聡明な幼女夫人
「わあ」
「可愛いらしい」
モントまでの道は、今までとは少し違う熱気の人の列で埋め尽くされていた。
すっかり定期的な行事になった城の夫人たちによる港町モントへのお披露目会とは違い、今日はあくまでも新しい夫人を連れて買い物にいくというだけの行事だった。
名目はどうであれ、事前にモントをはじめ周囲の町へも連絡済みで多くの人が集まっていて、夫人たちもそれぞれに着飾ってにこやかに群衆に手を振りながら歩いているのはいつものお披露目会に近い雰囲気が漂っていた。
ただいつもと少し違うのは、小さな子どもの姿が目立つことだった。そしてその子どもを連れている家族連れの姿も目立っていた。
「イリーナ様、綺麗!」
小さな子どもが自分たちと同じ歳くらいの、皇女様に憧れて熱い視線と声援を送り、子どもを持つ親からも『うちの子もあんな風になって欲しい』という憧れの視線を送られていた。
「大丈夫? イリーナちゃんは疲れてない?」
港町モントのお店までついたところで夫人たちは一休みしていた。コトヒは、まだ小さなイリーナにはこれくらいの距離であってもずっと歩くのは厳しいのではないかと声をかけていた。
「いえ、大丈夫です」
少し強がっている感じにも見えたが、元気そうにそう答える姿に他の夫人たちも抱きしめたい衝動に駆られてしまう。
「帰りのためにここで衣装を着替えるわよ。イリーナちゃんもよろしくね」
「え、あ、はい」
一人元気に周囲を走り回っているエレナ夫人から、そう言われてイリーナも着替え始める。
モントの町に来た時の、ドレスっぽい衣装とは違って今度はパンツスタイルで、上品さは残しながらも走り回って遊んでも怒られなさそうな服装だった。
「うん、可愛い」
イリーナ自身もお気に入りだったし、着替えを手伝う侍女たちからも好評で褒められると素直に嬉しくなる。
(それにしても……)
同じ部屋で着替える他の夫人たちと自分の体をつい比べてしまう。歳が違うとはいえ、あと数年したらあんな風になれるのだろうかとため息混じりになりながら、特にマジョリーの美しい肌と体のラインをじっと見てはため息をこぼしていた。
「着替え終わった? それじゃあ、イリーナちゃんはコトヨとマジョリーの間に挟まって歩こうか、親子みたいな感じで」
エレナは慌ただしく帰ってくると、他の夫人たちに次の指示を出していた。
「私たち、まだこんな大きい子どもがいる歳ではありません」
マジョリーが不満そうに、抗議する横でコトヨは静かに笑っていた。
「よ、よろしくお願いします」
イリーナはそう言ってお辞儀から頭をあげると、すぐに二人の綺麗なお姉さんに片方ずつ手を握られた。
「じゃあ、行きましょうか」
コトヨは、マジョリーとイリーナにそう言うと町に出ていく扉を開けた。まるで両親にそれぞれ手を繋がれた本当に小さい子どものように、イリーナは町中の散歩を楽しむことになった。
(楽しいし……嬉しいのですが……)
親にこのようにして歩いてもらった記憶がイリーナにはない。手を繋いでくれるのはいつも姉だった。お互いに弱音を吐いて甘えられるのが、姉妹しかいなかったのだとは自分でも思う。
(それだけに、この立場に甘えていてはいけませんね)
町の人たちに笑顔を振りまきながらも、イリーナは一人、決意を固めるのだった。
「失礼します。旦那様」
イリーナは深呼吸をしてからタモンの部屋をノックしようとした。
「あ、皇女殿下」
ドアに手が触れる前にドアが勝手に開くと、中からはイリーナが見知った顔がでてきた。イリーナについてきたお固い役人のジナイーダだった。
「ジナイーダ。もう、私は皇女殿下ではありませんよ」
イリーナは、表情を変えずに部下をたしなめるようにそう言ったつもりだった。ただ、周囲の人間からは、驚いたのを誤魔化しているようにしか見えないであろうことも自覚していた。
「はい、そうでしたお妃様。それでは、私は後宮建設工事の仕事がありますので、失礼いたします」
いかにも仕事ができる雰囲気を持っているジナイーダは自分の主人に微笑むと一礼をして去っていった。ちょっとからかわれたと思ったのか、イリーナは見送りながらちょっと頬を膨らませていた。
「え? ああ、イリーナ? 帰ってきたんだね」
部屋の中からタモンが、何事かと声のするドアの様子を覗き込んでいた。
「はい。無事に終わって、戻ってまいりました」
タモンの部屋を見回して、他に誰もいないことを確認するとイリーナは大きな鞄を引きずりながら部屋へと入っていった。
「その格好で行ったの? いいね。綺麗だし格好いい」
タモンはイリーナの大きな荷物が気になりながらも、このまだ小さい女の子も綺麗な格好に身を包むと少し大人びて見えると本気で感心していた。
「はい、エレナ様にいただきました。モントの町の人たちもみんな親切で楽しかったです」
「それはよかった」
そう言いながら大きな鞄とともにイリーナは、部屋の奥まで入ってきた。その様子を不思議そうにタモンは見守っていた。
