カンナ、夜の戦い(前編)
「ずるいわ」
マジョリーに仕える侍女のメイは、同僚のランへ文句を言うのが最近の日課になっていた。
「ランは、ロラン様という立派な武官と婚約したし、ルナ姉さまは、フミさんといい感じだし……何で私には素敵なロマンスがないのかしら」
「だって、メイってば外に行く用事は全部私に押し付けて、部屋に籠もっているからでしょ」
「あー。聞こえません。聞こえません」
メイの愚痴に、ランはもう聞き飽きたので適当に受け流していたけれど、むしろ遠くにいたルナの方が反応していた。
「私は、仕事でフミ様とは会っているだけよ。特にいい感じではないわ」
「ほう……。でも、フミ様と会う用事の時はうっすらと紅を塗っていますよね」
「なっ、そ、そんなことは!」
していないとは言えずただ真っ赤になっているルナに、勝ち誇ったようにメイは高笑いしていた。
「ほほほ。何年一緒に暮らしていると思っているんですか。……あ、ちょっと待って、すいませんすいません」
本気で怒りながらメイに迫るルナを、ランの他、周囲の侍女たちは温かい目で見守るのが最近のキト家の風景だった。ルナも最近は、少し丸くなったように感じられて、侍女たちは密かにフミへと感謝していた。
「でも、そう言えば、カンナ様が帰還されるらしいじゃない」
ランは、ロマンスを求めるメイへのアドバイスのつもりでそんなことを言った。
「カンナ様って……。誰だっけ?」
「ああ、メイは会ったことないんだっけ。ミハト様と同じで、陛下とは昔から一緒で妹分って言われているの。地位で言っても、この城で一番の武官よ。ミハト様と同じくらいとても強いし、それに……すごくすらりと背が高くて格好良いのよ」
「ほう」
メイだけではなく、周囲の侍女たちもその話に眼光が鋭くなっていた。
「これは……一体?」
カンナは旧拠点の砦から、自ら兵隊を率いて、久しぶりにモントの城へと帰還したところだった。
しかし、城門をくぐり馬を下りた瞬間に、城のあらゆるところから視線を感じていた。
敵意ではないのは分かったが、視線を感じるどころではなく、窓から身を乗り出して観察している人も少なくなくて、カンナには何故、こんなに見られているのかが分からなくて困惑していた。
「後宮の侍女たちが、みんな一目見たいと思っていたみたいですよ」
カンナたちを出迎えたショウエは、そんな風に説明する。小柄なショウエとカンナでは、かなりの身長差があるのでものすごく首を上向きにしながらの会話だった。
「あー、ええとショウエ殿……でしたっけ、ツーキの街を攻略する際はお世話になりました」
背の高いカンナが頭を下げてお礼を言う、その際に長い黒髪が真上から、ショウエを隠す幕のように垂れさがり周囲からは真上から覆いかぶっているようにしかみえなかった。
「何の。ツーキの街を奪還できたのも、カンナ将軍のお力のおかげ。我は今、エリシア宰相様に仕えて勉強させてもらっています」
「それはそれは……。あいつ、人使いが荒くて大変でしょう。頑張ってくださいね」
「ぶ……。陛下がお待ちですので、ご案内いたします」
真面目というか、人を寄せ付けない雰囲気があると思っていたカンナから、優しく、師匠を小馬鹿にした軽い調子の返事をもらってしまって、ショウエは思わず吹き出しながら共感しそうになってしまった。ただ、エリシアがどこで見ているか分からないので、なんとかそのまま任務を果たすことして、真面目な顔を作りながら城へと案内する。
「しかし……それで……何故、こんなに見られているのでしょう? よそ者と思われているでしょうか?」
カンナは、不安そうに周囲に視線だけを向けて落ち着かない様子で歩いていた。カンナは、この城を攻略したあとはすぐに旧拠点だった砦を任されたので、そもそもあまりこの城には馴染みがない。
「あちらが、陛下の妻たちが住む後宮になります」
「なるほど、ちょっと見ない間に城も……色々、綺麗になっていますね」
