留守番の夫人たち
「私たちの間では、結婚はあくまでも家同士の結びつきのために行われるので……まあ、十歳くらいで結婚する人も多くはないですがおりますね」
エリシアの言葉に、タモンはちょっとだけ安心していた。
「ですが、逆に、結婚もしていないのに十歳の子どもと同じ部屋で寝たり、一緒に旅行したりするというのは……かなり変態ですね。白い目で見られます」
「ぐっ、やっぱり、そうか」
タモンは、ほんの一瞬だけ安心したのも束の間。この世界の常識が、割とまともなことは感謝しつつも大きなダメージを受けていた。
「だが、多少の悪評は覚悟しつつも行かねばなるまい」
心に受けた傷を回復しながら立ち上がる小芝居をするタモンを、エリシアは冷ややかな目で見ていた。
「また、陛下がご自身を囮にされるのですか? もう陛下はこのモントの城主だけの体ではないのですから、そういった危険なことはやめていただきたいものです」
「そうは言うけれど、今回は仕方がない。マリエッタが協力してくれるというなら、これが短期で決着できる方法だよ」
年上の宰相として、若い主君を諌めるエリシアだったけれど、残念ながらあっさりと拒絶された。理解はしているし、狙いは分かるのだけれど、異国でタモン陛下が暗殺でもされたら、その瞬間、北ヒイロはまた分裂して崩壊してしまうと思うと頭が痛い。
「分かりました。ご無事での早いお帰りをお待ち申し上げております」
いつものことではあるけれど、エリシアは諦めたようにそう言うと通常の業務に戻ろうとした。
「あ、でも、今回はエリシアにも来てもらいたいんだ」
「え?」
呼び止められてエリシアは、困惑してしまう。
「何故ですか?」
「今回、最後は戦いになるだろうけれど、それまでに、帝国内の勢力を味方にどれだけ引き入れられるかが勝負の鍵だから」
「はい。でも、私がいかなくても……」
「我が国の魔法使いネットワークも、帝国内で派手に使うわけにはいかないからね。現地で、各領主の弱みを見つけて、適切に脅したり懐柔したり、罠を仕掛けたり暗躍する人材が必要だ」
「そこで、ぴったりな暗躍できる人材が私ですか……」
エリシアは、タモンの言葉を聞いて怒っていたが。ただ、思い返せば、北ヒイロの有力領主たちに対して陰でこっそりしてきたことは言われたことと同じような気もする。
「今まで北ヒイロでゆっくりと罠をしかけていたのを、今回はちょっと強引にやってもらえればそれでいいよ」
にこやかにタモンはそう言った。エリシアからすれば、今、思い出しながら考えていたことを読まれてしまったようで恥ずかしかったが、評価してもらえているのだと前向きに受け止めることにした。
「分かりました。懐柔策の数々、このエリシアにお任せください」
ちょっと冗談めかして、エリシアは胸を張って引き受けたが、気になることもある。
「……しかし、私までしばらくこの城を離れることとなりますと……留守はどういたしましょう。ショウエ一人ではなかなか……難しいこともあるかと思います。ルナ様とかに補佐してもらいますか?」
「ルナ様は、政治向きな人でもないし、マジェルナの丘の軍を率いてもらうほうが重要かな」
そう言ったあとで、タモンは何も心配していなさそうににっこりと微笑んで、エリシアに言った。
「うちには、もっと素晴らしい人材がいるじゃない」
「というわけで、僕たちが帝国まででかけている間、夫人たちにこの城をお任せしたいと思っております」
モント城に呼ばれた四人の夫人は、一体何の相談、報告があるのかとそれぞれ胸に抱いた不安を隠しながら待っていたら、タモンの第一声はそんな言葉だったので驚いていた。
「城主代行をマジョリーに、経済、内政関連はエレナに、軍事関連はコトヨとコトヒにお願いしたい」
第一声をまだ理解できずにぽかんとした顔で、自分の旦那を見つめている夫人たちに構うこと無く、タモンは役割分担のお願いを続けた。
「え?」
マジョリーがワンテンポ遅れて反応していた。
「わ、私が旦那さまの代わりですか?」
不安そうにマジョリーは自分を指差す。
「大丈夫、マジョリーはお客さまが来たら、この城で丁寧にもてなしてくれればそれでいいから」
マジョリーの肩に手を置いて、優しく仕事の説明をする。それなら得意でしょうと優しく微笑んでいた。
「判断の難しいことがあったら、おばば様かお弟子さんたちに相談してもらえれば、魔法使いのネットワークができているからすぐにお返事するよ」
「ね、ねっとわーくですか?」
マジョリーは、あまり言葉の意味が分からずに困惑していた。
「すごく早く手紙が届く仕組み……みたいなものです」
