タモンのお忍び視察 中編
綺麗な服に身を包み、お嬢様を装ったタモンは馬車に乗り込んで港町モントへと向かった。
城からたいした距離でもないので、普段なら歩いていくことが多いのだが、今日は馬車を使っての移動だった。それというのも良家のお嬢様がふらりと立ち寄って遊びに来ているという設定のためだった。
(ここまでしなくても良かったのではないだろうか……)
すぐに港町まで到着してしまいタモンは、そんなことを思う。
先に降りた護衛のマキに手を取られて、馬車を降りた。素晴らしいエスコートぶりだとタモンは感心するしかなかった。
(僕は、こんなことしたことないな)
だから、僕は昔、もてなかったんだと反省しながら、とにかく今は頑張ってお嬢様らしい優雅な仕草をしつつモントの町に降り立った。
一年前は閉鎖的で高い門で閉ざされているように見えたモントの町の入り口は、今では随分と開放的に見える。ひっきりなしに馬車や荷台を引いた人たちが出入りするので、道が整備されて入り口の門も大きくなりずっと開いたままになっている。
(栄えているけれど、密偵とかが入りやすくはあるよな……)
海だけではなく陸でも交易が盛んになってくれるのはタモンの狙い通りで、嬉しいことではあるのだけれど別の心配もでてきてしまう。
「お嬢様。どちらに参りますか?」
マキは町の地図らしいものを広げて案内しようとして、考え込んでいるタモンに聞いてきた。
ここ最近、西の方から来たと行っていたからおそらく自分の方がこの町には詳しいだろうとは思うのだけれど、せっかく準備もしてきてくれたらしいのでタモンとしては大人しく従うことにする。
「では、町の広場へ。最近、その回りにお店が色々増えたと聞いてます」
タモンはちょっと声を抑えながら、そう言った。声で男だと分かってしまわないかなと思っていたけれど、特にマキの反応はなかった。
(そもそも、『男』の声を知らないものな……)
思ったよりは可愛くない声だなというくらいの感想しかマキとしてはないのだろう。それよりもちょっとそわそわしながら、タモンの様子を窺っていた。
「そ、そういえば、あの……。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
マキからすれば、あくまでも任じられたから護衛しているだけで、普段なら何も言わずに、ただ付き従って身辺を警護すればいいだけのはずだった。ただ、今はお忍びでの視察で不自然には見えない二人組として行動しろとエリシア宰相からも言われていた。その命令を口実になんとか少しでも親しく会話がしたいと思いながらタモンに近づいていた。
「あ、ええと……マイと呼んでください」
タモンはつい敬愛する先輩の名前を言ってしまった。偽名を名乗るのは、今までと比べて格段に悪いことをしている気持ちになる。先輩の名前を名乗ってしまったこととあわせて、二重でいけない気持ちになったのでもう全部ばらしてしまおうかと思ったりもしたのだけれど、すでに周囲には結構な数の町へ行く人たちが歩いているのでためらわれた。
「マイ様は、どちらからいらしたのですか? 私はツーキの更に西に行ったところの村の出身なのです」
「あ、ええと。遠い、遠い国から来ました」
「南の帝国とかでしょうか?」
「あ、もっと遠い国です」
「もっと遠い……ニビーロの方とかですかね。それは大変な長旅でしたね」
マキは、他の地方のことは詳しくないので微妙な笑顔を浮かべながら一人納得していた。
(ごめんね。話を盛り上げようとしてくれているのに……)
タモンにはマキのやりたいことに、昔の自分を重ねてしまい同情してしまう。申し訳ない気持ちもあるのだけれど、残念ながら護衛の娘を満足させるためにここに来たわけではないのだと自分に言い聞かせる。
「随分と、にぎやかな通りなのですね」
ただ気まずい雰囲気は少しだけあったけれど、マキも特に気にするようなことはなく、町の中央に着いたころには二人は和やかに会話をしていた。
「おいしそうですね。串焼きを食べますか?」
タモンは最近増えた店や整備された道を見て、一年前の漁村に毛が生えた程度の町を思い出して感慨深いものがあった。でも、『ここ最近で発展したんですよ』とか余計なことを言ってしまいそうなので屋台に歩いていって食べ物を買う提案をした。
「あ、はい。く、串焼きを召しあがるのですか?」
マキはちょっと慌てた様子で、タモンに並んで屋台へと並んだ。
「はい。マキさんもどうぞ」
つい新商品を確かめたくて、二つ買ってマキに一つ手渡してしまった。
(あー。お嬢様は町中で肉の串焼きを自分で買ったりはしないし、歩き食いもしないか)
目を丸くしながら、串焼きを受け取ったマキの様子を見てタモンはお嬢様らしくない行動を反省していた。
「あ、ありがとうございます」
でも、すぐに満面の笑みで感謝しているマキの様子を見て、『まあ、いいか』と開き直ってまだ熱い串焼きにかぶりついた。
