無敗の名将
「こっちには、敵の気配がないわね」
司令官であるルナは、馬上から周囲を見回しながらそう言った。他の兵士たちより一回り小さい馬ではあったが、かなり馬を操る姿も様になってきていると部下たちも思っていた。
「気配……ですか?」
副司令であるフミは、ルナと馬を並べてながらルナ司令が指を指した方をじっと見つめる。
(時々、歴戦の将軍のようなことをいいますね。ルナ様は……)
右を見ても左を見ても、なだらかな丘の間に小川や小さな道が見えるくらいの緑豊かな眺めでフミには何も感じることはなかった。
「大勢の人が動いた跡が見受けられないわ。補給線の確保のためにはこの辺に足場を作るといいんじゃないかしら」
「ルナ様は、目がいいのですね」
フミは、そういう結論にたどり着いた。気配とか言われてもフミにはよく分からないが、結果的にこれまでもルナの言うとおりにしていると敵軍と大きな衝突も全くなく任務を全うできていた。
通称マジェルナ部隊は、エトラ家とキト家の私兵を集めて作られた部隊だった。精鋭部隊というわけではなく、名義上のトップにいるのもキト家から派遣されているルナとエトラ家から派遣されているフミの二人だった。二人ともタモンに嫁ぐ夫人の護衛ないしは教育係としてついていっただけなのに、このような仕事を任されることになってしまっていた。
「なんで、こんなところまで来ているのかしら私たち……」
ルナはぼそりと愚痴をこぼす。
敬愛するマジョリーお嬢様に付き従ってモントの城にやってきただけなのに、ちょっと弱みを握られた結果、なぜか今や部隊を率いて帝国領にまで出向く羽目になっている。
同じような境遇のフミとは、気軽にこのような愚痴をこぼせるような仲になれたのがせめてもの救いだった。
「本当ですね」
フミは凛々しい横顔は崩さぬままで、わずかに苦笑していた。
まだ、フミの方はエトラ家で護衛官の経験もあるのだが現在の境遇にはしみじみとそう思ってしまう。
一方でルナは軍人の経験は全くない、キト家に仕えるそれなりの家柄だったというだけで今、こうやってこの部隊のトップにされてしまっている。少なくともルナはそう思っていた。
自分たちが強くないことは、本人たちも分かっているしタモンたちも認識している。
だから、今回も後方で補給線確保のための足場固めや、補給の任務についていた。あくまでも、敵軍と戦うのはカンナやミハト、ロランといった将軍たちの軍の役割だ。
「後方とはいえ、帝国領に入ると緊張しますな」
実際に部隊を指揮している武将のカメリアは馬を下りて、二人を出迎えるように大きな体を揺らしながら近づいてきた。
「まあ、ちょっとした街の警備兵だけでもかなり強いですからね」
フミはそう言いながら苦笑する。自分たちは北ヒイロの感覚でいうと、それなりの装備が揃った部隊だと思うのだけれど、帝国領に入ってみれば帝都ではない地方の街でさえ、身につけている鎧や武器の質が自分たちより良いことは感じてしまう。
「この辺に、仮の拠点を作るということでよろしいでしょうか?」
カメリアは工作兵を呼び寄せるために確認する。
「そうですね。これ以上、ゴーディナの街に近づくのは危険でしょうから……」
フミは納得して頷いていた。ここは小さな山で、周囲を見回してもなだらかな緑の丘と小川が見えるくらいだった。おそらく真正面の丘を三つくらい超えた先に帝国の北の主要都市ゴーディナがあるはずだが、これ以上近づいて、万が一にもゴーディナの護衛兵にでも見つかったら、即刻、逃げるはめになる。
「よろしいですよね。ルナ様」
自分たちの力を考えれば、これくらいの場所が適切だと思う。ルナもさきほど同じ見解だったと思うが、念の為に確認をする。
「ここでいいと思うわ」
『頼みます』と言ったあとは、ルナはじっと正面の丘を見据えていた。
