皇帝マリエッタの襲来
その日、タモンは自らが創設した学校の開校式に、宰相エリシアと並んで参加していた。
初等部から中等部までの生徒が初めて登校していく。セーラー服に身を包んだ彼女らは、眩しく可愛らしい姿で並んでいた。先生たちがいかにも魔法使いのローブ姿の地味なものなので対照的に光り輝く存在に見える。
あくまでも出資者として目立たないように遠くの来賓席から見守るだけのつもりのタモンやエリシアだったが、物珍しい『男』や宰相の姿を見て、好奇心旺盛な若人たちが放っておくはずもなかった。
「この地方の偉いお二人なんですって」
「おお、『男王』さまだ」
「あくしゅしてください」
中等部の娘たちは騒ぎながら手を振り、初等部の娘たちは近づいてきてはタモンの足元に集まり取り囲んでいた。
疲れはしたが、ついついタモンもエリシアも顔がにやけながら、満足して学校を後にした。
「生徒たち、可愛らしかったですね」
帰りの馬車の中では、エリシア宰相は、普段の仕事場でのクールな言動とはうってかわって可愛らしい子どもたちと直に触れ合えたことに、上機嫌で興奮気味でタモンや護衛のマキに話して困らせていた。
「それにしても、あんな可愛らしい子どもたちに魔法も教えるとはどういうつもりなのですか」
「ついでに、習得できるなら楽しいと思って。……半日かかっても火の玉を撃てるようになったら楽しいでしょ」
「学校でたまに講義を受けるくらいで、すごい魔法使いが育つとも思えませんが……」
外の景色を見ながらあっさりと答えたタモンにエリシアは少し疑問を持った。
魔法使いは、高名な魔法使いに一人で弟子入りして朝から晩まで厳しい修行をしてやっと一人前になるものだというのが一般の認識だった。エリシアは魔法に関してはタモンと比べても詳しくはないので、あくまでも世間の常識としてそう話した。
「窓口を広くしておくのはいいことだと、おばば様も言ってくれていたよ」
「なるほど……」
見込みがありそうな生徒がいたら、そこから英才教育をしてもいいということなのだと理解して一応はうなずいていた。
「まあ、もうじき一部の大魔法使いの時代は終わるよ。その時に備えないと……」
タモンのそのちょっと予言めいた言葉は、エリシアにはよく分からなかった。それ以上、質問することもなく馬車はモントの城へと帰ってきたが、何やら城内は慌ただしく人が行き交っていた。
「陛下! 宰相様!」
馬車を降りたタモンに駆け寄ってきたのは、ロラン将軍だった。
タモンからすれば、昔はよく見た光景だったが、今となっては将軍自らが慌ててやってくるのは、小国とはいえ、さすがに珍しい光景で周囲の人たちにも何か一大事が起きたのだと思わせた。
「どうかした?」
タモンとエリシアは早足で城に向かいながら、ロランの報告を聞いた。
「ビャグン南の街道から、ヒイロ帝国のものと思われる使節の一団が向かってきていると報告がありました」
「向こうから来たか」
「思ったより早かったですね」
深刻そうなロランに対して、タモンとエリシアは予想通りでちょっと嬉しそうな表情すら浮かべている。
「どちらからだと思う?」
「まあ、わざわざ使節を送ってくるからには、現皇帝派でしょう」
賭けにならないなとタモンは笑う。その様子にはロランとしては訝しげに思わざるを得なかった。
「陛下も宰相殿も随分余裕に見えますが……問題はないのでしょうか?」
「いや、もちろん、これからが我が国、存続の危機だけれどね」
いつもの仕事場に戻ったタモンは、真剣な表情でそう答えた。
「もちろん、色々、南ヒイロにも手は回しているのですが……。交渉には向こうから動いてもらうのが都合が良かったのです」
「どちらからも話がなかったら、うちらは将来、攻め滅ぼされるしかないけれど、これでやっとスタートラインに立てそうって感じかな」
「な、なるほど」
ロランは、どうやら自分のような平凡な軍人には分からない戦いが、宰相様たちの間では繰り広げられているのだと理解した。
(でも、どこか楽しそうだ……)
深刻な表情でここが勝負だという割には楽しそうな主君と宰相を見て、とりあえずここまでは予測通りなのだろうと思いながらロランは気になる報告を続けることにした。
「ただ、使節なのですが……妙に数が多いとのこと」
「ほう」
「ビャグンの街にも千近くの兵を伴っているとか……」
その報告には、タモンもエリシアもお互いに顔を見合わせながら、首を捻っていた。
「威圧ということでしょうか」
「さすがにどんな精鋭でも千程度で北ヒイロを制圧できるとも思えないけどね」
「他の地方で怪しい行動がないか確認を! 特にフカヒ側の山脈と海の様子を!」
「はっ」
エリシアの言葉に、ロランは自ら拝命して慌ただしく動きだした。
「特に軍事行動の報告はありませんでした」
数刻後、ロランの部隊からの報告にタモンはほっと一安心しながら、椅子に座っていた。
「しかし、じゃあ、なんだろう?」
天井を眺めながら考える。わざわざ反感を買いそうな兵を連れてまで使節を送る意味が分からなかった。
「へ、陛下。宰相様。わ、分かりました」