ショウエが教えてくれた後宮も、カンナは初めて見る。城自体は、前に魔法使いが住んでいた時とあまり変わってはいないけれど、周囲の城壁や城に隣接する建物が、綺麗に増えているので、カンナとしては素直に感嘆していいのか少し悩みながらの言葉を返した。
「ご夫人に仕える侍女たちにとっては、格好良くて、位の高い武官との恋物語というのは最もときめくものらしいですよ」
「はあ」
あまり侍女の様な人種と触れ合う機会のないカンナには、その常識は理解できなかった。
「まあ、我もよく分からないのですが……」
困った顔をしているカンナを見ながら、ショウエも一緒に困った顔をしてお互いに笑いあった。
「カンナ様、ご帰還おめでとうございます」
周囲を包囲していた侍女たちの一人がいきなり、カンナに声をかけた。
「ありがとうございます」
カンナは別におめでたいことでもないとは思いはしたけれど、軽く礼をして笑顔で答えた。
「おおー」
声をかけた侍女もそうだが、周囲を取り囲む他の侍女からもどよめきが起きた。
「え?」
何か対応を間違えたのだろうかと、不安になるカンナの背中に、ショウエは手をおいて安心させようとする。本当は肩に手をかけようとしたのだけれど、手が届かないのと長くて綺麗な黒髪を汚してもいけないと思い背中を優しく何度か叩くことで妥協した。
「ご安心ください。カンナ将軍は、彼女たちのお眼鏡にかなったということですよ。おそらく抱かれたい武官一位にジャンプアップいたしました」
「は、はあ」
ショウエの言ったことを完全には理解できていなかったが、嫌われて排除されるわけではなさそうと分かって安心するカンナだった。
「むしろ、積極的な侍女たちからの夜這いに気をつけられた方がいいかもしれません」
「夜這い? は、はい」
戦場では文字通り一騎当千の活躍を見せて、どんな強敵にも怯んだことのないカンナだったが、全く今は相対したことのない生き物を相手に苦戦を強いられそうな予感に襲われていた。
「おかえり。カンナ」
今まで通りの軽い調子でカンナを迎え入れたタモンだったが、横にいるエリシアにちょっと冷たい目で見られて咳払いをされてしまう。
「ああ、うん。長い間の任務ご苦労様でした。カンナ将軍」
真面目な声で言葉をかけなおすとうやうやしくカンナは返礼をした。かしこまった応対に目を合わせた主従二人とも思わず笑ってしまいそうになるけれど、新しくヨム家から加わった人たちも見守る中なので、何とかこらえた。
この地方の王になったタモンと、その第一の家臣として名高い二人の再会の威厳を保ちながら労をいたわった。
「はああ、エリシアは固い。頭が固すぎる」
タモンの部屋に押しかけてきて、そう文句を言ったのは、カンナではなくミハトだった。
いつの間にか酒をグラスに注いで、すっかり赤ら顔になりながら二人の兄弟分にも酒を勧めていた。
(まあ、生まれた時から数えるなら多分、一万と十九歳とかだからいいのかな……)
タモンも、自分にそう言い訳をしながらちびちびと酒に口をつけていた。魔法使いに追われている時はもちろん、つい最近までも油断できない日が続いていたので、酒を試す余裕もなかった。
今はやっと頼もしい仲間にも囲まれて、ちょっと前後不覚になってもいいかもしれないと思えるようになった。
「洞窟での宴会も今、思えば楽しかったですなあ」
「いやあ、洞窟は辛かっただろう……」
「何度も死にかけたし」
山に籠もっていた時期の酒盛りを楽しく思い出しているらしいミハトに、酒でごまかそうとはしないタモンとカンナは理解できずに首を振っていた。
「ところで兄上。私は、次はどうします? やはり帝国に備えますか?」
カンナも酒を手に持っていたが、酔ってしまう前に気になっていたことだけは確認しておこうとしているようだった。
「そうだね。でも、トキワナじゃなくて、南ヒイロの方だね」
「ヒイロに」
「うちらだけで、トキワナ帝国と戦って勝てるわけがないからね」
特に強がったりせずに正直な感想を言うタモンに、ミハトとカンナは感心していた。
「兄上はいつだって冷静ですな」
「トキワナも、気にしているのは南ヒイロ帝国だよ。北なんて南ヒイロを攻める時のおまけだとしか思ってない」