服が汚れてしまわないように注意しながら、マキと並んで仲良く歩きながら食べる。
「でも、マキさんはツーキの出身だから、ウリルの肉なんて食べ飽きていますよね?」
タモンは珍しい新商品のつもりでマキに手渡したけれど、そう言えば元ヨム家に仕えていたのなら、ウリルの肉なんて食べ飽きているものかもしれないと心配になった。
「いえ、懐かしいですし。この串焼きはとても美味しいです」
特に無理している様子もなく、本当に美味しそうに頬張っていたので、タモンとしても良いことをした気分になって会話も弾みながら並んで歩いていた。
「海……ですね」
町中を色々引きずり回した後で、街道を突っ切ると一面に海が見える景色が広がった。
「海はあまり行きませんか?」
マキが目の前の光景に感激しているようなので、タモンは嬉しそうにしながらもそう聞いてみた。
「海自体は行きます。ツーキの街からもそれほど遠くはありませんし、ただ、このように船がいっぱいあるようなことはなかったですね」
右手の方には、港があって漁師が使っている船が多数と交易に来ている少し大型の船が留まっていた。確かに一年前からすればかなり船の数も増えているようにタモンにも思えた。元ヨム家の人からすれば、一度海に出たりせずにそのまま陸路で運んだ方が早いというイメージなのだろうとも納得する。
「海で泳いだりはしますか?」
左手の砂浜を見ながら、タモンはマキに聞いてみた。
「え? そ、そうですね。泳いだこともあります」
「どんな服で泳ぐんですか?」
「シャツと腰に布を巻いてということが多かったですね」
マキは、このお嬢様に一体、何も聞かれているのだろうとは思いながらも、会話がさきほどから弾んでいることに満足して喜んでいた。
「そうか……水着とかはないんだな」
タモンは商売の好機なのではとしばらく考えこんでいたけれど、水揚げしている船の一隻に違和感を抱いて目が留まる。
「む?」
小走りでその船に近づくタモンだった。
「お、綺麗なお嬢さん。どうかしたかい?」
「魚を買い付けにきたのかい? いいぜ、これなんか新鮮だよ」
見上げれば、あまり港には似つかわしく服装のお嬢さんが陸から船を凝視していたので、漁師たちは、からかいながら陽気に応対していた。
「邪魔するよ」
そう言うと、タモンは船の先端へとそっと降りた。
「お、おい。お嬢さん」
「困るよ。勝手に船に乗ったりしちゃあ」
次の瞬間には、船へと乗り込んできたお嬢さんは、魚ではなくその奥の箱へと向かっていた。大慌てで静止しようとする漁師たちだったが、間を見事にすり抜けられてしまった。
「この石は何だ? 禁制の石だろう?」
「ぐ!」
タモンが箱にかぶさっている布を取り払うと、中には頭の大きさほどの黒くなめらかな石が数個姿を見せた。漁師たちはその指摘に明らかに『不味い』という顔になった。
(凄んでみたけれど、今は可愛らしいお嬢様の格好だったな……)
一瞬、困った漁師たちも、『こんな小娘』どうにでもごまかせるだろうという目配せをしたあとで、少し余裕の表情でタモンを囲んでいた。
「それはちゃんと許可をもらって、獲ってきた石なんだよ。さあ、お嬢さん。仕事の邪魔をしないで陸に戻ってくれるかな」
じりじりと力ずくでも追い出す姿勢になっている漁師たちだったが、可愛らしいお嬢さんは怯むことなく言い放った。
「許可をしたことはない」
その言葉に、漁師たちは『何を言っているんだ。この小娘』という表情になったが、只者ではない雰囲気を感じて動きは止まっていた。
「おい、マイお嬢様に触れるな!」
陸から、マキが大声で静止する。『マイって誰だっけ』とタモンは疑問に思ったけれど、すぐに自分で名乗った名前だったと思い出した。
「軍人か」
私服ではあるのだけれど、マキの立派な体格と手に持った剣の立派さに漁師たちはこれは不味いと判断した。隣の漁船から応援を頼んで五、六人なら強そうな武官であっても抑えることはできるだろうがその先はどうすると考えると、困り果ててしまう。最悪、殺して海に捨てるということも考えはしたが、このそこそこ栄えた平和な港町で、そこまでする勇気はなかった。
「ずらかるぞ」
小声で漁師の一人が指示を出すと、港とつないでいた縄を外して船ごと逃げ出そうとした。
「待て!」
マキにしても、まだお嬢さんが船に乗っている以上、このまま見逃すわけにはいかなかった。急いで離れようとする漁船に、助走をつけると跳んだ。
「お、おい」
漁師だけでなく、タモンもあまりにも豪快すぎるジャンプに驚き、焦っていた。制止しようにもマキはすでに空高く飛んで船に着地するところだった。
「う、うわ」
先端に着地したマキの衝撃で、漁船自体が大きく揺れる。タモンと漁師の何人かが海へと投げ出された。
「マ、マイお嬢様!」
マキは、大慌てで海に落ちたタモンを助けようと海へと飛び込んだ。