「それは、何の……」
「私の部下を部屋に呼んで、何をなさっていたのですか?」
イリーナは鞄を置くと、そう言いながら、タモンのベッドに腰をかけて数回ベッドに触っていた。まるで、このベッドは使っていないということを確認するかのような動きだった。
「え?」
まさかイリーナからそんな質問が来るとは思っていなかったので、タモンは驚きながら聞き返した。
「何をなさっていたのですか?」
にっこりと笑って、もう一度イリーナは聞き返した。
「べ、別にやましいことしていたわけじゃないよ。ちょっと打ち合わせを」
他の夫人だったら、同じような追求も予測しつつ適当に受け流せていたのだろうけれど、イリーナに聞かれてしまうのは意外で、そもそもやましいこととか説明していいのかと悩みながらだったので、ずいぶんと慌てふためいた答えになってしまった。
「自室に招いてですか? そうですか」
少し冷たい目つきで、またニッコリと微笑んだ。コトヨっぽい問い詰め方だとタモンは思いながらも、一見純粋無垢に見えるイリーナからそんなことを言われてしまい思わず目をそらしてしまう。
「ふふ、冗談です」
イリーナは冷たい目つきをやめて、楽しそうに笑っていた。
「私の後宮建設に招いている人足を、こっそりとトキワナ帝国に……いえ、むしろニビーロ国に備えて各地の砦に回す相談ですよね」
イリーナは、ベッドに座ったままで体をタモンの方に傾けてそう言った。
「大丈夫です。お姉さまの会話からなんとなく察していましたから」
タモンは、誤解されたままでも嫌だし、このことを話していいものかと少し決めかねているようだった。それを見てイリーナは安心させるために明るくそう言いながら、タモンの方に手を伸ばした。
「どうぞお座りください」
ベッドの隣にタモンを座らせると手を繋いだまま、ピタリと寄り添いながら座っていた。
タモンはイリーナが親切で言ってくれているのは分かるのだけれど、さっきからの流れで浮気を追求されているかのような気持ちになって体が一瞬凍りついてしまう。
「うん、まあ、イリーナには余計な心配はかけたくないから……ってマリエッタとも話して……」
「分かっております。工事してくださっている人たちはお姉さまの部下ですしね」
(なんだろう。何の問題もない笑顔に見えるけれど……)
まだそれほど長い付き合いなわけではないけれど、タモンは妙にぐいぐい来る今日のイリーナに困惑していた。
「でも、本当に妻である私より、部下に手を出したら駄目ですからね」
冗談っぽくイリーナはタモンの耳元で囁いた。小さな子どものイリーナがいうとまだ可愛らしい嫉妬に聞こえるのだが、割と本気で将来に関して釘を刺しておこうというつもりなのではという気がしてしまう。
(いやいや、考えすぎだな……)
タモンはこの小さな女の子がそんな先のことまで考えていないだろうと軽く首を振った。
「それで? その荷物は何?」
さっき抱えてきた大きな鞄の方に目を向けた。
「着替えです」
イリーナはそう言うと、ベッドから降りて鞄を開け始めた。とりだして広げたのは、どうやら寝間着らしいことはタモンにも分かるけれど、妙に薄くて体を覆う面積の少ないワンピースなのでイリーナがその寝間着を持ちながらタモンの方を向いてにこりと笑うと不安になってしまう。
「今日は、他の夫人たちの後宮には行かれない日なのですよね?」
ちゃんと事前に調べてきたことを、改めてタモンに確認する。
「うん」
「私の住まいはまだ工事中で、落ち着かないですし、寂しいので一緒に寝させてください」
「え? あ、うん」
あまりにも明るく言われてしまったので、タモンもやましいことを想像する前に承諾してしまっていた
「よかったです。では、後宮が完成するまでお邪魔しますね」
「え?」
今晩だけじゃないのかとタモンは言おうと思ったが、イリーナはすでに着替え始めようとしているのか胸のボタンを外そうとしていた。
「あ、あの」
「ご安心ください。他の夫人たちの後宮に行かれる日を邪魔したりはしませんから」
そう言った時には、もう前のボタンはすべて外して肌着が見えるくらいだったので、タモンは慌てて目を逸らした。
「もう夫婦なのですから……そんな後ろを向かなくてもいいでは無いですか。むしろ傷ついてしまいます」
そう言ってしばらくしてから、着替え終わったイリーナは再びベッドに腰掛けると横を向いていたタモンに抱きついていた。
「わ、わ、落ち着いてイリーナ」
タモンのそんな制止も意味なく、ほとんどタックルのように勢いをつけたイリーナにベッドに倒されてしまった。
(こんな小さい子に押し倒されてしまった……)
感慨深く思いながら、タモンはベッドに横たわり天井を見つめていた。
「それにしても、皆さん本当に仲が良いのですね」
すぐにタモンの視界にイリーナが入ってきてそうつぶやいた。皆さんがエレナやマジョリーたち、他の夫人たちのこと言っているのだとタモンはイリーナに完全にお腹の上に乗られたところで気がついた。