「……ルナ様、なにかございましたか?」
「いえ、ゴーディナの街にも敵の気配がないわよね。あっちに動いている流れがあるのかしら……」
「『流れ』ですか……?」
ルナの見ている方を、フミもカメリアも見てみるが街の姿も全く見えないし、鳥が飛んでいる姿が目に入るくらいしか違いが分からないので二人は目を見合わせて、ルナの言葉が理解できないことを確認しあっていた。
「ああ、カンナ様の隊が敵と接触したということなので、今、そちらに向かっているのかもしれませんね」
フミにはさっぱり『流れ』の意味も分からないが、最新の情報をルナには伝える。
「なるほど、それで……」
ルナは真っ直ぐ前を見たままだったが、フミの情報で補完できたのか納得した様子だった。
「さすがは帝国兵。簡単にはいかないな」
「本当なら帝国の東方騎士団だけで、我らが領土の全兵力以上の兵がいるからね」
初戦に大勝して、一日もすれば北にいる反対勢力を一掃できるのではと思っていたタモンたちだったが、リュポフを守る精鋭騎士団は強く総崩れとはなってくれなかった。さすがのミハトとロランも戦陣に一旦戻ってくると、タモンの前で疲れた表情を見せていた。
「うちらはこうやって東方騎士団を足止めしているだけでも、大戦果さ」
タモンはそう言って労っていた。このまま、マリエッタ皇帝陛下の勢力が東方騎士団を欠いた残りの反対派の軍を倒してくれることに期待するだけだった。
「それに、そろそろカンナの隊も到着する頃だろうし……」
カンナは別働隊として、山を越えるやや西よりのルートで帝国領に侵入する予定だった。きっとカンナなら、あっという間に敵を蹴散らしてゴーディナの街まで制圧してくれるのでは、そんな楽観的な推測をタモンも、ミハトもロランもしていたところだった。
「報告です! カンナ様の隊は、ソリナ山の麓で敵と交戦! 完全に足止めされて、敵の増援もあり苦戦中です!」
「何!」
伝令の一言で、陣の中にあった楽観的な空気が一瞬で破られてしまった。
「ソリナ山の麓か……」
タモンは地図を確認する。
「かなり手前ですね。待ち構えられていたということでしょうか?」
ロランは帝国領に深く踏み込むことすらできていないことを確認していた。つまりこちらの作戦が筒抜けだった可能性が高い。
「そう言えば、アリョーナ様は『北のことは調べている』と言っていたな」
「アリョーナ様って誰だ?」
ミハトがぶっきらぼうに聞いてくる。
「マリエッタの叔母の大領主で、ゴーディナも治めている人だよ。愉快な令嬢って感じの人だった」
タモンの説明に、あまり強敵という感じではなさそうなだったので、ミハトは自分で聞いておきながら興味をなくしてしまったようだった。
「ちょっとワンパターンだったか」
タモンは反省する。北での戦いを調べていれば、ランダとの戦いと同じようにカンナの隊に警戒しておくのは当然なことだろう。ロランは情報が漏れたことを疑っているようだったが、それがあってもなくてもやはり甘かったのだとタモンは思う。
「それでも、姉者が止められてしまうなんてすごいな」
「どうやら、カンナ様の師匠に当たる人が前線にでているようですね」
ミハトの疑問に答えたのは、伝令からの報告を詳しく聞いたエリシアだった。
「師匠……?」
ミハトもロランもとても怖そうな人間を想像したのか思わず息を呑んだ。
(カンナは、暗殺剣の流派か何かか)
タモンは、カンナ本人からも聞いていたし、その後、帝国での生い立ちを調べてはいたので驚きはしなかったが、改めてこうやって聞くとおかしな秘密の組織のように聞こえてしまって苦笑する。
「まあ、もうご老人らしいですけれどね。やはり手の内が知られてしまっているようですので……」
ミハトたちが想像しているのとは少し違うことを察したエリシアは、訂正しつつもやはり深刻な事態であることを伝える。
