キト家の愉快な侍女たちの日常
キト家の部屋は調度品や食器、ベッドのシーツまで高級なものばかりで、扱いにも気をつかう。侍女であるランは、いつものメイド服に身を包んで朝の一仕事を終えてほっと一息ついたところだった。
「ランちゃんって……ロラン様と結婚するの?」
「へ?」
そんなくつろいでいる時に、同僚のメイから唐突にそう聞かれて間抜けな声で答えてしまった。
「……あー、ツーキの街にいた時のことが噂になっているのかな」
思い当たることと言えば、それくらいなのでちょっと照れながらぼそりとつぶやいた。
「何それ? 私は聞いてないんだけど」
「メイは、私のお母さんか」
別にメイに何でも話す必要はないと答えた。ただ小さい頃からキト家に引き取ってもらってからは、ほぼ毎日のように一緒にマジョリーお嬢様の面倒を見てきた二人なので、何も話さないのは悪いことをしているような気持ちになってしまう。
「えっと。ロラン様の元婚約者がいて、ツキヨっていう女だったんだけれど……コトヨ様たちとは親戚の名門のお嬢様。ただ、ロラン様と婚約していたのに、ランダっていう今回の内乱の首謀者に近づいて、誘惑してヨム家を追い出すようにそそのかしたのね。いわば、今回の黒幕とも言っていい人」
「うん。なるほど」
メイは政治的なことはさっぱり興味がなく、とりあえず人物名にだけうなずいている。
「この女がロラン様との婚約を破棄してランダに乗り換えるために、色々とある事ない事を言いふらしたり、軍から追い出そうと画策したりしたものだから、ロラン様はヨム家に居づらくなったってわけ」
「まあ、でも、それは私たちにとってはラッキーだったね」
優秀で部隊を率いることができる彼女の存在は、このモントの城を支え続けてくれていた。何故、こんな野盗の群れみたいな集まりに、こんなまともな武官がいるのだろうとランも常々思っていた。
「だけど、内乱は失敗してランダは地方の領主に左遷になったものだから、この女は悪びれもせずにロラン様とよりを戻そうとまた近寄ってきたのよ。全く! 何よ! あの女!」
「お、おう」
その時のことを思い出してまだ怒ったように話すランの迫力に、メイは少し驚いていた。
「『ランダに脅されて無理やりだった』とか『ロラン様が構ってくれなくて寂しかったんです』とか嘘ばっかり言って、毎日のようにロラン様のところへ訪ねてきて困らせたものだから、私が助けてあげたの」
「ほほう、どうやって?」
「間に入って『私が今はロラン様とお付き合いさせてもらっています』って、言ってあげたの。その女は、しばらく疑っていたけれど、ロラン様も話を合わせて『結婚する予定です』と言ってくれたから、諦めて退散していきました」
当時のことを吐き出してスカッとしたのか、やっとランは落ち着いたようだった。そんな話を聞いて、メイの方は色々と納得できずに首をかしげていた。
「うーん……まずランちゃんって、いつロラン様と親しくなったの?」
「え? キト家に行かされた時とかにご一緒して、ちょっと仲良くなり……ました」
メイが断るので、この手の面倒な話はいつもランの担当になってしまったからと嫌味を込めて説明する。
「それで……嫉妬して邪魔するほどの仲になったと」
「別に嫉妬でしたわけじゃない。困っていたから助けてあげただけ」
ぷいと横を向いてランはそう答えた。
「じゃあ、特に付き合ってはないんだ?」
「そうね。結婚の話も、その時の様子が面白おかしく噂話になっただけ。きっと当のロラン様も、もう言ったことなんて忘れてしまっていると思う」
ランは少し大げさに両手を広げて、自虐的に否定した。
「いや、ロラン様は忘れていない」
メイはそう言い切った。
(さっきまで、この話を知らなかったのに何でそんなに自信ありそうに? そもそも何でこの話を聞いてきたの?)
