を揃えさせましょう。イリーナ様が成長するまでは、美女を集めてお相手させてもよろしいかと思います。もう、この後宮から戻りたくなくなるように骨抜きにして差し上げます」
ジナイーダはイリーナの世話係のように振る舞いつつモントの城に入ってきていたが、実際のところは南ヒイロでも屈指の官僚だった。
北と南の同盟をとりもちつつ、対トキワナ帝国への布石を打つ。そしてその裏では北ヒイロが裏切ったりしないように監視も欠かさないようにするのが自分の使命であると立ち回っていた。
「タモン様は、そんなもので贔屓をしてくれたりはしないと思いますよ」
そんなジナイーダの提案を、まだ小さなイリーナは冷静に受け流していた。
「そう……なのですか」
あまり個人の気持ちを深くは考えず、ジナイーダはこうすれば人も動くだろうと決めつけて動くところがあった。それでも、帝国の権威と財力で今までは困ることがなく最終的には思うように交渉を進められてきたという実績があった。
(私のご先祖様たちがいけない気はしますけれど……)
『男王』には先ほどの提案のようなことをしておけば間違いがないのだというのは南ヒイロに伝わる話の数々からそう考えてしまうのは仕方がないとイリーナは思う。
「権力や財力を見せつけるとタモン様は、むしろ距離をとってしまうと思いますよ」
イリーナもまだタモンと一緒に過ごした時間がそれほど長いわけではないけれど、そんな一面があると感じていた。
「あくまでも異国に来て、少し寂しい一人の女の子として頼った方がタモン様は特別扱いしてくれますよ」
「はあ、そういったものですか」
恋愛には全く興味も縁もないジナイーダは十歳以上年下の女の子の意見を聞いて素直にうなずいていた。
「まあ、タモン様のことは私に任せてください」
「分かりました。では、私はトキワナ帝国への対策を進めます。タモン陛下にもよろしくお伝え下さい」
ジナイーダは、そう言って下がった。
「それでは、今日もタモン様のお部屋に参ります」
日が暮れると、イリーナは今日もタモンの部屋へ行く準備を整える。大勢のお供など連れずに一人居場所もなくて寂しい女の子として遊びに行くのが良いとイリーナは思っているのだが、何かあったらいけないと家来たちがついてこようとするので仕方なく毎回、年配の侍女一人だけを部屋までのお供に連れていくことにしている。
「ジナイーダは恋する気持ちが分かっていませんよね」
ついてきた年配の侍女オリガは、唐変木な官僚のことを馬鹿にしていた。侍女たちが官僚たちに不満を持ち、文句を言うのは帝国では日常茶飯事だったので、あまり同じような愚痴を言いたくも聞きたくもないイリーナは曖昧な笑みで応じていた。
「自分が好きな人が、美女に囲まれて嬉しいわけがないではありませんか」
「そうですよね」
イリーナとしても、それは、素直にそう思うので振り返って力強くうなずいてしまった。
「ふふ、イリーナ様はタモン様が本当にお好きなのですね」
「え、そ、そんなことは……」
イリーナは、そう言われて顔が赤くなり慌ててしまう。いつも年の割には落ち着いた受け答えをする彼女だけに珍しいことだった。
「先ほど、そう言われて、とても気持ちがモヤッとしたのですよね」
「あらあら」
「私はもう自分でも驚くくらいにあの方のことが好きなことに気がつきました。毎晩、ベッドで抱きしめられているうちに愛着が湧くものなのかもしれません」
「あらあら」
いかにも世話好きのおばさんらしいリアクションで驚かれてしまいイリーナは慌てていた。
「べ、別にいやらしいことをしていたわけではないですからね。まだ」
「あらあ、分かっていますとも。もう、ご夫婦なんですしね」
絶対に分かっていなさそうなおばさんに、イリーナは真っ赤になりながら訂正し続けていた。
渡り廊下でそんなやり取りをしている主従を他の夫人の家来たちは、微笑ましそうに眺めていた。
「なんて可愛らしい」
「見ていて癒やされますね」
周囲のそんな声が聞こえてきてしまったので、イリーナも振り返りおしとやかに渡り廊下を歩くことにする。
「それにしても、この城は呑気ですわよね」
オリガは、イリーナの後ろを歩いてついていきながら他の後宮を眺めていた。
「もっと夫人たちの陰湿な戦いが繰り広げられているのかと思いましたのに」
「そうですね。私も驚いています」
なぜかオリガは少し残念そうにそう言うと、イリーナも前を向いたままうなずいていた。
「ここの男王様は色々と気を使って大変ですよね。とても疲れていそうです」
オリガは、あまりタモンのことも他の夫人たちのことも詳しくなさそうなのに、イリーナが心配しているのと同じことを言われてよく分かっていると感心してしまう。
でも、同時に自分のご先祖様を馬鹿にされている気もしたので微妙な表情になっていた。
「それでは頑張ってきてくださいまし」
鼻息荒く力強く鞄を渡されてイリーナは、もう何か説明を返す気もなくなっていた。どうしても年配の人には、『男王』イコール子種をもらう存在なのだ。
そんな間柄ではないとイリーナは思うけれど、何も言わなかった。
(子どもだから、部屋に入るのも拒否されないけれど、子どもだからそれ以上にも愛してもらない)
寵愛は得なければいけないけれど、やはりどこか怖い。もうしばらくは今のような関係でいたいと思いながら、タモンの部屋のドアをノックした。
「旦那様。いらっしゃいますか?」
明かりは漏れてきているのに、返事がなかったのですぐにドアを開けて部屋の中を覗き込んだ。
「あ」