「個人的な武勇ではどうにもならないってことか……」
タモンは頭を抱える。
「カンナ様の隊にも魔法使いは同行しているはずです。脇道から東に脱出してもらってルナ様の後方支援部隊が築いている拠点に合流してもらうように伝えればいいのではないですか?」
ロランの現実的な提案に、タモンたちも一度はうなずいたが、地図をじっと見直して確認する。
「でも、分かっているなら、この辺に部隊を置いて待ち構えさせるよね」
ソリナ山の東の地形を確認すると、限られた狭い道しかないことに気がついてしまう。
「確かに……」
ロランも改めて確認すると、来ていることが分かっているのであれば、自分であればこのあたりに兵を伏せておくと納得する。
「ルナ様の方に伝令して、援軍にいってもらいますか」
「それしかないが……。それで助けられるだろうか」
合流さえできれば、カンナの指揮の下で乗り切れる可能性が高いとタモンも思う。ただ、かなり本気でカンナの隊を討伐に来ている敵兵をルナの部隊で突破できるだろうかと疑問に思う。
「こちらからも援軍を……」
二人の将軍からもその命令を待っている声が聞こえた。
(だが、大局はカンナの部隊がどうなろうとあまり変わらない……)
ここで、東方騎士団を倒す、もしくは足止めをしていることの方が重要だった。援軍を出して、東方騎士団に負ける、もしくは逃してしまうことはこの内乱全体の趨勢をも変えてしまう可能性があった。
(とはいえ、カンナを見捨てる選択肢はあり得ない)
「ミハト。すぐに西に迎え! 頼むぞ!」
「はっ! 必ずや姉者を助け出してまいります」
カンナは昔からの仲間で、今も一番頼りになる武将だった。防御に優れたロランよりも、一点突破できるミハトを選び向かわせる。ミハトの応じる声もいつもより大きく感激しているように聞こえた。
(いざとなれば……魔導協会にばれたとしても……)
タモンはそう思いながら、懐に隠してある手に入れたばかりの魔導書に手を伸ばした。
それぞれが緊張感を持ちながらも、士気は高く覚悟を固めたところだった。
「伝令! 伝令です!」
いざ決戦という空気の中に割り込むかのように、慌てたように伝令が駆け込んできた。
より一層の緊迫感が一瞬だけ漂ったが、伝令の声も表情も妙に明るいものだった。
「どうした?」
「ゴーディナの街が陥落しました!」
どうやら悪い報告ではなさそうと思いながら聞くと、予想以上に嬉しい知らせだった。
「え? 誰が?」
しかし、驚きなのは間違いがなかった。マリエッタ陛下のどこの部隊が一気に攻めかかって占領したのだろうかと疑問に思った。
「いえ、マジェルナ部隊が陥落させました」
「ルナの? え、ああ、なるほど」
地図を見れば、確かに距離は近い。カンナの隊と合流させないように、おそらくゴーディナの街からかなりの軍がでているはずだった。ただ、それをちょっと回り道をすれば、ゴーディナの街にはあっさり入れる。
「カンナ様を恐れて、大軍を送り込み過ぎましたかね」
「しかし、大胆な判断」
エリシアとロランは、同じように地図を覗き込みながら感心していた。
「これは勝ったも同然なのでは……」
「補給路も断てますな」
タモンも珍しく興奮しながら、ロランとにやりと顔を突き合わせて笑っていた。
「ロラン。ゴーディナの街に向かってくれ! ゴーディナの街を奪い返されるな!」
「はっ!」
ロランは、快諾すると慌ただしくでていった。
「兄者! 俺はそのまま姉者を助けに邪魔する奴らに突撃すればいいんだよな」
「応! 頼む!」
もう、この陣は適当に旗でもかざして数時間ごまかせればよかった。こうなれば東方騎士団が補給を受けるのには帝都より南に戻るしかない。ゴーディナの街を守っている間に内乱は終わるだろう。