「もっと、殺伐として寵愛を得るための権力闘争があると覚悟していましたのに、皆さん優しいので私は嬉しくなってしまいます」
イリーナはそう言いながら、タモンの胸に頬をつけて頭を乗せた。
「でも、私もこのままお人形さんみたいに飾られているわけにもいかないのです」
イリーナは、顔を上げると体をずらしてタモンの頬に唇をつける。
「イリーナ。お、落ち着いて」
「まさか、今、私のことを拒否するなんてできないですよね」
タモンはどう言う意味が分からないながらも、イリーナの両肩を抱いて少し自分の体からは浮かせて引き離した。
「今、帝国との関係を悪くするわけにはお互いいきませんものね」
十歳とは思えない艶やかな目でタモンを見下しながら、話を続けていた。
「皆さんの実家はうまく取り込んでいるみたいですけれど、帝国はそう簡単にはいきませんから……つまり私たちの関係が悪化すると北と南が戦うことになるかもしれません」
「そ、そんな心配しなくても、僕とマリエッタは今、お互いに手を取り合わないといけないから、そんなことにはならないよ」
まだ子供なのに随分と難しいことを考えているとタモンは思いながらも、ちょっと思い込みで考えすぎているのではと笑い飛ばしていた。
「トキワナとの戦いが落ち着いてもですか?」
イリーナの言葉に、タモンはハッとさせられた。この娘は、もっと先のことを見越しているのだと。
「マリエッタを裏切るようなことはしないよ」
タモンは即答した。ただ、先のことは色々と考えてしまう。
(でも、どうだろう……。先輩を助ける邪魔にさえならなければ戦う必要はない。……でも、戦争になった後あまりにも弱体化していたりしたら……?)
帝国も巨大で一枚岩ではないことを知っている。マリエッタとの個人的な関係だけで、この先も本当にやっていけるだろうかとタモンはじっと考えながら、イリーナの顔を見上げた。
「うん。大丈夫、約束するよ。僕たちも、北と南もこの先ずっと一緒だ」
イリーナを安心させたくてタモンはイリーナの頬に手を触れながらそう言った。その瞬間、イリーナの顔がぱっと明るくなる。
「分かりました。では、私たちはやはり仲良くいたしませんと!」
(あれ?)
イリーナは結局、またタモンの胸に顔を押し当てて密着していた。タモンはどう言う答えをしても結局、こうなったのではないだろうかと罠に嵌められた気にもなってくる。
(まあ、いいか)
イリーナが結局、北と南の同盟の象徴なことは変わらない。本人もそれを自覚した上で仲良くしたいと思っている。
(他の夫人たちよりも……と言うことなんだろうけれど……)
将来への不安は少しタモンの頭をよぎったけれど、とりあえず今は親密にしておいて何の問題もない。そう思いながら、イリーナの髪をそっと撫でてあげた。
「ふふ、旦那様は私がまだ子どもだから手を出さないのでしょうけれど、私の方は遠慮なく抱きつかせていただきます」
顎だけをタモンの胸に乗せて、イリーナは顔をあげてそんな事を言いながら背中に手を回して抱きついた。普段の真面目でお淑やかに見える皇女様のイメージとは違い、今夜は小悪魔っぽく楽しんでいるように見えた。
(もうちょっと成長したら、なんて男にとっては残酷な……)
そう思った瞬間にタモンの体はつい反応してしまった。
「え? あ、わっ、わっ」
イリーナは、悲鳴にも似た声を出していた。それが何故なのかはタモンにはよく分かっていた。
「ごめんね。流石にそんな柔らかいお尻で擦られると大きくなっちゃうんだ」
「つ、つまりこれって、噂に聞く男の人の……」
イリーナは上体をあげて、腰の辺りを見下ろした。そんなことをしたら、余計に体重がかかって固くなったものが密着してしまうとタモンは心の中だけで言っていた。
「わっ」
最初は青ざめたように見えたイリーナの顔が段々と恥ずかしそうにしながらも赤く染まっていく。
体をずらしてタモンの体の上から降りると、じっくりと男性のその部分を観察していた。
(こう言う時の好奇心が溢れている時の顔は、マリエッタとそっくりだよね)
タモンはちょっと笑いながら、意地悪をしたくなってしまった。
「どうしたの? 仲良くいちゃいちゃするんじゃなかったの?」
タモンはそう言いながら、体を起こすとベッドの上で座っているイリーナに正面から近づいていった。
「も、もちろん。そうなのですが、ちょ、ちょっとお待ちください」
小悪魔モードでの余裕の態度はどこへ行ったのか、完全に頭が沸騰して思考停止しているイリーナだった。
「だめだめ。仲良くしないとヒイロ地方全体の危機だから」
「わっ、だ、旦那様」
タモンは、細いイリーナの腰に手を回しながらベッドに押し倒していった。もちろん、まだいやらしいことをするつもりはなかったけれど、反応が可愛らしいので、もう少しからかってあげようと思いながら密着しながら背中や肩に触れていった。