その説明に、マジョリーは目を輝かせていた。他の夫人たちも『そんなものがいつの間にかできているのね』と興味深そうに聞いていた。
「まあ、このショウエはおりますので、普段の雑務はお任せいただいて、何かありましたら相談ください」
少し離れて見ていたエリシアは、安心させるために隣にたっているショウエを紹介する。子どもにしか見えない外見ではあるので不安だろうけれど、すでに仕事は全て教えてありますのでと、まるで妹を紹介するかのように夫人たちに宰相としてお墨付きを与えていた。
「コトヨとコトヒも、基本はショウエを頼ってもらえればいいから。フカヒの南の国境線沿いには、連絡を欠かさないでね。あとはランダの動向くらいかな」
コトヨとコトヒには軽い説明だけだった。ショウエのことはよく知っているし、元々ヨム家を実際に仕切っていたのは二人だったので、その頃と同じ様にしてもらうだけだった。
「エレナは、基本的には任せるけれど、国庫のお金を新たに使う時はショウエに相談してね。ちゃんと帳簿につけて報告も忘れずにね」
「……なぜ、私だけ『監視しているからね』みたいな口調なのでしょう」
エレナはちょっと不機嫌そうだった。
「優秀なのは知っているし、もちろん、エレナのことは信じているけれど、やりすぎちゃっても不安だからね」
タモンが何とかなだめるとエレナは自信たっぷりに笑って答えた。
「分かりました。比較的安全な運用で、国庫のお金を増やしてみせますわ」
(し、失敗したかな……)
タモンは、エレナに国のお金を任せてしまうことに、頼もしさと同時にうまくいったとしてもその後に頭があがらなくなるのではという不安を感じてしまう。
「それは、ともかく、旦那さま」
エレナは、もう留守の間の話は終わりとでもいうようにぴたりと寄り添った。他の夫人たちは、その光景を見てどよめきが起きる。
「う、うん。何?」
「本当にあんな子どもに手を出してはいないですよね」
「出してない。出すわけないじゃないか。はは」
乾いた笑いが、本当は何かごまかしているかのように聞こえてしまうとタモンは我ながら思っていた。
豊満な胸で腕を挟まれて、とても逃げ出しにくい状況になっていた。
「エ、エレナさま。何をなさっているのですか」
他の夫人たちから抗議の声があがるが、エレナは全く遠慮することなく、むしろ、他の夫人たちを手招きした。
「え? あ、はい」
「マジョリーさまは、反対側の腕に。コトヒちゃんは前から抱きついて、コトヨさまは後ろから」
エレナの謎の指示に、夫人たちはなるほどというようにうなずいて従っていた。
「し、失礼いたします」
マジョリーは反対側の腕に抱きつく。
「まあ、ボクは別にいいんだけれどね……」
コトヒは少し照れているのか、横向きにタモンの前に近づいて少しずつ向かい合うような角度に変えながら、脇腹に手を伸ばしていた。
「……」
コトヨは、全く視界には入らない背後から、無言でタモンの背中に胸を押し当てて前に手を回していた。深い愛情表現なのだろうけれど、タモンからすれば、首を絞められてしまいそうな圧を感じてしまっていた。
つまり今やタモンは、完全に四方から夫人たちに密着され身動きが取れなくなっている。
「……あの、あれは何をしているのでしょうか?」
部屋の入り口側の壁に立って、待機しているショウエは目を手のひらでふさぎながら、隣のエリシアに尋ねた。
「マーキングでしょうね」
「はあ」
指と指の隙間からしっかり、主人と夫人たちが抱き合っている姿を見ているけれどショウエにはさっぱり意味が分からなかった。
「自分の夫が、強大な権力者についていくのですから、不安なのでしょう」
「なるほど……」
「マリエッタ皇帝陛下、ご本人は、まだ小さいですからあまり執着することはないでしょうが、皇帝陛下に次ぐ権力者やライバルに囲われてしまう可能性はありえますし……。帝国ともなれば、単純に美姫もいっぱいいらっしゃるでしょう」
確かに、そう思うと今回、もしうまくいったとしてもモントの城、後宮たちの危機なのではという気がしてしまう。
ショウエの目には、主人と四人の夫人たちがじゃれ合って楽しそうにしているようにしか見えなかったけれど、あれはあれで夫人たちの精一杯の戦いなのだなと理解した。
(うちの陛下がモントに帰ってこられない……いや、自ら帰ってこない可能性もあるってことか……)
「あ、子どもにはそろそろよろしくないから、外に出ていなさいね」
エリシアは、人目をはばからずエスカレートしてきた夫人たちのアプローチが教育上よくないと思ってショウエの目を完全にふさいだ。
「わ、我は子どもではありません」
抵抗するショウエをエリシアは、部屋の外へと押し出そうとしていた。