部屋の中にタモンではない誰かが立っているので、イリーナは慌てたけれど、その人は見知った顔だった。
「エリシア様ですか……」
新しい愛人を部屋に連れ込んでいるというわけではなさそうなので、エリシアへの対抗心もあって部屋の中へと遠慮なく踏み込んだ。
「だんなさ……陛下は何処に?」
そう問いかけるとエリシアは口のところに人差し指を立てて、ベッドの方に視線を向ける。そこには、普段着のまま倒れこんで静かに寝息を立てているタモンの姿があった。
「あら」
「珍しいですね。普段はこんなことはないのですが、最近は、お忙しかったですから、相当お疲れだったのでしょう」
「エリシア様は、最近、随分遅くまで陛下の部屋にいらっしゃるのですね」
嫉妬まみれで、そんなことを言ってしまったことをイリーナはすぐに後悔した。どう考えても対トキワナとのことで多忙で、南の帝国との関係に気を使っているからなのだと気がついて恥ずかしくなってしまった。
「ふふ。では、今夜は休戦です」
イリーナの顔を覗き込んだエリシアは、何故か笑顔だった。
「では、イリーナ夫人。タモン陛下のことよろしくお願いしますね」
「え」
エリシアは、一礼をしながらそういうとすぐに部屋から出て行ってしまった。一人取り残されてしまったイリーナは、改めてベッドで寝ているタモンの姿をちらりと見ながら考えこむ。
(起こしてはいけないですけれど……ベッドに潜り込んでもいいのでしょうか)
悩んだ時間はわずかで、欲望がすぐに勝った。
鞄から寝間着を取り出して着替えると、灯りを消してタモンが寝ている横へと転がり込んだ。
(そういえば、先に寝ていらっしゃるのははじめてかもしれませんね)
ちょっと楽しくなりながら、月明かりに照らされたタモンの寝顔を満喫していた。
(結構、可愛らしい寝顔ですよね)
タモンとしても十歳の女の子に思われたくはないであろうけれど、イリーナはベッドの上でにじり寄りながらじっくりと観察していた。
「ふえ」
息がかかるくらいまで近づいたところで、急にタモンの体が横を向くと抱きしめられた。
一瞬、目が開いたような気がしたので実は起きていたのだろうかとイリーナは腕の中で胸に顔を押し付けながら考えていた。
「よかった。無事だったんだな。大丈夫、世界中を敵に回してもお兄ちゃんが守ってやるからな」
はっきりと聞こえたので、起きているのだろうとイリーナは思っていたけれど、しばらくするとまた静かな寝息が聞こえてきた。
(泣いていらっしゃる……?)
どうやら寝言だったらしいと思いながら、抱きしめられながらもぞもぞと顔を上に向けるとタモンの頬に流れる水滴があった。
「おはようございます。陛下。今朝も仲がよろしくて何よりです」
「おはよう~。え?」
今朝も起こしに来たエリシアの言葉に、答えながらタモンも違和感に気がついていた。
イリーナが隣で仲良く寝ているというどころではなく完全に腕も脚も絡めて抱きしめたままだった。
「おはようございます。旦那様」
タモンの腕の中にすっぽりとおさまっているイリーナが、頬を赤らめながら挨拶をしてきた。
「え? あれ? いつの間に?」
昨晩、イリーナに会った記憶がないタモンは、『もしかしてやってしまったか』とちょっと慌てながらイリーナを離して起き上がろうとする。
「ぐ、ぐお。左腕がしびれて……」
しかし、一晩中イリーナの頭が乗っていた左腕は全くあがらないので起き上がることはできずにわずかに転がっただけだった。
「一晩中、抱いていただきましたので……」
「ついに陛下はそんな小さい女の子まで……」
イリーナが照れながら言った言葉に、エリシアはショックを受けたようにそう反応した。昨晩のことは知っているので大体の予想はついているのだけれど、ちょっと悪ふざけしながらそんな演技をしていた。
「イリーナ。誤解を招くことを言わないで!」
とりあえずイリーナが服を着ているのは確認したので、多分、ちょっと自信はないけれど、決してこの幼女にいかがわしいことをしたわけではないと思っていた。
「ふふ」
イリーナもエリシアも慌てているタモンを見て笑っていた。
「なんで、こんな時だけ仲がいいの!」
「旦那様は、妹さんがいらっしゃったのですか?」
タモンが朝の支度を調えたところで、まだベッドに座りながらイリーナはそんな質問をしていた。
「え。いや、いないと思う……けれど」
ほんの僅か間があったけれど、嘘をついているとは思えなかった。
タモン自身も断片的に思い出していることはあるけれど、この地に降り立つ前の記憶ははっきりしないままだった。
少なくともの断片的な記憶の中に妹がでてきたことはなかったと自分の記憶を確認する。
(昨晩のは……完全に夢とは思えませんけれど……魔法での……封印……?)
分からないことはまだ多いけれど、イリーナは自分の限られた知識の中で考えをまとめると、決意を固めた。
「旦那様には癒やしが必要だと思います」
「え?」
イリーナの突然の言葉にタモンは面食らっていた。
「今晩から、たっぷり癒やしてさしあげます。どうぞ、私に甘えてください」
イリーナが胸に手を当てて可愛らしくも力強く宣言する。
「え、あ、はい」
疲れているタモンは、意味も分からずその宣言の勢いのままにうなずくと、両手を広げたイリーナの胸の中に顔をうずめた。
(ああ、いいかもしれない)
良くわからないままに幼女に甘えてしまった。
エレナやマジョリーたちとは違う、心地よさにしばらくそのままにしていたけれど、部屋の入り口で待機していたエリシアが、今度は本気で軽蔑した目でタモンを見ているのに気がついてしまった。