なんとなく二人が難しい話をし始めて、ミハトは話についていけなくなり交互に頭を振るだけだった。
「だから、夏になったらフカヒの方に行って欲しいけれど。それまでは、しばらくここでのんびりしてて」
タモンの言葉に、カンナは笑みを浮かべて承諾した。カンナ以上に、今までつまらなそうだったミハトがその言葉を聞いて大喜びしていた。
「よし、姉者もしばらく一緒だな。久々に手合わせしてもらおうか。我が部隊とも鍛錬しよう。わはは、じゃあ、まあ今日は飲もう飲もう!」
そう言いながら、カンナとタモンに酒を勧めて、二人の肩を思い切り叩いては抱き寄せていた。
「そう言えば、エリシアに聞けと言われたんだけどさ……」
少し赤くなった顔で、タモンはそう切り出した。珍しくちょっとためらったような言い方に、カンナとミハトは酒の注がれたグラスを飲む手を止めた。
「二人は、その……僕の……夜の相手をしたいと思う?」
その質問を理解しようとして、二人はしばらくの間、沈黙があった。
(あー。やっぱり、これって僕の感覚だと、おっさんの上司が、青年の部下にホテルへ行かないかと誘っているようなものだよな……)
沈黙を悪い意味で受け取ったタモンは、やっぱり今の発言はなかったことにしようとしたけれど、先にミハトから気まずそうに答えられてしまう。
「いやいや、俺はやっぱり、抱かれるより、かわいい子猫ちゃんを抱くほうがいいかな!」
「あ、うん。やっぱりそうだよね。あはは……」
はっきり言ってもらって、むしろちょっと安心して、何とか変な雰囲気になりそうなのをごまかすことに精一杯のタモンだった。
「私も、可愛らしい女性が好みです……が」
カンナの返事にも気まずそうな笑顔を浮かべながら、ただうなずくだけだった。
(『が』?)
カンナの話がまだ終わらなかったことに、タモンとしては、ちょっと余計な気をつかわせてしまったのではないかと怯えながらその次の言葉を待っていた。
「忠義を尽くす儀式としてということですよね。アン王の家臣や、ミド王に仕えたミランダ様とかのお話のように……」
「え、あ、うん」
タモンはちょっと頭が回らないまま、曖昧に答える。過去の『男王』の文献は全部読んでいるのだけれど、あまり伝わっているエピソードの意味などは深く考えたことがなかった。
(ああ、ミランダ将軍とのエピソードってそういう意味だったのか……)
今更ながらに、深く、肉体的にも結びついていたと思うと、少し見方が変わってくる気がした。
(しかし、過去の『男王』たち、やりたい放題だよな)
タモンは、改めて考えると、羨ましくも思うけれど、奥さんや愛人たちとの関係で胃が痛くなりそうだと思ってしまう。
「それは……憧れておりました」
カンナの頬が赤いのはお酒のせいだけではないだろう。タモンとしては、その反応は普段のクールな態度の反動もあって、とても可愛らしいと思ってしまった。
「じゃ、じゃあ、一晩、僕に付き合ってもらうよ!」
カンナの表情を見て盛り上がってしまったこともあって、夜の相手に誘った。
タモンは胃が痛くなるのは覚悟の上で、こんな風に言わせてしまった以上、なかったことにもできないと思ったけれど、動揺しすぎて高校生の時、はじめて先輩を誘った時のようにしどろもどろだった。
「は、はっ。御意」
カンナも普段からは想像も使わない慌てた感じで、応じてくれたのでタモンとしてはほっと胸をなでおろした。
「え? 姉者。やられちゃうの? じゃあ、俺も抱いてもらおうかな」
完全に酔っ払いなミハトが、横から寂しそうに言いながら話に混ぜてもらおうとしてきた。
「穴があるからには、一回使ってみたいとは思ってたんだよな。……兄者なら、まあいいかなって思うよな。なっ、姉者」
「下品ですよ」
ミハトが笑いながら言ったことに、カンナは色々想像してしまったのか照れ隠しもあってミハトにつっこんだ。軽く頭を叩くイメージだったのだろうけれど、思いっきりすごい速さの手刀がミハトの頭に入ってしまい、ミハトはばたりと倒れて動かなくなってしまった。