さっきまでの悲痛な決意といった感じは全くなく、勝つことを確認して戦意は最高に盛り上がっていた。
「あ、あの陛下? わ、私なにかやってしまいましたでしょうか?」
三日後に帝都に呼び出されたルナは、なぜか顔面が蒼白だった。
「陛下に言われたとおりに、敵勢力であることを確認して、ちゃんと斥候も出して敵の警護が薄いことを確認して攻め込みました」
久々に再開したタモンは、ルナのその必死に説明する言葉を聞いていたずらっぽい笑顔を浮かべていた。
(どうやら、誰もちゃんとした説明をしなかったらしいな)
ミハトは面倒だから説明しなかっただけかもしれないけれど、ロランあたりは分かっていたけれど黙っていたのだろう。
「そう。マリエッタ皇帝陛下からの直々の呼び出しだからね。これは大変なことだよ」
部下たちは意地悪だなと思いながらも、タモンも面白がってちゃんとした説明はしてあげなかった。
「マリエッタ陛下の叔母上も殺さずに拘束しておりますし、りゃ、略奪行為などもちろん禁止しておりますし、建物なども極力、壊さないように……極力ですが」
罰せられるとしたら、その辺なのだろう。ちょっと派手にやりすぎた自覚はあるようで、最後は少し小声になっていた。
「安心して、僕も一緒についていくから」
「は、はい」
「何かあったら、一緒に腹を切ってあげる」
「はい。えっ、え」
完全に涙目になりながら、タモンに引っ張られるようにして謁見の間にルナは入っていく。
「ルナ殿。よくぞ。いらした」
小さな皇帝マリエッタは、自ら立ち上がりルナの元へと歩いていった。
「え? あ、ありがとうございます」
皇帝陛下に手を差し出されて、あまりにも恐れ多いことにルナは震えながらわずかにしゃがむとその手をとった。
その間にも、ルナは視線を感じて周囲を確認する。
モントの城などとは比べ物にならないくらいに大きな謁見の間は、各騎士団の偉い人と思われる人たちだけだと思われるのに左右の列が埋まっていた。
(儀礼用の服装ではなさそうですし、とりあえず内乱はほぼ終わったので招集したということでしょうか……)
ルナは小さな皇帝陛下にエスコートされて、もう一人の主役が待つ謁見の間の中央へと導かれた。
(知らない人ですね。格好からすると、騎士団の人ではなさそうですが……)
綺麗な甲冑姿で片膝をついて待っているもう一人の女性の隣で、ルナは同じように片膝をついて小さなマリエッタ陛下に対して頭を下げた。
「この度の反乱鎮圧で大活躍された二人だ」
マリエッタ皇帝は、ルナともう一人の女性のすぐ目の前に立ちながら、宣伝するかのように周囲に大声で紹介する。
「南では、エフゲーニヤの奇襲を防いでみせたラリーサ殿。北では、ゴーディナの街を陥落させ、アリョーナを捕らえたルナ殿」
その言葉と同時に周囲の騎士団長たちは立ち上がり一斉に拍手をした。騎士団らしい非常に揃った動作と拍手にルナは圧倒されていたが、どうやら責められているわけではないらしいとは理解して安心した表情になっていった。
(どうやら正規の騎士以外で活躍してくれた人を賞してくれる場みたいね)
「此度の戦い感謝します」
安心はしたが、このような騎士団の偉い人ばかりが並んで威圧的な場で皇帝陛下に手をとられて感謝されてしまうと、完全に舞い上がってしまった。
「タモン殿に聞いたが、北ヒイロが誇る無敗の名将とのことだな。これからもどうぞよろしく頼むぞ」
(え、何、その説明……)
「い、いえ。そのような……」
確かに負けたことはないけれど、それはいつも強い敵からとは戦うのを避けているからで、そのようにこの歴戦の勇士たちの前で言われてしまうと恥ずかしくて仕方がなかった。
タモンを見つけ出して、文句を言いたかったがタモンは随分と前から騎士団長たちの中に紛れて見つけ出すことができなかった。