そう言いながら、タモンの仕事場に駆け込んできたのは、今はエリシアの下で働いているショウエだった。小柄な体で全力疾走してきたのか、かなり疲れてふらふらになりながらタモンたちの前までやってきた。
「まあ、水でも飲んで。はい」
「どうしたのですか?」
タモンから直接手渡されたコップの水を飲んで、一息入れたショウエが慌ただしく報告を続ける。
「あれは護衛の兵とのことです」
「護衛?」
「使節は、使節なのですが……マリエッタ皇帝陛下自らがこちらに向かってきております!」
「何!?」
普段はあまり大げさに驚いたりはしないタモンもエリシアもその報告にはびっくりした声をあげていた。
「ちょうど使者の方もいらしたようです。どうなさいますか?」
その言葉に、タモンもしばらく考えこんでいた。
「追い返すわけにもいかない。真意は分からないけれど、この城で面会しよう」
「はっ」
「兵の大半はビャグンに留めてもらって、この城まで来てもらうように伝えて。道中の護衛はこちらから兵を出します」
タモンに続いて、エリシアも指示を出すと、ショウエは下がって急ぎ走りだしていた。
その日の夕暮れに、その一団はモントの城に現れた。
「早いな。まあ、でも、大人しく従ってくれたのだね」
「そうですね。それにしても強そうな部隊ですね」
出迎えるために、城の入り口まででてきたタモンとエリシアはそんな感想をもらしていた。
要求通りに、護衛の兵は大半はビャグンの町に残して、わずか百程度の護衛がいるのみだった。しかし、高級そうな鎧を身にまとい、硬そうな武器を抱えていて、馬までもが一回り大きくよく走りそうな一団はみすぼらしいモントの城に対して十分に威圧的だった。
四頭の馬に引っ張られた黒く豪華な作りの四輪車両が、精鋭部隊を真ん中から現れてタモンたちの目の前に止まった。
「降りてくる」
「あれが南ヒイロ帝国の皇帝陛下」
キャリッジは少し地面から高い場所に扉があった。すぐに従者たちによって小さな階段が用意されて皇帝陛下は足を乗せて姿を現すと、モントの城に仕える人たちはその様子を見逃すまいと固唾を吞んで注視していた。
儀礼用の軍服に身を包み、元々くせっ毛らしいが肩までの美しくカールされた金髪がとても目立っていた。整った顔立ちの中でも、少し釣り上がった意志の強そうな青い瞳は見つめられた方に強い印象を残した。
(まさにこれこそ高貴な方)
護衛の兵たちの厳粛な雰囲気に、城の人たちは何も言葉には出さなかったけれど、内心では噂の皇帝陛下の容姿を見て感激していた。
(でも、可愛い)
(でも、小さい)
それは、間近で高級な毛並みの猫が歩いているのを見てしまった時に思わず『にゃあ』と語りかけて手を伸ばし頭をなでたくなる感情に似ていた。
マリエッタ・ヒイロはまだ十一歳だった。
過去の『男王』が作った五つの帝国のうちの一つであるヒイロ帝国。その一番新しい帝国の六代目の皇帝に昨年戴冠したばかりの子どもだった。
「さっきの初等部の生徒たちみたいだよね……」
タモンは、顔を動かさずエリシアだけに聞こえるようにぼそりとつぶやいた。『確かに』とエリシアも小声でうなずいていた。白を貴重とした生徒たちと、濃い色が多い今の皇帝陛下の儀礼用軍服という印象の違いはあるけれど、それさえなければ初等部の生徒のようだった。
「ようこそいらっしゃいました。マリエッタ皇帝陛下」
タモンは一歩前に出て、軽く礼をすると握手を求めた。強大な帝国ではあるけれど、臣下なわけでもないので、あまり謙った態度も良くないだろうと悩んだすえの出迎えだった。
「おお。モントの『男王』タモン殿だな。会えて嬉しく思うぞ」
マリエッタは、綺麗な姿勢のままタモンに近づくとわずかに微笑んで手を伸ばした。お供の人たちは、こんな小国の君主が無礼だろうと思う苛立ちをわずかに見せたけれど、当のマリエッタは、不快に思った様子もなく周囲に振りまくような笑顔よりは心からの笑みを浮かべていた。
「お会いできて、光栄です」
タモンは、腰をかがめてマリエッタと握手を交わした。
(さて、どうでてくるだろうか……。この娘が何か交渉をするわけではないだろう……)
タモンは、相手の出方を窺っていた。おそらく背後に立っている部下の誰かが、実際の交渉をするのだろうとマリエッタの後ろにわずかに視線を向けた。
(恫喝か……それとも、とりあえずは好条件で同盟を誘ってくるか……)
「ほう。ほう」
わずかに考え込んでいたその視線の下では、まだマリエッタ皇帝陛下はタモンの手を握ったままで離してはくれなかった。それどころか、もっと顔を近づけてタモンのことを隅から隅までじろじろと観察しているようだった。
「あ、あの」
タモンが戸惑いの声を出すと、やっとマリエッタ皇帝は手を離してくれた。
「うむ。なかなか良いな。タモン殿、合格だ」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
タモンはよく分からないけれど、何かを褒められたのだと思い感謝の言葉を伝えた。
そのタモンの態度に気を良くしたのか、マリエッタはタモンを見上げながら手を広げて宣言をした。
「喜ぶがいい。余の夫にしてやろう!」
マリエッタ・ヒイロ皇帝陛下。十一歳、満面の笑顔だった。