「え? なんで、そう思うの……?」
何か、新たな変な噂でも流れているのだろうかと心配になって、聞いてみた。
「だって。今、ロラン様が花束を持って後宮の玄関まで来ていたから」
「えっ!」
大慌てで、ランはスカートの裾をつまんで走り出した。
「今夜、二人でお話しできないでしょうか?」
ロランは、小さな花束を差し出しながら今、走ってきて何とか息を整えているランに手渡した。
「は、はい」
ランはそっと視線だけを左右に向けて現状を確認する。ここは、キト家の部屋の入り口で、タモンとマジョリーが並んで立っている。
タモン様が部屋を訪問するのにあわせて、ロラン様もついてきたのだろうとランは把握した。主人であるマジョリーに出迎えさせて、侍女としては申し訳ないと反省しながら、さっさと伝えなかったメイに対して文句を言いたくなる。
「そ、それでは。夜にあの廊下の先で、お待ちしております」
そう言うと、任務がありますのでとロランは主人たちやランに対して敬礼をして踵を返して去っていった。
花束を持って取り残されたランは呆然と見送っていた。真剣そうな眼差しに、深く考えずに承諾してしまったけれど、これはどういう意味だろうかと妄想すると顔が赤くなっていた。
「あらあら。いいわねえ」
美少女として世間では知られているマジョリーが、世間話大好きなおばさんみたいな声の調子でにこにこと微笑んでいた。
「陛下を立ち話しさせるわけにはいきませんので、どうぞ中へお入りください」
悪気はなく、部下の色恋沙汰を本当に応援しているのだろうということはランにも伝わったけれど、好奇心いっぱいの目で観察されているのは自分の主人とはいえ不快だったので、部屋の中へと押し込めるように誘導した。
「そのお店で売る服を、私が着ていけばよいのですね」
「はい。お嫌でなければ、他の夫人たちと一緒に町を歩いてもらえればと思います」
「大丈夫です。そんなに他の夫人とは仲は悪くないのですよ」
マジョリーはタモンに照れたように微笑んでいた。二人が座るソファーの横で立ちながらランは、話を聞きながら待機をしていた。タモンの心配は他の夫人との関係ではなくて、都会であるビャグンの街で育ったマジョリーには、モントの港町は田舎っぽいことを心配しているのだろうなと推測していたけれど、後で話すことにしようと何も言わずにおいた。
「……じゃあ、それでよろしくね」
タモンの用事は終わったらしい。説明のために持ってきていた紙をしまうとランが入れた紅茶に手をつけて一息ついていた。
「ごめんね。ランちゃん、ロランには極秘の任務を与えていたものだから、引き離しちゃって」
不意にタモンは、ランの方を振り返るとすまなそうに片目をつぶりそう言った。
「え? い、いえ」
普段も狭い城で暮らしてはいるし、数ヶ月前には旅に同行させてもらいはして見知った間柄ではあるけれど、今や実質的には北ヒイロの国王と言っていい人から、侍女に対して気さくに謝られてしまいランとしても困惑してしまう。
「ロランもね、ランちゃんが怒っているんじゃないかって心配していたんだよ。結婚の約束までしたのに、こっちの城では再会できずに任務につくことになってしまって。ロランは悪くないから、無理やり命令した僕が悪いから許してあげてね」
「い、いえ。とんでもございません」
さらに軽く頭を下げられてしまい、ランとしては更に恐縮してしまう。
「え? ラン。結婚するの?」
隣にいたマジョリーが、その言葉に反応して目を輝かせて聞いてきた。
(めんどくさいことに……)
ランは自分の主人であるマジョリーが、嬉しそうに食いついてきてしまい困り果てた。悪気はないのは間違いないし、むしろランのことを心から応援してくれている良い主人であることは伝わってきているので、感謝をしているのだけれど、だいぶ世間知らずな割に、妙な行動力のあるこの主人が余計なことをしないかが怖かった。
「いえ、別に、結婚するというわけでは……」
ランとしては、そもそも恋仲ではないつもりだったけれど、ロランが真剣な表情で話したこの後の話って何だろうと思うとちょっとだけ期待が頭をよぎってしまう。
「ロランはもうプロポーズしたみたいなことを言っていたんだけど……違うのかな」
タモンは、本気で聞いた話を思い出そうとしながら、腕を組んで考え込んでしまっていた。
「陛下。陛下の故郷では、違うのかもしれませんが、この地方では結婚というのはそれなりの家を代表している者同士がするものです。私のようなただの侍女は結婚なんてありえません」
ランは、おそらくこの前のツキヨとかいう女に迫られて、婚約者のふりをした時のことが誤解して伝わっているのだろうと説明をしつつ、結婚というものが庶民からは縁遠いものだということを改めて説明した。
(そうなの?)
タモンは、そんな表情でマジョリーの方を見るとマジョリーは黙ってうなずいていた。
「まあ、女性ばかりの世界だからそうなったのか……」
タモンは何やらぶつぶつ言って考えていた。
「でも、ロランは」
タモンは顔を上げると何かを説明しようとしたけれど、途中でやめてしまった。この後、本人から話があるだろうから余計なことは言わないでおこうと思い直したようだった。
「えっと、僕の故郷では女性同士の恋愛の間に挟まるような男は滅殺されてしかるべきなので、壁になっておとなしく見守っているからね」
ちょっとごまかしつつ、二人を応援するようなことを早口で説明するタモンだった。
「壁とか良く分かりませんが、変態っぽい発言ということは分かります……」
メイが、横から陛下に対して、あまりにも失礼なことを口走ったので、ランは思わずその口を塞いでおとなしくさせようとした。
「あはは。ばれたか」
タモンが怒らずに笑っているのを見て、ランとしては一安心したけれど、メイのお尻を軽くつねっておいた。
(でも、こんな気を使われるというのは、ロラン様から、結婚はともかく……恋人になって欲しいみたいな話が今晩、本当にあったりするのかな)
ランはずっと期待しないようにしていたけれど、こんなに状況が整えられてしまうと、さすがに本当に告白みたいなことがありえるのかもしれないと思うようになってきていた。
「あれ?」
ランは、この後にロランから言われそうなことを、いくつか頭の中で想像してみた結果、ちょっと怖い疑問を持ってしまった。
「もしかして……この前のツーキの街で言われたことって本当のプロポーズだった?」
この前からとても失礼なことをしていた可能性に思い当たって、震えてしまう。
「何やら、面白いことになってそうですね」
「そうだね」
メイがまたも馴れ馴れしくタモン陛下に話しかけていたけれど、タモンも楽しそうに見守っているし、ランに突っ込むような余裕はなかった。
「ねえ。ラン」
まだ震えながら考え込んでいるランに向かって、主人であるマジョリーが優しく声をかけた。
「もし、結婚に家柄が必要だったら、キト家の養女になるというはどうかしら?」
「え?」
「大丈夫よ。私が頼んであげるし、ランだったら私の両親も喜んで承諾してくれるわ」
いや、そんな名目上の養女とはいえ、簡単に承諾してくれはしないだろうとランは思うのだけれど、マジョリーは自信たっぷりだった。
「そ、そんな恐れ多いです」
ランは、慌てて手を振って断った。もしかして、キト家の当主たちはこの間の件でマジョリーに何も言えない立場になっているのだろうかと推測したけれど、どちらにしても万が一、本当にそうなったら名門キト家に入るなんてとても恐れ多いので全力でお断りしたかった。
「キト家が名門すぎて、遠慮したいんだよね」
タモンはさすがに理解してくれたらしいとランはちょっと一安心していた。
「じゃあ、僕の養女になるってどうかな」
タモンはさらに予想外の提案をしてきたので、ランは驚きすぎて呆然としてしまった。
「も、もっと恐れ多いです」
マジョリーもその提案には微妙に歪んだ顔をしていることにランは気がついて、慌ててお断りした。
しかし、段々と外堀が埋められつつあるのを感じずにはいられなかった。




